28 :
名無しさん@1周年:01/10/22 22:56
関係なくてすまんが
筑紫てつやのえいごはきったなくて
最悪
得々としゃべってるとみると腹立つ
関係なくてほんと御免
29 :
名無しさん@1周年:01/10/22 22:59
木村太郎は外国ではそれなりに評価されているのでは?CBSニュースのインタビュー
にだいぶ前に出ていた。
30 :
名無しさん@1周年:01/10/27 17:27
age
31 :
名無しさん@1周年:01/10/27 17:52
幕末の志士の人達ってのは気が狂うぐらい勉強してたよ。
例えば勝海舟の場合、
1日のうち 日中は剣の修行か私塾での勉学をやりながら
深夜までさらに勉強というのが普通だった。
つーか 下級武士達は収入がないから 洋書の翻訳やら 家庭教師やら
住み込みの書生とかやりながららでないとやっていけないのが大半だった。
その上 蘭学とかの洋学は学費がべらぼうに掛かるので普通のやりこみ具合じゃ 家計のやりくりが不可能でしょう。
私達が普通に使ってる辞書が数千円で入手できるのに対して
当時の価値に換算すると 収入 数万程度の書生が40〜50万の教材費を調達するようなもの。
気が狂うくらいアルバイトをやらないと無理です。
若い時の勝海舟の場合は 睡眠時間平均2時間程度で生活していたようです。
32 :
名無しさん@1周年:01/10/27 17:54
>31
ナポレオンもビクーリですね。
知らんかた。
時代が違うんで説明が難しいんだが、
幕末で洋学関係で有名になった人達ってのは 医学を学んだ人達とか多いね。
だから なんとか判りやすいように例えてみると、
京大に入る為の予備校の費用と、(さらに合格した場合の諸々の費用)
それを 空手や柔道のような護身術の武術を身に付ける道場に通いながら、
(当時は 文武両道じゃないと武士として認めてくれなかった=良い役職に就けない)
さらに 家が貧しいので家族の生活費も捻出する。
こういうのは普通に考えたら私達には無理でしょう(^^;;
勝の場合、
家がとても貧しかったので姉二人は親戚のうちに出され、妹は遊郭に出されてました。
一応旗本だったのですが、下っ端だったので ほとんど給金らしいものはありません。
一家4人が 年に50万ぐらいじゃ生活できないでしょう・・
幕府の禄なんてそんなものです。
仕方ないから 100万やら200万相当の輸入蘭書を購入?して、
それを自分で勉強しながら筆写して書き写したものを転売しながら生活費の足しにしてました。
借金やらなにゃらの自転車操業ですね
34 :
名無しさん@1周年:01/10/27 20:11
幤原の英語はすごかったらしいね.
35 :
名無しさん@1周年:01/10/28 10:25
小野妹子の時代て、中国語を使ってたとか言う話をきいたけど。
36 :
名無しさん@1周年:01/10/29 14:37
自分らが率先して外国語を覚えてヨーロッパの知識や文化、技術を吸収しないと
日本が征服されるかもしれなかったのだから、意気込みもそりゃ私達とは違ったでしょう。
37 :
名無しさん@1周年:01/11/05 05:52
age
38 :
名無しさん@1周年:01/11/09 21:10
もっと話を聴いてみたい。
39 :
名無しさん@1周年:01/11/09 21:14
全て独学だったんですね。すごい。
40 :
名無しさん@1周年:01/11/09 22:02
関係ないがオナニーは一人セックスとも言える。学習も一人で
やると独学、ふたりでやるとセックス、みんなでやると乱交な
のか?
41 :
名無しさん@1周年:01/11/09 22:04
なんか、そうともいえるけど、本題から又それてるともいえる。
42 :
名無しさん@1周年:01/11/09 22:04
そうか。
43 :
kunnys:01/11/11 15:30
志摩半島の美浜だっけ、そこの漁師でなんとか吉っていう人物が、ジョン万次郎に先立つ人物だと思う。
福沢諭吉が万延元年のアメリカ訪問につづいて、欧州に視察に出かけたときの
日記に、この人物がたずねてきて、いろいろアドバイスを受けたと記している。
この人物はシンガポールで荷役業で成功しており、
日本からの訪欧団が立ち寄ったと聞き、福沢たちに会いに来た。
その後歴史に大きくかかわった形跡はない。詳しくは福沢の訪欧記を読まれたいが、
歴史家たちは、早すぎた人物としているようだ。
1600ADに漂流し大分に着いたウイリアムアダムスとヤンヨステンじゃないかな?
前についたのはスペインかポルトガルのヤツだから彼らを介して日本語習得。
だから有名人としては徳川家康が英語習ったとおもわれ。アダムスは旗本として
遇され800〜3000石ぐらい三浦の土地を与えられたとおもったが??
なおヤンは八重洲口の語源(オランダ人)今の三越デパートのあたりにアダムス
は家をかまえてた。案針どうりでその名がのこってる。アダムスの墓は長崎だが
京急の駅名安針塚は記念碑の名残。
46 :
名無しさん@1周年:01/11/11 20:50
英語を覚えて日本で活躍した(別に活躍しなくてもいいが)日本人に
限定しとかないときりがないなあ。
万次郎みたいに遭難して、英語圏で暮らした人なんて、歴史に残って
ないだけでたくさんいるだろうし。
47 :
名無しさん@1周年:01/11/13 20:48
48 :
名無しさん@1周年:01/11/13 21:14
ちょっとトピの主旨からずれるけど、中公新書の「英語達人
列伝」に、新渡戸稲造とか岡倉天心のことが詳しく書かれている。
そこから推察するに、彼らは「うまい」というレベルじゃなくて、
「ほぼネイティブ」状態だったよう。
新渡戸稲造は、当時のエリート中のエリート。その頭脳だけで
も凄いのに、眠くなったら井戸水をかぶって目を覚ましてまで勉
強に励んだらしい。やっぱりそこまでしないとダメなのか…
そうか、よし!
50 :
名無しさん@1周年:01/11/14 02:04
2・26事件で暗殺された高橋是清はすごかったみたいよ。
仙台藩の留学生としてアメリカに行くが、何故か奴隷として売られた、
奴隷として働きながら英語をマスターした、と。
そりゃうまくなるわな。
スレ違いっぽいので下げますが、、
横溝正史(八墓村など)と江戸川乱歩は、欧米のミステリーを
いちはやく原書で読んで、議論を戦わせていたらしい
乱歩はまあそんなもんかと思ったけど、横溝正史も英語で読めたんだね。
昔といってもついこの何十年か前迄、大衆作家でさえその程度のレベルにあったということでしょうか。
52 :
名無しさん@1周年:01/12/03 15:14
当時は海外からくらいしか
探偵小説(当時はこう言ってた)の情報源がなかったからじゃない?
あるいみ物書きってのは知識欲の塊みたいなものだから、
勉強とはまたべつな気もしますが・・
53 :
名無しさん@1周年:01/12/07 18:40
age
54 :
名無しさん@1周年:01/12/24 01:04
ジョン万次郎の書き取りノートみたいな本買ったけど なかなか面白い
発音にはやっぱ苦労してるみたいね。
彼
55 :
名無しさん@1周年:01/12/24 20:35
ちなみに 『ホッタイモ イジルナ』これの初出もジョン万次郎。
>>54がゆってる英語ノートに出てくるので確認出来る確かな情報
56 :
名無しさん@1周年:01/12/24 22:04
自分がボルネオに漂流して そこに数年暮らしたからといってボルネオ語がマスターできるとは思わない。
英語の基礎が全く無い万次郎が、漂流しただけでできるようになったのは凄。
57 :
名無しさん@1周年:
>>56 彼は漂流から救出された当時 12〜14才 何にでも興味を持つ質問魔だったらしい、
そのことも関係あるのかも。(仲間のおっさん連中は あんまり英語は上達しなかった)
それから その飲み込みの早さが見込まれて 船長の養子扱いになって
アメリカ本土で教育を受けさせてもらった。努力家だったんだね