【英語学習の】薬袋善郎 13【ベース】

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86名無しさん@英語勉強中
私は大学を卒業して予備校講師になってすぐの頃、
駿台進学研究会の新設中3選抜クラス(東大ジュニア
コースというすごい名前でした)の担当講師に指名さ
れました。生徒は中高一貫校の在籍者に限定し(高校
受験のための授業をしなくてよいからです)、定員30
人で、自作のテキストを使って、自由に授業をしてよ
い、しかも、出講料は高卒クラスと同等という破格の
好条件でした。

 今と違って当時は大学入試の競争が厳しい時代でし
たから、生徒諸君は「中3の今からしっかり基礎を固
めて、将来の飛躍を期そう」という明確な自覚があり
、こちらがハードルを高くすればするほど、目を輝か
して頑張ってついてくる、そういうファイトがありま
した。私の方も、彼ら30人のために一生懸命テキスト
を作り、手作りの小テストを毎回やり、答案添削・成
績処理も自分でやって、全力投球しました。学年の最
後には、皆でSomerset Maughamの短編小説(有名なCos
mopolitansです)を結構楽しみながら読むくらいの力
をつけることが出来ました。

 
87名無しさん@英語勉強中:2006/12/21(木) 19:51:33
彼らは、翌年、私の手を離れて駿台予備学校の高1東
大コースに進んだのですが、教材が易しすぎて苦情が続
出し、中には途中で止める生徒まで出てきました。同じ
駿台の中で、いつのまにか中3と高1のレベルが逆転し
ていたのです。これは当時大きな問題になり、担当講師
の私は、時の駿台予備学校英語科主任、伊藤和夫先生の
研究室に呼び出されて、査問される事態にまでなりまし
た。後でわかったのですが、高1東大コースのテキスト
は伊藤先生がお作りになっていたのです。私もまだ20台
の生意気盛りでしたから「生徒の力がつくことの何が悪
い」とばかりに先生にくってかかり、大激論になりまし
た。先生は唇を震わせてお怒りになるし、私も一歩も引
かずで、担当職員は青い顔をしてオロオロしていました
。結局、この問題は、私が中3選抜クラスの担当を降り
、全面的に予備学校の方に戻ることでけりがつきました。

 伊藤先生は淡白な(=さっぱりした)お方で、その後、
予備学校で私が不利に扱われるようなことはなかったし、
それどころか、私に先生の本の校正をさせてくださり、
、慰労だと言って「山の上ホテル」で高級なフランス料理
をご馳走してくれるようなこともありました。もっとも、
そういうときのお話しは終始一貫英語教育の話で、せっか
くのご馳走なんだから、もう少し違う話でもいいのに、と
恨めしく思ったものです。伊藤先生は本当にいつも頭の中
は英語教育のことで一杯の純粋な方でした。あれからもう
20年以上たちます。伊藤先生も大分前にお亡くなりになり
、私も駿台を離れて、みんな「今は昔の夢物語」になって
しまいました。