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名無しさま:
「日本の間」は国際司法裁判所が社交の目的でつかうこともあるが、もともとは常設
仲裁裁判所の評議会の部屋である。年に一度、オランダ外務大臣が議長になって
招集するこの仲裁裁判所の加盟国のオランダ駐在大使の集りが催される。日本の
大使の坐る椅子の背中には金の菊の紋章が織り込まれている。実際にこの部屋が
実務につかわれることはきわめて少なく、これは年に四、五万人を数える平和宮の
見物客への見せ場である。
この百畳敷ほどの評議会室に敷かれているのはトルコの寄附した一枚織りのじゅう
たんであり、部屋のなかには当時の清国の寄附した対の巨大な七宝の花瓶や、シャ
ムの寄附した1メートル半もあろうかと思われるこれも対の象牙が飾られている。
それにもかかわらず、これが「日本の間」とよばれるのは、文句なしにこの部屋を圧
倒している壮大にして華麗な西陣つづれ錦のためである。(中略)
今この平和宮の「日本の間」の三つの壁、そうして窓の上の欄間にかけられている
壮大華麗のつづれ錦の描写は私のよく為し得るところではない。春景に始まり百花
繚乱の初夏に終る三方の壁の花鳥の図のなかには、さきにふれたフランス語の説
明書によれば、桜、藤、柏、杉、木蓮、つつじ、銀杏の木が配され、けし、百合、あや
め、おだまき、たんぽぽ、牡丹、金盞花が咲き乱れ、熊笹が茂る。池のほとりに遊ぶ
のは、翼をかざす孔雀、きじ、しろきじ、鳩、豆鳥、燕などである。延べ十五メートル
に及ぶ、まさに壮大な平和の図である。
恐らくはこのつづれ錦が平和宮にかけられた大正のはじめ、これだけの日本の美術
が世界に紹介された例は多くはなかったであろう。そうして文字どおり燦然と輝くこの
壁掛の前に多くの人々は息をのんだことであろう。それからすでに七十年余り、色は
褪せ、ほころびも目立つようになってきた。
東京にある原画をもとにして新たに織り直す話などもあったが、紆余曲折ののち、日
本政府と川島織物の寄附ではじまった修理はようやく終り、一九八六年(昭和六十一
年)四月、オランダ側、国際司法裁判所、外交団などを招いての祝賀レセプションが
盛大にひらかれた。平和宮の「日本の間」のつづれ錦は今後長く、ハーグ観光のひと
つのポイントであり続けるであろう。
国際司法裁判所 P30-36
小田滋 1987年7月20日/第一版第一刷発行