2 :
名無しさん?:02/02/24 09:44 ID:cRJ8ChCk
>>6!「どっじぼーる」という物を説明してみろ馬鹿
2
4 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/24 09:44 ID:gVcjrRJl
>1
民明書房刊「〜」より
を最後に入れなきゃ、めっ!
>>6!「どっじぼーる」という物を説明してみろちんかす
6 :
名無しさん?:02/02/24 09:44 ID:TG4A55Dh
I
>>4 俺ってそれ実在してるとおもってたんだよなー
8 :
にっく:02/02/24 10:02 ID:+6gaYXkA
怒頭地暴流(どっじぼーる)
怒突地暴流…罪人同士が互いに陣地を決め、生首を相手に当てるという
見世物。生首を当てられた者は即座にその首を刎ねられ、今度はその首を
相手に当てるというまさに命がけの遊戯であり、編み出したのは秦の始皇帝
であるという説が一般的となっている。この見世物がシルクロードを渡り、
ヨーロッパで遊戯となってドッジボールが生まれたと言われている。
民明書房刊『スポーツ起源異聞』より
http://www7.plala.or.jp/tay/comic/otoko/minmei.html に載ってたよ。
>>8 おい!本当に載っているかと思って探しちまったじゃねーか!
天釐蜘巣(てんりんちそう)
天釐蜘巣…中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが、
この奥義もそのひとつである。利用される蜘蛛は中国山東省菊露山にだけ棲息するという禽瓶蜘蛛と呼ばれると呼ばれる肉食動物であり、
体から繰り出される糸はピアノ線並の強度と瞬間接着剤並の粘着力を合わせ持っている。性質は飼い主に対してのみ非常に忠実で、
攻撃命令が下った敵に対しては非常に獰猛無比であり、一度でもその巣にかかれば絶対に逃れられないと言う。
未だかつてこの奥義から抜け出したものは皆無と伝えられている。
ちなみに、英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが、
これはこの奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武道家達がことごとく失敗に終わり、
その時発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」と変化したのは言うまでもない。
日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談
失敗だ〜→すっぱいだ〜→スパイダー
ワラタ
このスレ死亡確認!!
15 :
名無しさん?:02/02/24 10:55 ID:PYqJuV24
(塩湖)誤倫鎮犯(ごりんちんぱん)
誤倫鎮犯・・・常に戦いを監視し続け、ミスを侵した米国人には金メダルを、
ノーミスを達成した外国人には失格印を押すと言われ、
「これならば審判業はチンパンジーのアイちゃんでも即可能」
と言わしめた、伝説の猿人族。
特に「塩湖」と付く鎮犯は極悪非道であり、
「もうチノパンは放送されないのだ」
という虚構感を周囲に与える。
16 :
:02/02/24 11:04 ID:???
>15
うまいね。
17 :
名無しさん?:02/02/24 11:16 ID:PYqJuV24
大恥巨船
・・・鳴り物入りで民主党から出馬し、何を世間にぶちまけてくれるかと思ったら
半年後に電撃辞職を決行し、茶の間のちゃぶ台を瞬時に上下逆様にした上に
この俺に禁断の架空台詞「ズコーッ」を言わせた張本人。
一時は被脅迫説等、様々な擁護論があったが、
結局の所、「疲れた」というのが真相な様だ。
「投票してくれた有権者には申し訳無いが、私は爆弾となって・・・」
と曰って一瞬何をしてくれるのかと思ったが
「この事は今度出版する本で書きます」という事らしい。
この種族はダン池田以来、存在が確認されていなかった希少なものである。
トドメとして、
「この爆弾が爆発しなかったら日本は沈没する」
という名言を残し、不発弾は回収されていった。
18 :
17:02/02/24 11:17 ID:PYqJuV24
ちょっと言い過ぎたかな。
まー巨泉さん嫌いじゃないから、いい本書いてくださいな。
念の為俺無党派。
\(^▽^)/新スレおめでとうございま−す♪
20 :
名無しさん?:02/02/24 14:21 ID:+xVtG0jR
>17
>トドメとして、
>「この爆弾が爆発しなかったら日本は沈没する」
>という名言を残し、不発弾は回収されていった。
激しくワラタ
断仲間騎虎
騎馬の代わりに利用され、一夜で千里を駆けると言われる行動力を持つ動物であるが、
非常に獰猛であり飼い慣らすには非常な力を要し、
傍にあれば仲間であっても食い千切る程の力から名付けられた。
古代中国において、戦争による戦死者の死体処理や
略奪による被害が大きすぎ、統治者を悩ませた折、
ある高名な儒家が「獰猛な虎を騎馬の代わりとし、
虎上で騎士が一騎撃ちを行う形にすればどうか」と君主に説いたという。
その際使用される虎に、人間の敵わぬ獰猛さがあれば、
味方の虎が負ければ、もう敵の虎に打ち勝つだけの戦力を持たない。
故にすぐ敗者は降伏する事になるだろうとして使われ始めたのがこの虎であり、
この虎の厩務員を命じられた者は例外無く死を覚悟したという。
民明書房刊「政界百八伏魔殿」より
22 :
名無しさん?:02/02/24 17:05 ID:imsbQwiu
御臨火点家(おりんぴつく)
昔、2ch塾ギリシア支部塾長アントニウス・モーダメポの家が火事になった。
モーダメポは時の権力者アレクサンダー大王に彼の家庭教師アリストテレスと共に陪席しており、
「今夜はとことん飲もう」と言う大王への遠慮から、
その第一報を聞いた際妻の身を案じながらも席を離れる事を躊躇った。
アリストテレスは「仮に3時間の間ならば私が王の興を削ぐ事無く話を継ぎましょう。
それ以上は私にもどうできるか判りません」と諦めるように言った。
しかしモーダメポは「3時間も!先生、私には3時間という時間は有り余る程ですが、
間に何があるか判りません。2時間だけ、場を繋いで戴ければあり難く思います」と言って飛び出した。
驚くべき事に、ちょうど2時間が経った頃、モーダメポは戻ってきた。
「アントニウスよ、どこへ行っていたのだ」と王が聞くとモーダメポはこう答えたと言う。
「少し辺りが暗くなっていたので帰りの松明を予め戴いておりまして」
彼の手には、彼の家の柱が、一本、明々と燃えるまま握られていたという。
これを称え、2時間を切る事に命を賭け彼の家と
大王の館の往復の距離である42キロの道のりを走るのが
オリンピックの花形、マラソンの始まりである。
民明書房刊「全ての道は2ch塾に通ずる」より
きたいあげ
24 :
にっく:02/02/25 03:12 ID:kmuQ64qJ
キタイア・ゲ(きたいあげ)
キタイア・ゲ…インカ帝国と言えば太陽の神殿がよく知られているが、
そこでは年に一度の収穫祭が行われたと伝えられる。人々が捧げ物を
手にしながら「キタイア・ゲ!」「キタイア・ゲ!」と叫ぶと、どこからともなく
神が現れて人々に天啓を授けたという。
民明書房刊『驚愕!ホントに信じていインカ帝国!』より
ゴルァ
27 :
名無しさん?:02/02/26 09:01 ID:5TM9FtZb
娯劉亞(ごるぁ)
娯劉亞…中国後漢の皇帝・光武帝から数えて十二代目、劉饒の娘
劉亞(?〜224)を指す。
歌舞音曲に長けて居た為、時の皇帝献帝より字として「娯」を賜り、後の
大帝孫権の寵愛を受けて居たとされるが、宮廷に住む宦官から忌み
嫌われ、「娯劉亞、娯劉亞!」と罵倒されたのが始まりとされる。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
暁!ドキュソ塾と塾頭にかいてもらいたいな、なんとなく。
29 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/26 12:05 ID:wXXa6iuS
藁田(ワラタ)
ものぐさな男が畑を再び耕す事無く米を得ようとし、
一度引きぬき種籾を取った後の藁を、田の中に植え直した。
当然春になっても実はならず、村の者は一人残らず男を嘲笑したという。
この故事を元に道理の通らぬ行動を行う者の事を
「ワラタ」と呼ぶ様になった。
民明書房刊「万国吃驚雑学儀典」より
>>19 スレ違いだけど、かおりん祭りさんって、お1人?
共有コテハンとかじゃないよね?よくお見かけします(笑
31 :
1:02/02/26 19:54 ID:???
華緒凛祭(かおりんまつり)
華緒凛祭…第二次大戦後、台湾が中華民国となり、公用語が
日本語から北京語に変更された際に、台湾南部の街・高雄で毎年
行われていた「高雄祭り(たかおまつり)」が「高雄祭(カオシュンツァイ)」と
変更されたが、1948年の「高雄祭」告知ポスターに於いて「高雄祭り」と
表記された為に、市民が「かおしゅんまつり」と読んだ事が起源である。
その後、人々に伝わって行った際に「かおりんまつり」となり、台北に
至った際に、当時の行政省長官・金玉叩氏により「華緒凛祭」の表記で
台湾日日新聞に「無意味な行動を取る者」と言う意味で発表された。
尚、高尾市郊外に「華緒凛祭之墓」と銘打たれた記念碑が
立っており、新たな観光名所となっている。
民明書房刊『台湾奇行』より
33 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/27 12:52 ID:rUV2vdZd
ウマー
逝ってよし
35 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/27 13:46 ID:rUV2vdZd
鎰(縊)手与死(いつてよし)
古代中国には握力の鍛錬を非常に重要視した拳法があった。
その手に掴まれた物は一瞬で全て砕かれ千切られる程で、
肉、骨、石はもとより、免許皆伝に至れば鉄ですら握りつぶしたという。
彼らが物を握る時の叫声「いってよし!」を漢字で書くと冒頭の表記になる。
即ち、手で縊り死を与える(原本では"鎰"になっているが誤記であろう)という事だ。
彼らは掴んだ対象には、例外無くそれを成し遂げる。
現代ではその修行法の過酷さ故に免許は伝えられていないが、
一部地域では未だなお伝説の「最強の拳」として言葉でのみ伝えられている。
民明書房刊「中国拳法〜四千年から五千年の歴史に変わる時〜」より
36 :
司会者:02/02/27 13:51 ID:GtCBOIut
やばい、名スレ
マターリ
38 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/27 15:01 ID:rUV2vdZd
復蟻(またあり)
時は後漢末期、帝都から遠く離れた寿春において、
皇帝より「宮殿を造る土と人とを派遣せよ」という勅命があった。
その時寿春に住む蟻の小さな一団が、
蝶の死骸を運ぶ間に、宮殿のある都に土と共に運ばれてしまったが、
驚くべき事に、女王に忠実な蟻達は、蝶の死骸をひたむきに運び続け、
とうとう元の寿春の女王の元に戻ってしまったという。
これは当然伝説であるが、後、毛沢東の長征の際は
忠勤一徹の鑑たる話として度々繰り返されたという。
転じて、その蟻の様に、誰かが健気に動く様を見て
人が感動に心をほころばせる状態を今では「マターリ」と呼ぶようになった。
民明書房刊「何?中華?中華之本」より
忘れてた
オマエモナー
dage
5ykdczka きみ,凄過ぎる。
いってよしやオマエモナーと取り上げる所は寒いな。
44 :
34:02/02/28 01:37 ID:???
45 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 02:40 ID:8ZFtoVR8
御前喪菜(おまえもな)
中国四川省の山奥で取られる山菜の一種。
人の体をした様な珍妙な形をした野菜であり、すり潰し煎じると万病に利く薬になるという。
しかしこの野菜は引き抜かれる時まるで人間の老婆の様な声で「オマエモナー」と絶叫し、
その響きへの恐怖の余り、聞いた者は必ず死んでしまうという。
この野菜を無事に手に入れる為には、飼い慣らした犬を野菜に括り付け、
野菜の叫びが聞こえない遠くから口笛を吹き、犬を呼び寄せ引き抜くという方法を取る。
西洋ではマンドラゴラと称される。
民明書房刊「世界の奇草から」より
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47 :
名無しさん?:02/02/28 03:02 ID:8ZFtoVR8
鬼儀吏 話所為(おにぎり わしょい)
伝奇小説としては、竹取物語と同時期、日本最古の読物であるとされる。
内容は当時京の都を荒らしまわった鬼を退治、
或いは鬼との和平を為す目的で朝廷が設けた官職、
「鬼儀吏」の役目を与えられた若者の行動の軌跡を書き綴った書物である。
大江山に住まう酒呑童子という名の鬼と、「金太郎」こと坂田金時など
「頼光の四天王」が戦う話が「御伽草子」の「酒呑童子」に出典されているが、
原型はこの鬼儀吏の話に拠る物と言う説が一般的である。
現在、その話の中で鬼が舞ったとされる踊り、
即ち海苔を巻いた握り飯を頭の上に乗せ、鬼の角を模した踊りを、
三人の若者が踊るという舞踊が、節句の折の風習として伝えられているが、
鬼が若者に倒される部分は、原本が散逸している為か全く伝えられていない。
民明書房刊「国民の文学史」より
48 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 03:26 ID:8ZFtoVR8
奥尼煎(おきにいり)
江戸時代の隠語の類の一つ。
時は老中田沼意次が、所謂「田沼政治」を行っていた徳川家治の当世、
江戸城への出入りを許されていた御用達商人、越前屋紺伐(えちぜんや こんばつ)は、
大奥への行商の度に「奥尼煎」と称する物を扱ったという。
彼が、大奥にて、前将軍に先立たれ尼になった女性に好評を博していたこの商品は、
生涯男性には決して見せる事無く、誰も知る者が無かったというが、
町人の間では彼の商品の良質さは専らの評判であったそうだ。
これらの話から、「人に知られずこっそりと楽しむ物」を称して
一般的に「おきにいり」と言う様になったという。
隠語の解釈であるが、尼を煎る、即ち体を熱くさせると言う事は…
筆者は不案内にてこれ以上の解析は不可能である。
民明書房刊「江戸話百八つ時」より
馬阿(うまあ)
「阿」とは魏の建国者である曹操孟徳が阿瞞、
また、蜀の皇帝であった劉禅が阿斗と、それぞれ幼少時に呼ばれていた様に、
「〜ちゃん」と言った意味合いを持つ言葉である。
この場合は馬にいちゃん、という意味になる。
遠く前漢の時代に、馬(名、字は不詳)という青年がいた。
ある日彼は鹿(これも名、字は不詳)という青年と共に仮に出かけたが、
獲物として捕らえた兎がどちらの仕掛けた罠に拠る物かという
つまらぬ内容で争い、兎の身柄を奪いあっている内に、
兎が両者の手をするりと抜け出してしまい、
結局二人の大人が居て獲物を取り逃がしたという結果だけが残った。
これが現在使われている「馬鹿」という言葉の語源であるが、
転じて彼らの様なコミカルな行動の話題に対する、
興を示す言葉として、「ウマー」と言うような風習が残っている。
民明書房刊「漢書・裴忠氏注」より
良質スレage
鈴木宗男
ロビラー
稲垣吾郎
おながいします
ガンガレ
名スレ(めいすれ)
フランス百年戦争の英雄にして「青ひげ」の異名を持つジル・ド・レに一人息子が居た事はあまり知られていない。
その息子、名をタロ・ス・レという若き中世騎士は、
その生涯を、父親の放蕩と残虐の繰り返しの間に失った財産、
そして何よりも名誉を回復する為だけに存在したといって良いほどであった。
父やジャンヌ・ダルクに従軍する事数百に上り、
逆境のフランス軍を支え続けた事は父と同じく幾知れずであり、
父の偉業とは別に、その武名はフランス中に響き渡った。
父ジル・ド・レはその残虐非道な行いによって、
百年戦争の最中に罪を得たが、その処刑裁判の際に、タロは、神父に、
自らの命を持って父の死の間際への祝福を授けて欲しいと願ったそうである。
果たして願いは叶えられた。
タロは、百年戦争の勝利までその身をフランスに捧げる事を命じられ、父は死への祝福を与えられた。
この様な彼の清廉潔白な性質、そしてその輝かしい戦役を称え、
彼が百年戦争の終結間際に戦死した折「メイス・レ!(彼に栄光を!)」と叫ぶ者が絶えず、
今でも戦争において輝かしい功績を遺した者への敬意を表して
「メイス・レ!」と祝福する事は、一部の地域に根強く残っている。
民明書房刊「西洋中世期異聞」より
良師通守例(りょうしつすれ)
徳川3代将軍家光の制定した法律。
内容は、大名、旗本はもとより、それこそ二人扶持の木端侍に至るまで、
全ての武士が、父親(良師)として守るべき訓戒を述べた物である。
農民に当てた物は慶安の御触書、武士に対しては良師通守例、
という二大江戸法は、毎年の受験に頻出の為必ず覚えておきたい。
民明書房刊「マドンナ義湖田の日本史1B」より
58 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 14:46 ID:UxBSQxwt
御永居します(おながいします)
古代日本の拳法家、剣豪が積んでいた鍛錬は並々ならぬ物であった。
故に入門者にはその鍛錬に耐え得る、気力、度量、勇気、真摯さが必要とされた。
彼らが入門を志す際は「何処までも貴方の傍に居るでしょう」という意味で
「御永居します」と一言道場主に告げる。
道場主は数々の苦難叱責を彼らに浴びせるが、
彼らは決して(例え道場主が万里を旅を始めようと)道場主の傍を離れる事無く、
ただひたすらに「御永居します」と言わなくてはならない。その間彼らは一粒の米も食べない。
この儀礼をどの程度続けるかは各流派によって異なるが、
いずれにせよこの仕打ちによって彼らの意思の確固たる事が確認された上で、
道場主は入門を許可する事となるのが通例であった。
これらの故習に則って、自らの希望に対する真摯さを表明する為に
「おながいします」という事は現代でも少なくない。
もっとも、時代柄か若干ニュアンスは異なり、不特定多数の人間に向けられる事が主で、
単に「願いが叶うまで何時までもここで待っています」という意味合いで使われる様になっている。
民明書房刊「古代武術百選」より
巌我れ(がんがれ:使役形・原形"巌我る")
決して自らを曲げる事無く一徹に道を進め、という意味。
巌として我であれ、という言葉である。
この言葉を掛け合える仲というのは互い認め合った理想的な立場であり、
2ch塾においては、夜勤三号生筆頭と2ch塾湯煮来守組生の間に、
血の8月2ch塾閉鎖事件で度々交わされたとして名高い。
民明書房刊「23世紀に伝えたい日本語」より
ひろゆき
ムネオハウス
きぼんぬ
あぼーん
64 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 16:53 ID:UxBSQxwt
珠洲キムネオ(すずきむねお)
江戸時代に派遣されたローマ少年使節団の一員として、
伊東マンショ、原マルチノ、千々石ミゲル、杉浦ジュリアンと共に西洋に渡ったキリシタン。
だが、彼の乗った船は運悪く難破し、漂流の果てにロシア領樺太に着いたという。
彼は女王エカテリーナと会見し、「貴方は私の友達です」という言葉を賜り、
また、時の文豪ユーゴーの家を借家として譲られたという。
しかし望郷の念は激しく数十年後彼は帰国を敢行したが、
時の権勢江戸幕府は、彼を海外を知る危険人物として永年蟄居を命じた。
民明書房刊「大江戸繁栄録」より
65 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 17:02 ID:UxBSQxwt
己梵脱(きぼんぬ)
サンスクリットでもっとも有名な言葉の一つ。
己と彼という関係より解脱する、という思想であり、
これがインド哲学の根幹を成す思想である。
「己梵脱」を極めし者は、何も求めず、しかし全てを満たされるという。
遠く中国に渡る中で「北斗神拳」という拳法に
この思想が深く根付いていると言われ、
その奥義「夢想転生」こそは己の欲求を解脱した「己梵脱」の拳であるとされる。
日本では自我の欲求を越えて、人々全てが欲しているだろう物への
思慕の意味で「きぼんぬ」と使う事があり、
他のインド思想と同じく静かに根付いている。
民明書房刊「サラダブーガ・メチカブーラ」より
66 :
( ´_ゝ`)Love(´ι _` ) ΣΣΣΣ(´Д` ◆YSKs3fl. :02/02/28 17:06 ID:NbevTCqV
うぜー
67 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/02/28 17:16 ID:UxBSQxwt
唖莫穏(あぼーん)
密教で使われる言葉。正確には「あぼーむ:A Boh Om」と発音する。
「Om(オーム)」という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、
これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。
もちろん、オウム真理教に使われている「オウム」もこの「Om」である。
「唖莫穏」とは「神よ彼を攫え」という意味を持つ言葉で、
汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、
使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。
☆"オーム"を使う例文☆
Jai Guru Deva Om(神に感謝致します)
A Boh Om(神よ、彼を攫え)
当然これは神聖視される言葉であり、
必然的に神聖なる場で然るべき段階を経なければ、
決してその言葉は届かないとされる。
民明書房刊「これで貴方もインド通 サンスクリット四十八手」より
ロビ・ラー(ろびらー)
エジプトで崇拝される太陽神ラーに対する敬意の言葉である。
「神よ常に我を照らしたまえ」という意味を持ち、
そして信仰する人々は常に神が自分の姿を照らしていると疑わない。
しかし太陽の光は決して平等でなく、
また、人が多ければ影も多くでき、生温かみが出るだけである。
民明書房刊「太古の信仰心」より
無念音刃臼(むねおはうす)
怪談の一種で、日本のアニミズム志向を象徴する話として伝えられる。
持ち主は北の国に住む男だが、志を果たすべく仕えた朝廷での政争に負け、
この臼を抱いて入水自殺を遂げてしまった。
死体は引き上げられたが、この事件以来、夜になるとこの臼が、
刃の擦れる様な甲高い音でギチギチと鳴るらしい。
「イカガナモノカ・・・イカガナモノカ・・・」とすすり泣く様に聞こえるというが、
臼自体が現存しておらず、全ては謎のままである。
民明書房刊「怪談」より
70 :
名無しさん?:02/02/28 17:37 ID:+C5rZlrZ
ボッキアゲ
キネンカキコ
鵜瀬絵(うぜえ)
元は鵜飼が浅瀬に乗り上げてしまう絵で、安土桃山時代の画傑、狩野永徳が描いた物とされる。
その滑稽な姿、永徳にしては単純な画風が平民に喜ばれ、
この絵の真似絵が大流行りした。その一連の画風を鵜瀬絵という。
当然真似絵が増えるに従って質の低下も著しくなり、
10年も経つと品性下劣と言わざるを得ない絵が殆どとなった。
現代でも「数だけ多くて邪魔な物」或いは単に邪魔物を称して、
この絵の故事と比し「うぜえ」と呼ぶ事が少なくない。
民明書房刊『大日本絵画年鑑』より
>>66 鵜脆(うぜー)
本来は春秋の頃より伝わる動物の加工技法である。
宮中で飼っている大量の鵜の中から特に肥えた物を一羽選び、
これを殺して特別な処理を施し、壷に入れ六十日間炭で蒸す。
壷を壊すと鵜は生前そのままの色形で現れるのである。
しかしこの鵜は非常に崩れやすく、観賞用にも適さない物であった。
中国史第一の女傑、則天武后が罪人に適用し、見世物としたのである。
見物人はこれから鵜脆となる罪人を取り囲み「鵜脆、鵜脆」と囃し立てる様が
景教徒を介して西洋に伝わり、(uzeeeeeeee!!!)用法が転じ現在のようになる。
この語は明治初期にイギリスから日本に伝わったとされる。
民明書房刊「大語源世界 第十七版」より
>>72かぶった。スマソ。
>>73 いえ、由来説なんて幾つもあってもおかしくないですから(w
羅雲児(らうんじ)
古代中国では政権が末期、不安定になる時期に地方地方で猛者が発起し始め、
やがて一箇所に集い度々の王朝交代にその影響を多大に与えたとされる。
「禰侘」(ネタ)という旗を掲げその数はおよそ3千人をも越えたとされている。
その中でも力あるものは獲物を獲ったという意味から「獲狸津譜」(とりっぷ)と呼ばれる称号を与えられ尊敬されていた。
しかし後々にはいわゆる前科者、カブキ者もそれで区別されるようになった。
(この場合は獲物を盗んだという意味から「盗狸津譜」と書かれる)
また彼らが一箇所に集う場所、村のことを「羅雲児家」(らうんじや)と呼ばれ、
後期にはその集団の一人としての意味で使われるようになった。
なお、この羅雲児は15世紀後半あたりから突如としてあらわれなくなり
現代でもその謎は未だ解明されていない。
民明書房刊『凸床ハム太郎 二巻』より
祈念火気粉(キネンカキコ)
平安時代にはじまり、鎌倉時代に確立した儀式である。
当時の宮大工が工事を竣工するにあたり
柱を削った際にできるおがくずを集めて火をつける。
弟子がそれをふりまき、その中を
棟梁が白装束で歩き、工事の成功を祈願した。
歩く距離が長ければ長いほど大工事が成功すると言われ
かの重源は1里(=約400メートル)もの火の粉の雨の中を歩いたという
民明書房「大工にまつわるエトセトラ」より
良スレ
dj
スッドレ
ちんこ音頭
モーヲタ
ワショーイ
ひろゆ子(モルボルグレート)
フーリガン
名スレの予感
解説も(・∀・)イイが、漢字解釈も(・∀・)イイ
領周麗(良すれ)
中国のことわざ「領周麗を得る」から来る。
周の政治体制は儒家たちにとっての理想の政治体制であり
多くの国でそれがなされた。
儒家たちの中の一人、錬海が優秀な人材が得られないと嘆く鎮候に対し
「優秀な家臣がいるからよい政治が出来るのではなく、
周のようによい政治をおこなえば良い家臣が領主の元にしたってやってくる、これ即ち領周麗を得る」
と説いた。その後、鎮候は周に習った政治を行い、家臣にも恵まれたという。
民明書房刊『欧米人を説き伏せる儒教』より
age
仏って誰だよ?
通報しますた
マンセー
珍走団
萬政(まんせい)
日本が大和政権に支配されるようになる前後、九州地方の奥のほうに「萬」と呼ばれる村があった。
この村は邪馬台国からの流れを受けていると言われており、代々村の支配者には女性をたてていた。
その中で特に「満子」(マンノコ)という支配者は村民に特に絶大な支持を得ていたといわれる。
病人の治療や農耕技術の改良、さらには度々攻め入る朝廷の軍をことごとく追い返すなど
彼女自身、医学・天文学など数々の学問を独自で大成させていたと推測されている。
政治面でも効率のよい減税や法の整備、民間の重要役職登用、それを決めるいわゆる選挙制度も確立されており
支配者として絶大なる人気を収め、後の藤原摂関政治、江戸時代の3大改革時のそれぞれの書物に
「我が耳に 未だ届かず 満政や」など歌が残っており、満政がいかに理想の政治だったのか窺い知る事が出来る。
実際耳に届かずという表現のごとく、人々は素晴らしい事があるとそれを「マンセー、マンセー」と
言葉にして祝福していた風習もあった。
しかし文献によるとどれも満子が120年近くも生きていたとされており、それはあまりの人気のために次の女王が満子の死を隠し
その政治に倣い満子の伝令役として代わりに治めていたからだといわれている。
「満政」は別名「満国政」(まんこくせい)とも呼ばれる。
民明書房刊『Drリンに聞いてみた』より
95 :
松尾:02/03/01 13:03 ID:???
な、な、なんか猛烈に悪い予感がするのう
96 :
URD970:02/03/01 13:14 ID:O58/LiIp
名スレあげ!!!!!
97 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/01 14:58 ID:7NUVKKO7
遁撮る(とんどる)
中世日本に存在した検非違使という令外官。
彼らの任務は役人の不正を暴く為常にその動きを観察する事であった。
役人が賄賂などの不正を働く姿を確認する事を、
"道理から遁じる様を撮る"という意味で「遁撮る」といい、
役人からすれば、遁撮られる事は即ち明日からの生活を失うに等しかったという。
彼ら検非違使は不正摘発した役人の持つ荘園の一部を褒賞として得る事が出来、
そうした田畑を多く得た、即ち勤勉な者は、
朝廷に仕える者達に、田の主を多く代えた者、「田代」と怖れられた。
現代では、"遁"の字を逃げる役人の意として捉えられた為か、
本来の意味とは異なる意、「姿が見えなくなる」ということを「とんどる」と言うが、
まこと奇妙な逆転の用法である。
民明書房刊「塩騒」より
98 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/01 14:59 ID:7NUVKKO7
鎮魂道(ちんこんどう)
元は霊前で死者を慰める為に旅芸人の一団が行った舞踊であるが、
彼らは自衛の為にそれを発展させ、
柔弱を常とし、たおやかな動作で舞いながら戦う拳法として成立させたという。
これが鎮魂道である。
敵はその柔和な舞踊に油断するが、しかし一度触れれば、その相手は全ての力を奪われるという。
その不可思議な力学説明は「気」による物と解釈され、現代では気功拳の原型として名高い。
また、朝鮮半島にこの武術が渡りテコンドーになったというが、
発音の相似の他は似ても似つかぬ武術体系の為、関連性の存在は極めて疑問である。
日本にもこの武術は伝来したが、どういう事か元の礼楽用の舞踊として吸収された様である。
現代「ちんこ音頭」と当て字され、新嘗祭の時季に「チンコーミ・モミ」と歌うあの舞踊は、
元はれっきとした武術の訓練の為の物だったのである。
民明書房刊「武術と礼楽」より
あれだ、羅雲児とか満政とかそれなりにうかんだけど
新嘗祭とか使ってくるのが(・∀・) イイ! ね
100 :
オナボルト氏:02/03/01 19:05 ID:vDGetxjm
猛雄蛇(もうおた)
キリスト教の流入により、蛇は邪悪な存在と認識されがちだが
本来は生命、反映の象徴とされ 竜の化身とされていた。
猛雄蛇というのは、中国の伝説 模糊里伝 の登場人物 韓俵に使えたと言われる
龍の名前である、猛雄蛇は韓俵を崇拝しており、韓俵に敵するもの全てに牙を剥けたと言われる。
それから猛雄蛇とはある人物を盲信しそのためなら命をも捨てられるような者たちを指す言葉となった。
だが、本来は儒教的意味を持ったこの言葉も、現代に置いては盲信するものたちを指す言葉となってしまった。
このような意味の変化はたびたび見られる事である。
民明書房刊「言語から学ぶ世界史」より
>>100 しまった、盲信を二回使って 意味が通らなくなってる(´・ω・`) ショボーン
鎮訴 右団 (ちんそうだん)
室町時代から戦国時代に移り変わろうとする頃、
新興宗教として神を絶対とする教え、「右教」(みぎきょう)が安芸地方に生まれた。
その中で創設者の「右余」(うよ)が対立する「旭左教」
(神を否定し自らをを理由のない自虐に追い込むことで全ての人に謝罪の念を強制する宗教 創設者 朝日(チョンイル)」
との抗争が激化すると人々は神への祈り・神の怒りを静める祈りとしてことあるごとに
家にある金物などを集団で鳴らし町を練り歩くという「鎮訴」を行った。
それらは自らを「右」(う)と称し人々はその集まりを「右団」といった。
これは後に他の宗教でも同じようなものが行われ全国に飛火たが、それと区別するためだと言われている。
そのため特に初期に行われてた純粋な右教の鎮訴を「鎮訴 右団」とよぶ。
しかし江戸幕府が成立し、「旭左教」も力が衰えるとこの鎮訴は徐々にカブキ者や若者達がただ騒音を鳴らして威勢ぶるものだけに変わり
あまり知られてはいないが8代将軍徳川吉宗により厳しく取り締まりを受けるもののひそかに活動する者も少なくはなかった。
なお、現代に残る珍走団・珍走という行為はこれが原型である
民明書房刊「これであなたも人気者!実践、カワイイ顔文字1000」より
引用の本の名前にワラタ
思わず信じそうな本物っぽさが重要です。
106 :
辞書:02/03/01 21:19 ID:???
勢いのある文章で半ば強引に信じさせてください、言い訳無用です(w
ここで出てきたやつを今HPにまとめてます。
暇なもんで…
もうじきできると思いますんで。
猛雄蛇(もうおた)
キリスト教の流入により、蛇は邪悪な存在と認識されがちだが
本来は生命、反映の象徴とされ 竜の化身とされていた。
猛雄蛇というのは、中国の伝説 模糊里伝 の登場人物 韓俵に使えたと言われる
龍の名前である、猛雄蛇は韓俵を崇拝しており、韓俵に敵するもの全てに牙を剥けたと言われる。
それから猛雄蛇とはある人物を崇拝しそのためなら命をも捨てられるような者たちを指す言葉となった。
だが、本来は儒教的意味を持ったこの言葉も、現代に置いては盲信するものたちを指す言葉となってしまった。
このような意味の変化はたびたび見られる事である。
民明書房刊「言語から学ぶ世界史」より
_______________________________________________
どうしても気になったので
>>100を訂正させて下さい。
連続カキコ申し訳ない
殺伐としたラウンジの中にあっては名スレですな
メモ メモ っと。
猪裂拳(ちょさくけん)
中国に伝わる数々の拳法の中でも特に異質とされているうちの一つ。
元々はイノシシ狩りなどの最中捕らえた獲物をその場で道具を使わず捌くために使われれ
その名の通りイノシシを裂く拳と書く。
何が異質なのかというとこの拳法は多くの家庭に調理法のひとつとして広まり
また鳥・豚・牛・魚など様々な素材に使われたがそれは各家庭、各人がそれぞれ独自で改良して創ったもので
月に一回、大都市にて技の品評会なるものを開催していた。
その優秀、もしくは佳作級の技の開発者は猪裂拳目盛(ちょさくけんめも)に記帳されそれとともにそこに申請をしてない他者が
それに許可なく使うことを禁じられた。
もし許可なく使った場合はまず周りから注意を受け、その後態度如何によって村八分・猪裂拳門下破門処置
(この時期には多数の猪裂拳の流派がわかれていた)などや、家に落書き・街中で罵声を浴びせられたりすることも少なくなかった。
中には人の捌き方も記されておりこの場合はひどく猪裂拳の決まりごとを犯したものに罰として行われていたとされる。
しかし次第にこの拳法は他の調理法に押され17世紀中ごろになると殆ど姿を見せなくなったとされる。
そして猪裂拳目盛は後の本家の本堂の大火事により焼失し、現存はしていない。
民明書房刊「磯野家の謎」より
たまには男塾っぽく拳法ネタで
蛇牙(だげ)
蛇牙…「蛇足」に同じ。
楚の国の春の祭りに於いて、蛇の足を描いたが為に酒を飲めなかった
男が、その翌年再び蛇の絵を描き、再び一番最初に描き上げて、
左手に杯を持ちながら牙を描き足して居る時に「蛇に牙は有るが、
お主の描いている牙の形ではない」と言われて杯を奪われ涙した
故事に基づく。
ちなみにその男が描いた牙とは「出っ歯」だったそうである。
民明書房刊『「戦国策」が九分九厘判る本』より
鋒履巌(ふうりがん)
鋒履巌…中国戦国時代、秦の武王が編み出したとされる戦闘方法の
一つ。
矛を持った歩兵部隊に向かって絶妙のコントロールで無数の岩を投げ
飛ばし、歩兵部隊の周囲に岩壁を組み上げ閉じ込めた上で、再び
矛をも覆う程の岩を投げ飛ばして死に至らしめると言う残忍極まりない
作戦を総称して鋒履巌と言う。
尚、鋒履巌の岩壁を利用して始皇帝が万里の長城を組み上げた事実は
余り知られていない。
民明書房刊『策士に送る四十八手』より
116 :
オナボルト氏:02/03/02 02:01 ID:vBeLvj19
封狸岩(ふうりがん)
人間を騙し喰らう狸を封じた岩のことである。
古事記において蓮坤天皇によって、箸と鏡、女性の髪でできた縄によって捉えられたが、
再び縄から抜け出し人を喰らった。
そして怒りに燃えた蓮坤天皇によって、巨大な岩の下に永遠に封印されたとされる。
実際にその名前の岩は存在するが、現在の奈良県生駒市と京都府城陽市とふたつあり
歴史学者たちはふたつの派に別れ現在に置いても論争がなされ未だ決着が付いていない。
両市も互いに譲ることはなく、封狸岩街の観光スポットとしている。
更に生駒市の本歩鈷寺には狸のミイラがあると言われているが、住職が科学的調査を拒んだため真偽は不明である
封狸岩は明治における欧米化によりフーリガンを名前を変えたが
巨大な岩でないと押さえることの出来ない狂暴な者を表す言葉として用いられている。
民明書房刊『現代語から古事記を読み解く』より
かぶった。申し訳ない
狙いすぎ
テコンドー
手恨堂【手恨道】(てこんどう)
長崎県西部にある螺云寺(らうんでら)の本堂の名前。
15世紀半ば、この寺の3代住職「音竹」(おんちく)は僧としてのみならず有名な武術家としても名を馳せていた。
ある日音竹の元に朝鮮半島から「破栗」(ぱくり)という罪人が流れ付いてきた。
音竹は不憫に思い彼を寺に住まわせ日々更正のための修行や武術の稽古をつけていたが、1年が過ぎようとしていたころ
突然破栗が寺を乗っ取ろうと密かに通じていた山賊とともに音竹を襲った。
しかし音竹は数十人を相手にいとも簡単にこれを鎮圧し唖然としている破栗に問い掛けた。
「あなたは今まで私のお手伝いをよくやってくれました。私は大変感謝しております。
しかしあなたがこういう事をしでかすのにはなんらかの理由か、もしくはこの私に御不満があったのでしょう、
気がつかなくて申し訳ない。もし良ければなにが不満か教えていただけないでしょうか?」すると破栗は
「あなたのその手が憎い。ことあるごとに私を叱るその手が憎い。そのまるで命を持ったかのように滑らかに動くその手が憎い。
私にはないもの、決して届かない場所にあなたを置くその手が憎い。今とて私の欲望をつぶしたその手が憎い」
と答え持っていた刃を自分の喉に突き刺し自害した。
すると音竹はその刃を手に持ち自らの右手、そして口を器用に使い左手を切り落とした。
「申し訳ない。私にはこのぐらいの事しかあなたにしてやれないが
これであなたの思いが鎮まるのであればどうか安らかに成仏してほしい。」
と本堂を新しく建て、破栗とともに自分の両手をそこに供養し手恨堂と名付けた。
音竹はその後も足技を基本とした武術を独自で開発し「手恨道」として大成させたが、
その死後、朝鮮系の元山賊の弟子が朝鮮半島に帰り、さらには独自で勝手にアレンジされ今ではテコンドーとして逆輸入されている。
民明書房刊『週間ファ○通増刊 鉄拳4攻略ムック』より
121 :
名無しさん?:02/03/02 10:41 ID:JMfVRksr
age
イノキボンバイエ
フルーツバスケット
マカー
125 :
名無しさん?:02/03/02 11:46 ID:y2WOUH03
(`×´)丿ウザイ!!
127 :
だぁ~ ◆Jr123da. :02/03/02 12:46 ID:yXnEl04S
大豪院邪鬼 邪鬼って名前、悪魔といい勝負だな
他のスレで煽られたときは
>>126みたいにすれば最強だな。(w
>>128 ここは煽り対抗用コピペ収集スレかよ。(w
保守age
とりあえず保守しておこう
134 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/03 21:01 ID:EwU+tkrY
母連樹揚げ(ぼつきあげ)
「母連樹」とは、とある寺社の境内に佇む、2本並んだ桜の木の事である。
最初、母が子を授かろうと不動明王に願い、供物として一本の桜を植えたところ、子を授かった。
しかしその子が7歳になった時、当時不治の病と呼ばれた天然痘を患い、
数日後、余命幾許と診断される程に病状は進行した。
母は子宝を願った不動明王に、彼女の命と再びの桜の奉納の代わりに娘を助けて欲しいと祈った。
果たして再び願いは叶えられ、娘の病は忽ち峠を越したが、しかしそれと同時に母は病に倒れた。
母は娘に「私は貴方の代わりに不動様に願い、病を得たのですから悔いはありません。
心残りといえば不動様へのお供えに、桜を植える事を誓いましたが、
この体ではもうそれが果たせないだろう事です。
ですから貴方は私に代わって桜の苗を植えて欲しいのです」と言い、息を引き取った。
娘は母の願い通り、かつて母が植えた桜の傍に一本の桜を並べて植えた。
不思議な事に、数年後、母の植えた桜は、子の植えた桜に向かって、
まるで母が子を抱くかの様に枝を伸ばしたという。
その桜同士が睦まじく連なる様から、人々は何時しかこの2本の桜を「母連樹」と呼ぶ様になった。
そして彼らは母子が末永く長寿である様にという願いから、
毎年の2月30日に、この桜の花びらを揚げ物にして食す様になった。これを「母連樹揚げ」と言う。
実はこの村ではこれを食した後に子を授かる女性が極めて多い。
子を授かろうとした母の心が、この揚げ物を通して村の男女に訴えるからだ、と、
村の者は信じているが、まこと不思議な作用である。
民明書房刊「日本の郷土を訪ねて」より
135 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/03 21:01 ID:EwU+tkrY
守土霊(すどれ)
八百万の神の内の低級な部類の神である。
大地に潜む神であり、作物を育てるのは彼等であるとされる為、
人々の信仰は古来より篤かった。
今でも人が苗を植える際にその健やかたる事を願い、
その苗の事を神に見たて「スッドレ、スッドレ」と呼ぶ事がある。
民明書房刊「日本のアニミズム文化」より
136 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/03 21:02 ID:EwU+tkrY
和上位(わしょうい)
室町期に歌われた歌にこの様な物があった。
♪お寺のぼんさん小坊主見つけ、ぼんさんそしたらこう言った
そなたの信心仏が見たぞ、そなたに仏を教えてやろう
ぼんさんほんだら床なか入り、坊主においでと手を招く
ぼんさんにょっきり撃ちつけば、仏の天悦ありがたや、
ああありがたやありがたや、仏の信心ここにあり
坊主は痛いと泣き喚き、叫べばほらほら人が来る
おやおや住職どうされました、坊主が痛いと泣いておる
ぼんさん驚きふんどし持って、思わず叫ぶは祭りの音頭
これは踊りじゃ祭りの真似じゃ、坊主ほれほれ踊らんか♪
これは当時男色が盛んであった僧職を揶揄して歌った物で、
頓知で高名な一休宗純の作品であると言われている。
彼はある祭りの時、歌詞の合間に「和上の性交(和上位)」を暗喩した、
「ワショーイ、ワショーイ」という囃しを入れながら、この歌を大声で歌ったという。
僧職が力を付けていた当時への反感からか、その踊りと歌は京を中心に爆発的に広まり、
祭りといえば「ワショーイ」である、というのが当時の常識となるほどであった。
当時の僧職はこの広まる歌をどう思っていただろうか。
民明書房刊「日本全国風物史」より
137 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/03 21:02 ID:EwU+tkrY
イノキボン・バイエ(いのきぼんばいえ)
正確にはサン・インノケンヴォン・ヴァイエと称される。
中世カソリックの神父。本名はウィノ・アントニオ・キカンディ。
裕福な貴族の出自であったが、ルターやカルヴァンの宗教改革を見、
失われゆくカソリックへの信仰を憂い、
イグナティウス・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらと共にイエズス会を設立した。
彼はカソリックではあるが聖書の暗誦や教会への信仰などは重要視せず、
ただ神に祈るその心こそが最大の大事として、
「イティニ・サン・ディアー(親愛なる神に祈ります)」と祈る事こそが肝要である、と説いた。
当時の日本の農民の識字率は高くなかった為、彼のこの簡素な教えは、
キリスト教禁止令が発令されるまで、民衆に広く伝播したという。
彼は信仰の道だけでなく、スポーツの交流にも力を注ぎ、
日本の柔術に卍固めを伝来したのも彼であるとされる。
民明書房刊「カソリックの年代史」より
相変わらず◆5yKdCZkA さん キレキレですね!
>>5yKdCZkA
すげー!!
これほど時間を有効に使っているヒマ人を初めて見ました!
がんばってください!
ニクコプーン
イティニ・サン・ディアー にワラタ
固定取り巻きウゼエ
143 :
:02/03/04 00:52 ID:dpuacsve
ニ・クコップ・ウーン
大元は、北欧神話の英雄クー・フーリンの盟友、ニ・クコップ・ウーンを語源とする。
彼は心優しい若者であり、寒さと飢えで地上の民が苦しんでいるのを見かね、世界樹
ユグドラシルの樹の実を食物として地上の民に分け与えてしまう。
それにより地上の民は寒さと飢えから救われたが、勝手に実を持ち出したニ・クコップ
・ウーンに激怒した盟主オーディンによって天界を追放されてしまう。
クコップは必死に理由を説明し、天界に返してもらえるようオーディンに頼んだがとうとう
彼が地上人として死ぬまで許してはもらえなかった。
余談であるが、彼がユグドラシルの実によって助けた民の数は29世帯。
29という数字は北欧神話では神聖な数字として扱われており、
「ニ・クコップ・ウーン」の名と「29世帯=29戸分」という北欧と日本
という遠く離れた、言語を越えた奇妙な一致が「日本人のルーツは北欧にある
のではないか」という論争を学会で巻き起こしている。
>>143と◆5yKdCZkA おもしれーぞ!!!
かおりん祭りにメールをおくるとちゃんと返事がかえってきますが何か?
林家こんぺい
1ch.tv
ウサマ・ビン・ラディン
フジテレビ
151 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/04 19:19 ID:myLpk42w
真家(まか)
中国の武道家の一家であるが、彼ら一族の拳は他のそれと大きく異なっている。
拳に取り入れた強壮の為の薬草学や指や針などの圧術などが
漢方薬の効能や針法など、医術的な方面の発展に寄与していた他は、
その元々の作りの違った拳法である事もあり、他の拳法との交流も殆ど無く、
中国拳法の交流試合では常に中位か下位にあった。
しかし「武術としては取るべき所の無い拳法」という評価が変わったのは、
西洋が清国を跋扈する事になったアヘン戦争時である。
その時中国拳法は、西洋の兵器には決して劣らぬ力を持っていた筈であるが、
当時目罹砂(メリサ)や煮無駄(ニムダ)と呼ばれた、
西洋の麻薬、アヘンの前に全く無力であった。
アヘンの経済的効果や、単なる効能、副作用などの為に、
殆どの拳法家が心身を苛まれ、力を失ったのである。
※余談であるが、イギリス軍がアヘンを中国に流入したのは、
全ては世界最強の拳、中国拳法を敵に回す事を恐れてであったという。
しかし真家の一門は薬草学を嗜んでいた為、これらの麻薬への耐性が存在し、
薬の幻影に惑わされる事無く、イギリス軍に一歩も引かぬ戦いを続け、
西洋が跋扈した清国内において、雲南省周辺の彼等の居住地は完全な自治を保ったという。
そして彼等の指導によって、残された拳法家達の叛乱は、泰平天国の乱へと発展した。
民明書房刊「中華拳法の没落史」より
152 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/04 19:20 ID:myLpk42w
小程鳥間期(こていとりまき)
小程鳥は全国的に分布する小型の鳥の総称である。
キィキィ、或いはハァハァと年中けたたましく鳴くが、騒音の他にはあまり実害は無い。
しかし基本的に群れる性質を持ち、餌を求めてあらゆる地域に出没する為、
時に水庭を荒らしたりなどの被害が出る事もある。
この小程鳥が現れる時節を称して小程鳥間期と言うが、
彼等の糞尿や羽毛の抜けた物が後に大量に残る為、無闇な外出は避けたい所である。
「小鳥を招くのは鷹である。鷹の飛び去った後の肉を狙ってる(D・テレンス)」
民明書房刊「世界の鳥類の生態」より
153 :
ななし ◆5yKdCZkA :02/03/04 19:20 ID:myLpk42w
古討場助人(ふるうつばすけっと)
江戸時代繁栄を極めた文化、浄瑠璃の人気物と言えば、
家の貧困、男女の悲恋、そして親の敵討ちをテーマにした物であった。
浄瑠璃原作の大家、近松門左衛門が作り上げた作品の中にもこれらをテーマにした物は多く、
特に「敵討ち」をテーマにした著名な作品としては短編連作「古討場助人」という演目がある。
京のある寺の中には円陣の形に作られた墓の一団があり、そこは「古討場」と呼ばれた。
その「古討場」の中央に、仇討ちを願う者が座して、
「親を金貸しに殺されし者」「妻を盗人に攫われし者」など、
自らの仇討ちを行いたい理由となる内容を、墓に向かって声を掛けると、
同じ境遇を持って死んだ「古討」という亡霊達が呼び掛けた者の前に現れ、
共に、仇を討ちにゆくのを助ける、という設定である。
しかし願いを果たした者もまた生命を代償として奪われ、
その後は「古討」の一員として墓に埋められ、また同じ境遇の者の敵討ちを手伝うのである。
この流れが一作品となり、同じ流れで何本かの作品が連作された。
霊魂が仇を討つという恐怖、その反面、霊魂達の意外な快濶さや仇討ちでの痛快ぶり、
また、志を果たした主人公が、今度は次の主人公を助ける為の脇役として登場する、
などといった連作の楽しみが評判となり、この作品は敵討ち物の中では大好評を博した。
しかし不思議な事に原本の紛失などが相次ぎ、現代には一作品も伝えられていない。
民明書房刊「江戸町文化の彷徨」より
154 :
クーベルタン帝釈天:02/03/04 19:21 ID:DwHM4a2+
155 :
クーベルタン帝釈天:02/03/04 19:23 ID:DwHM4a2+
あー
>>153ね。
∧_∧
( ^ー^) 最近朝立ちしませんなぁ〜
(つΠ )
156 :
マーカー:02/03/04 19:27 ID:+Be3sB79
タイーホ
157 :
オナボルト氏:02/03/04 20:00 ID:c97XkIUr
不死照隷火(ふしてれいび)
神話の時代、不死をもたらすという炎があった。
人々はその炎をめぐり争いを続け、そしてついに一人の男がその炎の発するり光に照らされ不死を手に入れた。
男は狂喜し、不死の力をもって敵をうち倒した。
しかし、男は自らの変わり果てた姿に気づく。そして男の周りに転がる彼の家族の死体に…
男は泣いた、死ぬことすら出来ない自分の体を呪った。男は次第に何も考えることが出来なくなる。
考える必要が無いからだ。その肉の塊は海を飲み込み巨大な大地となった…それが不死照隷火の物語である。
絶対的な存在になってしまっては考えることすら出来なくなる。
現代に置いて絶対的な力を持つ情報、それを操作するマスコミ
一部の良識人は危惧する、絶対的な力を持った存在の暴走を。
彼らはその危険な存在をこう呼んだ…「フジテレビ」と
民明書房刊「あがなう者たち」より
そうはイカンザキ
いのえもん
削除忍
ニュース速報板
ネオ麦茶
「Windows」と「Macintosh」をおながいします。
保守
葬灰棺咲(そうはいかんざき)
死体の埋まった土の上に生える桜は残酷なほどに美しい花を咲かせると言われる。
その桜にまつわる話の一つに、江戸時代に主を命を懸けていさめようとした男の話がある。
江戸時代中期、大きな争いもなく世は平和であった。
しかしその原因が参勤交代の制度により各藩が疲弊しきっていたからであるのを忘れてはならない。
富山藩主は凶作に悩む領民に対し重税をかけようとした。当時の家老 遠藤端水はそれを諫めようとした。
しかし若い藩主は古くから藩に仕えた家老の進言に耳を貸そうとはしなかった。
家老は嘆いた、このままでは富山藩は衰退すると感じた。
そして、藩主とある賭をした
それは富山藩に古くからあるがすでに花の咲かなくなった桜を、
家老の独力で咲かすことが出来たら家臣の進言に耳を貸すという内容であった。
家老は必死に桜を咲かそうとしたが、いっこうに咲くことはなく ついに病に倒れた。
そして病床で自らの息子に自らの死体を焼き、桜の下に埋めてくれとたのんだ。
息子は願いを聞き届け、灰を桜の下に埋めた。
そして、次の春 桜は見事な花を咲かせ、藩主の心を動かしたと言われる。
人々は、あまりにも美しいその桜の花を「葬灰棺咲き」とよんだ。
この話は有名な童話「花さか爺さん」にも受け継がれたと言われる。
主を諫めるために自らの命をかける。これのような話は多くの国で美談とされ 現代でも用いられる。
ある党首は自らの生命をかけて国を変えようとする様をアピールするために「葬灰棺咲」を持ち出した。
しかし、中途半端な覚悟で「葬灰棺咲」を持ち出したことに多くの国民は怒りを覚えた。
それほど葬灰棺咲は国民の中で美談とされているのである。
民明書房刊「桜の精神文化」より
にちゃんねる
ムムッ
ひとり「宮下あきら」が紛れ込んでいるぞ!
くるるぴっぷー
がっちゃがっちゃ