●日本スレッド●

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1総理大臣
このスレッドは日本の縮図です。
2
3じぷしー名無しさん:01/12/11 11:43 ID:WRUrlHB/
ジャパンなんでだろー
4原 哉文:01/12/11 11:43 ID:KoVib6BR
あと福岡は九州じゃねーからな覚えとけよボケ共
5総理大臣:01/12/11 11:44 ID:GpTnjigy
>>6-50が新宿です
6じぷしー名無しさん:01/12/11 11:44 ID:???
お兄さん、ソープかい?いい娘いるよ!
7じぷしー名無しさん:01/12/11 11:45 ID:???
>>51-750が埼玉です
8じぷしー名無しさん:01/12/11 11:46 ID:???
埼玉広すぎです。
9Seven_Stars@リアルハッカー:01/12/11 11:48 ID:l9bGeCYH
>>751-999が千駄ヶ谷です。
10お××イパーイ!:01/12/11 11:49 ID:???
>9
無駄に広い・・・っていうか、東京の縮図か?
11総理大臣:01/12/11 11:50 ID:GpTnjigy
縄張り争いはやめてください。

埼玉なんて>>51-100で十分です
山梨は>>101-105です。
13じぷしー名無しさん:01/12/11 11:52 ID:???
49まででスレが終わる、に3000マターリ
14じぷしー名無しさん:01/12/11 11:52 ID:???
北海道には>>300-600ぐらい確保して欲しい。
15じぷしー名無しさん:01/12/11 11:52 ID:???
>>650-655は栃木県です。
16じぷしー名無しさん:01/12/11 11:52 ID:???
みんな>>6一人でバカみたいじゃないか!!
17Seven_Stars@リアルハッカー:01/12/11 11:53 ID:l9bGeCYH
>>656が新潟県です。
18じぷしー名無しさん:01/12/11 11:53 ID:???
>>6
19総理大臣:01/12/11 11:53 ID:GpTnjigy
>>16の言うとおりです
新宿は、もっと混沌としているべきです
20じぷしー名無しさん:01/12/11 11:55 ID:???
釜山は?
21お××イパーイ!:01/12/11 11:55 ID:???
歌舞伎町の伊○萬、セ□ンちゃんにもう一度逢えるなら喜んで
22栃木県民:01/12/11 11:58 ID:???
650 山
651 県庁
652 宇都宮市役所
653 餃子や
654 田んぼ
655 漏れん家
23Seven_Stars@リアルハッカー:01/12/11 12:14 ID:l9bGeCYH
>>21
伊勢萬のセノン?
2424:01/12/11 12:46 ID:???
ここは、大田区洗足池がもらった。
ということで。
25じぷしー名無しさん:01/12/12 01:24 ID:???
フフフ…。日本か…確かに…。
26じぷしー名無しさん:01/12/12 10:45 ID:???
日本考察中…。
27じぷしー名無しさん:01/12/12 21:39 ID:???
日本ねぇ…。
28ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:17 ID:???
んー、とりあえずこんなハンドルで…。
29ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:20 ID:???
日本の歴史をひもといてみようか…。
30ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:21 ID:???
予備知識ほとんどなし。日本史あんまり好きじゃなかったしな。
31ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:23 ID:???
参考文献もなし。検索エンジン使用不可。
32ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:24 ID:???
そういう縛りで、どこまでちゃんと日本史を綴れるものか実験。
33ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:26 ID:???
どうも既出な感じがするネタだけどな…。
34ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:29 ID:???
もちろん創作・曲解・捏造可ね。
35ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:33 ID:???
ROMも柿子もご自由に。でもレスは返さないよ。原則として。
36ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:34 ID:???
受験の参考なんかにもしないように。ほとんど嘘だから。
37ニッポニアニッポリ:01/12/12 22:35 ID:???
という感じで方針は決まったけど、なかなか書き始められない俺。
38ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/12 22:36 ID:???
ハンドルはこれでよしと…。
39ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/12 22:42 ID:???
考え中…。
40ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/12 23:22 ID:???

●旧石器時代〜縄文時代 (1)

日本人はどこから来たか…。NHK好みのネタだが、実のところよくわからない。
文献というもんがないわけだから、たとえ考古学者でも何ひとつ断定できない。
で、仕方なく土を掘り返したりしてるわけだが、そうなると服がメチャクチャ汚れるので
考古学者の妻たちは皆うらめしそうな顔をしている。…って歴史じゃねえな。すでに。

ま、そうやって土を掘っていくうちに何となくわかったのは、日本には旧石器時代と
いうものが無かったんではないかということだった。出てくる石器は割とハイテクな
感じのものばかりで、素朴な温もりをたたえた民芸品のような味わいのものがない。
さすがは技術立国ニッポン。当時からハイテクバリバリだぜと考えたくもなるが、
まあ普通に考えて新石器の頃にどっかから渡ってきたんだろうという結論に
落ち着いたわけだ。とりあえず。

ところがある日、水戸だかどこだかの納豆売りの青年が関東ローム層から旧石器を
発見してしまう。たぶん考古学ヲタだったんだな。納豆売りのくせに。
ところで関東ローム層って何よという疑問も湧くが、どうも何か古い地層らしい。
そこから発見されれば旧石器間違いなしというぐらい古い地層。ロームな地層ね。
ロームっていうのは、まあ「超古い」というぐらいに理解しとけばよろしい。

発見してしまったもんだから学会も大騒ぎよ。なにせ納豆売りのヲタが言うことだし、
眉に唾つけた学者も多かった。ところがいろいろ調べてみるとどうも本当らしいと
いうことになったわけだな。しまいには日本のアチコチでそれらしいものが出土する
ようになった。だから旧石器時代にも日本人はいたということに現在ではなっている。
41ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/12 23:44 ID:???

●旧石器時代〜縄文時代 (2)

旧石器時代の石器は、まあ粗削りな感じのもので、矢じりとか何かそういったもん
だったわけだが、新石器はハイテクである。矢じりひとつとっても細工が細かいね。
シャープで都会的、こじゃれたフォルムの機能美満載みたいな感じだ。っていうか、
ほとんど知らねえんだが。ま、それまで「△」だったものが「A」程度にはなった。

それは、旧石器を使っていた原人たちが徐々にスキルアップしていった結果
そうなったものなのか。それともどこかから新石器を使うハイテクな連中が現れて
原人を駆逐していったのか。その辺は学者によって意見が分かれるところだ。
何しろ見たわけじゃないから、正直だれにもわからない。
とにかく気がつくと新石器時代が始まっていたわけだ。

この時代については特に書くべき事もないな。イノシシとかマンモーとか追いかけて
ヒネモグラに馬鹿にされたりしながらドテチンなんかと一緒に暮らしていたわけだ。
何の話だかわからないかもしれないが、それぐらいは勉強しといた方がいいぞ。
とにかく、まだ土器はなかった。そういうことだ。
42ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/13 00:04 ID:???

●旧石器時代〜縄文時代 (3)

旧石器と新石器を総称して先土器時代といったりするな。土器以前の時代だから。
専門的だな。で、なぜ土器のあるなしが重要かというとワケがある。

石器というのは、あくまでその辺の石を研磨加工することによってできた道具だ。
だから色々な道具を作るといっても限界があるし、アリモノを利用していただけ
なわけだな。しかし、土器は違う。それまでこういう形のものがあれば便利だな
と思っていたものが自由自在に作れてしまう。つまり、作り手のクリエイティビティ
がバンバン発揮されるわけだ。

もちろん矢じりは作れない。武器とか防具みたいなものは石の方がよろしい。
でも生活雑貨なら作れる。毎日の生活では、意外とそういう物が大事だったりする。
というか、食べ物を煮炊きできるわけだな。器があれば。この差は大きい。
それまではせいぜい狩ってきた動物を火であぶったりすることぐらいしか
できなかったのが、煮込みだのポトフだのが作れるようになった。

しかも、その器に色々な装飾を施したりもできる。縄文人の場合はなぜだか
縄に惚れ込んでいたようで、縄目を粘土に押し付けて模様を作ったりした。
逆に言えば「縄」という生活用品もすでに開発されていたということになる。
よくがんばった。進歩した。という感動を覚えるのは俺だけではないだろう。
43ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/13 00:50 ID:???
んー、今日のところは寝るか。
44ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/13 06:40 ID:???

●旧石器時代〜縄文時代 (4)

さらには鍋・食器類とともに甕とか壷なんかも作られるようになった。
これも重要なアイテムだ。木の実だとかを保存・備蓄しておける道具だからな。

それまでは、何か獲ってきて食う→(゚д゚)ウマー→なくなる→また獲りにいく
という毎日だったのが、何か獲ってきて食う→(゚д゚)ウマー→あ、雨降ってる→
今日は狩猟休みだ→蓄えたものを食う→(゚д゚)ウマウマー→明日はちゃんと働こう
という、ゆとりのある生活に変わったわけだ。リーマン的になったというか。

この違いは大きい。毎日毎日食い物の心配をしなくていいというのは、
人の感性を育てる上で非常に大きな意味をもったはずだ。人間ヒマになると
下らないこととかアレコレ考える。絵を描いたり、必要以上に凝りまくった
デコラティブな土器を作ってみたりと、文化・芸術の芽を育んでいった。

あるいは、もっと楽に、というか安定的に食い物が獲れるようにならないかなー
と考えるようにもなる。まだこのころ、農業は生まれていない。生まれていない
けれども、そういうことができればいいよなとかは思い始めている。実際、
試してみた奴はいたと思うね。穀類などは無理だったかもしれないが、栗の木を
住処の近くに植えておくとかね。そういうことはしていた。と、TVで言ってた。

だが、当時は家族単位で生活するのが基本で、村とか集落のような共同体は
あまり定着してなかったと思う。狩猟中心ということは、食い扶持を分け与える
人間の数がなるべく少ない方がいいからだ。一方、作物を育てるには人手が要る。
土地を開墾したり苗を植えたりといった作業は組織的にやった方が効率的だ。
だから農業的なものを試した奴はいても、文化としては定着しなかったというわけだ。
45ニッポニアニッポリ@古代編:01/12/13 07:27 ID:???

●弥生時代 (1)

そうこうしてるうちに弥生時代である。時の流れは速い。そして俺は眠い。
縄文から弥生に切り替わったのは、いよいよ農業が始まるという意味のみならず、
共同体=社会というもんが形成され始めたという意味でも大きな変化だった。

んー、という辺りで時間切れ。続きはまた。
46じぷしー名無しさん:01/12/13 16:09 ID:???
まだかな?ワクワクするよ
47じぷしー名無しさん:01/12/13 16:19 ID:???
やべえ。これおもしっれえ。しかもわかりやすい
ワクワク
いきなりだが、どうも縄文時代に集落あったらしい。
それも結構大きいのがあちこちに。
今日歴史好きな奴と話す機会があったから聞いてみたんだけどね。常識だってよ。
だからして、ここで語られる内容はマジでアテにならんということだな。はは。
でも俺はそんなこと(゚ε゚)キニシナイ!!

あ、それからHN半角にしてみた。なんとなく。

●弥生時代 (2)

そんなわけで、まんま続けることにしよう。

弥生時代がいつ頃から始まったのか、それは知らない。
たぶんその頃の人だって知らなかっただろう。
だから俺が知らなくても全く問題はない。まあ紀元前だろう。恐らくな。

いずれにせよ、弥生時代に入って人々の生活スタイルは激変した。
まず農業が開始されたというのが大きい。特に稲作ね。木の実とか果物とかは
縄文の頃から育てていたんだが、何せ収穫できる量が知れてる。例えば、栗の木
1本からどれだけの栗の実が獲れるか。ま、少しずつ大事に食っていったとしても、
家族15人(避妊具がないから多め)で分けたら、せいぜい数日分ってとこだな。
だからそれは緊急用の保存食として取っといて、なるべく動物や魚なんかを獲りに
いってたわけだ。

それでも更に昔と比べたら、獲物がいない冬場なんかを大分過ごしやすくなった
わけだが、何せまだ収穫量が足りない。年によっても出来にバラツキが出る。
もっとこう安定的に収穫できるもので、量もたくさん獲れるものが欲しいと思う。
そこで目をつけたのが米だったわけだ。誰が目をつけたのかは知らないが、
大陸では当時すでに稲作が行われていたから、というか中国四千年の歴史は
とっくに始まっていたから、そっちの方から日本に流れてきたのかも知れんな。

●弥生時代 (3)

中国本土というより朝鮮半島かな。実は半島から日本に船で渡るのはけっこう簡単
なんである。潮の流れに乗っていれば自然と門司の近くに流れ着くらしい。
という話を俺は何かの本で読んだ。そう考えれば、日本の稲作が北九州辺りで
始まったというのも決して偶然ではないわけだ。

米のある生活。というのは言い換えれば田畑を耕す生活だ。土地を切り開き、
苗を植えて、収穫する。家族が大所帯だといっても家族だけでこれをやるのは
難しい。今みたいに農耕機械が発達した時代でも農繁期になると農家では
助っ人を掻き集めなきゃならんほど忙しいらしい。まして当時はチャチな農具しか
ないわけだから、とにかく人手が要る。

といっても男たちは狩りや漁もしなくちゃならんわけで、こりゃ家族だけでやる
のは難しいわなということになる。そこで村や集落といった共同体が生まれる。
実は縄文時代にも大集落があったなどということは、弥生人にとって関心が無い。
とにかく米を何とかしようと思えば、人は協力し合うしかなかったわけだ。
というわけで、ムラは誕生した。
51ギコ帽子:01/12/14 11:11 ID:???
ほっくしゅん。

●弥生時代 (4)

ムラ…。なぜか「村」と書くより「ムラ」と書いた方が専門家っぽいよなという話は
おいといて、ムラというのは要するに他人同士の集合体である。となれば、いろいろ
と揉め事も起こる。当事者間の話し合いで解決する場合もあるが、お互い感情的に
なり、刃傷沙汰にまで発展することもある。その辺は現代人と大差ないだろう。

だから、一定の秩序が必要になる。ケンカの仲裁ができる立場の人間も必要になる。
場合によっては、悪い方の奴を裁き制裁を加える必要もある。そういう役目は
力の無い奴にはできない。そこで、権力者というものが生まれることになった。
すなわち、ピラミッド型社会の原型がここに誕生するわけである。おお…。

権力者には大きく5つのタイプがある。1つ目は腕っ節の強いジャイアンタイプだ。
2つ目は頭の切れるタイプ。3つ目は不思議な能力を持ってるタイプ。予知能力が
あるとか魔法を使えるとかそういう奴。古代の人は意外とそういうのを信じたからね。
4つ目は人格者だな。みんなから信頼されまくって、ナンバー1にまで持ち上げられる
タイプ。5つ目は前権力者の兄弟とか子供。まあ前任者の七光りって奴だな。

5番目の場合は真の実力と関係ないみたいだけど、次の権力者を誰にするかという
問題がこじれた時なんかには、割合みんなの納得が得られやすい。現代の企業社会
だってそうじゃない。偉大な創業者が死んで誰が次期社長になるかっていうと、
結局もめにもめた挙句、息子が後を継いだりするわけでさ。変に大抜擢して
何の血縁もない部長だった奴が急に社長になったりすると、専務派が潰しにかかったり、
常務派は腹心の部下と一緒に会社辞めて新会社設立したり。そうなればせっかく
先代が築いた秩序がボロボロになる。また、そういう混乱に乗じてライバル企業
(部族)が奇襲攻撃をかけてくるかもしれん。だから、子供なんかが親の跡目を
継ぐというのは、それなりにメリットもあるというわけだな。

●弥生時代 (5)

ああ、もう1つあった権力者モデル。意見調整能力に長けた奴ね。割と政治家なんか
に多いタイプ。トップまで上り詰めたかどうかは知らないけど、こういう人の役割は
重要だったと思う。まあナンバー2とか3ぐらいにはいただろうね。

農業というのは、みんなの共同作業が必要なわけだから、何よりも和を重んじる。
いがみ合いながら一緒に稲刈りとかやると、お互い妙に競い合ったり仕事投げたり
して、全体の作業の流れが乱れるんだよな。だから調整役が「まあまあ…」とか
言って間に入る必要があった。みんなが平均的な能力を持ち、同じような考え方を
持ってる方が作業がはかどる。農業主体の社会というのはそういうもんだ。

スタンドプレーよりは全体の利益、秩序を重んじる社会。
要するに農業型ムラ社会というのは、現代の日本の社会の原型だったわけで。
これは古代日本が現代日本につながっていく上で物凄く重要な変化だった。
長々と書いてしまったが、この辺は試験にも出るからよく勉強しておくように。
嘘だが。

●弥生時代 (6)

そうはいっても、権力者として尊敬されるにはある程度の傑出した能力が必要だ。
>>52で挙げた5つのタイプのうち、上4つがそうだな。トップが凄い奴だからこそ、
下の連中もそいつが作った秩序におとなしく従うわけだ。まあ、凄く頭が切れて
度胸がすわり、ケンカも強いリーダーがいる珍走なんかがいい例だ。いや嫌な例か。

そういう集団は、得てして統制がとれていて組織的にしっかりしている。
ウチの上はスゲー人だから俺たちも安心だみたいなノリがある。
上が信頼できる奴だと、人は余計な心配とかせずに任された仕事に専念できる。
だから羽振りがいい。ライバルに戦争なんかを仕掛けて常勝したりする。
するともう、ムラとは言えないような大規模集団になったりするわけだ。
珍走とかヤー公の世界でも××連合とか広域ポーリョク団とかあるが、ああなっていく。
「ムラ」から「クニ」へと発展するわけだ。

ムラとクニの違いは何かというと、まあ一番大きいのは規模の違いだな。
ムラなら村長の目の届く範囲内にあるわけだが、クニとなれば、隣ムラとか
山の向こうのムラとかずっと川下のムラなんかも入ってくる。当然首長が
すべてに目を光らすわけにはいかないから各地の村長だの、中央府から派遣された
役人だのがそのエリアを統括することになる。
そうして治められるムラの中には、武力でムリヤリ屈服させられたところも
あったりするわけで、そういうとこの連中は上に対して反抗心を持ってたりする。
だから警察とか軍隊のように強い武力を持った組織を配備しておく必要もある。
この辺、ムラ社会のマターリ感とはちょっと違ってくるわけだ。緊張感がある。
外部からの不意の敵襲も警戒しなけりゃならんしな。

文献なんかはあまり残っていないが、そうやって、小さなクニが各地に形成されて
いった時期なんだな。弥生は。

で、数少ない文献に描かれた当時のクニの1つが、卑弥呼という女王をトップに
据えた邪馬台国だ。これはさすがの俺でも知ってる。文献は魏志倭人伝ね。
ちなみに魏志倭人伝というのは日本だけの呼び方で、正確には魏呉蜀の興亡を
綴った「三国志」の中の「魏志」だ。まあどうでもいい話だが。

ああ、それで連鎖的に思い出したが後漢書トーイ伝とかいうのもあったな。倭の何とか
国王とかいう奴。それも確かこの時期。中国から金印もらった人ね。
だから、まあ弥生時代にはいろんなクニが生まれたってこった。
●弥生時代 (7)

で、まだ弥生時代かよっと思うのはお前だけじゃないぞ。誰より俺がそう思ってる。
もう嫌になってきた。マジで。ただ、これだけは外せないというもんがあった。
道具の変化だ。

まず土器が縄文式から弥生式に変わった。焼き物の技術が進歩して縄文式よりも
丈夫でシンプルな器が作られるようになったんだな。
丈夫になったのは、たぶん窯焼きみたいな密室で焼くというワザを覚えて、
より高熱で焼けるようになったからだ。縄文式は見た目ゴジャースだが、
たき火みたいなもんで焼くだけだったから、何せもろい。知恵をつけたんだな。
デザインがシンプルになったというのもそれだけ美意識が成長したからだろう。
洋服なんかでも本当にオシャレな人はシンプルなものを巧く着こなしたりするしな。
というか、それだけ特別なものじゃなくなってきたのかもしれないな。土器が。
ごく普通の生活用品として普及してきたということかもしれん。普段使う皿に
変な装飾はいらないというわけだな。

それから、もっと重要なのは鉄や青銅といった金属製の道具が作られるようになった
ということ。これは革命的だ。まあ技術は大陸や半島から入って来たんだろうが。
何せ武器とか防具が強力になる。「かわのよろい」から「せいどうのよろい」
「てつのよろい」にアイテムがグレードアップされれば、やっぱ嬉しいもんだ。
特に軍隊みたいな組織が作られ始めていた時期だけにな。

成熟した共同体クニの誕生、安定的な収穫が見込める産業基盤の成立、そして道具類の
充実。こういったものを背景にして、人々は急速に政治体制とか経済体制とかを
整えていくことになったわけだ。もう原始人とは呼ばせねえ。

●古墳時代 (1)

気がつくと古墳時代である。
巨大な墓が作られたということは、それだけ強大な権力者が存在したということだ。
天皇の祖先なんかが出てきたのもこの頃だったと思う。
天皇の祖先が出てきたということは、それまで各地に散らばっていたクニが
強大な権力者によって平定されて統合されていったということになる。
つまり日本列島に統一国家が形成されていったわけだ。といっても、
北の方はまだまだ未開拓だったわけで、近畿から九州にかけてという範囲だが。

それでも、まあ広い。かつてのムラ社会に比べたらビックリするような広さだ。
これだけ広域を治めるには相当強力な軍事力とか技術力とか政治手腕とかが
必要になる。天皇一族が当時どれだけの底力を持っていたのかしらんが、少なくとも
今みたいにお優しく品格もおありになり奉りまくって声は時々お裏返りにおなり
あそばしますですというようなタイプの天皇たちでなかったことは想像に難くない。
後に、完全な武家社会になるまで1000年ぐらい日本の政治を牛耳っていた奴らだ。
自ら剣をあやつり、押し出しの強い態度でゴリゴリ専制政治を進めていくような
ストロングタイプの連中だったに違いない。

初代は神武天皇である。そんな奴が実在したかどうか疑わしいと歴史学者は言うが
まあ名前は違っても物凄いパワフルな初代がいたことは間違いないだろう。
何しろ連戦連勝の猛者である。ヒクソンみたいなタフガイ天皇だったと俺は思う。
それにまあ頭なんかも良かったんだろう。

●古墳時代 (2)

天皇一族は日本初の中央政府というものを開いた。大和朝廷だ。
中心地は近畿地方である。

日本初の統一国家というものがどういう風に運営されたのか興味深いところだが、
当時もあまり文献らしいものが残されていない。というか俺が知らんだけかもしれんが。
後世、俺みたいな奴が想像と捏造で書き上げた「古事記」とか「日本書紀」とか
で辛うじてどんなんだったかを知るしかないわけだが、まあ所詮はデッチ上げだしな。
結局天皇は元をたどれば神だったとかいうチョーチン記事になっているわけで、
ほとんど信用できない。オオクニヌシノミコトがウサギを助けたとか何かそういった
ファンタジーものに仕上がっている。

ヤマトタケルというのもいるな。そいつが天皇の祖先だったか何だったか知らないが、
とにかくいろいろ頑張ってクマソの国を滅ぼしたという話だ。もちろん作り話では
あろうけれども、この辺の国家拡大のプロセスというのは現実にあったんだろう。
前にも書いたが、新しい文化が半島経由で北九州へ流れついていた。だから九州には
かなり強大なクニが存在したはずで、それが邪馬台国だったような気もするが、
邪馬台国畿内説というのも聞いたことがあるから、あるいは別のクニかもしれん。
とにかく着々と領地拡大を進めていた天皇一族にとっては最大のライバルみたいな
クニが九州にあったろうと思われる。

で、ある時、ついにそこを滅ぼした。相当嬉しかったろうと思う。だからその時の
栄光の戦記みたいなものが代々天皇家で語り継がれたいたはずだ。伝言ゲームみたいに
だんだん脚色されたり嘘が入ってきたりしながらな。それがたぶんヤマトタケルの
物語の骨子になっているんだろう。だからあながち全部作り話だとは言えない気もする。

まあ、そんなこんなで天皇を中心とした強大な中央集権国家が形成されていくわけだな。

●古墳時代 (3)

国家ができた。大きな国家だ。当然のことながら天皇1人であれこれ切り盛りする
ことなんかできない。というか、数名ぐらいの権力者だけでは到底切り回せない。
多くの役人が必要だ。治安を取り締まる役人、戦争を統括する役人、立法とかを
考える役人、税を取りたてる役人、入って来た税を予算配分する役人、学問を
つかさどる役人…。まあいろいろな役人が必要になる。もちろんそいつらも
1人でアレコレできないから配下のコッパ役人どもが必要になると。そういう感じで、
現在の中央省庁の原型みたいなものがこの時代に作られ始めたわけだ。
別の言い方をすれば、ピラミッド型の官僚社会だな。

まあ、その後の奈良・平安時代ほど完璧な形だったわけじゃないだろう。
何せまだ国家ができたばかりだ。最初のうちは無意味な省庁だとか、
適材適所とは言い難い人事なんかが行われて色々混乱もあったろうと思う。
職責とか職位職階とか明確じゃなかっただろうな。
しかし、それも徐々にちゃんとしたものになっていく。そういう過程で
単なる役名に過ぎなかったものが自分のステイタスを表す権力の象徴みたいに
なっていったのだろうと思う。

しかも、その地位はそいつらの子供なんかが世襲するようになる。なぜそうなったかは
>>52の後半に書いてある。そうした方が変な権力争奪戦なんかが起きないからだ。
国家ができ始めた今、内部でゴタゴタが起きるのは誰しも避けたいからな。
そうやって権力の上の方を一部の家系が独占していくわけだ。後に貴族というもの
が生まれる温床ができたわけだ。

いや、それはまだまだ先の話なんだろうか。書いていながら全然自信がない。
いずれにせよ、やがて奈良王朝が花開くための重要な助走期間だったことは
間違いないだろう。
59じぷしー名無しさん:01/12/15 12:47 ID:???

●古墳時代 (4)

では、当時の民衆たちの暮らしぶりはどうだったのか。
これについては全く雲をつかむような話だ。全然知らない。
だが、前方後円墳のような優れた造形の墓が作れたということは、
テクノロジーも弥生時代より相当進んでいたのだろうなと思われる。

この時代、何より大切だったのは米作りである。これは国家の財源でも
あったわけだし、何より食い物の安定確保というのは縄文時代から人々が
夢見てきたことだ。だから農耕具なんかもかなり発達したに違いない。
農業ノウハウなんかもそうとう蓄積されただろう。狩猟はたぶんサブ的な
食料獲得法に成り下がっていたはずだ。完全に農業中心に移行していたと思われる。

というのも、漁業は別として狩猟によってトリだとかケモノだとかを獲るというのは
食糧確保の手段としては全く安定していない。天候とか狩猟者個々の技量とか
そういった不確定要素に左右されやすい。国家の財源として考えるにはあまりに
年間予算が組みにくい代物なのである。むしろ、狩猟なんかやってる暇がある奴は
こぞって土地を耕せ、農作物を育てろという方針になっていたのではないか。
まあ、農業主体にしても豊作や飢饉はあるが、それでも狩猟に比べれば安定している。

それに、>>53でも少し触れたが、農業は均一的で協調的な人間を育ててくれる。
為政者にとっては扱いやすい民になるわけだ。狩猟の世界は基本的に一匹狼的で
完全な実力主義だからピラミッド型の社会から少し外れた存在になってしまう。
そういう人間が増えれば、官僚支配を強めたい国家にとって目の上のタンコブ
にならざるを得ないだろう。だからみんなに農業をさせたがったはずだ。
というか、俺ならそうする。
おお、アガットル。
まあいいだろう。長文連射ですまんね。
歴史に詳しい人、何か付け足すことや訂正したいことがあれば
遠慮なく書き込んでくれ。
というか、この先を続けてくれるともっとうれしい。
と思って今subback見たら上がってないじゃん。
>>59はなんだったんだ??
63ニッポニアニッポリ@業務連絡:01/12/15 13:02 ID:GwhzQ5Sf
よく見たらほとんどのスレにageレスが…。何かすげーな。俺も上げちゃお。
ありゃ、そうでもないか。うーむわからん。
65じぷしー名無しさん:01/12/15 13:10 ID:???
無差別アゲみたいよ。
ああ、やっぱりそうか。情報サンクス。
うーん、続き書こうかと思ったけど急用できた。今日はここまで。
68じぷしー名無しさん
明日に期待してsage