コピペでも実話でも何でもかまいません
感動する話を書き込んでください
最近いいこと無いんで感動したいです
ラウンジで最速を誇る
4 :
◆vOaN3.1tLE :03/05/25 00:17 ID:B4yO+lZW
感動するのが目的で本を読むのは感心しないな
号泣ってストレス発散になるらしいよ
6 :
まいなみたん ◆pWyuukIGIo :03/05/25 00:18 ID:wpEze5ex
お前なんか勘当だ
酒飲んで忘れろ
飲めません
未成年です
ガードレール飛び越えようとジャンプしたんだけど足がひっかかって顔から着地した
10 :
精密(*'ー`)y-~ドライバー ◆xenon0bePQ :03/05/25 00:22 ID:oZpseQR6
>>9 もうちょっと悲惨な要素があれば
号泣とはいかないまでも、泣ける
こんな話はごまんとあるだろうが・・・
俺が地元を離れ、仕事してた時のこと。
休みもない仕事だらけのGW中に、滅多にない実家からの電話がきた。
親父危篤、脳腫瘍。もって数ヶ月。
親父が定年を迎えようとしていた、ほんの数ヶ月前だ。
俺に”マイコン”を教えたのが、親父だった。
仕事に穴をあけることができない状況にいた俺は、
「盆までなんとかもってくれ」
そんな身勝手なことを願っていた・・・
そして7月に入ったある日、夢を見た。
端末に向かって仕事している俺。すると、いつのまにか親父が後ろにいた。
「仕事はどうだ?」
仕事中の俺は一瞬驚いたが、生返事を返し、黙々と仕事を続けた。
「Cは覚えたか?HP-UXはこう使え云々」等々初歩的な講釈をたれる親父。
延々つづくそれがいいかげんうざくなり、つい口が滑った。
「んなのは分かってる。俺のほうが詳しいっつーの!」
すると寂しいのか、うれしいのか分からないような微笑を浮かべ
「・・・そうか」
そう一言いい、どこかに去っていった。
そこで目がさめ、目覚ましを見ると、6時半過ぎ。珍しく早起きをした。
出社。仕事始めてすぐに実家から電話。
親父死亡の連絡。
心の準備は既にしてあったのでショックはなかった。
死亡時刻は、その日、俺が起きたちょっと前だった。
その後、無事葬式を終え、会社に戻ってふと夢を思い出したとき、
式でも流さなかった涙が出た。
泣いた。
闇雲に働いて死んでいった親父の人生にむなしさを感じたからなのか、
仕事にかまけて、死に際にそばにいてやれなかったせいなのか、
枕もとに立った親父にたいした言葉を掛けられなかったせいなのか、
削られた人間性を仕事のせいにしようとしていた自分になのか、
夢でみせてくれた最後の表情の意味を理解したせいなのか、
あるいはすべてのせいなのか、よく分からないが。
ただ、街を離れる列車を見送る親父の、目を赤くしている姿だけは、
今でも強く焼きついている。
幽霊:このかみだ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
口裂け女はポマードが苦手。
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
母親が、以前から欲しがってたデジタルカメラを買って来た。
凄く嬉しかったらしく、毎晩いじってた。
そして、先週母親が、『カメラ写らなくなったから直してよ。』っと
俺に言ってきた。俺は、めんどくさかったので、説明書良く読め!!
っと少し怒鳴り口調で言った。。。。。
次の日、母親が事故で他界した。
遺品を整理してて、何気なく母親のデジタルカメラを見てみたら
写真記録枚数が、容量オーバーしていた。
そして、デジカメには、俺の寝顔が、写っていた。涙が止まらなかった。
ある日漏れの部屋でコキブリが発生した・・
漏れはハエ叩きを必死にブンブン振り回していたのだが、
そのゴキブリは自分から窓から外へ出ていった。感動したなぁ〜!
>>19 つまりお前はゴキブリ以下と
状況を察知して賢明な判断を下したゴキブリより低脳と
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
四年ぶりに田舎帰ってその帰り際に押し問答で押しきられた封筒の厚さがおかしいと思ったら
5 0 万 もはいってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
渡されるとき変だな変だな〜って思ってましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
1万円でも漏れには大金なのに 5 0 万 て何事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはちょっと前に事故で死にかけて、今すげー金欠ですよ
でもな、ばあちゃん
何やってんですか(゚Д゚)ゴルァ!
50万てばあちゃんその金稼ぐのにどれだけ苦労しましたか?
ばあちゃんが作ってうってる野菜ひとふくろ100円ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ひとふくろたった5本の胡瓜だけれどそれをつくるのにばあちゃんどれだけ苦労しましたか(゚Д゚)ゴルァ!
曲がった腰更に曲げて草取り水遣り肥料遣りに支え作り袋詰だって楽じゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、体きついって、頭痛い腰痛い足痛いって言ってるじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんの胡瓜はばあちゃんの命すり減らして作ってますよ(゚Д゚)ゴルァ!
金額も金額だけど、金の価値はそれだけじゃないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはばあちゃんの命を喰ってるようで涙が止まりませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
田舎にも帰らず28P300円でフォモ本作って売りさばいてたりしてごめんなさい(゚Д゚)ゴルァ!
漏れの本とばあちゃんの野菜は価値が違うよ
四年ぶりに会ったばあちゃん、ちっちゃくなって
声もちいさくなって前はきりきり働き者だったのに頭痛いってずっと寝てましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
医者いってください
整体いってください
頼むから!
頼むから、ばあちゃん!
「被爆者手帳で医療費ただだから気にせんで」って
医療費ただでも交通費はただじゃないじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
「あんたが生きててくれて嬉しいん。
このお金で車買い、今使わなくても結婚資金にすればいいから」って(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん(゚Д゚)ゴルァ!
自分どうすればいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
結婚資金どころか相手もいないですよ(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃんを安心させて喜ばせてあげたいのにそれすらできませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
使えません、使えませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
受け取っちゃったんで返せませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
かえしたらばあちゃんきっと悲しむ
でも返したいですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れはどうしたらいいですか(゚Д゚)ゴルァ!
漏れは悪い孫ですよ
ばあちゃんにそんなことしてもらえる価値なんてないですよ
四年も田舎に帰らなかった自分(゚Д゚)ゴルァ!
帰らなかった間にばあちゃんすげーちっちゃくなってるじゃないか(゚Д゚)ゴルァ!
手の骨とかポキンて折れそうですよ(゚Д゚)ゴルァ!
漏れにはなんてことのない四年だったけど
ばあちゃんが年をとるには十分すぎる年月なんだな(゚Д゚)ゴルァ!
ばあちゃん、ばあちゃん、しんじゃ嫌だ
しんじゃいやだよう
ずっと生きてて漏れに孝行させてください(゚Д゚)ゴルァ!
漏れに背中もませてください
手つないで坂道歩かせてください(゚Д゚)ゴルァ!
ひいばあちゃんひいじいちゃん、事故のとき漏れを助けてくれてありがとう!
まだばあちゃんまだ連れてかないでください(゚Д゚)ゴルァ!
次の休みは年末だ(゚Д゚)ゴルァ!
祭りにはいかねえ
田舎に帰るよ
ばあちゃん待っててな(゚Д゚)ゴルァ!
いっしょに温泉行こうな
漏れ少ない給料がんがってためるよ(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
26 :
たぬたん ◆TanuRE/FmE :03/05/25 16:53 ID:rLmLUCyF
252 名前:さばおどり投稿日:2000/03/27(月) 06:54
私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。
当時、母が病気で入院してしまい、父は単身赴任中であることから、
私達は祖母(父方)の家に預けられておりました。
母や私達を嫌っていた祖母は、朝から夜遅くまで舞踊のお稽古に行き、
私達の世話は一切しませんでした。そこで、私達はいつも近所に住む
Aさんという人のいいかたの家でご飯をいただいておりました。
ある日、母が一日だけの許可をもらって退院してきました。
本当は体がとてもきつかっただろうに、母は甘えつく私達を何回も
抱っこしてくれました。
夜は、三人で歌いながらハンバーグをこねて作りました。
「今日はお母さんが帰ってきたから、ご飯はお家で食べます!」
Aさんの家に挨拶に行った時の弟の、何か誇らしげな表情を見て
嬉しくなった私は、その紅潮した頬っぺたに何度も自分の頬っぺたを
擦りつけて家に帰りました。
253 名前:さばおどり投稿日:2000/03/27(月) 06:55
家に着くと、既に料理が食卓に並べられていた。母は暖かい牛乳を差し出して、
「おばあちゃんが帰ってきたから、ちょっと待っていてね。みんなで食べようね。」
と言った。私達がAさんの家に行っている間に帰ってきたようだ。しばらくすると、
着物から着替えてきた祖母が台所に入ってきた。
「お義母さん、お食事の用意できていますので、どうぞお掛けになってください。」
その母の言葉を遮るように祖母は、
「病人の作ったものが食べられますか!何が感染するかわからないのに…」
と言って、母の作った料理を全て残飯の入ったごみ袋の中に捨てていきました。
「も、申し訳ありません…」
さっきまでニコニコしていた母の顔から一気に血の気が引いていきました。
私は(どうしよう!どうしよう!)とただただ混乱していました。
「バカヤロウ!」
突然、弟が叫んで、祖母からごみ袋をひったくりました。
仁王立ちになった弟は、祖母をにらみつけながら、ごみ袋から
母の作ったご飯を手ですくって食べ始めました。
「俺はなぁ… 俺はなぁ…」
後の言葉が出てこずに、目から涙をボロボロとこぼしながら、弟は食べました。
小さな肩を震わせて、必死に強がって…
そんな弟を見て、私も大泣きしながらごみ袋からハンバーグを掴み取って食べました。
「もう、いいのよ。やめて。二人とも。いいのよ。お願いだから…」
泣きながら止める母の声も無視して、私達はむさぼり続けました。
これが私達姉弟の、母の最後の味。悲しさと悔しさの恨みの味…
こら泣け(包茎短小チンポを露出しつつ)
31 :
名無しさん?:03/05/25 17:09 ID:aHGgy8XC
今思えば30才の誕生日に何を考えてAVなど見たのだろう
「俺は童貞のまま30を迎えたのか」そう呟き悲しくなった。
まず全裸になり奇声を発しつつ玉袋の皮を引っ張り空を飛ぼうとした
そうムササビになろうとしたのだ・・・ そのまま台所へ全力疾走
昨日の残りのホワイトシチューをチンコにぶちまけた瞬間全てが吹っ切れた
残ったシチューを凄まじい勢いで大皿に盛った後
そこにケツを突っ込みながら
ハッピーバースデーを一人熱唱する基地外誕生会を開いた
>>31 まず全裸になり ユートピア?
というかもっと盛り上がりキボン
嫌な汗がどっとふきだした、メールは届かなかった、電話も拒否されていた。
いつも自分は楽に死にたいと思っていた、
彼女はいつも死んじゃだめだよって止めてくれてた。
だけど彼女もたまに死にたいと泣くことが度々あった。
勇気を出して家に電話して聞いてみたお母さんのようだった
『あの娘ならお昼に出かけてから帰ってきてません』そう言われた。
もう彼女の死を確認する方法は無い、が、なんとなく『彼女は死んだ』そう感じていた。
自分にとって一番大切な人が死んだ
仮に死んでいなくても自分を捨てた・・・
ずっと誰かの一番になりたかった
彼女はそれを叶えてくれた唯一の存在だった。
自分にとって生きる意味が完全になくなった・・・
今の生活に不満足だったわけじゃないんだ・・・
お父さん、お母さん・・・ごめんね
僕は今日『一番大切な人の所へ、彼女の所へ行きます・・・』
彼女の好きな曲をかけていれば彼女が迎えに来てくれる
そう強く願った。
‖
('A`)
( )
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|
/ ̄
やべ、一つ目がないからやりなおし
|
| ('A`)
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄
自分は『ひきこもり』だ・・・
だけど完全なヒッキーではない。
特になにかしているわけじゃないけど親と会話したりもするし、昔の友達と連絡もする。
・・・たまにだが。
自分の心の支えはメル友だ・・・
会ったことは無いがとても優しい娘だ。
お互い写メールを交換したぐらいの仲でしかないが彼女はなんでも相談にのってくれる
段々とお互いの苦しみ悲しみを話し合って行くうちに好意を抱いていた。
『好きだよ』
『安心して』
そんな言葉に支えられていた・・・
ある日、親に『就職しないのか・・・?』『どうするんだ・・・?』強く責められた。
中卒の自分に就職なんてできるわけもなく、かと言ってバイトでせこせこなんてごめんだ。
どうせ自分の未来への期待・希望なんて『これっぽっち』もない。
まわりの同級生、少ない友達はどんどん自分を置いて行く、
そんな圧迫感から逃げたかったからそう思った。
このまま平和に『彼女と連絡を取り続けられたら』それで良かった。
同じような日々を繰りかえして既に日にち、曜日、全ての時間の感覚がおかしくなっていた。
そんないつもと同じ日、起きた時間は午後の4時、
PCを開き彼女とメールをして暇だったら電話をしようと思っていた。
メールを見ると2通のメールが来ていた。
彼女だ。
一通目『ねぇ・・・起きてる・・・?』
二通目『ごめんね、もう生きてるの辛くなっちゃった・・・ばいばい・・・』
嫌な汗がどっとふきだした、メールは届かなかった、電話も拒否されていた。
いつも自分は楽に死にたいと思っていた、
彼女はいつも死んじゃだめだよって止めてくれてた。
だけど彼女もたまに死にたいと泣くことが度々あった。
勇気を出して家に電話して聞いてみたお母さんのようだった
『あの娘ならお昼に出かけてから帰ってきてません』そう言われた。
もう彼女の死を確認する方法は無い、が、なんとなく『彼女は死んだ』そう感じていた。
自分にとって一番大切な人が死んだ
仮に死んでいなくても自分を捨てた・・・
ずっと誰かの一番になりたかった
彼女はそれを叶えてくれた唯一の存在だった。
自分にとって生きる意味が完全になくなった・・・
今の生活に不満足だったわけじゃないんだ・・・
お父さん、お母さん・・・ごめんね
僕は今日『一番大切な人の所へ、彼女の所へ行きます・・・』
彼女の好きな曲をかけていれば彼女が迎えに来てくれる
そう強く願った。
‖
('A`)
( )
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/ ̄
もっと短い文で感動したい
なんでマルケイはマルをつけたがるんですか?
そんな暗号にもなっていないものを平気でつかって恥ずかしくはないのですか?
ところでマルボウってやっぱ3時のおやつのマルボウロの暗号ですか?
無事8ゲット
ここだって立派な一つのスレなんだ!
差別はやめろよ!
俺も感動したいぜ
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。
母 たかしへ げんきですか。いまめーるしてます
俺 うるさい死ね メールすんな殺すぞ
母 ごめんね。おかあさんはじめてめーるしたから、ごめんね
俺 うるさいくたばれ、メールすんな
母 お金ふりこんでおきました。たいせつにつかってね 食事はしていますか?
俺 死ねくそ女
やべ、マジで涙出てきた。
ありがとう。
46 :
名無しさん?:03/05/25 20:11 ID:dEMyBH+k
俺が消防の頃飼っていた犬が死んだ
この犬は俺の親父・母親・兄貴には
決して吠えることはなかったが
俺が学校から帰ってくると
必ず吠えていた
おそらく家族の中で俺を一番下っ端
扱いしていたのだろう
だから俺はこいつを散歩に連れて行く
こともなかったし好きではなかった
唯一俺がこいつにしてあげたことといえ
ば犬用の遊び道具を買ってあげたことぐら
いだったと思う
飼いはじめて2年目のある日の朝 俺が
目を覚めるとこいつは死んでいた
遊び道具のそばに横たわって・・
涙でモニタが良く見えねんだろ?(プ
とか煽ってたのを思い出した。
情けないな、俺。
すげえツマンネ-んですけど
(・∀・)イイ!
50 :
名無しさん?:03/05/25 20:20 ID:Fk5ujRwz
加奈〜いもうと〜てゲームやってみ。号泣する。
すげえ泣けるんですけど
こういうあからさまな悲しいだけの話は哀しくなるだけで感動しないから泣けない。
みんなもそうなはずだ。
こんなのよりもはじめてのおつかいの方がずっと泣ける。
おまえらアレだ
俺と一緒に最終兵器彼女でも読むか
泣くかどうかは知らないがちょっと切なくなるぞ
3年前の話。
当時、金融屋をやっていたんだけど<裏金>その年の夏。
いつものように追い込みかけに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど
子供が2人置いてかれてた。
5歳と3歳。<上は男の子、下は女の子
俺はまだペーペーで、周りの兄さんらと違って顔も怖くなかったらしく
家に行ったときすぐに下の子になつかれた。
ボロボロの服で風呂にも入ってなくて、「いつから親はいないんだ?」って
聞いても答えない。
「何食ってたんだ?」って聞いたら、上の子は下をむいて泣いた。
下の子が「こっち」って手を引いて裏庭に俺をつれていった。
破れた金網を通ってでたところは、小学校の裏庭だった。
「あのね、みーちゃんこれ食べたの」って池を指す。
嫌な予感がした。
だってさ、その池って金魚がウヨウヨ泳いでるんだよ・・・。
2人を抱きかかえて家に戻ると、テーブルに小さいボウルと茶碗。
「お前ら・・・金魚食ってたのか・・・」って聞いたら「・・・うん」
すっげーやるせなくて涙がでて、俺もその場にいた兄さんらも泣いた。
すぐに兄さんがたくさん食べ物と洋服を買ってきた。
近くの銭湯で体を洗ってやった。
その後、俺らじゃどうしようもないから施設に連絡をいれた。
連れていかれる時に「お兄ちゃんありがとう」っていってた。
・・・全然ありがとうじゃねーよ・・・俺たちがお前らの親を追いつめたのに。
俺を含めて何人かは、この後仕事を抜けた。
ただ、救われたのは、こいつらの親がきちんと出てきた事だった。
バカラウンコには無理ですなww
子供の頃通っていたお絵描き教室で「お母さんの絵を描きましょう」という授業があった。
漏れはママンがスリッパを持って漏れに殴りかかろうとしている絵を描いた。
当時の漏れはママンに対してそんなイメージしか持っていなかった。
しかしその絵がどういう訳か、地元の展覧会で大した賞を取ってしまった。
正直焦った。あの絵がママンの目に触れてしまう。怒られる。
またスリッパで殴られる。もしかしたらベルトで百叩きかもしれない・・・
しかしママンは怒らなかった。お絵描きの先生に深々とおじぎしてお礼を言い、
帰る時「ちょっと待ってて」と言いアイスクリームを買ってきた。
その後無言で漏れを車に乗せて帰った。帰ってから一言
「アンタはホントに絵が上手いね。正直な絵を描くよ」と言った。
漏れはアイスの残りっカスのコーンを黙ってかじり続けていた。何も言えなかった。
夜、ママンが父に漏れが賞を取った事を嬉しそうに話しているのが聞こえた。
その後もママンは時々漏れをスリッパで殴ったり、ベルトで叩いたりする事があった。
その度に「ママンなんか嫌いだ、早くこんな家出てってやる」と思ったけれど
この歳になってからは、今漏れが美大に通っているのはママンのおかげのように思う。
十五年振りだけれど、今度ママンの絵を描いてみようと思う。
泣けまふ・・・
わたしのママンは教育ママンだった。
対面を何よりも重視して、たとえ90点をとっても「なぜ10点分間違えたのか」を
聞いてくるようなママンだった。
私はそんなママンが嫌いで、あんな大人にだけはなりたくないと思っていた。
10歳のとき、わたしはとあることから、プチ登校拒否を試みた。
何もかもが嫌で、学校になんて絶対行くものかと思っていた。
ママンは激怒した。「対面」「成績」と毎日毎日怒ってわたしを怒鳴りつけた。
根競べが一週間くらい続いたのだが、ある日急に、ママンは怒るのをやめた。
部屋にいる私のところに来てただ、「買い物行くよ」とだけ言った。
ママンは私を連れて、近所のスーパーで生活用品の買出しをした。
普段学校以外に出歩かない昼間だったから妙な感じがした。
ママンは、もう怒らなかったし、学校についても何も言わなかった。
ただ無言で手をつないで、大根だのにんじんだのを買った。
今思えば、きっとあれはママンなりの精一杯の愛情だったんだと思う。
二日後、私は学校に行った。
少しだけ、照れくさかった。
>>58泣ける2chのか・・・
イイ。・゚・(ノД`)・゚・。
61 :
名無しさん?:03/05/25 20:35 ID:cXqREla2
つまんなくてモニタぶち壊すかもしれんが。
小学生のころすんげー鬱で自殺しようとも考えてたんだが、
それを親に話したところ。
「たとえ計算や漢字がダメでも絵がかけなくても音楽歌えなくても、
いつかいいところが見つかる。時間はかかるかもしれないけどね。
だから今はそんなこと考えないで前を向こうよ。」
私はそれを聞き流して放置していたが。
数日後、親が自殺しました。
「自分探しの旅に出ます」と遺書が書いてあった。
それから私はいいところを見つけるよう努力しました。
二度と親には会えないかもしれないけど、
親と一緒に行動したいと思ったので。
今では、そのいいところを生かした仕事をしています。
63 :
名無しさん?:03/05/25 20:44 ID:dEMyBH+k
俺は1年前
2ちゃんをはじめた
その間俺はアイドル画像板からはじめ半角板・
法律勉強相談板など数々の板を放浪した
しかしそこの住人はいつも俺の発言
を無視しいつしか俺は2ちゃんをするのを
やめた
そんなある日俺は2ちゃんプラスVOL2を
コンビにで買った そこには「涙のとまらない
過去ログ」が載っていた
俺は意を決してラウンジ板で書き込みをした
はじめての反応があった 2003年5月25日
20時13分のことであった
言い方悪かったかな
>>63 本に載っていた泣ける過去ログよかったら書き込んでくだしぃ
68 :
ななしでいいや:03/05/25 20:58 ID:ZeKEv2vQ
age
69 :
ななしでいいや:03/05/25 20:59 ID:ZeKEv2vQ
中学校の時、俺は虐められていた。
休み時間中はもちろんボコボコにされ、授業中発表しても
「おまえ、かっこつけてんじゃねぇよ。」
と何をしてもそれをタネに虐められていた。
いくら親に話しても、
「そこで逃げたら、いつまでも虐められる。」
と、無理矢理学校に行っていた。
俺は、
「学校へなんて行かなくてもいい。ただ、平穏に暮らしていたい。」
と心から願っていた。
その思いからか、毎朝微熱が出るようになり、それから1ヶ月間学校へ行かなかった。
勿論、学校のやつらから連絡など無く、学校の様子など全くわからず、
親は親で仕事が忙しいから安静にしていなさいと、放ったらかしの状態だった。
俺はそれでも良かった。
「平穏に、誰にも何もされずに暮らせるなら、このままでいい。」
と思っていた。
ある時、学校の先生が訪ねてきた。
俺が本当に熱なのか確かめに来たらしい。
俺は隣の部屋で話している母さんと先生の話を聞いていた。
母は、俺が虐められていた事、そして自分が忙しくてかまってやれなかった事など、
泣きそうな声で話していた。
先生はただ黙って聞いていた。
帰り際に先生は、
「明日、学校来れるなら来いよ。」
と明るく言ってくれた。
その言葉が妙に心に重かった。
次の日、俺は学校へ行ってみた。
もう、虐められることはなかった。
虐めていたやつらは、俺に気を使っているようだった。
あの時、母さんが先生に言ってくれてなかったら俺はクサったままだったと思う。
忙しそうにしながらも俺をみていてくれた母さん。
今だから言える「ありがとう。」
水道が止められた
75 :
ななしでいいや:03/05/25 21:17 ID:ZeKEv2vQ
76 :
きんたろうω(’-’*:03/05/25 21:18 ID:j85BFW/X
たまねぎをみじん切り
>>78 おまえ
>>73だろ
似たようなネタでウケたからって同じ事繰り返してんじゃねぇよヴォケ
なんかいい話ないですか?
自作でもいいです
age
母危篤直帰る
お願いします
もっと盛り上がってください