喪前の秘密を知っている
2 :
名無しさん?:04/01/19 19:58 ID:L1plEic3
クソスレオツ
(・⊥・)))) スルリスルリスルリ
4 :
三太夫 ◆t2yOCdvgKc :04/01/19 19:58 ID:cMYfoBlq
渋谷区鶯谷町19-3プラザハウス302だよwwwwwwwww
そういえばたしかこのまえパンパンしてつかまっちゃいました^^
中国人に!チャイニージに!こわかった〜^^
セブンイレブン高島平7丁目店は店員の教育がなってない。
とりあえず7get
8 :
nejire ◆sezANEJIRE :04/01/19 20:00 ID:LD/nZ+FT
凄いよマサルさんのオープニングテーマでもえもえがダンスしてるところが萌えるね
だからねーコリアンなんかよりチャイニーズのほうがこわいってこと^^;
ニーメンニーマンニャンメンとかまじうざいいいて〜^^;
こわいよ
中国人だと福建系がタチ悪いの多いかな
でも高校で騒いでる奴らって馬鹿みたいで
別に仲間に入れてもらいたいと思わないよ。
自分が友達じゃなければ、そいつらの話って本当うるさいだけ。
馴れ合いたくないとか、変な疎外感とかが自分は自分をしっかり持ってると
語認識させて、それで学校に行くのがだるくなったりするよ。
あれだけ人数がいるクラスで1年間を3,4人のクラスのグループ作って
その中で過ごすなんて嫌じゃん。もっと広く生きたいよね。
芝浦の用水路でカルガモの群に一匹だけ混ざっていたアヒルが
昨年末より行方不明。
新宿で3000円で本番やらせてくれる店発見 良質
権之助坂で昨年より勃発したプチラーメン屋戦争継続ちう。
同じく昨年勃発した目黒駅前周辺の「海鮮三崎港」vs「回し寿司 活」は、
3:7の割合で回し寿司有利のまま収束した模様。
新橋駅から終電に乗り込んできた学生がゲロ吐きやがった。
もうすぐ春だな。
南麻布の明治通り沿いにある某ビルは、月イチ以上の確率で、出る。
まあ隣が墓地なのであたりまえと言えばあたりまえなのだが、その墓地は
手入れも良く、お彼岸ともなれば品評会さながらに様々な菊が供えられて
いるので、供養が足りないわけではないらしい。
もっとも麻布は昔から七不思議の多い場所で、人によって上げる物が違う
ために、よくよく数えなおしたら二十七不思議だったという位の場所なので、
月イチだろうが週イチだろうが、特に害のないものなら騒ぐほどのことはない
のかもしれない。
むしろ、うかうかと麻布の山に入ると必ず方向感覚がおかしくなって道に迷う
ことのほうが、月イチの出物より難物だ。
ちょっと近道のはずが、細い小道を登ったり降ったりしたあげくに行き止まり
などということは茶飯事で、このまま遭難するかと思うこともしばしばである。
もし、幸運にも東京で雪の酷い日があったら、一度訪れることをお薦めする。
八甲田山ごっこには恰好の舞台となるだろう。
銀座の交詢社ビルにサンスーシーという戦前から続く古いショットバーがあった。
気怠い様子がオランウータンに似た野村さんという名物バーテンダーも骨董品で、
戦前からバーテンダーをやっていたと聞いたように思う。
野村さんの作る古いスタイルのドライマティニーが好きで良く通ったのだが、私が
一時体調を崩して三年ほど足が遠ざかった。
その内に酒はまた飲めるようになったのだけれども、もしもしばらく行かない間に
高齢だった野村さんが引退してしまっていたら、どうしようかと思いはじめた。
カウンターの中に別の人がいるのを見たら寂しいような気がして、結局そのままそ
の店には行かなくなってしまった。
今ネットで調べたら、2002年の末で閉店したそうだ。
寂しさよりも、安堵感を感じた。
四谷○丁目にあるジュエリー××。
表向きはやや安っぽい感じのする宝石屋なのだが、事務所や資金を持たない
金融業者、自称だと青年実業家とか、他称だと闇金融ブローカーなどというような、
ヤンチャ系金貸しに資金を提供していた。
午後四時過ぎ、銀行の該当窓口が閉まるあたりから、顔色の冴えない手形や小
切手のまずい人たちが、パンチ頭のブローカーにつれられてやってくる。
いくらかの金と引き替えに、手形を切り替えたり怪しい小切手にサインするためだ。
事務所の入り口近くでは、ちょっときれいな女性事務員さんが、ボロボロ泣きながら
なにやら帳簿をつけている。
一瞬「どしたのー?」などと声をかけそうになったが、その数ヶ月で色々カシコクなっ
ていた私は、すばやく場の空気を読んで止めておくことにした。
いくら潰れかけたプロダクションのバイト君とはいえ、何度もそんな場所へオツカイに
出されれば、多少は勉強するものだ。
結局そのプロダクションは立ち直る気配を見せず、そこでは裏社会のことしか勉強
できそうになかったので、止めることにした。
そのジュエリーショップがその後どうなったのかは知らない。
アメ横で香菜を買った。
鮮度がやや不安なのでかなり良く選んだのだが、日本人の店の親父に渡したら
さりげなく取り替えられた。
後で見たらやはり半分腐りかけていた。
新大久保で香腸を買った。
中国人の店番のおねえさんに渡したら、これは古いから別のメーカーのを買うべき
だと主張した。
その通りに買ってみたら本当に新鮮だった。
以来日本人の親父と中国人のおねえさんがいたら、迷わず後者を信用することに
決めた。
何かネタになる場所がないかとあれこれ記憶を手繰っていたら、なぜか六本木のハ
ンバーガー・インを思い出した。
以前はインド人らしき濃い顔のオヤジがカウンターに入っていて、一日の内いかなる
時間に行っても常に客が2〜3組という不思議な店だった。
オヤジの人徳のせいか、それとも土地から妙なオーラでも出ていたのか、客層も昼の
二時過ぎからウォッカらしき透明な酒のグラスを前に酔いつぶれている貧相なフランス
人、ビール一杯で何時間も粘ったためにビールがぬるくなってしまい、グラスに氷を入
れてくれと交渉しているフィリピン人、全身光り物で決めて、ついでに妙な薬も決まって
いるのかえへらえへらと妙なテンションでビールをラッパ飲みしているブラザー等、数え
上げたらきりがないが、そんなクズ外人たちがさりげなく集まっていてなんとも味わい
深い雰囲気を醸し出していた。
31 :
:04/01/30 06:00 ID:???
○○木の某ロックバーに
今は事実上雲隠れ状態のミュージシャンが出没するらしい。
___
_l≡_、_ |_
(≡,_ノ` )y━・~~~ <768/768 東京に空はない
<__ヽyゝ|
/_l:__|゚
´ lL lL
今日は盛況ですねw
某ロックバーがハードロックカフェだと少し笑える。
よく中華街で見かける毒々しい色合いの妙な形をした陶器やどうすんだよコレ的な
置物など、美的感覚が狂っているとしか思えないような安物の数々は、実は、良く
出来た精密な本物が故宮博物館などに存在していて、それを知っていれば、美的
感覚が狂っているのではなく土産物職人たちの技術が拙いだけなのだとわかる。
稲荷町で用事を済ませ、疲れたので喫茶店がないかと探していたら、ショボ目の
ドトールのといった感じの店があったので早速入った。
ほとんど客の居ない店内は静まり返っていて、照明はやや暗めにしてあり、一時
間程居眠りするには丁度良いように思われた。
カウンターでコーヒーを受け取り、席に着いてやれやれと椅子の背にもたれ、煙草
に火を付けた時、店内の一角から異様な緊張感が漂っているのにふと気がついた。
さりげなくそちらの方向を見ると、スキンヘッド、青いYシャツに黒いジャケット、白い
マフラーという絵に描いたようなやくざが、地元中小企業の社長風の顔色の悪いオ
ヤジを前に低い静かな声で話しているのが目にとまった。
やくざは相手の緊張をほぐそうとしているのか、しばし壮絶な昔話などをした後、お
もむろに本題に入った。
「利息は今日入れていただけるお約束でしたが、どうなさいましたか?」
「それでは私も困ります。 今まであなたのために約束を引き延ばした私の立場が
なくなると思いませんか?」
というような事を、感情を抑えたごく丁寧な口調で言っているのだが、どうやら正式
な河内弁らしい。
丁寧な上に静かな声なのだが、なぜか良く通る。
なによりも異常に迫力がある。
彼の言葉には、吉本やテレビの作られた関西弁とは根本的に違う何かがあった。
聞いている内に鳥肌が立ってくるような気がして、生まれて始めて
「関西弁こぇぇぇぇ・・・・」
と思った。
いったいどこでどういう借金をすればこんな本物に出会えるのかはわからない。
大抵のそれ系金融業者は、取り立ての際に組の名前を口にすることがあっても、
せいぜい杯を受けただけか地回り程度の立場で、組織から見れば末端にすぎない
ことが多い。
彼らは吉本ばりの派手な関西弁で喚いたり机を叩いたりはするけれども、一度慣
れてしまえば、実はあまり怖くはない。
ところがそのとき目の前にしていたのはいくら経験を積んでも慣れそうにない、あま
り慣れたくもない、リアルやくざだった。
そんな所にオツカイに出されなかったことを神様と仏様に感謝しつつ、目立たない
動きでそぉっとカップを片づけ、店の外に出た。
42 :
名無しさん?:04/01/30 21:47 ID:jxRWNLi+
age
天気の良い日の昼頃、ふらふらと山手通りを大鳥神社から五反田方向に向かって
歩いていたら、せっぱ詰まった顔の作業服を着た兄さんに声をかけられた。
「あの、すみません。 昨日の夜五反田に行ったらお金を全部取られてしまって・・・」
「・・・・・・・・、 w」
一度笑ってしまった都合上、無視できなくなった。
五反田はどことなく冴えない街で、○急あたりが必死に高級住宅街として売り込もう
としているものの、歌舞伎町をしょぼくして三年漬け込んだような風俗街で大手開発
業者の目論見丸潰れという反骨精神に溢れる場所だ。
が、だからと言って良い味を醸し出しているかというとぜんぜんそんなことはなく、ひ
たすら殺伐とトラックが通り過ぎて行く印象しか残らない。
SMの街でもあるのだが、ここでは関係ないので詳細は省く。
面白いので作業服の兄さんの話をもう少し聞いてみることにした。
「貨物船に乗っていて、昨日船で八戸から三崎に着いたんですけど」
なるほど、確かに甲板員の恰好だがその恰好で遊びにきたのか?
「船が今朝出る予定だったんです」
ヲイ!
「もう船出てるじゃん! まず電話した方がいいぞ?」
「いえ、もう出てしまっているので連絡つかないと思います・・・」
そりゃそうだ・・・
で、どうしたいのだ?
「取りあえず三崎まで帰れば後はなんとかなると思いますので、お金貸して頂けな
いでしょうか?
色んな人にお願いしてるのですが、まだこれだけしか集まってないんです・・・」
と、出した掌の上には168円(数枚の五円玉含む)。
一瞬寸借?とも思ったが、ネタになるような話も出来たし、三崎までなら大した金額
にはならない。
何よりも兄さんの荒れた手は、潮と日焼けと作業で荒れた、海の手だった。
小銭入れを見ると丁度7、8百円あった。
品川から安い京急を使えば三崎までたどり着けるはずだ。
「これは返さなくていいから、警察行って船会社に電話させてもらえよ。
事情話せば金も貸してくれると思うが」
と言いながら全部渡して別れた。
ちなみに新風営法以来、規制適用の対象外である五反田にぼったくり関係が続々
と店を出した。
ぼったくりも一流になると、客のサイフの中身を読んで「帰りの電車賃だけは残して
やる」のが美学とされたそうだが、五反田のぼったくりにまだ美学が存在しているか
どうかは知らない。
知人から聞いたネタ。
知人の友人が学生時代、肝試しと称して数人で歌舞伎町の2000円ポッキリの店へ
入ったそうだ。
入るやいなやワッとおばちゃんに取り囲まれて席に着いた。
で、お通しが来ても「いらない!」
「ウーロン茶頼んでいい?」
「だめ!」
「柿ピー取りましょうよ」
「やだ!」
そんなことをやっているうちに段々険悪なムードになってきたので、最初に来たビール
を自分たちだけで飲んでさっさと出てきたら、本当に2000円ポッキリで奇跡の生還を
果たしたとのこと。
本当かどうか試してみたい気もするが、最初の二行で判るとおり、F.O.F.(friend of a friend)
の話なので、やや躊躇われる。
誰か実践して、レポートを書いてくれないものだろうか。
もうとっくに絶滅してしまったと思われているものが生き残っていて、何かの拍子にフイ
に姿を現しては平穏な日常にぽっかりと風穴を空けることがある。
歌声喫茶の全盛期は昭和30年代なのだろうか?
昭和10年代から20年代にかけて生まれたお父さんたちの限りなく懐かしくも恥ずかしい
青春の想い出が高密度で凝縮された場所であったと聞く。
そんな歌声喫茶も表面上はすっかり淘汰され、現在では普通に生活している限り目に
することはまずないが、東京には数軒、さながら絶滅危惧種かロシア製の真空管の様
に、生き残っている。
新宿の「灯」はシーラカンスのごとく有名で、ここの青柳常夫氏は後に怪番組「ポピー・
ザ・ぱフォーマー」の主題歌も歌ったようである。
新橋駅近くに「ミュンヘン」という一見何の変哲もないビアホールがある。
夏のある日、数人で銀座での打ち合わせをすませ、夕方近くに新橋駅へ向かって歩
いていたとき、誰かがビールでも飲まないかと言い始めた。
暑くて喉も渇いていたので問題なく全員一致で議題が通り、一番始めに目に付いた
ミュンヘンにいそいそと入っていった。
内装はドイツのビアホールを真似たのか、長い木の机にベンチ。
小規模な「ライオン」といった雰囲気だ。
ぽつんと置かれていたオルガンは、誰もがインテリアの一種と信じて疑わなかった。
頼んだ生ビールが全員の前に置かれ、「お疲れ〜」と乾杯しようとしたとき、ウェイター
がなにやら小冊子を配り始めた。
ビールを一息飲んで、「なんだろーねー」などと言いながら中身を見た皆の顔が全員
「?」となっている。
「歌詞カード・・・・」
誰ともなくポツリと言った直後、いきなりオルガンが鳴り始めた。
突然の異変にオロオロしていると、チロル系の民族衣装に身を固めたおねえさんが二
人、入店したときには気がつかなかった舞台に登り、いきなり裏声で歌い出す。
オー ブレーネリ アナータノ オウチハドコー
やがて我々のグループ全員が畏れていた事態がやってきた。
「さあ みなさん! ご一緒に!」
店内の全員が立ち上がり、一斉に歌い始めた。
我々以外・・・・・
「あそこ、肩まで組んでるぞ・・・」
「俺たち、なんか浮きまくってない・・・・?」
「ここは一応歌うマネだけでもして、体制に迎合するフリをした方が良いのだろうか?」
「待て、恐らくは命までは取られん! パニックを起こしたら負けだ!」
ビールと共に頼んだ料理はなかなか出てこない。
あるいは合唱の最中は出すのを止めているのだろうか?
やがて伴奏にアコーディオンとタンバリンが加わり、我々全員の意識が朦朧とし始め
た頃、ようやっと舞台の上では感動のフィナーレを迎えていた。
歌声も止み、ようやく出てきた料理を二杯目のビールと共に言葉少なに詰め込んで
いたとき、再び店内から拍手が湧き起こった。
舞台に目をやると、今度は別の歌手が照明を浴びて挨拶をしている。
「おい、まさか・・・」
「とっとと食え! 脱出するぞ!」
ほうほうの体で逃げ出し、外へ出てみるとまだ外はほんのりと明るく、気怠い夏の
夕方が広がっていた。
一人が呟くように言った。
「今歩いている人たちは、誰も中があんなことになってるなんて知らないんだろうな」
四日程徹夜した後でスクーターに乗って練馬まで打ち合わせに行った帰り、前の
晩から碌に食べられなかったせいか、新宿のそばまで来たときには耐えられない
ほど餓えていた。
取りあえず新宿で街道を外れ、目の前にあった立ち食いそばのチェーン店に飛び
込み、カレーを頼みたかったのだが出来れば大盛りにして欲しかった。
そのチェーンではご飯物の大盛りをやっていないことを知ってはいたが、その時は、
カレー+麺類という選択肢は自分の中に存在せず、大盛りのカレーに抗いがたい
魅力を感じていた。
四日間、髭も剃らず、風呂にも入っていないボロボロ気味の男からいきなりマニュ
アルにない事を要求されて、中国人のウェイトレスも困ったのではないかと思うが、
しばらく考えた後に厨房へ行き、なにやら話してから帰ってきて、
「100円払えば、大盛り出来る」
と笑いながら答えてくれた。
その100円が店のレジに入ったかどうかは知ったことではない。
ただ、店のマニュアルより胡散臭い客の胃袋を優先してくれたことがうれしくて、
疲れて壊れかけている脳味噌が、「シンジュク、ヤサシイ」としきりに繰り返して
いた。
渋谷あたりでこういうことをすると、鼻で笑われる。
松屋にSさんいなかったよ?
かわりにWたむという松屋にはあり得ない綺麗な子がいた!!いた!!た!!
あるベテラン会計士の世間話によると、条件面では申し分ないはずであるにも関わ
らず、なぜかどんな商売をやってもうまく行かない場所というものが存在するそうだ。
原宿の一角にそれらしき場所が存在している。
その場所は原宿の駅にも近く、人通りの多い交差点の角地という商業的には文句
無しの一等地なのだが。
昔は服や雑貨などを売る店がぎっしりと入った雑居ビルが建っていたそうだ。
今はもう跡形も無いが、ビルの地下から地下道が延びていて、通路の両脇にも小さ
なショップが並んでいたと聞く。
そこが取り壊しになり、次にできた物は確かに見ているはずなのだが、それが何で
あったかどうしても思い出せない。
どことなく暗い印象の大きなビルだったように思う。
それも取り壊され、次に出来たのが修学旅行生相手の土産物屋が一階にならんで
いるビルで、中にあった「たっつぁん漬け」の店だけが妙に記憶に残っている。
やはり全体的になにか陰のある雰囲気で、表の賑わいと反比例するように閑散とし
ていたが、案の定さっさと取り壊され、長い間駐車場になっていた。
友人たちの間で
「昔あった地下道は火事を起こしてから再建されないままらしい」
などと根も葉もない噂が流れ出した頃に、ようやく新たにビルが建てられて、現在で
は外資大手のショップが入っている。
今のところ無事なようだ。
69 :
名無しさん?:04/02/07 19:06 ID:rtmJnXpc
>>69 それは区営ということでしょうか?
ところで昨日久々に銀座へ出たら、金春湯がまだ残っていた。
結構あればあったで利用する人もいるようだ。
ついでに歌声喫茶追加情報。
な ん と 「 ミ ュ ン ヘ ン 」 は 潰 れ て い た 。
跡地にはこじゃれたレストランバーが・・・
回転寿司がターゲットをファミリーに向け始めたのはいつ頃からだろうか。
かつて東京に進出を開始した当初の回転寿司とは、店内には蛍光灯が煌々と灯り、
缶ビール片手の疲れたオヤジや金のない学生たちが黙々と皿を奪い合う、いささか
殺伐とした場所だった。
やがて回転寿司にカップルや家族連れが多く入るようになり、デザートメニューが回
るようになった頃から店内はすっかり平和になり、寡黙なオヤジたちの姿はいつしか
消えていた。
烏森はオヤジの天国といわれ、東京で最も大阪濃度の濃い場所であるともされて
いる。
ゴタゴタとした町並みにはやや高そうな小料理屋の隣にモツ焼き屋、ふぐ料理の
看板とイメクラの看板が隣同士に並び立ち、本格的な中国レストランの前でクラブ
(アクセントは「ク」)の客引きが手を叩いて呼び込みをしているという、身も蓋も無
い欲望のカオスが心地良い場所である。
鰻の看板にさりげなく「強壮」の赤い文字を忘れないあたりが心憎い。
そんな烏森の一角に原初の姿を今なおとどめる回転寿司屋が佇んでいる。
店内に入ると昨今のファミリーやカップル中心の怠惰な空気はみじんもなく、静か
な殺気が淀んでいる。
オヤジたちは相変わらず寡黙に、新たにメニューに加わった生ビールのジョッキを
片手に寿司をつまんでいた。
ネタは新鮮で、一皿150円均一であるにも関わらずウニやイクラまでが回っている。
店内には腑抜けた笑いや子供の泣き声などとは無縁で、時折ぼそぼそとした低
い声で仕事の愚痴が聞こえる。
日頃は掻き消されている、オヤジたちの小声のつぶやきが、ひっそりと息をして
いるようにも感じた。
あるいは店の存在自体が、つぶやきなのかもしれない。
東京で若者に人気のビルってどこだっけ?
ふむ・・・ ここは生き残ったのか・・・
83 :
キス魔ヽ(`З´)ノ(ry ◆Rd5WzkYeT. :04/02/10 22:31 ID:reCyo5Gq
大田区は空気わるいぜ!
でも羽田空港が近くにあるからGOOD。
厨房のころはよく遊びに行ったよ。
噴水の中に落ちてるお金拾いに行ってさ。
でもモノレール代>拾ったお金だから損しまくりだよ。
84 :
cotton candy ◆sweetKICyQ :04/02/11 06:05 ID:d6dccsOd
羽田の大鳥居にするか上野動物園にするか・・
う、ついに保守人の手を煩わせてしまった・・・
まことに申し訳ないと反省している次第です。
書くことが見つからないというのは、なかなか苦しいものだ。
ネタになりそうな場所は多々あるものの、今ひとつ決め手に欠く。
例えば自由が丘はどうだろう?
石を投げればヘアサロンのこじゃれたウインドウをぶち破り、怒った美容師が石を
投げ返せば別のヘアサロンのドアを壊すと言われている場所である。
そんな中ひときわ異彩を放っているのが、東急ストア前にある「カトレア美容室」
だ。
と、ここまでは良いのだが、後が続かない。
入ったこともないので、中の様子がわからない。
恐らくは昭和40年代の美容室そのままなのだろう。
美容師も骨董品で、客は数十年変わっていないに違いない。
が、だからどうだというのだ?
店に一目で判るバンド君達が出入りしていたとか、せめて80年代テクノヘアを
精密に再現しているのを見たとかでも無い限り、話としてはあまり面白くない
だろう。
第一、カトレア美容室に人が出入りしているのを一度も見たこともないのだ。
もしかすると主である美容師は建物の精霊と化して、一年に一度ぐらい入って
くる客の精気を吸えば生きてゆけるのかもしれないが、あくまでも憶測である。
ああ、困った・・・
そうして今日もがんばっているお風呂屋さんたちに「ああ有り難い」と頭を下げつつ、
シャワーで済ましてしまう今日この頃。
たまの休みぐらいは銭湯に行こうかと思います。
銭湯好きなんですね。
>>90
ところで、上野動物園は今ひとつネタにならなかったものの、上野の森全体にまで
話を広げれば多少心当たりがなくもない。
上野の森と言えば、古くは彰義隊が立てこもってついには壊滅した場所であり、
終戦後は浮浪者と街娼、男娼のたまり場だった。
彼らの怨念や情念が現在でもまだ漂っているのか、祭日にはカラオケでオヤジと
オバチャンがデュエット曲を熱唱し、春には花見客の急性アルコール中毒の対応
に救急隊員が右往左往するという、多少のアナーキズムを今なお残している。
以前は濃い顔をした薬売りやカード売りも沢山いたのだが・・・
そんな上野の森の入り口で、まず目にはいるのは似顔絵描きだ。
常時4〜5人程が待機しており、通行人に熱い視線を送っている。
客用の小さな椅子と画板を携帯しており、広げられたビニールシートにはサンプル
として有名人の似顔絵が展示されているが、だれだかよく判らないことが多いのは
暗黙の了解というものだ。
たまに彼らの宴会風景に出くわすことがある。
晴れた気持ちの良い午後などにワンカップを飲みながら上機嫌でなにやら話し込ん
でいる。
一人混ざった芸大の女子学生が、今回のスペシャルゲストだろうか。
その内、中にいた若い男とやや年長の男が激しい口調で芸術論を戦わせ始めた。
どうやら描画技法と画材についての議論のようである。
彼らを見る女子学生の満足げな表情が印象的な、上野の森の日常風景である。
>>91 銭湯、好きです。
とかく刺青あたりのことが言われがちですが、それだけでなく
手術痕など、服を着ていては分からない部分が見られることで
「人の身体にも色々あるのだなあ」ということを改めて認識するのは、
大切なことでしょう。自然体で年の重なりを受け入れていく、ということ。
三十路を迎えなんとする女性が、喫茶店でひと休み。
くだけた姿勢でテーブルに肘を突く、その程良く垂れ下がった二の腕をこそ
愛したい。愛して欲しい。
誰しも、時の流れには重力には抗うことはできない。アンチ・「アンチエイジング」。
東京の都心に住むのに風呂付きとは、これ以上のない贅沢かもしれない。
地域事情を抜きにして極めて大雑把に計算すれば、
1日千円の6畳間木賃宿。月の家賃に直して3万円前後。
(昔は、「畳一畳月千円」という時代もあったそうで)
銭湯が1日400円、1ヶ月で400×30=1万2千円。合わせて4万円ぐらい。
でも風呂付きのアパートなら、もうそれだけで家賃は6〜7万を軽く超える。
加えて水道代ガス代。だったら、銭湯使いでいいじゃない。
>>94 上野公園の階段の似顔絵描きって、みんなリアル路線ばかりで面白味に欠ける。
もう十年ぐらい前の名古屋で、毛筆でざっくり描いてくれる似顔絵描きさんの、
仕上がりの速さと特徴をつかむ巧さに驚いたことが、忘れられない。
不忍池弁天堂入口で「おいしいおでん煮えてるわよ〜」
とダミ声で客を呼ぶオカマっぽい長髪のおでん屋台が、気になる今日この頃。
>>95 そのような銭湯の風情と対極をなすのが「サウナ」だと思うのですが。
自然体で齢を重ねたオヤジの汗ばんだ身体が所嫌わずゴロゴロところがり、五十
路を迎えなんとする男が自販機のビール片手に一休み。
だらけた姿勢で座り込み、その張りもなく垂れ下がった腹は・・・・
それ以前にまずは仕舞うもん仕舞えよお前ら!
という見苦しいものは即刻排除しようとする今日では、なかなか出会う機会の少
なくなった不快感を味わえる数少ない場所となりましたね。
上野の似顔絵描きが無意味にリアルにこだわるのは、
リアル=イラストではない(そうか?)=非商業主義=おれは芸術家!
あるいは
リアル=デッサンは勉強した!(なぜそうなる?)=おれは芸術家!
という、芸大のお膝元ならではの微妙な心理状況を色濃く反映した結果のようにも
思えます。
余談だが
>>85でそれらしいことを書いておきながら、羽田をネタにしなかったのは
キス魔ヽ(`З´)ノ(ry ◆Rd5WzkYeT.氏が嫌いだから。
・・・ではない。
羽田空港といえば幼い頃父親に手を引かれて行ったものだが、初めて間近に見る
B-747の巨大さに目を奪われているうちに迷子になった、などという聊かほのぼの
とした話になってしまい、日頃の斜に構えた不敵な面構えが台無しになってしまう
からである。
実は上野動物園を書けなかった理由もここにある。
幼い頃ばあちゃんに手を引かれ、始めて間近に見るキリンさんに目を奪われて・・
そろそろいい加減にしないと人格が崩壊しそうである。
どちらの場合も、そのあとべそをかきながらウロついている所を職員に保護されて、
頭を叩かれながら家路についたというのはこの手の話のお約束だ。
ほのぼの。
芝浦のエクセシオールでノートPCを開き、もの凄い勢いでガンガンキーを打ちまくって
いるおじさんを目撃。
キーを叩き壊さんばかりの勢いで、一心不乱に何かを書いている。
なにやら鬼気迫る表情で髪の毛を振り乱し、周囲の視線も最早眼中にないようである。
仕事帰りに2chで煽り合いですか?w
H堂の人かねぇ・・・
、_,_. . -- ._
./:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`ヽ、
,/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
i':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::`i
!::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;; 、::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i
,!::::::::::::::::::::::::::::::;;;''' `''''''''`ー、:::::::::::::::::::::i
i:::::::::::::::::::::::::::;::' `'''ヽ::::::::::::i
i::::::::::::::::::::::::::;;:'' :i、:::::::i
ゝ::::::::::::::::::;;;; ' :i:::::i
/,、ヽ、:::::;;;;' , ::!:/i
i、/ヽ ;::;;; _.-=,=、、 .:::,, =,=、_:::::i:i,i
.!、/i .;; `.`='-‐`/:: ;;::( '`"'-', ::::|;'
.ヾ、く _ - ' / ::::  ̄ :::::::i
.i i ' :::, :::::::::::!
`-i、 (;:"_. ::::') ::::::,i 生きていてすみません。
i、 / `ー '~ 、. ::::i
i i. / _.; - ‐ - ‐;, ,._.'; /
.i i. ヽ `ヾ、  ̄`ー" ̄/ ::/
|.\ ヾ、ー-- -.'/ i/
i ` 、  ̄ ,!'
` - /
` - ._ __ /
101 :
助教授:04/02/19 02:31 ID:???
保。 (*´ー`*)y-┛~~~
>>101 保守痛み入ります。
スレッド再会されたのですね。
ありがとうございます。
2chの変遷を思い出して見ると、その時々で中心といえる板が存在していたことに
気がつく。
最初は名前のとおり、メイン。 名前が変わってロビー。
次がラウンジ。 そしてニュース速報へ。
中心となった場所は一時もの凄い人数と熱気を孕み、エポックメイキングな人材を
輩出したあと徐々に冷えて行き、やがて人は去って行く。
おそらく中心という物は、滋養に富んだ場を見つけるとそっと忍び寄って盛んに養
分を熱気に変換し、場の養分が枯渇するとまた新たな場へと移って行くのだろう。
こうしていくつもの場を食いつぶしながら、中心は転々として行く。
江戸から東京になり、最初に中心となったのはおそらく浅草であろう。
最新の映画やビルディングが建ち並び、劇場からは次々と流行が生まる。
紛れもなく熱気と文化の中心地として、「ハイカラ」を体現した街であったようだ。
やがて日本が終戦を迎え、1950年代に入ると、銀座の最盛期が訪れる。
あらゆる文化、ファッションの先端の地として、また当時の先端業種であった広告
代理店が次々と居を構え、高度経済成長期の中心として、銀座は栄えた。
やがて経済成長にも翳りが見え始め、カウンターカルチャーが浮上してくると、次
なる中心として新宿がスポットを浴びることとなる。
新宿は「若者の街」という新しいタイプの中心であり、記録に見る1970年前後の
新宿の騒然とした空気は風月堂やフォークゲリラなどの伝説を次々と産み出して
いった。
カウンターカルチャーが下火になり、1980年代に新宿に取って代わったのが渋谷
であろう。
渋谷は西武という企業がサブカルチャーというカウンターカルチャーに較べて、より
コマーシャリズムに乗った形で引っ張る、さらに新しいタイプの中心と言えた。
さて、見たところ渋谷も西武の凋落と共に中心としての寿命を終えたように感じ
る。
ゆっくりと、かつ確実に、街の空洞化と陳腐化が進んでいて、もはや渋谷が新し
いエポックを生み出すことはないだろう。
次はどこの街へ中心が移るのだろうか?
今のところ、これといった場所はまだない。
表参道などの青山一帯は、大きな居住地からの交通の要所とはなり難い上、歩
行者天国やクリスマスイルミネーションといった集客用イベントの禁止撤廃、なに
よりも街の中心となっていたアパレル産業の後退により、息の根を止められた。
恵比寿や六本木は街の規模が小さすぎて、中心とはなりがたい。
東京都一押しの台場も、海上のどんづまりという立地と箱物だけが寒々と並ぶ展
示会場の地という街の滋養度からして、中心となり得るほどに発酵を重ねて成熟
するには相当の年月がかかるだろう。
池袋だけは中心となる充分な要素を持っていながら、なぜかこれまで一度も華や
いだ表舞台に登場することのなかった数少ない場所なのだが、見るからに無理っ
ぽいのはなぜだろう。
>>105-106 むしろ渋谷と言えば東急ではないか
池袋は他と比べて住み易い
ターミナル駅からさほど離れていないのに家賃は安め
>>107 街を作ったのは東急ですね。
ただ、その街を中心の位置にまで持っていったのは、80年代に西武百貨店とパルコ
が行った巧みなマスメディア戦略によるところが大きいと思うのですが如何でしょう?
東急は街を作るのは上手いのですが、街が中心となるために必要なソフト(2ch的に
言えばネタですか)を作るのが苦手なようです。
「文化」という単語からプラネタリウムやクラッシックホールに進むか、小劇場や書店、
レコードショップに進むかの違いと言えるかもしれません。
尤もだからといってこれから池袋に小劇場やCDショップを量産しても、まるでダメだと
思いますw
池袋はあの風合いが面白い街なので、これからも迷うことなく独自路線を突っ走って
欲しいものです。
小ネタですが・・
終電近くの山の手線が大崎の駅に到着し、ドアが開いた瞬間、ピンクのおばちゃん
が空席めがけて突入してきた。
タッチの差で素早い動きの爺さんに破れ、すごすごと車両の後ろの方へ向かうおば
ちゃんを目で追っていると、おばちゃんの向かう先には同じくピンクでアフロのおやじ
が気弱な笑顔で立っていた。
やがてキャーというバラエティ番組でお馴染みのけたたましい笑い声。
芸人さんはカメラや舞台の上で、必ずしもキャラを作り込んでいる訳ではないらしい。
板橋かどっかのモスバーガーにすごい家庭的な所があるって聴いたんですが
有名百貨店や各種文化施設を擁しておきながら池袋に華やいだイメージがないのは何故か。
埼京線がまだ新宿までしか延びてなかった高校時代、通学定期券で降りられる「池袋駅」が
オレ(埼玉県人)や友達(やっぱり埼玉県人)の遊びの中心だった。
アノ街は基本的にそんなヒトだらけのなので池袋の歩く人の3分の2が埼玉県人というのは本当だ。
そして、社会人になり東京で一人暮らしを始めたオレはその時の池袋のイメージを持ったままだ。
安キャバレーや安風俗店求めた煤けたスーツのオッサンと普通に通学してるイマイチぱっとしない女子高生の街。
援助交際とか自然発生したんじゃないか?この街で、とか。
未だにそんなイメージを払拭できないで居る。
今オレは三軒茶屋在住なので、池袋に行こうと思うと渋谷→新宿→池袋って感じで行かなきゃならない。
池袋がプチ新宿であるかぎりは行く理由が見当たらない。
西武(パルコもロフトも)も東武も丸井も、他にあるからね。
でも、ゲーセンとかデジタル関係とか結構充実してるんだよな。池袋って。コレも高校生の時のイメージのまま。
久々に行ってみるか。池袋。サンシャインに向かう通りがメイン通りだよな?今も。
>恵比寿や六本木は街の規模が小さすぎて、中心とはなりがたい。
麻布十番、六本木。
かつて「隠れ家」的にその筋の人々が集まった街が気軽に行けるようになった。
大江戸線のおかげである。
おかげで夜中にしか人が集まらない六本木なんて街は昼間も人が来るようになった。
代わりに夜に来る人たちが居なくなったけどね。住民がそっくり変わったような印象がある。
ジメジメした海外資本ショウビズの植民地か、ココは?的外人がフラフラしてる街のイメージは正しく健全になった。
で、その辺が隠れ家にならなくなっちまった人々が隠れ家求めてくる街ってどこだろうって考えた場合
個人的には「三宿」あたりになるんじゃないか?と思う。
三宿は本気で何も無い街だ。飲み屋しかない。でも強烈な個性を持った飲み屋が多い。
パフィーの吉村由美とか(あの時は旦那じゃない男と一緒にいたと思う。良く見なかったが旦那だったら堪忍。)
普通に居たし。三宿に大量流民の予感。何となくそんな気がする。
十番は住みづらくなりました。
昼まで寝ててそれから草履で近所のスーパーに買い物行ったり
角の喫茶店に行ったりできた商店街だったんですが。
街並が変わった事よりも、六本木ヒルズが何か変な電波を受信してるのか
地脈を吸い上げてるのか、そういうザワザワした違和感があります。
>>110 そうですね、現在のラウンジは良くも悪くも今のセンター街に近いのかもしれません。
もっともセンター街だけではやや寂しいので、道玄坂近辺までエリアを広げたいとこ
ろですが、ON AIRが訳の分からないことになってからあまり行ってないので、最新
の詳細情報が不明です。
親密で身も蓋もなく白けた感じの二人が行き交う道玄坂の朝の風景はそれなりに
面白かったのですが。
そういえばジーカンって、その後どうなったんでしょうね?
>>111 板橋と言ってもかなり広いのでなんとも言えませんが、かつて富士見台のモスには
リストラされたばかりという感じのやせて小柄な、顔色の悪いお父さんが働いていま
した。
どうやらフランチャイズの接客マニュアルにはなじめないご様子で、お父さん一人だ
けまるで得意先を前にしたかのような丁寧な接客でした。
現代日本の父親について深く考える機会があるという点で、家庭的と言えるのかも
しれませんね。
私はその人を見るまで、随分長い間自分の親父のことなど忘れていましたから。
>>113 池袋はサンシャイン64の寂れた風情も捨てがたいものがありますね。
21世紀に入った現在でも、煙草を吸っていると「一本くれ」と手を出すおぢさんがいる
という点でも、高得点を出したいところです。
もし池袋に行くようでしたら、レポートお待ちしております。
六本木の隠れ家を追い出された人たちが三宿へ逃げたというのは、おそらく正しい
のだと思います。
芸能系、スポーツ系がだいぶ流れているようですし。
大江戸線以外にも、テレ朝撤退→アークヒルズへ、という出来事もあって、街を構成
する層が変わったのでしょう。
もっともテレ朝は六本木ヒルズへ出戻ったのでこの後どうなるか判りませんが、おそ
らく一度街が変わってしまうと元に戻りにくいでしょうね。
何かと騒々しくなった六本木に帰るよりも、むしろ何もない三宿を一から作った方が
楽しいのかもしれません。
三軒茶屋も住み易くて、かつ面白い所ですね。
キャロットタワーが出来ても、変わったのはその一画だけというところに好感が持て
ます。
ところで三軒茶屋には、三茶の三カマと呼ばれる強力な三人がいたそうですね。
同業の先輩に連れられてその内の一人を見たことがあるのですが、作務依を着た
角刈りのじいさん(ただし年齢不詳)で、機関銃のごとく口から出る言葉すべてが
下ネタと、噂に違わぬ強力さで来る客全てを圧倒していました。
先輩は「今入れたボトル、お前にやるよ」と言い残してさっさと逃げてしまいましたが、
そのあと脱出に要した手間を考えると、どうせなら焼酎よりも角のボトルがよかった
と、未だに悔やまれます。
>>114 十番には最近行ってないのですが、やはり変わりましたか?
少し前までは陸の孤島として、のんびりとした良いところだっただけに残念です。
そういえば十番温泉に一度は入ろうと思いつつ、まだ果たせないままでした。
変わったと言えば、白金あたりも変わりました。
どうやらセレブ方面の電波を受信しているようです。
いつの間にか夜中でも開いているオープンカフェまで出来ていました。
それだけなら良いのですが、「肉のハナマサ」と大書きされた袋を持ってウロウロ
していると、とても気まずい雰囲気にw
少し離れた四の橋商店街は相変わらず寂れていて、天気の良い日にはネコが路
の真ん中を散歩したりしていますが。
>>119 保守ありがとうございます。
いつもお手を煩わせて申し訳ございません。
不況のせいでタクシー会社も生き残りをかけてサービス向上に必死なようだ。
そのせいか最近親切で有能なタクシー運転手さんが増えた。
乗っていて不快なおもいをしたことは、ここ数年ない。
という前置きを頭に入れてもらった上で・・・
ある女性から聞いた話。
平日の昼過ぎに新宿からタクシーを止めて乗り込んだ所ところ、運転手のテンション
が異常に低かったそうだ。
「どちらまで?」と聞くのもやっとのように絞り出すような小さな細い声で、信号が赤
になるとうつむいてしまう。
バスが前に来たときは、小さな長いため息をつくと、がっくり落とした肩が小刻みに
震えていたという。
彼女もさすがに地雷を踏んだことに気がついて、そろそろ降りようかと思い始めた頃、
運転手さんがなにやらぶつぶつと呪文のようにつぶやき始めた。
テレビのヴォリュームをゆっくりと上げるように彼の声は大きくなり、徐々に何をつぶ
やいているのか聞き取れるようになってきた。
「マンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコマンコ」
時々節がついていたそうだ。
ある日の深夜、用賀まで急用ができたので仕事場のそばでタクシーを拾った。
開いたドアからこちらを見ているのは横山弁護士に瓜二つの運転手。
何となく嫌な予感がしたが、急いでいたのでしぶしぶ乗り込んだ。
「用賀までお願いします」
「あ〜? あんだって〜?」
そこまで似なくてもと思うのだが・・
「用賀、よ、う、が、」
「どういくんかね?」
ヲイ!用賀知らんのか?
用賀はインターチェンジがあるところで、タクシーに限らずごく一般のドライバー達
にとっても目標になっている場所だ。
余程その場で降りようと思ったのだが、生憎とあたりは深夜となるとタクシーはお
ろか車さえなかなか通らない。
やむを得ない。 敢えて地雷を踏むことにした。
耳の遠い運転手相手に、大通りへの道順を教えるだけで10分かかった。
246号線に出るまでさらに40分。
ようやく用賀までたどり着いたときには、すでに喉が枯れていた。
用事をすませた帰りのタクシーで運転手にこのことを話すと、何を思ったのか細い
道をめまぐるしく通り始めた。
帰ってみると時間はいつもの半分近い。
誰とも知れない同業者の失態を幾分かでも回復したかったのだろう。
とても良い人だ。
余談だが帰りの車の運転手は、機関銃のごとくしゃべっていた。
タクシーの運転手がしきりに客に話しかけるときは、胡散臭い客が強盗に変身す
るのではないかと怖れている時だそうである。
古本が好きで時々神保町へ行く。
もっとも、折角行っても古本を買うことは滅多にない。
高価すぎて買えないのである。
結局、大きな溜め息とともに、目の保養だけして帰ってくる。
そんなわけで、私が古本が欲しいときはまず中央線沿線か、恵比寿などの古本
屋に行く事が多い。
荻窪の古本屋に何となく入って、中国関係の棚を見ていたら見覚えのある題名
が目に飛び込んできた。
おそるおそる棚から抜き出してみると、青木正児訳の随園食単、青蛙堂版だった。
この本は開高健など、古今の文人たちが食の蘊蓄話を書くときのタネ本の一つ
なのだ。
岩波から断続的に出てはいるが、青蛙堂版は青木正児が日本で始めてこの本を
きちんとした形で全訳した物で、ましてや初版本。
私的にはきわめて稀覯本なのである。
おそらく高価いに違いないと半ば諦めながら店主に値段を聞いてみると、
「それ? 2,500円ね」
・・・思わず耳を疑った。
こぼれそうになる笑顔をぐっとかみ殺していると、店主は勘違いしたらしく
「うーん、箱が汚いから2,000円でいいや」
即座に無言で金を払い、今にも店主が追っかけてきやしないかと足早に店から
遠ざかったのは言うまでもない。
古本でどこでも高価いのは、だいたい明治から昭和にかけて日本の文豪が書い
た初版本か全集であって、私が貴重と思うような本はまずその中にはない。
そもそも私が欲しがるような中国やヨーロッパの古典や、明治以前の本の復刻
本などは、その知名度、価値からすると大抵まさかと思うほど安い。
だからこっちは儲けたつもりでも、店の主人からすれば、私は買い手のつかない
不人気本の在庫整理を金まで払ってやっているようなものである。
自分が貴重だと信じるものに価値がないというのは寂しい気もするが、物の価値
は市場が決めるという資本主義の原則からすれば致し方ない。
ところが、私と価値観が同じ人間が集まっている場所がある。
冒頭に書いた神保町だ。
自分の価値観が認められたようでうれしいような気もするが、価値が高いという
ことは即値段につながるのも資本主義の原則。
荻窪や吉祥寺、恵比寿あたりで数千円で買った本が、数万円に化けていること
も少なくない。
江戸期の著書などいくら欲しくても原書では数十万もする。
よって、大きな溜め息をついてはすごすごと引き下がるという事態にあいなる。
せめて私がポックリと逝ったら、蔵書は神保町で売って欲しい。
地元に「ラマ舎(←漢字なんだが文字コード無し)」という山田教授(変態)お勧めの古本屋があって、
相原勇のヌード写真集(だったか、雑誌だったか)が40万円という恐ろしい値段でレジの横で売ってた。
売ってるというよりは、飾ってるといった感じだ。
あの店はdといってないのでまだソレが売ってるかどうかは確認してない。
せめて私がポックリと逝ったら、昔のエロホンはあの古本屋で売って欲しい。