913 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 20:22
おいクソジジイ。同じコピペ何回貼れば気が済むんだよ。 頭がボケて前に貼ったの忘れたのか?
> また、"You put it on the desk."などの文において "on the desk"を > 「机の上に」とい う意味であると主張する学校文法は、"put"という英語 > の"verb"を「置く」という意味の 日本語の動詞に対応するものである > という重大な誤りを犯してしまっているのです。"put"が日本語の動詞 > に対応していないことは、次の英文を比較すればすぐに分かることです。 > You put it on the desk. > You placed it on the desk. > You laid it on the desk. > You tossed it on the desk. > これらの文は全て「それを机の上に置く」という意味であり「どのように > して置くか」という置き方を英語では、異なった verb で表しているのです。 > 「机の上に置く」というのは実は"on the desk"の「意訳」で、直訳は > 「机の上にある状態である」です。 > 英語の "put"の本当の意味は「プッと」であり、"You put it on the desk." > の直訳は「あなたはプッとそれを机の上にある状態にした。」であり、より > 自然な日本語で言い換えると「あなたはプッとそれを机の上に置いた。」 > となるのですが、日本語では、このような日常、誰もが使っている日本語 > を否定する傾向があり、「プッと」いうような「はしたない」言葉がとり除か > れてしまい、英語との対比ができなくなってしまっていることに気が付か > ないのです。 > さらに、英語の verb が日本語の「擬態語」に相当するということより、 > もっと重要なことである以下のことをこの文から学ばなければならない > のです。
> 学校文法が "You put it on the desk."を S+V+O文型の文として扱う > ということは、この文が日本語と次のような対応をしていると思っている > からです。 > You put it on the desk. あなたは机の上にそれを置く。 > You = あなたは put = 置く it = それを on = 机の上に > つまり、学校文法では英語では「あなたは」+「置く」+「それを」+「机の > 上に」という 日本語とは異なった語順になっているということを主張して > いるのです。 > しかし、語順が異なる本当の理由は、語順が異なるような対応関係を > 勝手に選択しているからです。 > 既に述べたような"put"=「置く」という誤った対応関係から出発すれば、 > 日本語と英語は語順が全く異なるように見えるだけであり、本書が主張 > するような対応関係に従えば、この場合(S+V+O+C)のように英語と > 日本語の語順がほぼ一致するのです。 You put it on the desk. あなたはプッとそれを机の上に置く。 You = あなたは put = プッと it = それを on the desk = 机の上に置いてある状態にする
> このような対応関係に従えば、英語も日本語も同じ語順になるのです。 > 学校文法の対応関係が正しければ、日本語と英語の語順が異なって > いても仕方がありませんが、対応関係が矛盾だらけのまま、語順も > 異なったままにしておく意味はないのです。 > ただ、あまりにも"be"=「存在する」、"put"=「置く」などの、 > 「英語のverb = 日本語の動詞」という対応関係に固守する理由として、 > 「日本語と英語は語順が異なったものであって欲しい。」という無意識的な > 願望が日本の英語関係者に共通したものであるということも考えられます。 > つまり、正しいと思う対応関係に従って語順を調べたら、日本語と英語 > の間の語順が異なっていたのではなく、日本語と英語の語順が複雑に > なるように対応関係を選んだのではないかと思われるのです。 > 古代の日本に渡来した中国語という外国語から、現代の英語という > 外国語に至るまで、日本人は一貫して「日本語と外国語では語順が > 反対である。」という前提を全く疑おうとしてこなかったようです。 > 漢文の読み方の体系も、現在の日本において英語学者がほぼ確立 > してしまった英文の読み方の体系も、語順が異なることを前提とした > 体系になってしまっています。
> 下の各文を比較してください。 > We drive to Tokyo.(車で東京に行く。) > We fly to Tokyo.(飛行機で東京に行く。) > We sail to Tokyo.(船で東京に行く。) > 英語の下線部(verb)と日本語の下線部(連用修飾語)が対応している > ことは明らかで 、日本語の「東京に行く」という部分(動詞)は英語では > "to Tokyo"という部分で表現されているのです。日本語の文法用語 > である「連用修飾語」は「副詞」とも呼ばれています。つまり、この場合 > (S+V+C)は、英語のverbは日本語の副詞に対応しているのです。この > ことはまた次のことをも意味しています。それはこの場合「日本語と > 英語の語順が同じ」であるということです。 > We = 私達は > drive = 車で > to Tokyo.= 東京に行く。 > このように、正しい英語の見方をすれば、語順でさえもが同じになって > くるのです。 日本人にとって英語が難しい理由は決して語順などでは > ありませんが、初心者に対して英語と日本語の語順の違いが必要以上 > に誇張され、英語が理解できる人の頭の構造はそのように異なった > 語順に対応できる非常に複雑なものなのだという恫喝が英語学習の > 初期に行われているのです。 > では英語のverbが日本語の動詞に対応しているという明らかな誤りの > 関係がどのようにしてできたかというと、これはあくまでも推論の域を > 得ませんが、両国語の品詞の対応を先ず決めてから、語順の比較を > 行ったのではなく、両国語の語順が異なるように品詞の対応を決めて > いるようです。
> 歴史を振り返っても日本人はその昔、中国語に対しても同じような扱い > をし、近代の欧州語に対しても同じ扱いをしようとしているのです。その > 結果、日本人にとって全ての外国語は日本語と語順が異なり、従って > 外国語同士は語順がよく似ているという考えが無意識のうちに形成され > ているのではないかと思われる現象がよく見られるのです。 > 他のアジアの人達が英語を自由に扱うの傍観するだけで、日本人だけ > は英語ができなくても許されるという甘えが見られるのは、日本語は > 全ての外国語と語順が異なるのであるから、外国語同士の間では語順 > は同じであり、中国人や他のアジアの人が英語が上手なのは当たり前 > であるという意識がどこかにあるのかもしれません。 > 実際、中国語と英語は語順が同じである等という人が多くいることは > 皆さんもご存じの通りです。 > 日本の中学校などでは、日本語と語順が同じ、I walk to school. という > よく使われる英語を教えずに、I go to school on foot. などというあまり > 使われない英語の方がよく知られているのです。その理由は、次に示す > ように、日本語と英語の語順が異なるような対応があたかも存在する > ように見えるため、語順が異なっていることを強調したい人達にとっては > 都合のよい文だからです。
919 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 20:38
VSOPの代わりになり得る英文法は今のところない。
> "walked" と "to school"という2つの形容詞には共通する意味がない > この場合の方が圧倒的に多く、英語のverbを論じる場合は、この場合 > を中心にして論じる必要があります。 > 英語研究者の多くは、逆に圧倒的に少数でしか存在しない「意味が > 重複する場合」のみを分析の材料に使って、一般化しようとしている > ようです。なぜ多数存在するものを無視し、少数の存在のみを扱うの > でしょうか? > もちろん無意識にですが、その理由は「はじめから、日本語と英語は > 語順が異なっているように見させることができる数少ない例だから」です。 > 外国語と日本語の主な違いは語順の違いであるという中学低学年当時 > の低いレベルの認識から未だに卒業できないのです。少し上級の英語 > 学習者は語順などで苦労はしていないのです。 > 「to school = 学校に」と思い込み、当然の帰結として「to = に」などと > いう「英語の前置詞=日本語の助詞」という日本の英語学習者にとって > 全く不幸な結論を導いてしまっているのです。これは英米人にとって > 最もdisturbingな前置詞軽視となって表れているのです。 > 日本人が助詞を重要視することと、英米人が前置詞を重要視すること > の意味は全く異なるのです。助詞は日本人でもよく間違う位難しいと > いう意味で大切であるというのに対し、前置詞は誰も間違わないくらい > 基本的なものであるという意味で大切なのです。日常の日本語では > 助詞がよく省略されるのに対し、英語では前置詞は省略できないのです。 > 日本でも「前置詞が大切である」と主張する人がいますが、そのほと > んどは日本語の助詞が大切だという意味で主張しているだけで、結局 > は軽視しているのです。短歌における枕詞や、俳句における季語など、 > 装飾的な機能であることに気付くと俄然張り切ってしまうのがきっと > 国民性なのでしょう。
> 誤解を避けるためにもう一つ注意しておきたいことがあります。上の > 説明を聞いて、「では、goには”行く”という意味がないのか?」という > 質問をする人がいても不思議ではありません。 > この質問に対する解答を理解するためには「重ね合わせ・省略の法則」 > を先ず理解する必要があります。 > この原理の根本的な思想は、英語に限らず全ての言語の構造は単純 > でなければ ならないという考え方です。言語が言語であるためには、 > その言語が使われている共同体に属する人間の最低の知能の持ち主 > にも理解できる構造、つまり非常に単純な構造をしていなければなら > ないということです。 > 世の言語学者は言語というものはいかに複雑な構造をしているかという > ことを証明することに執心されている場合が多いようですが、いかなる > 言語にも相対性理論のように一部の限られた者だけが理解できるような > 複雑な構造など存在するはずがないことは明らかです。英語の構造が > ごく一部の優秀な頭脳の持ち主にしか理解し得ないものであるとすれば、 > 英米人の幼児の方がほとんどの日本人よりも優秀な頭脳を持っている > ということになってしまうのです。 > 英語を生業としている日本の多くの人々にとって、商売道具である英語 > が英米の幼児にでも理解できるほど単純な構造をしたものであるという > ことを認めるのは非常に辛いことかも知れませんが、事実は事実で、 > 全ての考察の基礎は、先ずこの事実を認めることから始まるのです。
> 結論として、英語を含めた全ての言語は単純な構造をしていることは > 理解できました。しかし、非常に複雑な状況、思想、概念、感情が単純 > であるはずの言語によって表現されているというこれもまた疑いの無い > 事実をどのように説明すればよいのでしょうか? 問題を要約すれば > 「単純な構造で、どのようにして複雑な内容を表現できるか?」という > ことになります。 > 結論から述べますが、言語にとって許されるであろう最大限の複雑さ > とは、情報の最小単位の単純な和です。つまり、A=X, B=Y という2つの > 最小情報単位を表現したければ、この2つの単位を単純に並べれば > よいのです。その結果、AXBY. という「文」ができるのです。 > 次に「省略」について説明しますが、これは、上のA=X, B=Yにおいて > A=B の場合は、A=X, A=Y となり、これを単純に並べれば、AXAYでも > よいのですが、重複を避けてAXYとなる ことがあります。 > 「重ね合わせ・省略の法則」は全ての英文の根底になっている大原理 > です。よく考えてみれば、全ての英文に適用されなければ「法則」など > と呼ぶことはできないのです。 > 但し、英語学習者は、ある「重ね合わせ・省略の法則」以外のある主観 > 的な規準を基にして、英文を見ているため、「重ね合わせ・省略の法則」 > という観点から見れば全く正常な英文であっても、「異常に」映る英文が > 存在します。 > 例を以下に挙げておきますが、通常全く異常だと思わない英文にも > この法則が貫徹しているということを理解しておく方がもっと重要です。
> 「重ね合わせ・省略の法則」で説明できる「異常」な現象 You come see me. (= You come. + You see me.) --- (1) You are in here. (= You are in. + You are here.) --- (2) You come on in over here. (=You come on. + You come in. + You come over. + You come here.) --- (3) Look what you have done. (= Look. + What I have done) --- (4) > 不思議なことに、日本ではこのような英米で日常的に使われている英語 > を「文法的に正しくない」などと言って否定し、使うことを拒否し続ける人が > 非常に多いのです。 > (1) の場合は「You come and see. の"and"が省略されている。」 > (2) の場合は「"here"は名詞でなく、副詞であるから」 > (3) の場合は無視 > (4) の場合は「Look at what ....の”at"が省略されている」 > 等と勝手な理由をつけて、身の程知らずにも、英米で使われている英語 > に異義を唱えているのです。 > 現実に使われている英語が既存の法則で説明しきれない場合、その > 英語を否定することによって既存の法則を守ろうとするような態度から > は何も新しいものは生まれてきません。既存の法則を見直し、あるいは > 否定することによって、現実の英語を説明できるような体系に作り上げ > ていくのが正しい態度です。
> 重ね合わせ・省略の法則によると、I go to school on foot.という文は > I = go -------- (1) > I = to school --- (2) > I = on foot > という情報が単純に重なり合って、重複する"I" という主語が省略され > たものであるということができますが、ここで、(1)における"go"(=行く)と > いう形容詞と、"to school"(学校に行く)という形容詞には意味的に重複 > する部分(=行く)があり、二つの形容詞は矛盾さえしなければ共存します。 > 意味が重複する部分が存在するということに気付かないため 「学校に > 行く」の「行く」という意味は"to school"という部分にも含まれているという > ことに気付くことができず、"to school"の意味は「学校に」であると誤解 > してしまっているのです。 > ここで説明している「意味が重複する」場合は意味が重複しない場合に > 比べて非常に少ないであろうということは言葉の経済性から考えても > 明らかです。もう一つ例をあげておきます。 You depend on it. (重複有) ("depend" と "on it" ) You rely on it. (重複有)("rely" と "on it" ) You lean on it.(重複無)("on it" が優先) You count on it (重複無)("on it" が優先) You draw on it. (重複無)("on it" が優先)
> 意味が重複していない場合に注意しなければならないことがあります。 > それは、意味の異なる複数の形容詞を並べた場合、後に配置される > 形容詞の方が基本的な意味を表し、前に配置される形容詞はニュアンス > 的な細やかな情報を表すということです。 > また、配置される形容詞が他の形容詞と矛盾する場合は、後の方の > 形容詞の意味が優先します。 > 例えば、I walk to school. では、"walk"という形容詞より、"to school" > という後の形容詞の方が基本的な意味を表しており、They climbed down. > では "climbed" と いう形容詞より、"climb"の単独の意味と矛盾する > 形容詞の意味をもつ"down"の意味が優 先されます。 > このように連続して形容詞をニュアンスから基本構図へという順で並べる > 場合に対して、その順を崩し、優先順位を変更する場合があります。 > 例えば、She is cooking in the kitchen. という 通常の順を、 > She is in the kitchen, cooking. のような順にすることがあります。 > ”is cooking in the kitchen"などを「合成形容詞」と呼んでいます。 > 「合成」という理由は,この形容詞は"is" + "cooking" + "in the kitchen" > という形容詞の単純な和から成っているからです。
> 【動詞は形容詞である】 > 日本語と英語の語順が反対になるように品詞を決めていった日本の > 英語指導者達に学ぶわけではありませんが、本講座の根幹の一つ > である「重ね合わせ・省略の法則」が成り立つためには、通常、形容詞 > として呼ばれていないものも形容詞と呼ぶ必要があります。 > 既に前段で気が付かれているかと思いますが、本講座では"I walk > to school."等におけ る "walk" と "to school"を形容詞としてみなし、 > この二つの形容詞の単純和である"walk to school"を合成形容詞と > 呼んでいるのです。 > 皆さんが習ってきた英文法では、”walk"のことを形容詞などと呼ぶこと > は無知以外の何物でもないということになりますが、その理由として > 「重ね合わせ・省略の法則」がより普遍的な形にまとめることを目的と > する以外にも次のような大きな理論的な理由があります。 > それは、形容詞を「名詞を説明する部分」と定義しているということです。 > 英語関係者に限ったことではないとは思いますが、定義をいとも簡単に > 無視する人が非常に多いのです。定義という言葉の意味を「定義」 > しなければならないという悲しい論理的無節操な状態が英語の文法 > などを研究している人達の間で日常化してしまっているのです。 > 仰々しく定義など与えても、それを守りたくなければ、はじめから定義 > などしなければよいのです。I walk. という文において"walk"は明らかに、 > 名詞"I"を説明しており、形容詞の定義に従えば、"walk"は形容詞 > ということになります。
> もし 、この結論が気にいらないならば、そのような定義をしてしまった > のが悪いのであって、別の定義に改めればよいのです。 > 定義をそのままにしておいて、"walk"は形容詞でないと言い張るのは、 > ただのわがままなのです。 > 一般に英語学というものが学問足り得ないのは、このような論理的 > 厳しさが存在しないからです。英文が整然とした構造をもった体系である > ということが見えてくるためには、「動詞を形容詞と呼ぶ」という一見 > 矛盾した見方などを受け入れていく必要があるのです。
> 英会話始めたのですか〜頑張って下さい!!
>
> 私は中学の頃からもう5年間英語を頑張ってきたのですが学校で習う
> 英文法に疑問を持ち始め、「これがホントの英語のしくみ―日本人の、
> 日本人による、日本人のための新しい英文法」の本を出している西巻
> さんに直に教えて頂くようになったのですが英語を英語で考えられる
> ようになって、8ヶ月後の先月には海外で現地の方と英語で話せるよう
> にできるまでに伸びました。もちろん、英文が前からすらすら読める
> ようになります。こういった内容の本は他に一切ありませんので是非
> 読んでみてください、必ず役に立ちます。
>
> 何故そう組み立てるのかよくわからないが英会話教室に通うよりも一
> 番の近道は論理的に理解する方が身に付く速度が全く違いますよ。
> そして何より、文法パターンは一個で済んでしまうから驚きです。
> (あとは単語力が勝負なんですよ・・・)
>
> この本はどちらかというと文系の理系寄り、又は理系の方にはぴったり
> だとおもいます。(この本より以前の本はバージョンが古いので未完成
> の所も多く、本人も今回のは自信作だとおっしゃっていたのでこの本・
> これからの本を読むといいとおもいますよ。)
>
> 最近、日本語に加えて英語でも夢を見るようになりました。
http://ieiri.jp/archives/000067.html
このスレッドを気にせずにはいられない うさんくさい五文型信者さんへ あなたが大学入試で「頭打ち」だったのは、 決して英語自体が難しいからというわけではない。 頭脳の偏差値、地頭、 つまり「論理性」が低かったからだ。
「UDA式30音のUDAさんのアメリカ体験記」でも、
VSOP英文法と、驚くほど似たようなことを言っている。
> 英語は「そのうちに理解できるようになる」という
> 友人のアドバイスは本当でした。新聞記事が、
> おぼろげにわかる状態が増えました。
> やがて英語独特の
> 骨組みを述べて
> それが何だ、と
> 説明を加える感覚
> に気づいたときは、
> 急速に読むことに自信がついてきました。
http://www.uda30.com/bay/US-Life/USlife3.htm
>>930 の「感覚」こそ、あらゆる論理的批判に耐えうる
強固な「VSOPパターン」に他ならない。
これだけの共通性があれば、VSOPにバイリンガルが
関わっていることを示唆するには十分だろう。
やった人にしかわからないかもしれないが、
「できる人間」に聞けば、一番強調するところに
どうしても共通性が見えてくる。
それは一番残る「核」の部分だ。
現実逃避はできない。逃避をするなら、
何度でもソースのコピペを繰り返すだけだ。
「英語は絶対勉強するな」よりは役に立ちそうニダ!!< 丶`∀´> ニダーリ
英文の意味を理解するときに、 最初に直訳を考えます。 {Sが、<Vする/なる/であるの>は、Oに対してで} [それは] Pでです。 この直訳のままで文意が理解できるようになります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 英会話は、このノリで文を作っているわけですから、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この感覚が身に付かないとしゃべれません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
VSOP英文法では、{S-<V1-V2>-O}-Pで 英文が形作られていると考えます。 日本人が英文が分かりにくくなる理由の一つに、 「判断語Vが<V1 ―V2>の2つの要素でできている ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ という論理的な理解をしていない」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ことが上げられると思います。 V1は判断詞=be動詞、 have動詞、隠れた [do] のことで、 V2は内容詞(判断内容語)で、「あらゆる種類の言葉」が 使われます。 このように英語を理解していないと、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ この{S-<V1-V2>-O}-Pと対になっている ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ S^V2-O-Pになっている裏ワンパターンとの ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 関係も理解できないのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ このような言葉の関係が教えられていないので、小学生を 対象にして書かれているハリー・ポッターも、難しく感じられ てしまうのです。
936 :
大学受験失敗組 :04/07/18 22:40
つまりVSOPこそが英文法だってことだね。
937 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 22:46
君からチンコを取ったら何が残るかを考えれば答えは出るよ
938 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 22:54
>>848 It is の後ろなんてなんでも来ますよ。
It is my car. my carも補語ですか?
逆に、補語しか来ないという限定の根拠を教えてください。
というより補語の定義をしりたいなぁ。
939 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 22:56
.ノ′ } 〕 ,ノ .゙'┬′ .,ノ ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y .,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ ,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/ l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _>< 《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` { \《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ } \ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕 .゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .} ゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト ゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ 〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙ l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ | ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ, | ノ′ ヽ 〔 ミ } } ′ } { .| .ミ .< 〔 〕 .{ \,_ _》、 .{ .} { ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
940 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/18 23:17
50前ですが、妻が若いのでけっこうしてます。体を鍛えて体重を 維持すれば中折れもありません。この年になると羞恥心がないので、 いろんなことができるのです。しかあ〜し、オナニーもいいなあ。 女装子もだいすきです。かわいい男の子も食べます。 ここで質問私はホモなんでしょうか?
人間、ほんとに追い詰められると、幼稚化するらしい。 五文型信者のなれのはて
942 :
薀蓄王 ◆H1qzwafkag :04/07/18 23:30
すばらしい理論の引用をありがとうございます。 整理がなされたすばらしい理論であると思います。目からうろこという思いがします。 文法的に、生命を奪われた、言葉に息吹を吹き込むすばらしい理論です。 この世に雑草などないということがよく言われますが、英語の世界において それをなされたことに、ただただ敬意を表します。 品詞分けについてですが、わたしも、品詞分けの矛盾、意味を思索中でした。 たとえば"play"という単語は、時によって名詞になったり動詞になると、とらえるのではなく、 "play"が形容する内容をあくまでも主張しつづけているだけである、 というようなことです。その結果、たまたま名詞とよばれるものになったり 動詞とよばれる使われ方をする。言葉とは、いろいろな概念を形容するために 命名されたものの集まりである。その交通整理のために、それなりの法則が生まれるが あくまで、主役は単語そのものの概念、形容力であるべきなのです。ひとつの言葉を 文法によって、切り貼りしてしまうと、物事を難しく複雑にしてしまうのではないか、 ということを考えていました。 よって動詞をも形容詞と呼んでしまうことの本質は、十分に理解し共感できます。 言葉は物事を形容するために生まれたもので、すべて形容詞といえば形容詞である、 という、大雑把な認識、立場からではありますが、大雑把に賛意を表しておきます。 もっと体系的、深いところで形容詞という言葉を使われているのかもしれませんが、 それはまた勉強させてください。
943 :
薀蓄王 ◆H1qzwafkag :04/07/18 23:52
上のほうで、私を誉めてくれている人がいますが、ありがとうございます。 でも、私が、ニセ理論家であることをお忘れなく。 まあ、そのうちわかると思います。ケンスレの半獣人ですから。
944 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 00:07
vsopを飲もう会
945 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 00:10
薀蓄王=ウンチ食おう ケッ
>>941 必死にコピペ&自演し続けているVSOP信者も、かなりアレかと。
英語の基本パターン: { S V O } P 主題{S=主語 V=動詞 O=対象語} P=Predicate=叙述 V=話し手の判断 O=話の中心 P=一番伝えたいこと V=V1+V2 S}V ⇒ {S-V}-O ⇒ {S-V-O}-P ⇒ {S-V-O}-P1、P2 五文型を単純に置き換え、焼きなおしたものではなく、アメリカ育ちの日本人 バイリンガルとの共同作業で、統一的に組み替えているもの。だから相違を 一言では書けない。裏パターンもあって、それもちゃんと書かれているが、 いずれにしても統一的だから、五文型ほどややこしくなっていない。 「ネイティブの頭での感覚」に近いことは間違いない。
発展編 (命令文とそのバリエーション/ 述語に意味を添える(2)助動詞相当語句)/
実践編 (出来事を判断して伝える/ 実際の文を理解する:述語記号で操作する)/
まとめ編(that節の使い方のまとめ:複文のでき方・使い方/ 名詞を修飾している言葉のまとめ:形容詞・句・節/ 述語を修飾している言葉のまとめ:副詞・句・節/ be動詞と第二文型について・現在の英文法のおかしさ/ [述語記号+述語内容語]論の整合性の高さ
953 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 01:50
>>942 おもしろい考え方ですね。
もともとの英語はそういうものだったのかもしれません。
その後のラテン語からの転用や外来語の流入やらで
名詞、形容詞などはっきりとした区別ができてきたとも
考えられますね。
それでも、不規則変化する動詞などは残っているわけで
そういう品詞分けしない源英語の構造や考え方も現在の
英語に十分のこっているのかもしれません。
英語は、判断詞(be、do、have、助動詞)に対する位置や、 それらの「表出や消失」で、言葉の働きを決めている。つまり、 「その起源であるゲルマン語の格変化を中心とした屈折語」 ではなくなり、中国語と同じように「語句毎に独立した意味を持ち、 位置で働きを決める孤立語」に変化してきているのだ。VSOPは、 現代英語の「本当の文作りの規則」が理論化されたものだ。 そういうことが書かれているのが、 「新英文法単則典」(VSOP2.0)だ。
955 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 02:34
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / ヽ / ̄\ l \,, ,,/ | ,┤ ト | (●) (●) | これから英語板はVSOP軍団が | \_/ ヽ \___/ | | __( ̄ | \/ ノ 仕切って盛り上げていくよ!! ヽ___) ノ
956 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 05:51
なんかVSOPが猛威をふるっているね。 抗生物質が効かなくなったスーパーウイルスみたい。 それも超悪性のね。 はやく地球上から消え去ってくれないかな。
957 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 06:04
( ヽ ―――― ○ ―――― , ⌒ヽ ( ) // | \ ( ' ( ヽ⌒ヽ 、 / / | \ ゝ `ヽ( ) | (⌒ 、 ( ⌒ ヽ ( ヽ ∧__,,∧ ((( ))) ____________________( ´・c・`) ______________________________ ( ・c・`) ____________________________ ( つ(\ ( つ(\ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_ ) ____ ・_つ ) ____ ・_つ (/ (/ (/ (/ 。 ゚ 。 ゚ 。 ゚ 。 ゚ 〜〜〜〜 〜〜〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜 〜〜 〜 〜〜 〜〜 〜 〜〜 〜〜 〜 〜〜 〜〜 〜 〜〜 〜〜 〜〜 〜〜〜 〜〜 〜〜〜 〜〜 〜〜 〜 〜〜 〜〜
958 :
名無しさん@英語勉強中 :04/07/19 08:08
人 (夏_) (__) (,,・∀・,,) 夏だぜィェ-ィぬるぽ♪ ( つ(\ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_ ) ____ ・_つ (/ (/ 。 ゚ 。
>953.942 そんなの簡単です。 言語は、意味と構造が一体化したものであり、 言語から意味だけをとりだせば、 もはやそこには言語構造(文法構造)は存在しなくなるからです。 そこにあるのは位相です。したがって意味空間では 名詞、動詞、形容詞、副詞という区別さえ存在しないはずです。 でも、言語は意味だけでなく、そこには構造も存在しているのです。 五文型文法は、構造のほへ偏り、 VSOPは、意味に気を取られ、構造は大雑把になるきらいがある。 だから、VSOPでは先程の私の質問に答えられないのです。
962 :
名無しさん@英語勉強中 :
04/07/19 10:10 VSOPの更なる飛躍に期待したい。