私は大学を卒業して予備校講師になってすぐの頃、
駿台進学研究会の新設中3選抜クラス(東大ジュニア
コースというすごい名前でした)の担当講師に指名さ
れました。生徒は中高一貫校の在籍者に限定し(高校
受験のための授業をしなくてよいからです)、定員30
人で、自作のテキストを使って、自由に授業をしてよ
い、しかも、出講料は高卒クラスと同等という破格の
好条件でした。
今と違って当時は大学入試の競争が厳しい時代でし
たから、生徒諸君は「中3の今からしっかり基礎を固
めて、将来の飛躍を期そう」という明確な自覚があり
、こちらがハードルを高くすればするほど、目を輝か
して頑張ってついてくる、そういうファイトがありま
した。私の方も、彼ら30人のために一生懸命テキスト
を作り、手作りの小テストを毎回やり、答案添削・成
績処理も自分でやって、全力投球しました。学年の最
後には、皆でSomerset Maughamの短編小説(有名なCos
mopolitansです)を結構楽しみながら読むくらいの力
をつけることが出来ました。
彼らは、翌年、私の手を離れて駿台予備学校の高1東
大コースに進んだのですが、教材が易しすぎて苦情が続
出し、中には途中で止める生徒まで出てきました。同じ
駿台の中で、いつのまにか中3と高1のレベルが逆転し
ていたのです。これは当時大きな問題になり、担当講師
の私は、時の駿台予備学校英語科主任、伊藤和夫先生の
研究室に呼び出されて、査問される事態にまでなりまし
た。後でわかったのですが、高1東大コースのテキスト
は伊藤先生がお作りになっていたのです。私もまだ20台
の生意気盛りでしたから「生徒の力がつくことの何が悪
い」とばかりに先生にくってかかり、大激論になりまし
た。先生は唇を震わせてお怒りになるし、私も一歩も引
かずで、担当職員は青い顔をしてオロオロしていました
。結局、この問題は、私が中3選抜クラスの担当を降り
、全面的に予備学校の方に戻ることでけりがつきました。
伊藤先生は淡白な(=さっぱりした)お方で、その後、
予備学校で私が不利に扱われるようなことはなかったし、
それどころか、私に先生の本の校正をさせてくださり、
、慰労だと言って「山の上ホテル」で高級なフランス料理
をご馳走してくれるようなこともありました。もっとも、
そういうときのお話しは終始一貫英語教育の話で、せっか
くのご馳走なんだから、もう少し違う話でもいいのに、と
恨めしく思ったものです。伊藤先生は本当にいつも頭の中
は英語教育のことで一杯の純粋な方でした。あれからもう
20年以上たちます。伊藤先生も大分前にお亡くなりになり
、私も駿台を離れて、みんな「今は昔の夢物語」になって
しまいました。