同世代で他の世代と上手くいってる人をみると羨ましい。
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六本木で六本目
つか助教授っていくつ?
30過ぎてるでしょ?
20代後半から30半ば迄の間と思われる。
オーバー40と見た。
保守代わりに・・・
そもそもジェネレーションギャップって昔もあったんでしょうか?
漏れは昔はジェネレーションって考え方がなかったんじゃないか、と勝手に
かんがえてます
ジェネレーションギャップっていうのが、意識されるようになるのは「同報通信」
って言うんでしょうか、マスメディアがおこってからだと思うんですが・・・
まぁ、そう単純なもんでもないのかな
縄文人の発言 :
なんだその土器は?
弥生人の発言 :
これ?今流行ってるんすよ。知らないんすか?
縄文人の発言 :
こんなの認められん!
弥生人の発言 :
おっさん考え方古いんじゃねえの?:
縄文人の発言 :
土器っ!
弥生人の発言 :
おやじギャグかよ…
お前ら、ジェネレーションギャップの言葉の意味を定義せずに好き勝手言ってるだけじゃねぇか?
考え方や意見が違えば、それがジェネレーションギャップなのか?
無理して難しい事、書こうとするなよ。
出版業の発展・・・とりわけペーパーバックの普及によって、
読書という行為が個人的な愉しみになった、とは言えるでしょうね。
欧米では19世紀あるいは前世紀初頭ぐらいまで、家族や客人と共有できるものだったそうです。
食後に暖炉の傍らでくつろぎながら、父親や娘が家族や客人の前で詩や小説の一節を朗読するといった形で。
いまでも「詩人の朗読」として名残はあるようですが、、
言文一致といっても、韻を踏んだり語調を整える習慣が無くなったのは、
声に出して読むという前提を失ったからかも知れませんね。
一応、世紀を跨いだ読書のジェネレーションギャップということで(笑
107 :
助教授:02/02/07 04:58 ID:???
やあ、たくさんのご意見ありがとうございます。
ちょっと今調子が悪いので、大雑把に所見を。
ジェネレーションギャップという語の定義・範囲・そして語としての成立には
ちょっと疑わしいものがあるのはよくわかっています。冒頭
>>76で二つ分けて書いたのは
私がよく使うインターネット上の国語辞典で調べたところ、連続した語としてのそれが
検索できなかったからです。つまり、語としてこの二つがくっついた形で認識されているのか、
それも危ういということでもあります。
で、それの意味するところ・定義・範囲も曖昧。「同世代」という語も、具体的な数値や定義なし。
どれもこれも社会通念上の、それも自分が体験した範囲での定義でしかないのですな。
しかし日常会話(主に焼き鳥屋さんで聞かれる)の中で、あんまり違和感なく使われる語。
で、これを考えてみようと。
今回の私の文の趣旨は、厳密には「世代間の共通体験の違い」ではなく「文化体験・言語体験の違い」という
方に比重が置かれています。だからその辺で、違和感を感じられた方もいるでしょうナ。
要は中学・高校生など、親しく会話をする対象が同年代同士である場合、その言語的な横並び状態から
外れてしまうのはどんな時だろうと考え、その一つに読書があったわけで。
(家族・両親というのは根本にあるでしょうが。)
まあ、考え始めれば他にも色々あるでしょうねぇ・・・・。
おれのあん娘はタバコが好きで
いつもプカ プカ プカ
体に悪いからやめなって言っても
いつもプカ プカ プカ
110 :
105:02/02/07 20:48 ID:???
”文化・言語の相違=ジェネレーションギャップ”には、抵抗を感じるが。
えなりかずきの事を言ってるなら納得する。
112 :
助教授:02/02/08 05:09 ID:???
>>110 ハッハッハ
確かにえなりかずき君の場合は、「お江戸でござる」などの番組で
その性格が作られた感がありますなあ。
台本の時代性・用語・語彙の所為とも言えなくもないですが。
113 :
助教授:02/02/08 05:12 ID:???
別のスレでも問い掛けましたが・・・・。
「 口笛吹いてー テストに行ったー
知らない問いが山積みでー テスト用紙が笑っていたよー
一人ぼっちじゃつまらない みんなみんな留年すれば
諦めがつくサー
口笛吹いてー 結果を見たー
同級生はもういない みんな2年だ 先輩なんだー 」
・・・・ってよく歌いませんでしたか?歌ってない?
そおですか。
聞いたこと無いな……
>>115 25歳の私でもこの元歌は知ってますが・・・
122 :
:02/02/11 10:41 ID:???
125 :
助教授:02/02/12 04:08 ID:???
>>117-124 怒涛の保守ありがとう!
ここ数日、人生が忙しかったのです。
さて・・・。
あ、さて・・・
127 :
助教授:02/02/12 05:07 ID:???
忙しい日々を送っていました。
ですがそんな中、9日土曜日に、横浜行ってきたんです。横浜。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで・・・・ん?吉野家コピペ口調に・・・・。
桜木町にある神奈川県立音楽堂で「音楽遺産発掘」と題された演奏会に行ってきました。
曲は須賀田磯太郎さん作曲の、交響詩「横浜」。作曲は何と1932年(昭和7年)。
須賀田磯太郎さんは、1907年生まれの1952年没。45歳で亡くなっているわけですか・・・。
没後楽譜が行方不明になり、今回の楽譜は1999年に発見されたというもの。
気が長いというか・・・なぜか哀しくなる話ですな。
こういう邦人作曲家の演奏会って、一度聴き逃すと(脅しでもなんでもなく)
一生聞けないことがあります。ですから多少無理してでも行く価値があります。
で、そんなレアな空気をさらに盛り上げるような、なかなか面白い顔ぶれが揃っておりました。
SPA!で面白いことを書いており、NAXOSの日本人作曲のシリーズの監修者である片山杜秀氏が
演奏会前にレクチャーをしており、休憩中、N響アワーでおなじみの池辺晋一郎さんが、私の隣で
煙草を吸っていたり・・・。
池辺先生に関しては面識がないので、さすがにご挨拶のしようがありませんでしたが・・・・。
そうえば、この間作曲の芥川賞の選考の際も、休憩中、私の隣で煙草を吸っていらっしゃいましたナ。
タバコつながり。(笑
128 :
助教授:02/02/12 05:16 ID:???
で、曲ですが。
交響詩「横浜」《1932年作》 (・・・・25歳ってことですか・・・・。)
二部よりなる横濱に於ける幼時回想の情景
第一部 第二部
・導入部 ・雑沓
・風と松の景 ・行列の入来
・櫻の咲く頃 ・花火
・子守唄 ・道化の踊り
・異人の踊り ・行列の通過---雑沓
・松山の夜
・・・・これらの副題を見ても渋いでしょう!!??
129 :
助教授:02/02/12 05:31 ID:???
今の横浜を知る人が聞いたら、まったく横浜というイメージが沸かないものです。
戦前の横浜というのは、そういう世界だったのかもしれません。音楽もそうでした。
とにかく、雰囲気が旧(ふる)い。古いではなく、旧い。
実に幻想的なものでした。少なくともこの時期行われている春節(旧正月)を思わせるような
明るさもなく、間違ってもランドマークタワーなどはご縁がなさそうな、
遠い感傷の中にある、原色の横浜。
作曲技術的にはのぺーっと平板な展開で最後まで行ってしまった感があり、メリハリが少なく、
低音でのオスティナート(執拗な繰り返し)が本当につらかったです。
しかし、わざと、陰鬱に押さえ気味にした効果を狙ったのでしょうか。
作曲年代と作曲年齢を思えば、当時としても十分な成功であったように思います。
130 :
助教授:02/02/12 06:01 ID:???
それにしてもなんでこう、戦前の作曲家の特定の作品に、哀しく、時に気高い何かが
宿るのでしょうねぇ・・・・。 生命を燃やし輝く灯火のような・・・ゆらめく幽明の灯りとでも言おうか・・・。
山田和男(一雄)さんの27歳時の作品「交響的木曾(1939年)」や、伊福部昭さん21歳時の作品「日本狂詩曲(1935年)」もそうでしたが・・・。
みんな、とても生き急いでいたような感じです。(伊福部先生はまだご存命ですが。)
いついかなる時代においても、芸術家は皆、時代の逆光を浴びて生きていますが
戦争前夜という時代の重く鈍い輝きと、自身の生命の一番燃える時期と重なったときの作品の輝き、
光芒というものは、怖いほど美しいものです。
勿論、戦争などで死の影におびえるような、そんな時代背景を良しとはしませんが、
そこから生み出されたものの持つ悲劇的な美しさにはいつも感動せずにはいられないです。
(だからといって戦争万歳と言っているわけではないと、わかってもらえると思いますが。)
瞬間に燃え上がる生命というか、煌く感性の収穫のような諸作品に対しては、
深い敬意をささげたくなります。
So much for today!
ふむ
助教授ってクラシックファンなんだ。
池辺先生!サインも握手も講釈もいらぬ、ただ一言だけ
その神懸り的なダジャレを生で・・・!!!
助教授ってヌー
ほ
し
す
る
め
ぇ
141 :
助教授:02/02/14 05:41 ID:???
>>135-140 ワラタ
保守ありがとう。
> 私の歳
「助教授泣かすにゃ 刃物はいらん 歳の話を すればよい」
これがこの話題に対する、一貫した公式見解となっております。(笑
> クラシックファン
ファンというか・・・・好きな音楽が多いですナ。
クラシック音楽って、長いものになればなるほど、一度聴いただけでは
どうしてもわかりにくい。
「一度触れただけで楽しめなけりゃ、それはエンターテイメントとしてはは失格だ。」という
言葉と照らし合わせてみると、クラシック音楽と言われるものの多くは、どうも
エンターテイメントではなさそうです。コンサートで生音で聴かない限り(生で聴いても)
即物的な楽しみ方が難しい・・・・。
で、何度も聴いて、音のストーリーがわかってくると、少し面白くなってくる。
そうすると次の展開がわかっているから、期待する楽しみが出てきます。
「イヨッ!待ってました!」とか「キタ━━━(゚∀゚)━━━━!!」いう感じですか。(笑
そうなってくると終いには、指揮者・演奏者ごとの語り口調・間の取り方など表現方法の違いが面白くなってくる・・・・。
これは落語に通ずる楽しみがあると、私は感じます。
142 :
助教授:02/02/14 05:43 ID:???
(´_`)
せっかくだから無頼派inゲラゲラは?
145 :
助教授:02/02/14 20:01 ID:qHSehs9G
ああ、やりたかったですねえ・・・・。
楽しそうでなによりでした。
ぜひ次回は張り紙すみにモナーを・・・