http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/sedan.html 1870年9月1日「セダンの戦い」 〜 普 仏 戦 争 〜
■両軍の兵力 ヘルムート・フォン・モルトケ率いるプロイセン軍(兵力約24万名)
対 ナポレオン3世、マジェンタ公マクマオン元帥率いるフランス軍(兵力約15万名)
1. 夜明けとともに始まった激しい戦闘でフランス軍司令官マクマオン元帥が早々と負傷します。
フランス軍の指揮を引き継いだデュクロ将軍は、自軍の戦闘状況が非常に悪いので
プロイセン軍がセダンを包囲する前に退路を確保するしかないと考えましたが、
前日に到着したばかりのド・ヴィムフェン将軍は退却に反対して、陸軍大臣の命令により
フランス軍の指揮権を自分に渡せとデュクロ将軍に迫ります。
この日、フランス軍の3人目の指揮官となったド・ヴィムフェン将軍は
2時間で敵を押し返すと豪語しましたが、現実にはプロイセン軍の大砲が
続々と集結し、強烈な敵砲火によってフランス軍部隊にかなりの被害が出ていました。
2. 午前11時にはプロイセン軍の包囲が完成し、フランス軍に対する砲撃は
より激しくなります。 フランス軍の最高司令官ナポレオン3世が降伏を考え始めた頃、
マルグリート将軍の騎兵師団がプロイセン軍の包囲を突破するために決死の攻撃を
敢行することになりました。マルグリート将軍は敵陣の偵察中に戦死してしまいますが、
勇猛なガリフェ将軍が代って騎兵師団の指揮をとることになります。
デュクロ将軍率いる歩兵部隊の援護のもとで、ガリフェ将軍の騎兵師団は
セダンの北西にあるフロアン村に突撃していきました。