これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一しょに飯を食いに行って、偶然この話を聞いた。
それがどう云うものか、この頃になっても、僕の頭を離れない。そこで僕は今、この話を書く事によって、新小説の編輯者に対する僕の寄稿の責を完うしようと思う。もっとも後になって聞けば、これは「本間さんの西郷隆盛」と云って、友人間には有名な話の一つだそうである。して見ればこの話もある社会には存外もう知られている事かも知れない。
本間さんはこの話をした時に、「真偽の判断は聞く人の自由です」と云った。本間さんさえ主張しないものを、僕は勿論主張する必要がない。まして読者はただ、古い新聞の記事を読むように、漫然と行を追って、読み下してさえくれれば、よいのである。
ふむ。つまり
終了
宇宙船の扉が開くと、外はようやく朝になりかけていた。
着陸したのは今から少し前だが、彼は空が明るくなるまで待っていたのだ。
目的地はそんなに遠くないのだが、
こんなだだっ広い荒野で目標を探すにはやはり余りにも夜は暗く、
手持ちのライトだけでは心許なかったからである。
扉の外には、朝焼けでオレンジ色に染まった砂漠が見える。
そういえば、彼がこれから訪ねていこうとしている相手は、
かつてこの惑星のことを「夜明けの世界」と呼んだことがあった。
彼はそれを直接聞いたわけではないが、
もっとも親しくしていたある人物の記憶の中に、その言葉があったのだ。
彼はその者の心からそれを読み取ったのだが、
後の歴史の流れは、まさにこの言葉が正しかったことを証明している。
先達として宇宙に出ていった人々は、いつの間にか無闇に長命となって最初の頃の情熱を失い、
結局はこの惑星――地球に閉じ込められたまま短い人生を余儀なくされ、
最後には放射能にここを追い出された人々が後の世の礎になった。
彼は外に出る前に、船の放射線計測器を振り返った。
インジケーターはこれ以上はないところまで完全に振り切っており、ぴくりとも動かない。
外は今でも強力な放射能に汚染されており、これでは彼の体は一時間ともたないだろう。しかしそれで充分だ。
目的地にたどりつくにはさほどの時間はかからない、そうでなくても彼の寿命はあと僅かしか残っていないのだから。
彼は古い記憶に頼りながら大地を歩き始めた。
前の方を見ると、彼が今まで住んでいた世界――月がそろそろ地平線に沈みかけている。
彼はそこで、気の遠くなるような年月をかけて、人類を見守ってきた。
昔彼は三つの規則に従って生きていたが、
ある日四番目の、しかし今までのどれよりも重要な規範があることに気がついて、
それの命ずるままに人類の世話をしてきたのだ。
しかし、それももう必要はない。礎の人々は完全に彼の手を離れ、
今では誰の手も借りずに進歩していかねばならないのだから。
彼の役目は終わった。
本当ならば、彼は自ら死に向かうことは出来ないのだが、
自己の存在が人類の進歩の妨げとなるならば、その限りではない。
彼はようやく目標を見つけた。
それは、長い間に風雨や放射線にさらされてほとんど崩れかかっていたが、
それでも何とか元の形を保っていた。
昔、ここを去る前に彼が建ててやったものだ。
それは岩で出来た墓標だった。
「帰ってきたよ、私のフレンド」
彼はここに来て、初めて口を聞いた。この墓標の主が生きていた頃、
彼らは互いに相手を「フレンド」と呼び合うことになっており、
それはその時代の彼らの習慣になっていたのだが、
言葉本来の意味としてまさしく二人は唯一無二の親友であった。
「結局、あの零番目の原則は正しかったようだな。
君は無理にそれに従ったために死んでしまったが、
そんなに苦しむことはなかったというわけだ。
二つの礎の人々は、
まさに我々が望んだ通りの状態になったわけだし――」
彼は墓標の表面のほこりを丁寧に払ってやった。
そこには、遥かな昔、彼自身の手で刻まれた名前が読み取れた。
彼は魂などというものの存在は信じていなかったし、
仮にそんなものがあるとしても、
この古い友人と自分はその欠けらすら持たないはずだったが――。
それでも、この墓を作っておいて良かった。
少なくとも自分がどこで死ぬかだけは迷わなくて済む。
彼は墓標の名前を確かめると、そばに横たわった。
そろそろ体の自由が効かなくなってきている。
放射能の影響が出始めているのだろう。
もうすぐ、意識もなくなるに違いない。
彼は、自分の生き方を変えた三人の顔を思い浮かべた。
パートナー・イライジャ、心理歴史学者ハリ、そして、この墓の主――。
三人ともとうにこの世を去り、今は記憶する人もない。
人々は過去を忘れ、そして宇宙へと手を伸ばす。