378 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 16:04:49
貧しいから仕方なかったんだ。
俺はその子供にマーブルチョコを渡してダッシュで逃げさせたい。
店員が追ってきたらわざとぶつかって壁になる覚悟と優しさが俺にはある。
379 :
376:2007/02/05(月) 16:55:53
>378そんな優しさは俺にはねーよ。勝手につくんな
380 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 16:59:08
正月実家帰って高校時代のツレで初詣行った後一人暮らししてる奴んとこで飲みまくった。
高校時代好きだった由梨も来てたんだけどめちゃ酔ってて、パンツ見えた。
男5人はむらむらしてきたんだけど俺はやっぱり昔からずっと好きだったから、
見るのためらってたけど、ツレたちはみんな寄った勢いで覗き込んだりめくったりし始めて、
他の女たちもノリでおれらのチンポ触りだしたりすごいことになった。
そのあとエロ話暴露大会→触りっこ→キス大会→フェラチオって強引な流れに。
由梨も大学の彼氏と何度かスワッピングしたことあるらしく抵抗無くツレにフェラしてた。
おれだけは躊躇してたから、他の女とキスとかパイもみしただけだったけど、
みんな酔いつぶれて寝てから、そっと由梨んとこ行って、かぴかぴになった可愛い唇に、
ぎんぎんになったちんぽをそっと押し付けたら、うん?って言いながらしゃぶってくれた!
381 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 17:10:31
27歳ニートで、身長166センチ体重92キロ(おととし計測)のひきこもりなんだが、
バイトももちろんしたことないし、高校卒業してから一度も就職活動らしきものもせず、
親からもらう月2万の小遣いだけで、好きなアニメのフィギュアやDVDを買いながら生きてた。
父親は働けと言いながら殴ったり、俺の部屋に「怠け者」って張り紙してきやがるし、
弟は調理師の専門学校卒業して近くの洋食屋で見習いコック始めたからって、
俺のことをお荷物デブってののしるし、一番下の妹は中学時代レイプされた後遺症で、
男とは兄弟でさえも口をきくこともできないような殺伐とした家庭環境だった。
唯一の理解者である母は、俺にも優しかった。
でも俺は母が月2万しかくれないことが許せなくて、いつも殴ったり食器割ったりしてた。
その度に母は泣きながら「ごめんね」と言ってきたが、その言葉がより俺を逆上させていた。
ある日、ニンテンドーDSが欲しかったけど貯金ないから母に誕生日プレゼントに買って来いと言った。
もちろん母が知っているようなデパートやおもちゃ屋には売ってない。
1週間くらい、来る日も来る日も、まだDS買ってないのかと叫んで殴った。
誕生日の日、母を殴った拍子にテーブルに頭を打ち、母は死んだ。
「DS買えなくてごめんね。お誕生日おめでとう・・・」の言葉を遺して。
384 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 17:47:33
俺は
>>378の正義の塊であるが
お前のマネもフリもしたつもりは無いぞ
>>379。
何故貴様は靴下の代金を払って辞めたのだ?
そのまま居続け、貧乏な少年少女を救おうとは思わなかったのか?腰抜けめが。
万が一にでも他の店員に発見されたなら貴様が壁となって守ってやれんのだ?
それでも貴様が守れ切れない場合は替わりに代金を払うぐらいの懐が無くてどうするのだ。
貴様のようなクズと一緒にされるとは片腹痛いわマヌケめ。
385 :
376:2007/02/05(月) 18:22:21
>>378給料安い 働いてる社員くそ 千葉暑い
からやめました。
僕もあなたのような正義感の塊になります!
でもそれって万引きと同じでしょ
>万が一にでも他の店員に発見されたなら貴様が壁となって守ってやれんのだ
はっきりいうと犯罪です。
386 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 18:48:51
>>385 バカヤロウ!!
男ならやってやれ!だ!
387 :
376:2007/02/05(月) 19:02:19
ああそうか!やってやれ!か!
388 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 19:06:09
俺の最高にいい話
3月末で異動。やっと名古屋から出られる。
389 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 19:32:58
友達の家のベランダから外を眺めてると
いかにも純情そうな高校生のカップルがラブホから出てきた。
進学校の制服だった。
小学生二人がセックスセックスとからかった。
小学生は自転車に乗ってたがあわてて逃げようとして転んだ。
彼氏は転んでる小学生の方に駆け足で近寄り・・・
ボッコボコに蹴りこんだ。
彼女は小学生のランドセルを川に投げ捨てた。
さらに自分の自転車の丸いロックを小学生の自転車につけて鍵だけ捨てた。
おしゃれなマウンテンバイクは泥除けを折られた。空気も抜かれた。
顔に何か落書きもされてるようだ。
俺はカップルが去った急いで家をでて後泣きじゃくる小学生を観にいった
なんと小学生の額には「天誅」の文字、さらには俺のいた家の友達の弟
不覚にも爆笑してしまった俺は、その家を出禁になった。
390 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/05(月) 22:29:33
いい話だ・・
391 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/14(水) 10:08:11
昨日、電車でお年寄りに席を譲ってもらった。
やっぱりゲロは嫌なのかな。
392 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/19(月) 15:33:01
酔ってたね!?しかも2回も酔ってた!?お父さんですら酔ってたこと無いのに!
393 :
名無しさん@明日があるさ:2007/02/22(木) 19:53:05
394 :
名無しさん@明日があるさ:2007/03/05(月) 17:30:59
私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。
同僚上司達は制服で出席。披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」 。
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
395 :
名無しさん@明日があるさ:2007/03/08(木) 16:12:28
水兵だった爺さんが大和にのっててビックリって話だろ
397 :
名無しさん@明日があるさ:2007/03/30(金) 23:10:21
サルベージ
じじのぬくもりが、優子の心にしみこんできて涙がでてきます。じじの優しさが身体中に伝わって、
止まった心の時計を動かしてくれる。時間は、流れてるんだぁって思った。
人の歩いている姿をみて、動いてる時間を実感した。誰もが未来に向かって歩いているんだよね。
たくさんある道の中で、どの道を選ぶかは自分なんだよね。
自分で選んで今ここにいる。
私は今どこにいるのか、迷っちゃったのかな。方向音痴だもん。
地図は、どこかにあるのかなあ。
399 :
名無しさん@明日があるさ:2007/04/02(月) 22:01:17
400 :
名無しさん@明日があるさ:2007/04/05(木) 11:00:13
238 名前:elaine[] 投稿日:2007/03/27(火) 05:06:25
東京にたくさんやさしい女の子がいます。
昨日浅草でペンを落としてやさしい女の子に
ペンを戻られました。
アメリカのチョコがあがたがったけど浅草のせんべい
がしかないんです。
そして東京塔タワーで切符を落としてほかの
やさしい女の子と彼女の仲間に切符を戻されました。
二人のやさしい女の子もしアメリカに来るならぜったい
そのやさしさを返します。
402 :
名無しさん@明日があるさ:2007/04/24(火) 06:26:19
疲れた
403 :
名無しさん@明日があるさ:2007/05/17(木) 05:08:05
保険
いまから7000年ほど前、ある夏の日の話
405 :
名無しさん@明日があるさ:2007/05/28(月) 06:54:15
人生
406 :
名無しさん@明日があるさ:2007/05/29(火) 02:37:17
だれか、この荒みかけた心を癒してくれage
407 :
名無しさん@明日があるさ:2007/05/29(火) 03:30:40
荒みかけた?
408 :
名無しさん@明日があるさ:2007/06/05(火) 16:51:31
本家ってどこなの?
俺あの池沼の生徒に厳しく(普通の生徒と同じように)接してた
先生が卒業式で号泣する話しをもう一回読みたい。
ああいうツンデレ系のエピソードもっとくれ。
409 :
名無しさん@明日があるさ:2007/06/05(火) 16:53:01
このスレにあったわ。あの主人公のAより池沼なのが俺なんだけどね。
410 :
名無しさん@明日があるさ:2007/06/05(火) 16:58:15
やっぱ改竄されてる。本家のが読みたい。
誰か反応しろよ!
ひとにものをたのむたいどじゃないよね
412 :
コピペ:2007/06/05(火) 21:04:31
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
これがゆとりろ教育世代ってやつか。
誰がうまいこと(r
>>411 違うんだよ。
後生だからN先生が校長先生になってない方のレスを恵んで下さい。
417 :
名無しさん@明日があるさ:2007/06/18(月) 05:46:23 0
おはよー
名前:代打名無し@実況は実況板で[sage] 投稿日:2007/07/01(日) 16:12:38 ID:kcmHEDNa0
アンパンマンは1968年に童話として生まれた。以来20年、ずっとずっと長い間、
地味に一部の絵本好きやその子供だけが評価するだけの作品だった。
それが1988年、突然アニメ化された。原作者やなせたかしは喜びに包まれる一方、
やなせは1919年の生まれで、その時すでに69歳。
「ぼくの作品が認められて嬉しい」「これから動くアンパンマンに会えるのが楽しみ」
「これから、もっともっと多くの子供たちに愛されてゆくと期待しています」
だけど残念なことがひとつあります、と、やなせは続けた。
「ぼくはもう70近いおじいちゃん。今アンパンマンを見た子供たちが、
アンパンマンから勇気をもらってどんな大人になるのか、ぼくは恐らく見れないでしょう」
アンパンマンで育った子供たちはどんな大人になるのか、やなせは自分の年齢を恨んだ。
…それから18年。87歳となったやなせたかしはまだまだ意気軒昂、作品作りに取材にと
日本中を飛び回っている。彼はこのスレを見るだろうか。
『ホステス』
僕は夏休みにおばあちゃんのいる田舎に遊びにいきました。そこでホステスを5匹捕まえました。
1日中ホステスを見ていると飽きることはありません。
ホステスはメスだけで子供を育てるそうです。ホステスは夜行性です。朝はあまり動きません。
でも、夕方ぐらいになると綺麗に輝き始めます。今までが嘘のようです。そして美しい歌声を聞かせてくれます。
夜も深まった頃ホステスはひっそりと泣きます。
僕はそんなホステスが大好きです。
うちの研究所に、インド出身の超偉い学者さん来られたんです。
その分野に関しては世界クラス。
私も研究内容を説明したんだけど、いつツッコミはいるか内心バックバク。
まぁ、でもいい経験だよね、と思いつつ、食堂で一緒に食事してたんだ。
で、うちのゼミの学生も寄ってきて、その学生の友達も寄ってきて、
アメリカから来られたインド系の学者さんって説明したんだ。そしたら、そのうちの一人が、
「すいません、ヨガファイヤーって言ってもらえませんか?」
お 前 は 何 を 言 っ て い る ん だ
しかも流暢にヨガファイアーと応えるプロフェッサー。本当、本当すいません。
さらに、「ヨガファイアーとは何ですか?」と聞き返す始末。正直に答える学生。
話を聞いて爆笑する教授。携帯で動画見せて音声まで再生してんじゃねぇ。
心臓止まるかと思った。
結局、インド人は火を噴いたりテレポートはできるけど、人前では見せないという事実が明らかに。
今の所、僕は無事です。気さくな人だったと信じたい。
小学生の頃、よく友達と一緒に近くの海で遊んでいた。
小4の夏、近所に軽い知的障害のある兄ちゃんが引っ越してきた。
兄ちゃんは中学生だったけど、体は大人なみに大きくて強そうで、
でも頭のほうは僕らと大して違わなくて、ときどき一緒に遊んでいた。
高学年や中学生は兄ちゃんをいじめたりからかったりしていたけど、僕らは
兄ちゃんが好きだった。
優しかったし、力が強いからダイナミックな遊びができておもしろかったから。
ある日友達と僕と兄ちゃんで、遠泳勝負をすることにした。
もちろん何度やっても兄ちゃんが圧倒的に勝ってしまう。兄ちゃんがあんまり
得意げに何度も勝負をもちかけてくるものだから、僕らも少しうんざりした。
それで、いつもは遠くに行くと危ないから海辺をまわるように泳いでいたけど、
ちょっとしたいたずら心で「夕日に向かって泳ごう」と誘った。
それで、僕らだけすぐに引き返して、兄ちゃんが気づいたら笑ってやろうと思った。
そのとおりにして、僕らは途中で止まり、兄ちゃんが泳いでいくのを見ていた。
でも思っていたのと違って、兄ちゃんは全然こっちを振り向きもしなかった。
どこまでもどこまでも泳いでいく兄ちゃん。あんまり速くてあっというまに
黒い影になってしまった。
大声で呼んで、追いつこうと泳いだけど全然無理だった。
あきらめて浜に戻って、兄ちゃんが帰ってくるのを待ったけど、いつまでたっても
戻ってこなかった。
僕らだったら、疲れたら途中で引き返すだろう。でも兄ちゃんは、いつだって
疲れるってことを知らない人だった。
僕らは親達に血が出るほどぶん殴られ、大人たちは兄ちゃんを捜して船を出した。
何日たっても兄ちゃんはみつからず、兄ちゃんの親は翌年引っ越していってしまった。
今も兄ちゃんはみつかっていない。
故郷に帰りその海を見ていると、今でも夕日に向かっていつまでもいつまでも
泳ぎ続けている兄ちゃんの姿が目に浮かぶ。
14年前、シアトルの海岸で保護されたあの日本人青年がそうだったのかよ!
423 :
名無しさん@明日があるさ:2007/07/26(木) 03:54:52 0
本当に「いい話」ってすくないんだなあ
424 :
名無しさん@明日があるさ:2007/07/26(木) 19:07:05 0
>>423 ただ単にこのスレが忘れ去られているだけかと思う。
前スレまではスムーズにレス付いてたから。
ブログに書いたんだが、こっちにも転載。
今テレビで泥棒対策のあれこれやってたので思い出したことを。
5、6年前のこと、会社の出入り口の合鍵を作ってもらおうと鍵屋さんへ行ったときの話です。
そこは初めて利用する鍵屋で、ニコニコした60歳くらいの、いかにも品の良い、しかし職人気質の漂う
おじさんが居ました。
俺「この合鍵作って下さい。」
鍵「はい。ただいま混み合ってまして、出来上がりは1時間くらい後になるけどよろしいですか?」
俺「ああ、混んでるなら仕方ないね〜。そしたら出来上がったら携帯に連絡もらえる?俺、他にも用事あるから、、、」
鍵「お客様、それは出来ませんので、一時間後にお越し下さい。必ず仕上げておきますから。」
俺「あ、はい、んじゃ頼みます」
何だかサービス精神の少なさにちょっと不満を覚えるも、一時間後にやって来た俺。約束通り鍵は出来ていました。
俺「あ、領収書書いてもらえます?宛名は、、、」
鍵「はいどうぞ、ご利用ありがとうございました」
見るとその領収書は、日付と金額は書いてあるけど当社の宛名が書いてない。何だよこの領収書は!
と文句の一言でも言おうと思って見上げたら、やはりその鍵屋のおじさんは満面の笑みを浮かべている。
ここで私はハッと気づきました。そうか、普通の物売りではなく、鍵はセキュリティが第一。
この鍵がどこの誰のものか、第三者に知られてはいけないんだ!俺の携帯の番号を聞こうとしなかったのもそのためだ!
ああ、俺のバカバカバカ!
と完全にそのおじさんにしてやられ、私も数秒後に笑みを浮かべ、深々とお辞儀をして「ありがとうございました!」
と言って店を去りました。あの鍵屋のおじさん、完全に一枚上手でした。こういう粋な職人さんがまだ居るんですね〜。
426 :
名無しさん@明日があるさ:2007/08/29(水) 23:05:47 0
浮上
427 :
名無しさん@明日があるさ:
ある介護専門学校の先生のお話
一人の生徒がいた。
その子はただ親奨めで学校に入っただけで、とってもやる気がなかった。
ある老人介護施設に片麻痺のおじいさんがいた。
そのおじいさんは生きる気力がなく、「俺は生きていたってしょうがない」と嘆き、
職員が散歩にさそっても断り、食堂で食事もとろうとはしなかった。
このまま寝たきりにしていたら、どんどん体が動かなくなるのは目に見えてた。
そんな二人が、学校の施設自習で出会った。
あいかわずその生徒は無気力だった。
そんな様子に施設職員がその生徒に、「1時間だけ誰でもいいので一人とお話してきて」と言った。。
その生徒はその生きる意欲を失ったおじいさんを選んだ。
職員がソッとのぞきにいくと、そのおじいさんの足元で眠っていたのだ。
最初は注意しようかと思ったらしいが、しばらく様子を見守ることにした。
隠れて見てると、面白いことがおきた。
他の職員が廊下を通りかかると、そのおじいさんのマヒしていない方の手で
その生徒を肩を叩いて起こすのだった。
「人に何かをしたあげられるという」ことで、少しずつ生きる意欲を取り戻していったようだ。
一方、生徒もみんなから「たいしたものだ」と褒められ、「そのおじいさんの担当になりたい」と
自分から志願した。
その生徒はおじいさんを食堂に連れて行ったが、おじいさんは自分で食事をする気力がないので、
生徒に食事介助をしてもらった。
しかし、その生徒の食事介助は下手糞。
スプーンが歯にガチャガチャ当たるのだった。
そこでおじいさんは生徒のスプーンを取り上げ、「自分で食べる」と自らの手で食事を取り始めたのだった。
のちの二人は...
おじいさんは生きる気力を取り戻し、その生徒も後に介護のしごとに就いたいう。。。