不幸があった人の為に祈るスレです。
3!
2
逆転ワラタ
5 :
名無しさん?:03/07/25 15:49 ID:6hfAgoll
長嶋監督の女の番記者なんて人だっけ。
哲朗氏のご冥福を心からお祈りいたします(TДT)
朝殺したゴキちゃんごめんね
>>6 名前とか死因は必要ないです。
ただご冥福をお祈りするのみです。
12 :
哲 ◆vPCGax9nbs :03/07/25 15:52 ID:IQYqa5I/
あるスレで2getしたから掲示板作れって豚ども言われた。
俺不幸すぎる。
自殺者だけでも年間3万人
また、お前かよ!
一般的には、人は死後冥途へ行くと思われています。
そしてその冥途は地下の世界であり、暗黒のイメージを私たちに与えます。
この考え方は、六道輪廻(ろくどうりんね)の思想から来ているのです。
地獄(じごく)、餓鬼(がき)、畜生(ちくしょう)、
修羅(しゅら)、人(にん)、天(てん)が六道です。
生きとし生けるもののことを衆生(しゅじょう)と言いますが、
衆生は生まれ変わり死に変わりして六道を輪廻するという考え方があります。
これは、昔からインドに伝わる考え方です。
諸仏はこの世でのはたらきが終われば、阿弥陀如来(あみだにょらい)の浄土へお還りになるのです。
つまり亡くなった人は、この世でのはたらきを終えて、
阿弥陀如来の浄土へ還られたと私たち真宗門徒は受け止めるのです。
もし亡くなった人に対して冥福を祈るとすれば、その人は阿弥陀如来の浄土へ還られたのではなくて、
冥途へ行ったと見ることになります。
冥途へ行くということは、迷いの六道を輪廻するという意味になります。
つまり亡くなった人に対して冥福を祈ることは、
その人を六道を輪廻する亡者(もうじゃ)にすることになります。
せっかく阿弥陀如来の浄土へ還ったと思っていたが、ふと気づいてみれば、
六道を輪廻させられていたということになります。
私たちは亡くなった人をどうこうできるわけではありませんし、
亡くなった人がどうこうなるわけでもありません。
ですから冥福を祈るということは、その冥福を祈る人の側に問題があることになります。
亡くなった人を諸仏と拝めない人は、亡くなった人の冥福を祈ることになります。
亡くなった人がすこしでも幸せになってほしいと思うのは、人情としてよくわかります。
特に人が死ぬときは、たいてい哀れに力なく死んでいくものですから、
あの世では幸せになってほしいと思うのは理解できます。
ですが私たちは、仏の教えをその人の命をもって、身をもって教えていただいているのです。
そのことに私たちが気づいたとき、亡くなった人は諸仏となるのです。
そして諸仏の還るところは阿弥陀如来の浄土なのです。
けっして六道輪廻する迷いの世ではありません。亡くなった人を諸仏とするか、亡者とするかは、
私たちにかかっているのです。
亡くなった人から仏の教えをいただいた人は、けっして亡くなった人の冥福は祈らないのです