例えば、
be surprised at、be interested in、be covered with、be scared of、be known to
これらはみな、明確な動作主を表す場合にはbyを用いるし、それぞれが
それぞれの前置詞を取るのには理由があり、センスのいい人間は感覚的に
使われる理由を理解する。
前置詞や副詞なんかは全般的にイメージ力が差をつける。
基本動詞もそう。だから、句動詞もそれぞれのイメージを合成することで
初見のものでも意味が分かるようになる。
一度、数人の高校生の生徒をそのように訓練したことがあるが、その
的中率は素晴らしいものだった。
適語選択の問題なんかでも、知らない語句が多かろうと、知っている語句
のイメージから流れを読み取り正解を導き出していた。
単語や熟語の暗記はさせなかったが、彼らは「そんなの必要ない、
知らない語句があっても意味は分かるし訳せる」と言っていた。
語法に関しても、動詞のイメージから不定詞が適切なのか、that節なのか
動名詞なのか、そんなことも、たとえ動詞の意味を知らなくても周りの
前置詞や接続詞、副詞などのイメージから言い当てていた。
実際、半年かからず英数ともに、偏差値で10〜20以上の伸びだったが、
やはりそれぞれの科目に必要とされるセンスや論理は全く違う。
指導する際も大幅な頭の切替が必要。数学も、公式などの暗記はさせず、
理解最優先でやった。なぜこういう解法を思いつくのか、その過程まで
説明したりさせたりしていた。
そうした指導をしていると、両科目の特性の違いを自分自身も生徒も
強く感じていた。「なぜ」の疑問は絶対に放置しない方針だったからこそ
違いを強く感じられた。
上に書いたような英語に使われる論理やセンスは数学にはない。
だからといって、どちらかをなおざりにしていいということではない。
それぞれの教科でそれぞれ特有のセンスが磨かれる。
そのトータルのものが総合的な人間力に繋がると思う。