弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ。
死の現存在分析 または 世界の中心でアイを叫ぶ
終了
Oh、it's true. It's damn true!!
そろそろ頃合か。。。
知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。
これまた空しく大いに不幸なことだ。
既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。
いや、その両者よりも幸福なのは、生れて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。
これまでに存在したものはすべて、名前を与えられている。
人間とは何者なのかも知られている。
生きているものは、少なくとも知っている自分はやがて死ぬ、ということを。
しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく彼らの名は忘れられる。
……とか読んでみた。
仕事が憂鬱な秋。
暫く居座るか。。。
定時奪取
16 :
名無しさん?:04/10/01 21:02:01 ID:1iDPzyWb
言葉の意味は良く分からんがなんか知的な分に気がする
これはコレヒトって外人の書いた本の一説みたいです。
で、最近俺の身近な人が亡くなってしまったのですが、
丁度その頃に読んでいた本に
>>1の文章が書いてありまして、関心を覚えるに至った訳です。
よく読んでみると"空しい"とばかり言っている人ですが、有名な人らしく
書いてることは、どこか素晴らしい気がしないでもないです。
しかし、やはり宗教のかほりがプンプン匂いまして、俺の肌には合わないような。。。
昔から人間にとって死というのは生に等しく避けられない現象であり、
俺は弔いの席で、悲しみより潔い終局を感じ、また謎に満ちた精神の行方があるような気がしました。
そんなミステリアスな現象であり、また現実であるというのは正にtrueって気がしませんか?
、、、ってやっぱ俺だけか。
と、いうわけで俺の知性とスレの方針とは全く関係のない(予定)ことですが。
先日、母の田舎にある寺に行きました。
寺の庭先には、小さな橋が掛かっていて其処から見下ろした水面には鯉の群が見える。
そして、その川の先には棚田だ広がり風に木々の葉や草が擦れあう音が広がり澄んだ空気に満ちている。
御経を聞き線香を上げ、足の痺れが取れた頃、
何かに惹かれるわけでもなく自然に橋の方へ足を運んだ。
橋の上から水面を眺め、徐に煙草に火を点ける。
普段、知ることができない程の静かに過ぎ行く時間に浸り、
自分の生き方を振り返る。振り返る。。。
忝い。
かたじけない。か。再変換って便利
昨今、気が付くとアク禁になっております。
年に何度か、仕事で東京に行くのですが、
羽田から浜松町までのモノレールから見える東京の景色に惹かれます。
思えば、子供の頃から車窓に流れる景色を眺めているのが好きだったような気がします。
先日も名古屋から九州まで新幹線で帰ってきたのですが、
退屈だと感じることはなかったと思います。
更に掘り起こせば、都内で移動する時に電車には乗らず、
態々都バスを選ぶ辺り、車窓フェチなのかも知れません。
移り行く景色の中で佇む自分というのは、そこに居ながら浮世離れしているような、、、
なにか、そんな非現実的なリアルの中に浸れる。そんな魅力です。
眠たくなると、可笑しなことを書いてしまうようです。
ワザワザ。か。再変換って便利