☆☆前川清・2☆☆

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184男です女です名無しです
〜前川清 黄金のヒストリー〜
(データはオリコンより)

1.長崎は今日も雨だった(1969.2.1) 最高2位 72万枚
  (レコ大新人賞。ヘビーな前川のボーカルは従来の
   甘いムードコーラスグループの常識を根底から覆した)
2.逢わずに愛して   (1969.12.5)最高1位 70万枚
  (オリコン1位を何週間も続けた)
3.噂の女       (1970.4.5) 最高2位 50万枚
  (地の底から湧き出すような前川節はこの曲から。
   全日本有線放送大賞)
4.中の島ブルース   (1975.7.25)最高6位 46万枚
  (レコ大有力候補だった。シクラメンのかほりさえなければ..
   他グループアローナイツとの競作となったがぶっちぎりで
   クールファイブの勝ち。アローナイツのリーダーが当時こう言った。
   ”クールファイブはヒット曲がたくさんあるのだから一曲くらい
    俺達に勝たせてくれてもいいのに”...)
5.愛の旅路を     (1970.4.5) 最高4位 37万枚
  (まるでマシンガンのように出す曲出す曲大ヒット)
6.そして神戸     (1972.11.15)最高6位 31万枚
  (全日本有線放送大賞。苦渋の表情で歌い上げる前川の歌声が
   日本中の夜の街を席巻した。)
7.この愛に生きて   (1972.3.15)最高7位 30万枚
  (作詞 阿久悠、作曲 彩木雅夫のコンビで大ヒット)
8.港の別れ唱     (1971.7.25)最高8位 23万枚 
  (内山田洋作曲の大ヒット。紅白出場を決めながら
   病に倒れ、この曲を当時の妻である藤圭子が代役で
   歌ってクールファイブのピンチを救った。)
9.愛のいたずら    (1970.2.5) 最高10位 22万枚
  (地味ながら好セールスを記録。隠れた名曲)
10.東京砂漠      (1976.5.10) 最高16位 18万枚
  (前年の中の島ブルース記録的大ヒットの余韻が冷めやらぬ
   時期にヒット。後年CMに起用され若い世代の知名度が高い。
   中森明菜もカバーしている。)

その他、西海ブルース、さようならの彼方へが10万枚前後のヒット。
デビューから10年間は、日本歌謡史に残るヒットグループとして
スターダムの頂点に君臨した。デビューから数年後に渡辺プロから独立
した際、ゴタゴタがあったらしく、独立後渡辺プロから様々なところに
圧力がかかり、TV出演が制約され、そして神戸やこの愛に生きてなどの
ヒットを飛ばしながら紅白出場を阻まれた。
それを救ったのが欽ちゃん。欽ドン出演で国民的人気を獲得した結果、
S49年海鳴りで紅白復帰。翌S50年中の島ブルースの大ヒットを飛ばすと
紅白出場にケチをつける者はもはや皆無となった。
当時の渡辺プロのお偉いさん達は歯ぎしりして悔しがったという。
独立後は男と女の破片(総売上15万枚程。ロングセラー)と
ひまわり(最高13位。売上8万枚)の2曲をヒットさせている。
又、各地のコマ劇場で座長公演を実施。紅白も常連となった。