いまや経済学者には哲などイラヌ。
俺はアマルティア・センをイメージしてた。
気を悪くしたんなら、わるかったな。
150 :
1:03/09/14 02:26 ID:???
さて遂に来週から一週間試験がある訳で本当に死に至りそう
ジョージ・ソロスは哲学に絶望して、経済の方に逝ったんだよね。
保守
(へ*´ω`) 俺には俺学があるからそれだけで十分だ。
>>149 気は悪くしてないが必要ないから、そう言ったまで。
まったくだ、繰り返しになるが、必要なのは生活力だけだよな。
俺も読み始めたんだが、序章でつまづいてる。
そんな俺はFランク大
阪神優勝!
ついに、ついにこの時がきたか。(つд`)
読みたいんですけど、どこの本屋にもないんですよ
見つかるまで保守
ないってことはないだろ…
大学の図書館いけばあるよ
図書館に岩波のしかなかったが読んでみるよ
筑摩か中公クラシックスの方がよいと思います
ちくま探したけど売ってねー。
岩波のならあったけど。
168 :
名無しさん?:03/09/17 21:44 ID:Eve6AcQ3
∧ ∧
(,,´ー`)。〇○(あぁ、コレ高校の時読んだ。
実存主義だろ。作者の人生の方が興味あったかな。
キリスト教とか日本人はわかんないでしょ。
大審問官とかすっと頭に入るんなら読み応えあるんじゃない。)
170 :
名無しさん?:03/09/18 03:48 ID:V75VIiAx
これ保育園で先生によんでもらった覚えがある
171 :
名無しさん?:03/09/18 03:50 ID:e8hK7eEC
殺戮に至る病じゃねーのか
至った
173 :
名無しさん?:03/09/18 19:56 ID:AJq4nXa5
キリスト教にとっての最大の絶望は神への不信感と冒涜だろうな。
最大の信託者を失った人間の霊質はやがて破滅と堕落へと向かい
それは彼らにとって死を超越するものだろう。
仏教とか無宗教しか居ない日本人には理解出来ないこと請け合い。
日本は神道じゃないの?
キルケゴールが死に至る病の著作中に提唱する「3つの絶望」とは
・絶望の内にあって自己をもっているということを意識していない場合(非本来的絶望)。
・絶望して自己自身であろうと欲しない場合。
・そして、絶望して自己自身であろうと欲する場合。
こんな感じ。
176 :
名無しさん?:03/09/18 22:00 ID:AJq4nXa5
「人間は精神である。精神とは何であるのか。精神とは自己である。
自己とは何であるか。自己とは自己自身に関わる一つの関係である。」
か・・・。
>>1さんは、来てるのかな?トリップとかはつけないの?
178 :
1:03/09/19 16:38 ID:0m9ftOi6
>>175 そのちょっと先まで読んだんですが、
前回読んだ時から間をおいたら大分忘れちゃいました。
とりあえず、復習がてら最初の方からまた読んでみます。
>>176 初っ端からそれだから、結構辛かった記憶が。
>>177 来ました、やっと今日からまた読めます。
まぁ俺の騙りなんか出ないでしょうからトリップはいいです。
出たらまたその時考えます。
179 :
1:03/09/20 16:40 ID:ViWmFCcR
「絶望において人は存在可能から存在へと下降する」
?
これはもう先が無くて絶望的って事なのかどうなのか。
180 :
名無しさん?:03/09/21 23:35 ID:tSca9wmi
じわじわと伸びるスレですね
181 :
:03/09/21 23:48 ID:VbRCbHjW
絶望。
エヴァンゲリオン。
182 :
名無しさん?:03/09/22 00:04 ID:6oafN1/H
>>179 普段は無意識領域の「自分の存在性」を、
絶望という自己の認識によって意識領域まで浮上する事が出切る。
しかしそれは堕落ともいえる。
という事だと思われ。
まぁ本読んでないから俺の解釈だがな。
183 :
名無しさん?:03/09/22 00:46 ID:0+/DGo3s
県内の本屋探し回って
ようやくちくまのゲトできました。これだから田舎って
これから読むです
>>179 いいんじゃないすか。絶望はもう生きていける可能性なしらしいから。
孫引だけど、
キルケゴールは、人間を「死に至らない病」と「死に至る病」の状態にある者に区別して、
究極的な死に至る病としての精神の死、つまり、絶望が究極的なものであることを示そうとした。
肉体の死は、それが多くの苦痛を伴うものであれ、まだ究極的な死を意味しない。
人はまだ、思いでの中に、記憶の中に生きることができる。
「この病は死に至らず」という言葉は、「希望がある」と言うことを意味する。
しかし、精神の死は絶対的である。人は空虚な「無」そのものとなる。
だから、絶望は死に至る病である。絶望と無は、相関的に人間の暗闇の淵を無限に開いていく。
人は、自分が「無」となることを恐れる。無視されることを最も嫌うのは、その予兆である。
それ故、彼はまず、第一部で絶望が死に至る病であることを示そうとする。
例のサイトから。
185 :
1:03/09/22 19:04 ID:???
>>182 おぉ、何か分かった気がします。
この際、もう本買っちゃっては。
>>183 うらやましい・・・
>>184 >人は、自分が「無」となることを恐れる。
無視されることを最も嫌うのは、その予兆である。
あぁー、あぁーあぁーそういう事か。
具体的に示してもらうと分かりやすいですよね。
普段はなんとなく存在しちゃってる人間が、
絶望をきっかけにして、「わたし」というものに
目覚めていき、自分でどう存在するかを考える
ようになる(実存になっていく)という面もあると。
>>179 例えばさー、日本の外交を立派にするんだ(=存在可能)と外務省に意気軒昂と
入った新卒の青年キャリア官僚が、退廃した大きな組織の壁に阻まれ、
志を折られて、なるようにしかならないと自己限定(=存在)するとかじゃないの。
もっともケルケゴールの場合、根底に、倫理があるように思う。
可能というのは、まだなんらかの倫理を持してる状態をも含むんで存在可能
じゃないのかな。それが結局、彼一流のキリスト教への一方通行な導き方かもよ。
もし、そういうことなら困る。
>>186 「実存になっていく」という用語法はおかしいと思うけど、
絶望必ずしも人生にマイナスにあらずということは、いろんな知識人の教訓にあるね。
サルトルの影響を受けて出発した小説家・大江健三郎は「個人的な体験」の中で
フィクション化された絶望体験を契機に、それと真正面から向き合うことで大作家へ
大成したもんな。俺もそういう文脈で絶望について考察する方が好きだ。
ただ、ここでいう「絶望」とケルケゴールのそれは違うんだろな。
上げとくぞ
189 :
1:03/09/24 23:03 ID:???
今日は3ページぐらい読んだ
>>187 うーん、でも確か絶望は自己自身の分裂だったような気がするから、
自己限定ってのはなんだかしっくりこないです。
ああでも、自分を第三者の視点から見て限定する事こそが分裂の状態なのか?
キルケあげ
ぬお〜、ラウンジにこんなスレがあったのかあ・・・。
俺も買って読むぞ
般教で聞いてた大学の講義の中で
「キルケに言わせれば、『人はみな絶望状態にある』んですよ」
なんてことを先生が言っていたような。
般教って、もう結構前から無いでしょ?
無いね。
「教養科目」的なものの呼称として「パンキョウ」なのでは?
そういうことか。
そもそも病の定義がよく分からない
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