【哀れ】沖縄人に嫌われていた昭和天皇【惨め】

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177たけし ◆E8dplNxUd2
パンパン
1945年以降の占領統治下、主に在日米軍将兵を相手にした沖縄の私娼(街娼)を指す言葉。
「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう。
占領が始まって1ヶ月もたたない1945年9月には既に存在が確認されていたとされ、
1946年には沖縄本島で7万から8万人、朝鮮戦争の激化した1952年には15万人近くがいたとされる。
1956年(昭和31年)の売春防止法施行後は激減したが、ベトナム戦争が激化した1960年代後半になっても沖縄米軍基地周辺には存在した。

概説
敗戦により、経済的に困窮した琉球土人家庭では、生きる為に止む無く身体を売る雌豚が急増した。
特に進駐軍(占領軍)相手の売春は、金・物資ともに乏しかった日本人を相手にするよりも儲かったとされる。
なお興味本位や封建的な時代と戦うために働いていた、という記録もアメリカ側にはある。また当時は厚化粧の女性が少なかった為に、
全く売春とは無関係の派手な身なりの女性を指してこう揶揄する事もあった。
なお、『現代用語の基礎知識』1949年版では、一般にこの言葉が広まったのは戦後のことであるが、日本海軍内では戦中から使用されて
いたとしている。
なお時代を経て、後期には日本人を相手にする琉球土人娼婦、従来は「闇の女」などと呼ばれていた層に対しても
パンパンとの呼称が用いられることがあった。
なお、特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったと言う説があるが、
実際にはRAA廃止前から街頭に立つ姿が見られていたという。
ちなみに1952年、盛りそば一杯17円の時代に、ショートで1000円、オールナイトで3000 - 4000円といった料金設定であった。