日本人の英語力が低いわけは

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711ドン ◆14J3H3f/.A
私は、野田聖子の刺客の佐藤ゆかり氏の出自を、佐藤栄作元総理大臣の縁者ではないか
と考えていたが、さすが私の心をすべてお見通しのマスコミさん、
ZAKZAKが回答らしきものをくれています。どうやらそのようですね。
彼女の実家は、佐藤栄作邸のすぐ近くに、あったということ。

小泉のやり口、創価学会のやり口は徹底していて、非常にわかりやすい。
敵の敵は味方・・・、敵をやっつけるのに、自ら手を下す必要もない、
敵の敵を使えばいいのだ。小泉はそのようにして権力の階段を駆け登ったのだ。

まずは、保守本流といえば、橋本派と堀内派であり、基本的にこの派閥の領袖が
総理の地位が確約された人間、といってもいいだろう。
その他は、スキャンダルがあったり(作られたり)したときに、穴埋め的に
総理になる、というのがイメージであろう。
小泉はYKKのメンバーであったが、ヤクザの小泉は、もちろん一番総理のいすから
遠い人間と思われていただろうし、実際そうであったはずだ。彼らの中で
総理に一番近かったのはもちろん加藤氏である。
YKKは、次世代の総理候補でかつ親しい友人だとさかんに報道されていたが、
ここにきて、その本当の中身が報道されてきた。つまりは、加藤と小泉とは
まったく話をする間柄ではなく、友達でもなんでもなく、山崎を間にはさんで
ようやくYKKが成立していたということだ。
ここでいえることは、保守本流の加藤にしてみればYKKなど実はなくてもいいものでもあり、
その加藤と同格のように扱われた小泉が一番このYKKで得をしていた人間ということである。
その総理のいすから一番遠いはずの小泉が、2000年の加藤の乱によって
浮上するとともに、翌年には、マスコミの喧伝もあり、一気に総理に上り詰めたのだった。
これを見ると、加藤は小泉に寄生され、利用され、計略にはめられて、失脚するとともに
小泉は、急に総理に浮上したということである。
小泉の政治計略のすさまじさ、すごさ、強さは、この4年間でいやというほど
報道され、見せ付けられてきた事実である。
その小泉の計略は、総理になってから急に発揮されたということはあるはずがなく、
彼は総理になるために、計略の限りを尽くしていたと考えるのが、
健全な精神を持つ人間の思考方法である。