>>302 同じ号続き
週刊新潮 2013年6月20日号
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図 @
昨秋、お誕生日会見で悠仁さまの教育について尋ねられた秋篠宮さまは
「今、君はこういう立場なんだよ、という話はしておりません」と答えられていた。
それでも、いまや悠揚迫らずでは”その日”に間に合うまい。
それは無論、ご自身も熟知されているようで……。
* * *
・秋篠宮さまが「自主自律」を掲げるその校風をお気に召され、陛下のご意向も
踏まえた上で悠仁さまの進学先をお茶の水女子大附属小学校になさったことは、
先週号でも報じた通りだ。
「何しろ悠仁さまには、通常よりも短時間でさまざまな帝王学を詰め込まねばなりません。
それもあって秋篠宮殿下は、皇室を受け入れるノウハウに溢れ、ご学友もいわば
ふるいにかけられた子女ばかりの学習院ではなく、世間一般の感覚を幼いうちから
教え込むためにお茶の水を選ばれたのです」 (皇室担当記者)
・その”感覚”は例えば、さる5月25日に催された運動会にも表れていたという。
「警備はやはり厳重でしたが、保護者の服装はカジュアルで、運動会でも
みなスーツで来る学習院とは大違い。
いつもはフォーマルな印象の紀子さまも、水色のシャツに黒いパンツ姿で
ママたちの中に溶け込んでいました。 貴賓席なども特になく、他の保護者と
同じようにシートを校庭に敷いていらっしゃいましたね」 (皇室ウォッチャー)
(つづく)
>>303つづき
週刊新潮 2013年6月20日号
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図 A
・”くるべき日”に備え、秋篠宮さまはどのような指針で臨まれるのかといえば、
「殿下は、悠仁さまの教育については独自のお考えをお持ちなのです」(宮内庁関係者)
・「とにかく 『厳しくしつけたい』 とのことで、しばしば昭和天皇の同じ頃を引き合いに出されます。
ですが、世は大正時代。
『あまりにも時代が違います』とは申し上げているのですが、つまりはお定まりの
”学習院風”にはしたくないご意向なのです」
*丸の内線ご利用か
・秋篠宮家でお手本とされる、昭和天皇が施された「教育」について、皇室ジャーナリストの
神田秀一氏が言う。
「生前の昭和天皇から直接伺った話です。学習院初等科時代のある雨の日、陛下は
東宮職のお付きの人に傘を差して貰い、乗り物で学校に行きました。
すると、当時の乃木希典院長に 『雨の日でも、車に乗らず歩いて一人で来なさい』と、
こっぴどく叱られたというのです。
以降、どんな悪天候でもお一人で通われたといい、
『80歳の今でも、あの時の情景は忘れられない』と振り返られていました」
(つづく)
>>304つづき
週刊新潮 2013年6月20日号
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図 B
・昭和天皇は1901年のお生まれ。ほぼ100年を経て、まさに故事を倣うかのような計画が
進行中なのである。先の関係者の話。
「悠仁さまは現在、専用のお車で赤坂御用地から通われていますが、殿下はほかの
児童と同じく、できるだけ早く電車で通学させたいご意向なのです」
・学校の最寄駅は東京メトロ茗荷谷駅。お住まいからほど近い四ツ谷駅からなら、皇居を
左回りしてやや遠回りながら、丸の内線で乗り換えずに一本、20分少々である。
とはいえ、お車に比べ、地下鉄となれば警備も手数が必要であろう。
果たして実現可能なのか。
・「お姉さまの佳子さまも学習院女子中・高等科時代は、四ツ谷から丸の内線で新宿三丁目、
そこで副都心線に乗り換えて西早稲田というルートで通われており、
愛子さまも毎回、学習院女子大で英語セミナーのある時は同じルートを使われていました。」
とは、先のウォッチャー。即位への道は、まず地下鉄から始まるようなのだ。
(おわり)