1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
山屋他人さまは明治天皇に愛された海軍で、
明治天皇の遺志により大将に選ばれました
大正天皇も山屋他人さまだけには下手(したて)に出て敬語をお使いでした
貞明皇后のお妃教育担当者が山屋貞子さんでした
そして女子のいない大正天皇は山屋寿々子さんを娘のように溺愛され
内親王ばかりお生みになる香淳皇后を女腹として排除し、
側室候補として山屋寿々子さんを推しましたが
平成天皇明仁がお生まれになったため貞明皇后は残念がりました
昭和天皇は小和田雅子さんが御所へ訪れるのを非常に楽しみにされておりました
小和田雅子さんのような聡明なお方を将来の皇后さまにと高円宮殿下を介して
皇太孫殿下に遺志を告げ、無事1993年6月9日、昭和天皇の遺志が叶いました
一方、礼宮の結婚においては部落関係者の川嶋紀子との交際を頑なに反対し、
別れるよう側近を介して礼宮に命じ、小和田礼子さんを強くおすすめになりました
同じ「礼」の字を使っていることもあり、お2人は気が合い、
礼宮は小和田礼子さんと交際を始めました
しかし外戚の川嶋家・杉本家によって無理やり別れさせられ、
川嶋紀子は色気を駆使して股を開いて礼宮は小和田礼子さんを泣かせる羽目になり
そのショックで昭和天皇は体調をくずされ、お亡くなりになりました
崩御した直後に婚約しました
2 :
重複誘導:2009/03/10(火) 23:21:53 ID:VStePufS
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/11(水) 13:49:50 ID:+aEthHcu
山屋さんを慕ってただけじゃないの?
小和田家を好かれてた訳じゃないような
4 :
江頭2:50:
>>1 …お前、お前だ!
お前に物申す!
だいたいだ!
江頭、江頭と呼び捨てにするんじゃねえ!馬鹿野郎!