―――Don't Attack Iraq―――

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67名無しさん@3周年
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【高山正之の異見自在】真珠湾を見た男 世界はみんな腹黒い
                        [2000年12月02日 東京夕刊]
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 一九四一年秋、英自治領ビルマの首相ウ・ソーはロンドンにチャーチルを訪ねた。その
当時のビルマには防衛、外交、財政の権限は一切認められておらず、名ばかりの「自治」
だった。
 彼はチャーチルに言った。「英国のためにビルマ兵を戦場に送ります。その代わりに戦
後にビルマの独立を認めてほしい」と。
 しかし人種差別意識の強いチャーチルはそんな論議をする気にもならず、そっけない返
事で彼を追い返した。
 ウ・ソーは、それで大西洋を渡った。民族自決をうたう「大西洋憲章」を書いたルーズ
ベルト米大統領に会うためだった。

 しかし、この大統領もチャーチルに輪をかけたアジア人蔑視思想の持ち主で、ウ・ソー
はお目見えの機会も与えられないまま三週間も待って、しおしおと帰途についた。米西海
岸からハワイへ。さらにパンアメリカン航空の飛行艇「チャイナ・クリッパー」でマニラ
に飛ぶつもりだった。
 ホノルルに着き、搭乗便をホテルで待っていた彼は十二月のある朝、異様な轟音に驚い
て窓の外を見た。そこには日の丸をつけた無数の戦闘機が舞い、黒煙の立ち上る真珠湾に、
そして遠くヒッカム基地に襲いかかっていた。
                 ◇
 その年の大晦日、ポルトガルの首都リスボンにある日本大使館に一人の訪問者があった。
応対した千葉公使の公電が麻布の外務省飯倉公館に残されている。

 「ビルマ首相ウ・ソーが密かに来訪せり。ハワイより引き返し大西洋を経て当地着。帰
国のための飛行機待ち合わせの間を利用し苦心来訪せる趣なり。その申し出は左の如し」
68名無しさん@3周年:03/03/24 00:40
 「シンガポールの命運旦夕(たんせき)に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会
と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約せらるるにおいてはビルマは満州国の如く
日本の指導下に立つ国として日本とともに英国勢の駆逐に当たり、また日本の必要とする
資源は悉(ことごと)く提供の用意あり」

 ウ・ソーは自分が真珠湾で目撃したものがしばらくは信じられなかったという。同じ肌
の色をした日本人が、少なくともアジアでは白人の力と英知の象徴とされた飛行機を操り、
傲慢な白人どもを叩きのめしていた。おびえて逃げ惑う白人の表情も彼は初めて見るもの
だった。
 そういう興奮が彼の言葉の間ににじみ出ている。
 ウ・ソーはまた、国際社会の指弾を浴びる満州国の姿をかなり正確につかんでいた。ア
ヘンが禁止され、学校がつくられ、インフラも整備されていた。そのすべてがビルマには
なかった。
 彼は独断で、この決断を下し、国に戻ったら、それを実行できる自信があった。

 ビルマ首相の極秘訪問を伝える公電は翌四二年一月一日、暗号化され東京に送られた。
同じころ、ウ・ソーはリスボンからケニア経由で祖国に向かう民間機のシートに身を沈め
ていた。
 ナイロビに着いたとき彼は英軍の情報部将校に呼び止められた。彼は捕らえられ、監獄
につながれた。なぜ、こんなに早く“裏切り”が露見したのか、彼は見当もつかなかった。
 実はその二年前に、米海軍情報部とFBIが協力してニューヨークの日本総領事館から
暗号表を盗み出し、それ以降の日本の外交文書はすべて即座に解読されていたことが八二
年に解禁された米安全保障局(NSA)の文書で明らかにされている。
69名無しさん@3周年:03/03/24 00:40
 ウ・ソーの逮捕を知らされたルーズベルトはチャーチルにこう書き送っている。
 「私はビルマ人が大嫌いでしたが、あなた方も(ビルマを植民地化して以来)この五十
年間、彼らには随分、手を焼かれたことでしょう。幸い、日本と手を結ぼうとしたウ・ソ
ーとかいう彼らの首相はあなた方の厳重な監禁下に置かれています。どうか一味を一人残
らず捕らえて処刑台に送り、自らの蒔いた種を自分で刈り取らせるよう、願っています」
(クリストファー・ソーン「英米にとっての太平洋戦争」)

 しかし、ウ・ソーはすぐには殺されなかった。英国は彼の処刑をもっと有効な形で実行
した。
 日本の敗戦後、ビルマに戻った彼は祖国がいつのまにか植民地から立派なビルマ人の国
に立ち戻っているのを知った。それをやり遂げたのは戦時中、日本と協力したアウン・サ
ンだった。
 ウ・ソーは複雑な思いだったといわれる。宗主国に盾突こうとして監獄につながれたの
に、それを評価もされず、若い英雄が彼に取って代わっていたからだ。
 その彼に英国は一台のジープと何丁かの軽機銃を「彼が希望するまま引き渡した」とい
う。
 そして翌日、旧英総督府に一台のジープが乗り付け、四人の兵士が二階の閣議室に乱入
し、アウン・サンを軽機銃で撃ち殺した。
 英国は、ウ・ソーをアウン・サン暗殺の黒幕として処刑した。そしてアウン・サンの娘、
スー・チーを英国に引き取り、育てた。いつの日か、英国に役立つカードになると期待し
て。
                ◇
 腹黒い策士、野望家と歴史の中で酷評されるウ・ソー。彼が見たあの日の真珠湾から今
年は数えて五十九年目に当たる。
 彼をつき動かし、アジアをゆるがせた戦争の顛末(てんまつ)を素直に見直してみると、
本当に腹黒いのはだれかよく分かる。(編集委員)