中高生の宿題に答えるスレ 3学期 lesson 1
909 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/29(木) 16:28:04
>>901 It isn't Close,it's Open.
>>909 僕もなぜ大文字にするのかが分かりませんorz
911 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/29(木) 16:46:14
強調だと思う。It isn't "Close"
その前の文章があったらそれ読めば予想つくんじゃね?
912 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/29(木) 19:12:39
来週には1学期スレ立てるべよ
>>911 そのとおり。
It ain't Close. It's Open.でもよし。
>>897 ,if you know what I meanはただの相槌挿入みたいなもんだ。
you know
you know what I mean
if you know what I mean
段々丁寧な言い回しになってるが同じようなもんだ
でその具体的説明を -以下でやってる。詳しくは
>>898 おしまいじゃないですよ、何と言いますか、えー不快にならないうちはね。
You know that I'm saying?
>>870 >>872の通り
風力というものが1度切り離された太陽エネルギーであるという現実を我々が見落としがちであったと思うが、
間接的な太陽エネルギーとしての風力はそのような再利用エネルギーを取り入れているのだ。
そして要求される意思は、我々世の中の一般人に属するもので、
例え無視したとしてもそうできないように、統治する者達に向けてせきたてて表現されている。
916 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/29(木) 23:30:20
彼はワタシが最善をつくさないといって攻めた。
He blamed me for () () my best.
その子は親に叱られるのではと心配している。
The boy is afraid of () () by his parents.
彼は若いときに怠け者であったことを否定している。
He denies () () idle when young.
()埋めお願いします。
918 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/29(木) 23:59:37
>>916 not doing
being scoled
not being
being scolded
being scold
922 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/30(金) 02:28:24
923 :
893:2007/03/30(金) 03:14:08
>>900 >なぜ関係代名詞があると分かったんですか?
「so as to」を「in order to」と同義と考えると、これは不定詞の副詞的用法。
したがって、「mean」の目的語がなくなるからです。
>>896で書いた通りです。
ただ、この「what」はよく考えると、関係代名詞ではなく間接疑問文でしょうね。
訂正します。いずれにせよ「mean」の目的語です。
googleで検索すると、クマのプーさんからの引用ですね。そうすると、「not so as to 〜」
はbrokenというよりも次の(2)のように考えるべきだと思います。
(1)so as not to be uncomfortable:不快にならないように、
(2)not so as to be uncomfortable:不快になるためではなく、
【訳】「それ(家)は、吹きさらし(not Close)だよ。何と言うか―(その家が)不快である
ためではないのだけれど」
★914を勝手に借用しました。
914の言ってのは全然違う。
ではなぜcloseのcを大文字にしたのか?
if you know what I meanは前の文や単語の意味が判るか?という意味だ。
915の「そのような再利用エネルギーを取り入れているんだ」
こんなことはどこにも書いてない。
しかし正訳を見たあとでも、理解できず、さらに誤訳を書き込んでくる
ようではこのスレの住人は全くダメ。
有名大学のレベルダウンで質が落ちている。
The history books this semester was like the books (used) last semester.
last semesterとあるために()内に、これからのことを表すto useとは入れられないのはわかりますが、それならばto have usedでは駄目なのですか?
それなら何故駄目なのですか?
マゾヒズム(英語:Masochism)とは、肉体的精神的苦痛を与えられたり、
羞恥心や屈辱感を誘導されることによって性的快感を味わったり、
そのような状況に自分が立たされることを想像することで
性的興奮を得る性的嗜好の一つのタイプである。
被虐性欲とも言う。極端な場合には、精神的な障害とも見なされ、
この場合は性的倒錯(パラフィリア)となる。
マゾヒズムの嗜好を持つ人を、「マゾヒスト」と呼ぶ。俗語で「マゾ」と呼ぶが、
マゾヒストとマゾヒズムの両方の意味がある。被虐性淫乱症とも呼ぶが、
これは変態性欲の通俗概念などと同様、多分に差別的な呼称である。
ひとりの人間がサディズムとマゾヒズムを合わせ持っている状態はサドマゾヒズム
と言われる。略として、サドマゾとも言う。
なお、マゾヒズムという発音・表記はドイツ語と英語の混淆したものと推測される。英語での発音はマゾキズムに近い。
人間が社会生活を行なっていれば様々な理不尽と思える状況に直面することがある。
そういったときに「自分が我慢すればよい」
と不当な圧力や要求に耐える人が存在する。
また「囚われのお姫様」や「苦難を乗り越え進む英雄」
と言ったヒロイックな状況は、
苦痛・圧迫を伴いながらも陶酔感や大きな達成感が得られる。
そのためどのような人間でも被虐嗜好的要素を持ち合わせていると言える。
こうした自己犠牲や苦痛や逆境への親和が、実は、
性的嗜好としてのマゾヒズムの基盤にある。
理不尽に他人から暴力を振るわれて、
それでも「自分が悪かった」「自分が我慢すればいい」
と考えるのは防衛機制であるが、マゾヒズムの心理には、
このような機制が存在すると言うべきである。また自罰的傾向のある人は、
他者から与えられる身体的精神的な加虐によって、
かえって心の安定が得られることがあり、
ここでもマゾヒズムへの趨向が見出される。
マゾヒズムはこのように、個人の自我の心理的な安定機制と深く関係している。
これに対し、他者から苦痛や加虐を与えられて単に喜ぶだけの心理は
マズヒズムではないとする考えがある。
しかし、性的な状況においてこのような機制が働けば、
性的快感や性的興奮に繋がるのであって、それは即ち性的マゾヒズムであり、
自虐的な心理傾向を、性的嗜好としてのマゾヒズムと区別する方が寧ろおかしい。
このような区別の背景には、
マゾヒズムを先天的な気質あるいは人格の基底的趨向とする見方があるが、
この考えは実証されていない。
マゾヒズムのなかには、先天的な素因が想定できるものがあるが、
しかし、「マゾヒズム」という単一の心理趨向があるという根拠が
そもそも存在しない。性的嗜好は、嗜好の現象的様態による分類把握であって、
マゾヒズムのような心理機制がどのように成立しているのか、
複数の機構が想定でき、
更にそれ以上の多数の未知の要因が関係していると言うべきである。
ある種類のマゾヒズムは精神障害として、性的倒錯に規定されている。
このことより差別性が生まれることがある。
また、世間一般で、マゾヒストは変態だとか異常だとかいう偏見も存在する。
しかし、性的嗜好における異常とか正常という問題は難しく、
決めつけることは望ましくない(参照:正常と異常、性における健康)。
マゾヒストがその性的嗜好を満たそうとするとき、
必ずしもパートナーとして、サディズムの人を選ぶ必要はない。
人間関係の一環としての性的な交際においては、程度にもよるが、
ソフトな水準のマゾヒズム嗜好を、
相手がサディスティックな行為によって満たすことはそれほど不可能なことではない。
また、相手にサディズムの性的嗜好がある場合は、
ある意味で理想的なカップルだとも言える。
しかし、マゾヒストやサディストという単純な区分は、
微妙な個々人の性的嗜好のありようを表現できないのであり、
失神するまで鞭で打つ、棒で殴るなどの加虐を受けて
満足するマゾヒストもいれば、それは暴行
、虐待に過ぎないと感じるマゾヒストもいる。
相手との人間関係を配慮し、互いの嗜好についてある程度の妥協が行われる場合、
そして両者のあいだの行為において満足が得られているのなら
「SM」という概念が成立する。
サディズムにしろマゾヒズムにしろ、
個人ごとで求める性的嗜好の内実の質は異なるのだという認識が重要である。
これを無視して「サド男」や「マゾ女」など、
先入観に基づく勝手な条件を相手に求めるとき、
そんな好都合な条件に合う相手は極めて少ない、
あるいはそもそも存在しないということを知ることになる。
売春などで、マゾヒズム(あるいはサディズム)
を売りにしている相手との行為などの場合は、
相手が金銭と交換に「好都合な条件」を満たしてくれているのである。
こういう形でも「SM」が成立する。
マゾヒズムである人間が同時にサディズムであるケースがあり、
同じことであるが逆の場合もある。このような場合、「サドマゾヒズム」と呼ぶ。
マゾヒズムの人間やサディズムの人間は必ずサドマゾヒズムなのかというと、
一概には言えない。
「サディズムとマゾヒズムは表裏一体である」という主張があるが、
一般的にはそうとはいえず、俗説と言うべきである。
なお、このような俗説が信じられている要因として、
「サディズム」の語源となったマルキ・ド・サドと
「マゾヒズム」の語源となったザッヘル・マゾッホ
が両者共にサドマゾヒズム
(サドは元来マゾヒズム的な嗜好を持っており、マゾッホは結婚した際、
SMプレイで妻にM役を命じた)であったとことが理由だろうと考えられる。
939 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/30(金) 09:04:39
>>927 The history books this semester was like the books (used) last semester.
は
The history books this semester were(複数形) like the books (which are) used last semester.
の関係代名詞(which are)が省略されているだけです。
もし、books to have usedの形ならthe books have uesd last semester が原型(省略前の形)でなくてはならないので
意味が取れません。 また、books to have been usedもダメです。なぜなら last semester と明確な過去なので
完了形は使えません。
縄で吊るされる、鞭で打たれる、
といったハードなSM行為はかなりの疲労と興奮をもたらす。
そのため脳内麻薬物質の分泌が盛んになり、
いわゆる「ハイ」な状態が起こる。
これが、マゾヒストの快感の源だとする説がある。
他方、行為がなくとも、状況を想像するだけで陶酔があり、
快感が得られるという人も存在する。
BDSM一般に言えることであるが、
マゾヒズムにおいてもサディズムにおいても、
心理的な補償や、カタルシスの効果が背景に多く存在する。
発達課程におけるインプリンティングや学習、
文化的・社会的な自己の存在主張(現存在の意味充足)
などの実存的なプロセスもあり、
人間における自由と束縛をめぐる心理複合の所産とも言える。
マゾヒズムの場合は、
とりわけ複雑な現存在のありようが背景にあると考えられる。
通常マゾヒズム・マゾヒストともに「M」と略す。対義語はサディズム(S)。
漫画の台詞やバラエティ番組などで、
極端にマゾヒスト的な性格の人間(またはそのような振る舞いや考え)
を指す言葉として「ドM」という俗語が用いられている。
また「わたしMなの」などとタレントが気楽に話すような
(小池栄子・夏川純・安田美沙子等が有名)
「マゾヒズム」の用法があるが、
性的嗜好のマゾヒズムとは意味が違う場合がある。
サディズム(英語:Sadism)は、加虐性欲ともいい、
相手(動物も含む)に身体的または精神的に苦痛を与えることによって
性的快感を味わったり、そのような行為を想像したりして性的興奮を得る
性的嗜好の一つのタイプである。極端な場合、精神的な障害とも見なされ、
この場合は性的倒錯(パラフィリア)となる。
サディズムである人間のことを「サディスト」と呼ぶ。
加虐性淫乱症とも呼ぶが、これは変態性欲の通俗概念などと同様、
多分に差別的な呼称である。
ひとりの人間がサディズムとマゾヒズムを合わせ持っている状態は
サドマゾヒズムと言われる。略として、サドマゾともいう。
嗜虐性向の強い小説作品を発表したり、
実際にSM行為を娼館で行なっていたという
フランスの貴族マルキ・ド・サドの名前に由来しており、
クラフトエビングが造語した用語である。
性的な倒錯として定義されたが、
後に、加虐的な傾向一般をサディズム(Sadism)と言うようになり、
性的嗜好のサディズムは、
「性的サディズム(Sexual Sadism)」
とも言い分けて区別することがある。
945 :
名無しさん@英語勉強中:2007/03/30(金) 09:22:07
889はいろんな意味でいい例だ。
A)文章は文脈において判断すべきこと。
B)学校の英語と実際の英語とはどう違うのか
A)については大して難しくない単語で出来た文が時に文脈がわからないと
さっぱり意味不明な文になる。映画のセリフ見てるとよくあるよこの手の。
B)学校英語の試験などででもしこの文が出るとすればはCloseには多分注がついて
一意の意味に誘導すべく具体的な意味が明示されるだろう。
倫理観の発達していない年少の児童は、
何の罪悪感も無く虫や小動物を殺すことがあり、
また些細なことで暴力を振るう傾向の人間も少なからず存在する。
こうした暴力性はサディズム的ではあるが、
性的嗜好としてのサディズムとは、意味や内容が異なる。
言葉の一般化にともない、本来の用法から逸脱している傾向があるが、
サディズムは基本的に他人を虐待して喜ぶ性質一般を指す言葉ではなく、
他人を虐待することによって性的興奮を覚える性的嗜好のみを指す。
嫌いな相手を叩きのめすことで爽快感を覚えるのは加虐性向(性格)だが、
その際に性的興奮もしくは性的快感を覚えていればサディズム
(より正確には「性的サディズム」)であるといえる。
ただある種類のサディズムは変態性欲、
性的倒錯に規定されるため、
このことにより言葉のニュアンスに差別性が存在するのは事実である。
また、世間一般で、サディストは異常性欲者であるという偏見も存在する。
しかし、性的嗜好における正常と異常を区別する判断基準は難しい問題で、
軽々しく決めつけることは望ましくない
(参照:正常と異常、性における健康)。
サディストがその性的嗜好を満たそうとするとき、
それが相手に対して強制的に威嚇や暴力を行うのではなく、
合意の上での行為である場合は
相手がどのような意識で行為を受け入れているかで区別が生じる。
人間関係の一環としての「性」を通じての交際の場合、許容できる範囲で、
サディズムの人の要求に応えているが、
積極的に加虐を受けることに快感などを感じない人の場合と、
それに対し、加虐を受けることで、
自身も性的興奮や性的快感を覚える人の場合がある。
後者の場合は、性的嗜好の別のタイプであるマゾヒズム
(性的マゾヒズム)との人であるということになる。
サディズムの人とマゾヒズムの人のカップルの場合は、
性的嗜好において求めるものが、内容と方向が違っても、
性的加虐と性的被虐で、相互に補完し合えるので、
ある意味理想的だとも言える。
また、相手がマゾヒズムの人でなくとも、売春などの場合では、
娼婦・男娼がマゾヒストを演じることがある。
こうして、「SM」という概念が成立する。
サディズムである人間が同時にマゾヒズムであるケースがあり、
このような場合、サディズム」・「マゾヒズム」を合わせ
「サドマゾヒズム」と呼ぶ。
二つの名称の由来となったサド侯爵とマゾッホも、
この両方の性的嗜好を備えていたとされる。
しかし、ある種のサディズムもしくはマゾヒズムの性癖を持つ人間が
必ずサドマゾヒズムなのかというと、
必ずしもそうとはいえない。
「サディズムとマゾヒズムは表裏一体である」という主張があるが
一概には言えず、区別する必要がある。
暴力的な行為を行ないながら性的な快楽が得られるか、
という点についてはランナーズ・ハイなどと呼ばれる
脳内麻薬物質の作用をもとに説明することも可能である。
ただし、SM行為とされる鞭打ちや緊縛は重労働であり、
それらの疲労や興奮から「ハイ」になることも指摘できる。
そのため「単なる暴力」であっても「快楽」を得ている
と受け取ることも可能なため、
サディズムと暴力とが違うものであると認識されにくい
要因の一つにもなっている。
BDSM一般に言えることであるが、
サディズムにおいてもマゾヒズムにおいても、
心理的な補償や、カタルシスの効果が背景に多く存在する。
発達課程におけるインプリンティングや学習、
文化的・社会的な自己の存在主張(現存在の意味充足)
などの実存的なプロセスもあり、
人間における自由と束縛をめぐる心理複合の所産とも言える。
通常サディズム、サディストともに「S」などと略す
(かつては「S」は「レズビアン」を指す隠語だったので
単体で使うようになったのは近年からである)。
対義語はマゾヒズム・マゾヒスト(M)。
極端にサディスト的な性格の人間(またはそのような振る舞いや考え)
を表現する「ドS」という俗語が
漫画の台詞やバラエティ番組などで用いられている。対義語は「ドM」。
性的嗜好(せいてきしこう、英語:Sexual Preference)とは、
人間の性的行動において、対象や目的について、
その人固有の特徴のある方向性や様式を意味する。
すなわち、対象や行動目標において特定の好みや拘りが存在する場合、
何らかの性的嗜好を持つと表現できる。
ただし、対象の性別についての方向性に関しては特に性的指向と呼び、
通常は性的嗜好には含めず分けて扱う。
例えば、性的行動は一人でも成立するが、
その場合、性的な空想に耽って性的興奮を楽しむとか、
また自慰などを行うとき、
男性なら特定の女性アイドルと抱き合いまた性交しているイメージ
を想い浮かべるとか、
あるいは女性なら花の咲く苑でロマンティックな情景を想像する
などの形で、嗜好が具体性を持つ。
特定の相手に対しては、異性愛の男性だと、
大きな乳房の女性がいいとか、いや小振りな胸が好きである
とかで嗜好がある。異性愛の女性だと、
筋骨逞しい野性的な男が力強く抱きしめてくれるのが望ましい
という人もいれば、体つきも言葉も優美な男性が良いという人もいる。
このような性的嗜好は、ごく自然なものであるが、
もっと細部に拘りがある人も存在し、
赤いハイヒールをはいたミニスカートの女性を見ると性的に興奮する男性もいれば、
軍服とか、警察官の制服を着た男性を見ると、
魅惑されるという女性もいる。
同性愛の男女だと、
ボブヘアの小柄な少女が好みだというレズビアンの女性もいれば、
スキンヘッドのバイクに乗った男に抱かれたいというゲイの男性もいる。
性的嗜好は、一人での想像の場面でも、
あるいは実際に相手と性的交際を結んでいる場面でも、
様々なものがありえる。
何を想像するか、特定の人物を想像したり、
特定の場面やシチュエーションを想像することが、好ましい場合もある。
一人の想像でも、相手がいる場合でも、
対象の姿や身体の特徴、衣服や装身具の種類、話し方や身振り、動作、
更に、場面の香りや色や雰囲気、照明の光や、椅子とか寝台、
マットレスとか、色々な家具や道具などに好みのあることがある。
もっとも普通に男女が性的行為を行う場合でも、
前戯をゆっくりと楽しむ者もいれば、
いきなり行為に移るのが好きだという人もいる。
どういう色の下着を男女ともに着用しているか、女性の下着だと、
レース装飾の過剰なエロティックなものがあり、
そのような下着を見るだけで射精してしまうという男性も存在する。
性的行為に移っても、性交の体位に好みがあることがある。
ある女性は、仰向けになった男性と女性上位で交わるのが好きだ
というのもあれば、女性をドッグスタイルで、
背面から交わるのが快楽だという男性もいる。
SM的要素が入るのが好みだという人もいる。
イギリス人は18世紀、19世紀頃には、教育の厳格さで有名であり、
子供を鞭打って躾をしたが、その結果、当時のイギリスの男女は成人した後、
性的行為において、相手を鞭で打ったり、
自分が鞭で打たれたりすることが嗜好である人が多数いた。
日本では、男性向けポルノ雑誌には、
ときとして縄で縛られた全裸の女性の絵や写真が掲載されていることがあり、
縛り方にも実に多様な種類があり、
緊縛師などという女性を縄で縛る技術が卓越した者も存在する。
このような嗜好は、ボンデージあるいは縛り・緊縛などと云われ、
欧米でも珍しいことではない。
女装すると興奮する男性もおり、男女ともに、
相手の排尿の情景を見ると興奮するという人もいる。
バイブレータや張り形などの道具を使うのが好きだという男女もいる。
バナナを局部に挿入するのが好きだという女性もいれば、
張り形を使って女性に肛門を犯してもらうのが好きだという男性もいる。
どのような行為や仕草や、特徴や状況が性的な興奮を引き起こしたり、
魅惑させたりするか、想像を絶して多様なものが個々人である。
金粉を肌に塗った女性の裸体を見て興奮する者もいれば、
肌に塗るというのは同じでも、自己や他者の糞便を全身に塗りたくって、
恍惚となる者もいる。