>>414 上述の反対意見すべてにある明らかな良識にも関わらず、
「文化」を残しておこうとするための相応の理由というものがあるのだろう。
個人と集団との間には今日的で、システマティックで、そして時にとんでもない違いがあり、
そしてそれらの違いのいくつか――おそらく最も重要なもののうちのいくつか――は、
体系的に異なった社会環境のなかで育ってきた、という事実によって引き起こされる、
これらは疑う余地のないことである。
この章の最初では、言語のもつ、対立を引き起こしうる潜在性を簡単に論じる。
だが、ほかの同程度に重要な差異についても述べることができたかもしれない。
差異、国境問題、政治的悪用、変化、流動、そして概念的な誤りに意識的に
なることが必要であるにもかかわらず、様々な背景をもつ人々が―大なり小なり、
異なった生活ぶりで―世界に住み、異なった視点で世界を見ている、ということを
伝えるという考えを放棄するならば、それは人類学にとって知的自殺行為と等しいだろう。
したがって、文化という概念をキープすることは必要なことのように思われるのだが、
しかし理想的世界においては、それは戸棚の中にしまわれて、
必要な時にのみ持ち出されるということになるだろう。
かたい訳でごめんよ。