【無頼派 8本目】

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307名無しさん?:02/05/11 10:16 ID:???
商売人が生み出すのは、なるべく売れそうな商品。
芸術家が生み出すのは、自身の魂が追い求める美。
目指すところが全く違う両者をいっしょくたにしちゃいかんだろう。

まぁ昨今はマーケティング能力に長けた商売っ気たっぷりの自称アーティストも
多いことだから、「消費者ニーズに応えて芸術家も作品を変えていくべき」とか
真剣に考える奴が出てくるのはやむを得ないかもな。

でもね、芸術家の仕事は本来、お客さんに受け入れられるように努力して
工夫・改良することじゃないんだよ。
むしろ、そうしちゃいたい欲望と闘うことにあるといった方が正しいかもしれん。
作風を変える変えないは本人の自由。だがそれは何の保障も与えられない恐ろしい自由だ。
芸術家はおそらく、誰もがその中でもがき苦しんでいる。
308名無しさん?:02/05/11 10:53 ID:???
"商売人"が潮流をつくりだす罠
309名無しさん?:02/05/11 11:27 ID:???
でも、どっかで"他人に認められたい"って欲求もあるんだよね。
人間なら誰でも。
そしてそれは人間なかなか捨てられない。
そこにすごく大きな葛藤がある。
それに"一流"の人ってのはやっぱり多くの人に認められる何かを持ってると
も思うんだよ。
まぁ私見だけど。

なんていうか、他人に認められるってのは"十分条件"ではないが"必要条件"
ではある、ていうことではなかろうか?
310名無しさん?:02/05/11 14:15 ID:???
このスレ最低の低脳な書き込みは304に決定だな(プ
311◆11rrrXJg:02/05/11 17:10 ID:???
後世にまで名を残す偉大な芸術家が
生きている間に価値を認められる事は非常に少ない。
理解されるためには、時代が彼または彼女に追いつく必要がある。

評価を求めた時点で「芸術家」ではないのかも知れない。

ただ、芸能・仕事・趣味・遊びを問わず、自分の能力・特性を
100%出し切って本気で挑んだ場に認められた時の「充実感」は
……何とも表現しがたいモノであり。

生きている間にある程度の結果を出してしまった「芸術家」は
自らの表出への満足と、市場からの価値評価の間で
揺れ動かざるを得ないのかもしれない。
312名無しさん?:02/05/11 20:40 ID:???
ブランドというのは、変わらないからブランドなのだ、という話を聞いたことがあります。
人間はマスであれ個体であれ、変化していくものですから、本当に変わらない事ではなく、
変わってないと思われる事・・・ユーザーとの距離感こそが重要なのでしょう。
芸術家に止まらず何らかの価値を生み出す人々は、創造意欲と批評精神の双方を持っているものです。
言い換えれば、クリエイター自身がファーストユーザーなのです。
ゆえに自分の中の創造意欲と(自分に向けられた)批評精神の間に大きな隔たりが生じたときに、
創作上の苦悩とか葛藤を味わうのではないでしょうか。
そしてこの距離を埋めるのに時間の掛かる人ほど寡作になるのではないかという気がします。
313名無しさん?:02/05/11 20:46 ID:???
>>312 なるほど。
314309:02/05/12 01:12 ID:???
なんか漏れがすごくアホッポイなぁ。
みんな難しい言葉使うなよヽ(`Д´)ノウワァァァァァン
315名無しさん?:02/05/12 03:52 ID:???
 
316助教授:02/05/12 04:24 ID:???
やあ、沢山の書き込みありがとうございます。
ちょっと本日は忙しい&偏頭痛ですので、レスは後日に。

 
317地下スレ探険隊:02/05/12 11:13 ID:???
保守
318名無しさん?:02/05/12 15:36 ID:???
 
319地下スレ探険隊:02/05/13 00:38 ID:???
ブランドは創作意欲とか美意識だけじゃなくて商業的なセンスも
求められる訳で、芸術家とは又違った才能の持ち主でないと
できない事ではないかと。
320名無しさん?:02/05/13 14:54 ID:???
ブランド名のタグが付いただけで値段が異様に高くなるのは
いかがなものか。
321名無しさん?:02/05/13 21:31 ID:???
>>320
買うやつがいるから値段も上がるってこともあるよ。
みんなで一斉に買うのやめたら面白いだろうな。
322名無しさん?:02/05/14 03:11 ID:???
 
323助教授:02/05/14 07:20 ID:???
帰ってきましたょ。
盛況のようで。ご訪問ありがとうございます。


>>301(名無しさん?)
そうですねえ。青の時代とキュビズムの頃の作風では、本当に同一人物?と
疑いたくなるような違いがありますしね。

細かくちょこちょこと作風に変更を加えるのでなく、過去と決別する勢いで変化をする。
こういう時期をアンソニー・ストーは3期に分けて分析しています。
全てが全て、それに当てはまるわけではありませんが、ね。

もしかしたら以前に書いたかもしれませんが、「修・破・離」の考え方に近いですね。
324助教授:02/05/14 07:21 ID:???


>>302-304(名無しさん?・名無しさん?・名無しさん?)

> 本当の老舗と呼ばれるお店の味が
> 天候、湿度、気温に合わせて
> 毎日変わってることをあなたは御存知?

そういう話はよく聞きますね。食べ物に限らず、織物の世界とか大工さんの世界の話でも。

ところで、「毎日変わってることを」で良いのでしょうか?
本当の老舗なら「変わっている」ではなく「変えている」では?
前者だと主体的な意図が見えませんよ。天候、湿度、気温任せという印象を受けます。
仮に前者であるなら後者と比較した場合、天候の偶然によって味が勝手に変わることを強く意味します。
そうなってくるとこれは老舗の店に限った話ではありませんね。
どちらでしょうか?

> コカコーラの味が毎年微妙に変わって

こちらは味のテンプレートそのものを、毎年微妙に変化させていることを意味しているのですか?
ここら辺の違いや詳細がわからないと、>>302氏が望むレスを返しようがないのですが・・・・。
325助教授:02/05/14 07:22 ID:???
                      ◆

老舗なら天候などに合わせて微調整を加えて、自分の店の味を一定の味に保つために工夫をしますね。
考えてもらいたいのは、何のために意図的に微調整をしているかということです。
これは味のテンプレートを崩すための微調整ではなく、天候などにより自然に変化してしまう味を
最終的に店のテンプレートに近づけるための行為です。変化させないための変化(微調整)です。

後者は品質改良ではありますが、新製品を出すに至らない状態のことですね。バージョン1.13みたいな感じで。(笑
これはテンプレートそのものに微妙な変化を与える行為です。しかし本質そのものはがらりとは変えない。
こうしてみると変化というものに関して、両者の性質が違うという事に気がつきます。

これは余談ですが、ウィスキー「無頼派」の小瓶、これも発売されてた当時は透明な瓶でしたが、今は茶色の瓶です。
味も微妙に変わっているかもしれませんが、適度に鈍感な私の舌にはよくわかりません。(笑
326助教授:02/05/14 07:23 ID:???

>>305(名無しさん?)
ハハハ。
あまり大した対応は出来ませんよ。
フォローしてもらう、反論される、どんな形でも話に反応してもらえると、それだけで嬉しいものですヨ。

>>306(名無しさん?)
このスレに書き込むのに資格は要りませんが、まあ、贅沢を言えば細部にとらわれず、事の本質を
見ようとする人が多く来てくれると嬉しいですねぇ。(*´ー`*)y━~~
327助教授:02/05/14 07:23 ID:???
>>307(名無しさん?)
私個人の気持ちとしては、経済活動とは無縁の所で芸術家は作品を作ってもらいたいとは思います。
売れるものだけを創る芸術家の作品の中には、口当たり、耳当たりが良すぎるものが多いです。

しかし彼等も芸術家であると同時に一生活者、社会人。彼等もご飯を食べていかなくてはいけない。
それを思うと、強くはいえませんしねぇ・・・。

> でもね、芸術家の仕事は本来、お客さんに受け入れられるように努力して
> 工夫・改良することじゃないんだよ。
> むしろ、そうしちゃいたい欲望と闘うことにあるといった方が正しいかもしれん。

まあ、ここらは難しいですヨ。
自分の感性に基づき楽しく作ったモノが、世間にすんなり受け入れられる幸せな場合もあるでしょう。
最も、すんなり受け入られるものが芸術作品かと言われると、判断に困りますが・・・。
かといって、
328助教授:02/05/14 07:24 ID:???
   すんなり受け入れられないもの = 難しく、理解に苦しむもの = 芸術

という単純な図式に還元できるほど、事は単純ではありますまい。
こうなってくると「芸術」と「非芸術」の判断基準はどこにあるのかということを、追求しなければ
ならないでしょうナ。こういうものが「芸術」で、こういうものが「非芸術」である、と。
そもそもそういう明確な基準なんてなさそうではありますが・・・・。
即物的な言い方で申し訳ないですが、「芸術家の資格」「芸術家の免許」といった、客観的な判断によるもの
なんてありませんしね。

> 作風を変える変えないは本人の自由。だがそれは何の保障も与えられない恐ろしい自由だ。
> 芸術家はおそらく、誰もがその中でもがき苦しんでいる。

これは、同意。激しく同意。
329助教授:02/05/14 07:25 ID:???
>>308(名無しさん?)
潮流をつくりだすとまとめて関連商品が売れるわけで。
単発で出すよりか、関連分野をまとめてブームであるかのように見せた方が
販売する際の効率は良さそうですな。


>>309(名無しさん?)
認められたい・広く知られたい・自分のことをよく知ってもらいたいということは
やぱり動物の求愛行動が原点にあるのでしょうか。異性に対するアピールということで。

人間も動物であり、異性に限らず他者にアピールすることが自然であると考えますので
自己顕示という事に関して、私は比較的肯定的です。
最も、人間なら動物らしさを拒否して理知的に振舞うべきだと考える人もいるでしょうが、
完全に無くすことなんて難しいでしょうし、人間そんなに立派なものでもないと思いますヨ。
だからこそ、その度合いと言うもの考え、適度にコントロールすれば良いわけで。
330助教授:02/05/14 07:25 ID:???

一流の人という事に関しては、現在の成功などの輝きから目立つ、羨望されることによって、
目立つことはあるでしょう。ただ、一流になる過程において他人に認められたいと常に考えていたかはわかりません。
最も、認められたいために自分を、芸を磨き上げることも多いです。
自己顕示欲が自分を磨き上げる研磨剤になることもあるでしょうねえ。

ちょっと話はずれますが、よく固定ハンドル論争で「固定=自己顕示欲の塊」などと言われますが
私は人間の自己顕示をマイナスと考えていませんので、問題になること自体とても面白く見ています。
自己顕示の結果出てくる、単なる荒らし行為などの負の産物に関しては良い印象はありませんが、ね。

そもそも固定さんと名無しさん、この両者だけで考えると、発言が蓄積されて人格っぽいものを感じ易い
固定さんの方が顕示欲が強いと言われればそうなのだろうなあと思いますが、発言をしている段階で
実は両者は五十歩百歩です。それこそ名前欄は関係ありません。
掲示板上での顕示欲を言うなら、物言わぬ閲覧者であるROMさんこそが一番無い人達と言えます。
331助教授:02/05/14 07:27 ID:???

>>310(名無しさん?)
まあまあ。
書き間違いはあるかもしれませんが、>>303-304の内容は一言で切って捨てるようなものだとは思えませんが・・・。

>>311(◆11rrrXJg )
芸術家にとって作る際の自身の満足度と他者の評価に関する問題で悩むこと、これはどうしても
避けられない問題です。
先に書いた通り、自分の感性に基づき楽しく作ったモノが世間に受け入れられる場合が一番幸せなのでしょう。
しかし多くの場合、自分が良いと思って創った物が他人から見れば単なる独り善がりの作品でしかないと
評されることもあります。

> 評価を求めた時点で「芸術家」ではないのかも知れない。

評価を求めないこと。これは理想的な芸術家像にはなりますが、無欲であることを強制できませんし、
無欲を芸術家の資格にするわけにもいきません。
まあ、真の芸術家はこうであってほしいという理想の一環であり、心情的にはよくわかります。
332助教授:02/05/14 07:41 ID:???
あああああ。時間切れナリ。
申し訳ありませんが>>312以降は、後日お返しします。


So much for today!
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333名無しさん?:02/05/14 12:18 ID:???
 
334名無しさん?:02/05/14 16:26 ID:???
 
335梨のツブツブ:02/05/14 22:53 ID:???
ブランド品ってのは「である」価値なんでしょうね
ブランド品に限ったわけでなく芸術や教養も「果実より花」のような気がします
それがもたらす結果よりもそれ自体に価値がある
336加護は考えた。:02/05/15 02:22 ID:???
ブランドっていうものは安心感だとも聞いたことがあります。たとえば、
プラダのリュックを買うってことは、
プラダの「リュック」そのもののハードを買うと同時に、
「プラダの」リュックであるっていうソフトを手に入れることでもあり、
そのときの安心感の量とかも価格に換算されているっていう考え方でしょうか。

考えてみれば、すごい論法です。その是非はともかく、
資本主義は十分芸術的ですね──かもしれません。
337名無しさん?:02/05/15 07:21 ID:???
まぁ消費者にとって一種の保険であることは間違いないよな。ブランド品。
「プラダを持ってれば、人から馬鹿にされることはないだろう」
「プラダが作ったのなら、粗悪な製品ではないだろう」
「プラダなら、そこそこオシャレっぽく見えるだろう」等々。
本当にその商品が欲しくてたまらないから買うというよりは、
その商品を持つことで安心感が得られるから高い金を出してでも買う。
自分自身の審美眼や価値判断、ステイタスに自信がないからこそ、
それらを保証してくれそうなブランド品を選ぶ。
つまりブランド品を買うということは、実は受け身の選択に過ぎず、
知恵や感性の敗北宣言に過ぎないわけだが、それでも皆が憧れる商品を、
自分は相応の対価を払って買い求めたという事実が人を勇気づける。
そういう人たちにとっては芸術品もブランド品と同じようなもんだろう。
歯医者の待合室なんかに大抵ユトリロのリトグラフが飾ってあるのは、
つまりそういうことなんだろうと思う。
338名無しさん?:02/05/15 14:11 ID:???
荷物を入れる適当なカバンが無い時に、そこそこオシャレと認識されている
ブランドの紙袋に入れて行く心理。
339名無しさん?:02/05/15 21:26 ID:???
>>338
しかしそれを繰り返すと、紙袋がだんだん
ボロボロになって行き、余計恥ずかしい罠。
340名無しさん?:02/05/16 03:55 ID:???
うむ
341名無しさん?:02/05/16 06:40 ID:???
 
342名無しさん?:02/05/16 13:18 ID:???
 
343名無しさん?:02/05/16 18:15 ID:???
ブランド品って持ってない。
344名無しさん?:02/05/16 21:41 ID:???
買えよ
345名無しさん?:02/05/17 01:20 ID:???
 
346助教授:02/05/17 05:02 ID:???

さて、と。

ブランドに関しては、正直難しいなあ。
価値の拠り所が沢山あるから一言で言えないし、単純な善悪も無い。

これはわかりやすい幾つかのトピックに分けて考えてみようかな。
347助教授:02/05/17 07:55 ID:???
本日深夜、更新予定。
できるかな・・・?
348名無しさん?:02/05/17 19:59 ID:???
 
349助教授:02/05/18 03:49 ID:???

『ブランドロゴ・シンボルマークの価格』

A「仮に材料・デザイン・工法が全く同じだとして、有名ブランドロゴがついている方と
  ついていない方、どちらが売れるだろうか?」
B「その問いかけは滑稽だ。ブランドロゴもデザインの一部だ。そのロゴを消すという事は
  デザインの点ですでにアンバランスなものになっている。ついていない方がデザインの点で
  不利になる。だから、比較にならない。」

A「では材料・デザイン・工法が全く同じで、最初からブランドロゴを考慮せずに表面を
  デザインしたらどうなるだろう?」
B「着物の裏地にこだわる文化もある。裏側にブランドロゴをつけて、さりげなく
  アピールすることも可能だ。」

A「なるほど。ブランドロゴがあること、見えることがそもそも価値を生んでいるのかもしれない。」
B「ブランドロゴはあくまでも製造元の証明。それ自体に価値があるわけではない、とも考えられる。」
350助教授:02/05/18 03:50 ID:???

A「では、『在ること』ではなく『見えること』に価値があるのかどうかを実験できないものか。
  例えば布など、合わせた材料の内側、分解しなければ見られない場所にロゴが入っているとしたら
  どうだろう。糸などをほぐし、ばらばらにして初めて小さなロゴマークを発見できる。
  しかしバラしたら使い物にならないようになる場合では?」

B「つまり、材料・デザイン・工法が同じでブランドロゴも入っている。しかし見られない場所に
  刻印されていて、自他ともに目視確認できない。見ようと思えば見られるが、製品は壊れる。
  正規のお店で買うことにより、買う側は本物を入手できる一応の安心感はあるが、見る人はそれが
  有名ブランドのものであるかどうかわからない。
  他人にブランドロゴを見せられない商品が、果たして高く売れるものだろうか、と?」
A「そうだ。」
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(以下、余談。)

B「仮に、そのブランドが全てその様な形式を取ってしまったらどうだろう?そうしたら、ロゴが無い
  ブランドという事で第3者に説明する際、別の価値、説得力が生まれないか?」
351助教授:02/05/18 03:52 ID:???
あ!致命的なミス発見。>>350の余談中・・・

B「仮に、そのブランドが全てその様な形式を取ってしまったらどうだろう?そうしたら、ロゴが『見えない』
  ブランドという事で、第3者に説明する際、別の価値、説得力が生まれないか?」

無いわけではなく、見えないわけです。
352助教授:02/05/18 05:51 ID:???



【品質】

ブランド品のことを語り始めると、必ず出てくる品質のお話。
思うことをピックアップ。

1.ブランドに期待されている分だけ、品質管理は徹底している「はず」。

2.品質とは製品だけでなく、その後のサポートサービスのことも言うのでは。

3.昔評価されたブランド・御用達のものは、時代にあっているのか?
  昔馬車や鉄道で旅をしていた時代、丈夫だからと言う理由で評価されていたものが、今の世の中に
  どれだけ合っているのか。
   勿論、現代という時代に即した形で改良され、また新製品が生まれているだろう。しかし仮に
  時代性を取り入れて現在において一流の品であるなら、過去の歴史をわざわざ併記する必要がどこにあるのか。
  過去の栄光は今という時代には使えない。蓄積された良いイメージをまとうことと、現在の品質には
  本来関係が無いはずである。あるとしたら、創作姿勢や責任感などメンタル部分のみ。
353助教授:02/05/18 05:52 ID:???
4.品質! 品質!! 品質!!!
  ではなぜ、罪悪感を感じながらも、偽ブランド品を買ってしまう人がいるのか。
  そして売れてしまうのか?
  あるから買ってしまう」は通用しない。
  偽ブランドの作り手がいくら作っても、買わなければこの関係は成り立たないはずである。
  「

5.美術の真贋鑑定で時々耳にする。
  良く出来た偽物は、すでに第二の本物ではないか?
  本物があるから相対的に偽者が出来あがる。これは正しいだろう。しかし品質・・・もっと言えば
  物質上の構成要素の点だけ見れば、全く同じ品質のものであったら、そこに本物も偽者もあるのだろうか。
  品質の点から見た本物とは何か。
 
354助教授:02/05/18 06:03 ID:???

良く考えれば、バック・小物・服飾品・香水・喫煙具・酒・車・家電・書籍や音源(CDなど)・そして販売店そのものなど、
各論でじっくり考えなければいけないものです。こういう具体例を想定せずに大味な一般論を書く事に疑問を感じないでもないですが、
取り敢えず続けますか。

しかし考えてみれば、各論にこだわるとそれぞれの製品を買う際の要求点が違いすぎて、ブランドという巨きな視点からモノを見られないかもしれない。
例えば香水などは、買う本人の生理的な部分に頼るものだから、ブランド云々はどうしても二義的になり易く、そこからブランドとは何かを見るには
あまりにも無理がある。


そう考えると、大雑把な総論を求める行為も無益でないともいえなくも無い。

では次回は、「知名度」と「イメージ」についてだらだらと。

So much for today!
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355加護は考えた。:02/05/18 07:26 ID:???
>>351
>>B「仮に、そのブランドが全てその様な形式を取ってしまったらどうだろう?そうしたら、ロゴが『見えない』
  ブランドという事で、第3者に説明する際、別の価値、説得力が生まれないか?」

西武『無印良品』ですね。
『印の無い良い品』。それはブランドっていうものの最終形態の1つだった──かもしれません。
356名無しさん?
個人的には、わざわざブランドものを買うときには、
過去の文脈も含んだその作り手の思想を買っている、つもりです。
だから例えばユニクロを買う時に、単に安いだけじゃなく、ユニクロ的な販売様式を
支持してそうするなら、(私の中では)立派なブランド買い。
無印良品なら、『一流デザイナーが名無し潜伏して作っている、ということを
知る人のみぞ知っている』、という文脈を買って身にまとうわけです。