【悲劇の王女】マリーアントワネット

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1名無しさん@お腹いっぱい。
首を切れー!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 14:26:05 ID:dB+fxcMO
「パンが無いならケーキを食べればいいじゃない」のような事を言ったと、
悪者にされる事が常のマリーアントワネットだったが、
最近は評価の見直しがされていると何か(世界ふしぎ発見かな)で聞いたけど、
実際のところ、どうなんでしょ?
3名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 21:25:33 ID:H052wgzr
彼女は彼女が産まれた100年か50年前に生まれていたら…

少なくとも処刑されて死ぬ事はなかったと思います

時代についていけなかったんだと思う
4名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 21:58:45 ID:IRTX/2PH
>>2
それを言ったのは、マリー・アントワネットだと広く言われているが、実は彼女は
そんな事言ってない。
言ったのは、マリーの義理の叔母に当たるルイ15世の兄弟の姉・妹たち。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 22:16:11 ID:dB+fxcMO
>>4
ありがとう!
6名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 12:24:13 ID:pDiUAdtW
王女じゃなくて皇女じゃないの?
もしくは王妃。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 22:54:25 ID:jYSfxVnn
ルイ16世が色々と残念な男だった
これが悲劇の始まりだな。政治手腕は悪くなかったんだが
8名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 23:20:27 ID:WhQzCbny
>>7
16世は、状況打開のためにいろいろ改革を試みてるよ。
14世、15世のせいでどう頑張っても建て直しができないほど財政が逼迫してたのと、
貴族が足引っ張ったのがいけなかった。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:07:51 ID:d96yKJOL
>>6
マリー・アントワネットはオーストリア・ハプスブルグ家の皇女。
それから16世の王太子妃となり、王妃へ。

>>8
革命の切っ掛けになったのは、ただでさえ財政が厳しいのに(決してマリーのせいではない)
アメリカの独立戦争に、莫大な援助をした事。
これが切っ掛けで庶民の生活が一層苦しくなって、革命へと発展した。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:08:43 ID:IjjEEnHo
その前後のフランス史を良く調べると、
それまで「存在感のある王妃」というのはいなかった。
愛妾が幅をきかせていて、王妃は影が薄かった。

16世が女好きで、もうちょっとかっこよかったら
アントワネットはここまで憎悪の対象にはならなかったんじゃないかな。
実際、デュバリーはものすごく憎まれていたし
(ギロチンで騒ぎまくったため、最後だけは同情されたが)
かなりさかのぼるけど、モンテスパンなんて庶民からは犬の糞扱いされていた。

富が愛妾に分散されず、王妃が独り占め状態だったから
憎しみを一点に集めたというのもある。
軽率な行動も多かったけど、それ以上にヒドイ愛妾はたくさんいたから。
それが積み重なって、アントワネットの時に爆発したんだろうし。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:22:35 ID:GzZvyPmD
騎士でありながら革命に加担し
革命の大天使の異名をとった
美貌の急進派
サン・ジュスト
12名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:23:00 ID:d96yKJOL
>>7
>ルイ16世が色々と残念な男だった
彼が申請方形じゃなかったら、貴族が幅効かせていなかったら、世界は変わっていた
だろうね。

人一倍臆病だったから、とうとうマリーの兄のレオポルド2世が直接説得して手術
受けさせたんだから。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:30:32 ID:d96yKJOL
>>11
サン・ジュストは国民軍を率いてたが、騎士の称号は持ってないよ。
顔立ちは良かったがw
あまりに冷徹・残酷だった為に「美貌の急進派」と言われた。
ロベスピエーヌの右腕だったし。

でも、ロベスピエーヌも「断頭台の露」になったし。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:35:20 ID:GzZvyPmD
>>13
そうだった、失敬w

ロベスピエール派の為政は厳格な上に理想主義で、
戦争が始まってからは戦費調達のために
民衆には王政時代の二倍以上の税がかけられたんだっけ。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 09:32:07 ID:d96yKJOL
>>14
そそ。
それでロベスピエーヌの独断が続いたから、結局内部分裂して王制復古派が通る
ようになってアルトワ伯(?)が17世になったんだよね。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 11:44:20 ID:FlfHpsuw
流れを遮ってしまうけれど、思ったことを書いてみる。

マリーアントワネットは皇女としての誇りは非常に高いけれど、
感覚が王妃や統治者というよりは小市民なんだよね。

賭け事・ファッションに溺れる享楽さや、趣味(プチ・トリアノン宮での
田舎娘ごっこ)というのは、大金を渡されたものの上手に活用できない庶民のようで。
ルイ16世と二人、平和な地域の諸侯の一人として人生を全うするのが似合うような感じ?

マリーの母親が女帝なのに、何故帝王学を叩き込まれなかったのか?と思えてしまう。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 09:03:46 ID:i09qaf8o
マリーアントワネットが代表的なフランス人とか言う奴要るけど
あいつはそもそもフランス人ではない。どう考えてもゲルマン系。

マリーアントワネットよりルイ16世の妹エリザベートの方がいい人。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 10:11:32 ID:Iw+rA2EY
>>16
中学生くらいで嫁に行ったし
結婚後は、宮廷の一番位の高い女性として
持ち上げられれば、大抵の人間は
堕落してしまいそうだね。
実際ハプスブルク皇女でクラウンプリンセスの彼女以上に
高貴な女性なんて、ヨーロッパでもマリア・テレジアくらいでは。
こんなんでは、カンチガイして、堕落しない方がおかしかったかも。

19名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 13:51:27 ID:c+a9KzjN
>>18
フランス王家に嫁いできた他国の王女で、王妃として比較的良い仕事をしたと思える女性は
・ルイ13世王妃 マリー・ドートリッシュ(スペイン・ハプスブルク家)
・ルイ8世王妃 ブランシュ・ド・カスティーユ(スペイン・カスティーリャ家)  くらいかな。

マリー・アントワネットの姉マリア・ヨーゼファの早世が無ければ、別の姉のマリア・カロリーナが
フランス王家に嫁ぐ予定だったから、姉の早世が無ければ歴史が変わっていたかも?
マリア・カロリーナが嫁ぎ先で政治の実験を掌握した女傑だから、
いずれフランスで革命が起こったとしても、お馬鹿で愛らしいマリーよりは立ち回れたかもという気がする。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 17:57:37 ID:xRySwOv8
マリア・カロリーナがナポリに嫁ぐまで同じ部屋で暮らしていたのに
性格がえらい違うなあ
21名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 10:06:51 ID:LP8BEw4i
フランス貴族社会自体堕落してたし。
幾つもの国を束ねるオーストリアの政治力に比べたらフランスの政治なんて鼻糞。

22名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 18:51:04 ID:AnwSiRjx
>>21
オーストリアも褒められたものではないと思うけどねー
23名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 19:21:12 ID:z/Z+SLxL
マリーも婚姻が決定してから、暫く母親と同じ部屋で暮らしてたよ。

自分の知識不足なら申し訳ないが、ルイ16世との相手は最初から
マリーじゃなかったっけ?
他の姉達は、既に嫁ぎ先が決まっていたから最初からマリーだったんじゃ
なかったっけ?
24名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 19:55:42 ID:7QFtisBf
マリア・カロリーナが最初の候補者だったよ。
当時ルイ16世の両親が、息子とオーストリア皇女との婚姻話に反対していたから硬直状態に。

その後、ルイの両親が亡くなり、
前後してマリア・ヨーゼファが亡くなり、本当は彼女が嫁ぐ予定だったナポリへは
マリア・カロリーナが代わりに嫁ぐ事になり、フランス王妃はマリー・アントワネットに、と横滑りした。

ルイ16世の母方の祖母がマリア・テレジアの従姉妹で、ハプスブルク家の帝位継承権を持っていたけれど、
オーストリア継承戦争においてマリア・テレジアを支持。
見返りとして祖母の権利を(祖父が代理になって)主張したものの、望むほどには得られなかったらしい。
そういうこともあってか、ルイ16世の母親はハプスブルク家の皇女をフランス王妃にさせたくなかったかも。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 22:13:55 ID:wUgaK4O8
La mort de la princesse de Lamballe
http://jp.youtube.com/watch?v=vQ_hVY0Xgqg

Marie-Antoinette condamnée à mort
http://jp.youtube.com/watch?v=AxX1geVv-70&NR=1

26名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 22:22:45 ID:z/Z+SLxL
ルイ16世のwikiより転載

長年敵対してきたブルボン家とハプスブルク家の間の和議を結ぶため、オーストリアのマリア・テレジアにより
娘マリア・アントーニア(Maria Antonia)とブルゴーニュ公ルイ・ジョゼフとの政略結婚が画策されていたが
、1761年のルイ・ジョゼフ死去により1763年5月、ルイ・オーギュストとの結婚の使節としてメルシー伯爵が大使として
フランスに派遣された。結婚の反対者であったルイの父が1765年に死亡した後の1769年6月、ようやくルイ15世から
マリア・テレジアへ婚約文書が送られた。1770年5月16日、ヴェルサイユ宮殿にて王太子ルイ・オーギュストと
マリア・アントーニアの結婚式が挙行され、王太子妃はマリー・アントワネットとなった

マリー・アントワネットのwikiより転載

マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリッシュ(仏: Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche,
1755年11月2日 - 1793年10月16日)は、フランス国王ルイ16世の王妃。
ハプスブルク=ロートリンゲン家の出身で、オーストリア大公マリア・テレジアとその夫である神聖ローマ皇帝フランツ1世
シュテファンの十一女。結婚前のドイツ語名は、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
(独: Maria Antonia Josepha Johanna von Habsburg-Lothringen)。
フランス革命の混乱の中で革命政府から死刑判決を受け、ギロチンで斬首刑にされた。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 22:38:36 ID:z/Z+SLxL
しかし・・・wikiの掲載も疑問を感じる。

サン・ドニ聖堂に埋葬されたって書かれて居るが、革命中だった為他の処刑者達と共に
共同墓地みたいな所に、かなりいい加減に埋葬された。
20世紀になってから名誉復活されて、ルイ16世と共に共同墓地から遺体を探してサン・ドニ
聖堂に埋葬され直したのに。

遺体が見つかったきっかけが、マリーの手作りの靴下止めってのが泣けた。
ルイ16世の遺体は、なかなか分からなかったらしいが。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 09:16:45 ID:s43jj47M
>>27
wikiの信憑性が薄いのは有名だと思っていたけど。
でも、wikiだけでなく、歴史の真実は
本当のところわからないことだらけ。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 20:13:51 ID:rnETUOjD
ベルサイユ宮殿な世界中から人が集まってトワレットに行くんだぞ感動した
30名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 20:17:49 ID:JQZoyV8c
当時の貴族はお城におまる持参で用を足してたって本当かな
31名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 21:54:54 ID:9g50FqbK
>>28
確かに。
wikiでルイ16世とマリー・アントワネットを調べろ、ってのは
「ベルばら読んで勉強しろ」に近いからねw

本当の所は確かに分からない事だらけ。
でも、少しづつ研究されて解明されてる事も有るからね。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 01:25:07 ID:baX2JMvt
Wikipedia は、素人でも書き込めますので、日々、修正されているとはいえ、
どうしても、記述が怪しい部分が残ってしまいますね。
まあ、誰でも何時でも書き込める分、新しい研究成果を反映させやすいという
利点があるかもしれません(編集合戦はひどいですが)。

>>27
しかし、マリーアントワネットの埋葬の時って、
そんなぞんざいな扱いだったんですね。
やっぱり革命が故の王族への憎しみとか、混乱とかが原因でしょうか…


ところで、現在、この板の名無しを決めるための予備投票を行っております。
皆さん奮ってご投票ください!

■名無し投票はこちらで
予備投票】皇室・王侯貴族板名無し投票所【実施中
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/vote/1230300344/
■名無しの議論と途中経過・結果報告はこちらで
君主・皇室・王室・貴族の名無しを決めるスレッド
http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1228906285/
33名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 03:30:42 ID:UnhY4Gg0
ルイは生涯浮気しなかったの?
マリー一筋で尻にひかれてたのかな?
歴代の国王では珍しいというか初めてなんだろうな。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 12:12:30 ID:IQ0E0p3C
>>32
本当にそう思います。
ネットでいつでも簡単に調べられるという利点は否定しませんが、信憑性といったら
不確かな事ばかり。
>>32さんも仰てますが、編集合戦は酷すぎます。

35名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 12:28:27 ID:IQ0E0p3C
連投スマソ。

> >>27
> しかし、マリーアントワネットの埋葬の時って、
> そんなぞんざいな扱いだったんですね。
> やっぱり革命が故の王族への憎しみとか、混乱とかが原因でしょうか…

そうですね。
何しろジャコバン派が当時の革命のリーダーだった訳ですから、
王族や貴族達は憎悪の対象でしたから。
断頭台で処刑されて、そのまま共同墓地(?)に他の処刑者たちと共に
やみくもに埋葬されたそうです。
これは、wikiではなく自分自身が読んだ本に書かれてました。
(題名は忘れてしまいましたが(^_^; 
確かルイ17世(ルイ・シャルル)の遺体が本物かどうかDNA検査した
本だったように思います)
マリーだけでなく、ルイ16世や他の貴族達も同様です。

ですから、後の名誉復活の際に遺体を探すのに苦労したそうです。
(wikiではガーターストッキングと書かれてますが、自分が読んだ本の中では
靴下止めと書かれてました)
それはタンプル塔の中で、マリーが自ら作っていたものだそうです。
それがマリーの遺体発見のきっかけになったそうです。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 08:19:54 ID:iLYW04aV
思いっきり歴史上の人物なんだから世界史板でやればいいじゃん
何か色々おかしいけど一応スレあるぞ

マリーアントワネットおおおおおおおおおおお
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1188262506/

この板ってフランスなら未だに生き残ってる王党派の連中みたいな奴らの話をする板じゃないのか?
37名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 22:14:43 ID:47LWlYOS
それにしても、数年前に公開された映画「マリー・アントワネット」にはwktkしてたが
見たら思い切り「なに?これ」って思ったorz
DVD買おうと予約してたけど、買わなかった。

実際にヴェルサイユ宮殿を使ってて、前評判が高かっただけに
レンタルで見て、落胆したorz
38名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 20:37:06 ID:/5Kzft61
マリー・アントワネットというと“ディアマンテーズ”という人達を連想するのは自分だけ?
39名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 08:54:01 ID:u1RXsCj4
国王処刑されても王妃が処刑されなかったイギリス国王チャールズ2世

違いが出た原因は?
40名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 18:34:58 ID:Vg2Ur0hB
>>39
多分チャールズ1世だと思うけれども。
考えられる要因は、迅速な行動をしたかどうかでは無いかと。
ピューリタン革命による内乱の初期に自分の母国・フランスに亡命した王妃は、
その7年後、チャールズ1世が処刑されたことを母国で知った。

マリー・アントワネットは亡命する決断をした時期は遅過ぎた感がある。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 21:44:25 ID:nl2NpRuf
>>40
時期が遅かった事は亡命の失敗とはあまり関係ないだろう
目立つ豪華馬車に一家全員一緒に乗って、しかもやたらと余計な物
詰め込んで重くして、おまけに連絡体制の不備がとどめ刺したってとこでしょ
42名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 09:58:34 ID:yxPlayFi
この人、最近見直されてきたというより
ほとんど見向きもされてこなかったのが、少々脚光を浴びるように
なった程度だよね。フランス人で「誰それ?」と言われるような
認識度の低さ。
たとえで言うなら、日本人に「額田王知ってますか?」と尋ねると
同じ認識度ではないかな?!
43名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 03:28:41 ID:MIf8OFc5
>>42
何を根拠に?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 11:30:56 ID:RupAH4Xs
この人は、フランスや欧州じゃ再評価進んでないでしょ
大体、自分の少女時代の家庭教師役の人から、
「自制心に欠ける」とか言われてしまっている。

>>41
王弟二人は、さっさと亡命したというのに

45名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 01:30:21 ID:iZw3nyWF
>>44
現在のフランスにおけるアントワネット観と、
少女時代の家庭教師による評価がどう繋がってくるの?
あなたの発言、意味不明すぎてちょっと気味が悪い。

それに、成人に達する前に夭折したならともかく、
少女時代にどうだったかで全人生を総括されちゃたまらんと思うよ。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/09(金) 08:59:26 ID:qdOeP2/C
>>44
下の弟(アルトワ伯)の方はね。
でも上の弟(プロヴァンス伯)は国王・王妃と同じ日に逃亡したんだよ。
こっちは目立たない普通の馬車に乗って軽装だったので成功した。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 20:26:03 ID:mnkLf5GP
◆alIceHELLw @不思議の国のありすφ ★:2008/10/01(水) 11:13:57 ID:???
王妃マリー・アントワネットの離宮、修復を終え再オープンへ

パリ郊外にあるベルサイユ宮殿の敷地内で18世紀末に王妃マリー・アントワネット
(Marie-Antoinette)が使用していた離宮プチ・トリアノン(Petit Trianon)の
修復が終了し、10月2日から一般公開される。

プチ・トリアノンは、1774年に夫であるルイ16世から結婚の記念にアントワネットに
贈られたもの。3階建てのピンク色の外観で、ルイ15世に仕えていた建築家ガブリエルが
設計した。アントワネットが宮殿の厳格な慣習から逃れるために使用したといわれ、
劇場や小さな農村も作られている。

この建物は以前も一般公開されていたが、使用人の部屋などは事務所として使われていた
ため来場者が見ることはできなかった。530万ユーロ(約8億円)が投じられた今回の修復
では、アントワネットが使用していた当時とほぼ同様に、絵画室、寝室、家具、使用人の
部屋、台所などが再現されている。

アントワネットがプチ・トリアノンを最後に離れたのは1789年10月5日、ルイ16世ととも
に革命派によりベルサイユ宮殿からパリに身柄を移された日とされている。そして4年後
の1793年、国家への反逆罪で処刑された。オーストリアのハプスブルク家から、わずか
14歳のとき、政略結婚のためフランスに送られたアントワネットは、その贅沢指向と
フランス革命の最盛期に処刑されたことでよく知られ、長い間、悪女として描かれて
きた。アントワネットがただの無能で子どものような王女だったのか、歴史の波に
のまれた犠牲者だったのかは、歴史家の間でも長年議論が交わされている。

しかし近年では、アントワネットに好意的な意見が優勢になっているようだ。2006年に
は、米女優キルステン・ダンスト主演、ソフィア・コッポラ監督でアントワネットを
快活に描いた映画も制作された。今年の3-6月には、パリでアントワネットをモチーフに
した芸術作品展が開催されている。

年間数百万人に上るベルサイユ宮殿への来場者の中で、プチ・トリアノンを訪れるのは
わずか数百人のみ。しかし関係者は、今回の改修でその数が増加すると見込んでいる。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 21:47:07 ID:7JmEQIyZ
251 :世界@名無史さん:2009/01/12(月) 20:39:38 0
 マリー・アントワネットは、ひょっとして世界のどこよりも日本において、知名度も
人気も高いのではないか、と思われる人物の一人である。祖国オーストリアでは、母親
マリア・テレジアの圧倒的知名度と人気に押され、不肖の娘として影の薄い存在であるし、
フランスでも、現在の共和制自体が王妃の墓の上に築かれているのであるからして、
あまり脚光を浴びることができず、その人気も国王ルイ十六世に及ばない。
 マリー・アントワネットと利害関係のなかった日本としては、客観的というか、無責任と
いうか、まあ、ともかくロマンティックのみに浸って彼女を見ることができるわけであり、
加えて日本人の胸には、昔から「判官びいき」なる感情が存在する。断頭台で最期を迎えた
王妃マリー・アントワネットの人生に触れる時、日本人は、心の琴線を揺さぶられるのかも
しれない。

by藤本ひとみ
49名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:47:34 ID:gq4iEyhd
フランス人の知り合いに「君はマリー・アントワネットの産まれかわりのような女性だ」と言われたんだが………フランスって、マリーアントワネットのこと、“浪費家”とか“赤字婦人”とか良いイメージないんだよな?



あんのやろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ凸(`ω´#)
50名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 00:05:05 ID:BdTCph5S
ロシアの女帝は漫画になったけど、エリザベス女王はまだ?
51名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 11:08:28 ID:A3df2KUj
一世なら漫画化されてるよ>エリザベス

絵は宮本えりかだけど
52名無しさん@お腹いっぱい:2009/01/26(月) 15:16:22 ID:Sj7ZEKD8
アントワネットの女官を勤めていたランバール公爵夫人って、あのディアヌ・ド・ポワティエの
子孫だよねえ・・・・・・。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 18:05:50 ID:DUipZ0Cv
勘違いかもしれぬがランバール夫人ってイタリア人じゃなかつた?
54名無しさん@お腹いっぱい:2009/01/31(土) 22:24:35 ID:b2E2TLIO
ランバール公爵夫人って、確か、イタリアのサヴォイア王家の分家、サヴォイア・カリニャン家の出で、
その上を又遡ると、サヴォイア王家の本家になり、又時代を遡ると、ロレーヌ公家になる。ディアヌの娘の一人、
ルイーズが、ロレーヌ公家の公子、クロード・ド・ロレーヌと結婚して、その子孫が、
ランバール公爵夫人なのである。ちなみに、イギリス王室のマイケル・ケント公妃マリー・クリスティーヌ
も、ディアヌ・ド・ポワティエの子孫である。
55名無し投票@2/15(日):2009/02/20(金) 00:00:01 ID:5UVXgDAn
保守
56名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 22:12:53 ID:BXzugIQO
The Affair of the Necklace Costumes - Marie Antoinette
http://www.youtube.com/watch?v=EOrEAQzxKtw
57名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 20:42:21 ID:dHh6OBzs
この人が王妃でなかったら、フランスは共和国にならなかったかも知れない。
そういう意味での功労者。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 09:43:09 ID:d7RTP2nu
大変な時代になったのに気づかず浪費癖は治らず、
なんだか今の日本人っぽい
59名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/05(木) 19:11:43 ID:hMVTiyVh
白飯がなければうどんを食べればいいじゃない
60名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 13:30:12 ID:GMNhZdr7
ワロタ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 21:49:11 ID:10TAbhwD
810 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 02:12:59 ID:sDxnfyr+
ブルボン王朝が崩壊したのはマリーアントワネットの浪費癖のせいだってね。
ギャンブルで税金使うなど俺の想像してた華やかで可憐なマリーアントワネット像とは偉くかけ離れてた。
ルイ16世はいい人っぽいけどかかあ天下で逆らえなかったみたいだしな。
マリーアントワネットがあんな毒婦だったなんて・・・
しかしオスカルやアンドレーの元ネタになった人っているん?
811 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 07:17:29 ID:RK6E/hJG
ギャンブルが好きだったのは事実だけど
それでもアントワネットが使ったのは多く見ても国家財政の5%未満でしかないらしい。
「パンがなければお菓子をお食べ」っていう有名な言葉があるけど、これもアントワネットの言葉じゃない。
フランスの財政的には14世の絶対王政時のひずみや、アメリカ独立戦争への介入などによってとっくに傾いていた。
アントワネットが批判されやすい性格だったのは否めないけど、
実際のところ、王妃に対する悪評は敵対する貴族や革命勢力による誇張や捏造がほとんどらしいよ。
812 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 10:12:54 ID:hiv1L5CW
>811
「あのオーストリアの雌犬は、パンを食べなきゃお菓子をお食べry」なセリフは脚色でしたか…
しかし駄目人間には変わりないよね。ポリニャック伯夫人にそのそのかされて始めたとはいえ、
大国の王妃がギャンブルにのめりこむなど。王妃が使った額は些細であっても、国民の税金を使ってるのだから、
暴動は起きるな。
>王妃に対する悪評は敵対する貴族や革命勢力による誇張や捏造
ええ、ベルばら読んでも、貴族の中で欲望と陰謀と策略がうずまいて日本の大奥みたいでしたよ。
813 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 11:43:52 ID:ubBU1QYW
>810
オスカルにはモデルがあるようで。

ピエール・オーギュスタン・ユラン(1758年〜1819年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%A9%E3%83%B3
>812
「パンがなければお菓子を〜」の「お菓子」は原文ではブリオッシュ(菓子パンの一種)の事らしいです。
当時のブリオッシュはパンより質の悪い小麦粉が使われており、一種の非常食扱いだったそうで。だから
「パンがなければお菓子を〜」は実はもっともな発言だったとか言う説も。
ちなみに「ベルばら」にオルレアン公ルイ・フィリップが出てくるけど、
こちらは後に王様になってアンジョルラスたちに暴動起こされる同名の人の父親ね。
814 :810:2009/04/18(土) 12:35:46 ID:E1n6UTah
おおっ!モデルがいましたかw
原作とは違い平民出で男性(というか男装の麗人だったら怖いw)な方みたいですけど、
原作と同じように軍人でありながら庶民側についたリアルオスカル様に感動です!

乾パンみたいなもんですよね。
庶民はボロ着て乾パン食ってるのに、偉そうに縦ロールでいいもん食って贅沢品や賭博に湯水のように金を使ってれば、
そりゃ憎まれます罠。


62名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 22:48:15 ID:0YKLl2HZ
コピペにレスすんのもアレだが、この頃のフランス財政ってポンパドール婦人の頃のモノじゃなかったっけ?
ポンパドール婦人が芸術関係に多額の金を掛け過ぎたとかなんとか。
仮りにアントワネットが質素にしていたとしても、国民の憎悪はアントワネットに向いていたのかな。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 03:57:51 ID:SxoRooBD
財政難は、先代の頃から始まってたよね。
ルイ14世の頃は、毎日、ベルサイユ宮殿でドンチャン騒ぎ、戦争、大災害時代。
それからルイ15世、
あの浪費家の王と愛人達の事を考えてみれば、入れ物が空になったのも、無理ないね。

アントワネットに矛先が行ったのは、首飾り事件が一番のきっかけだ。

64名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 20:51:36 ID:Iqhf/Ttq
処刑台に上るとき、執行人?の足を踏んでしまい、
「ごめんあそばせ。わざとではございません事よ」と言ったというのには
感動した。
品格というのは、こういう時こそ表れる。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 22:45:51 ID:E2oUyAId
あの王妃がいなければ、当時の情勢的に、フランス国王の処刑は無理だったっぽい
大体フランスとハプスブルクの和解のための政略結婚だったのに、
フランスと戦争するよう兄上の皇帝に懇願している。
当時兄上は、ベルギーの反乱(こちらは啓蒙主義な改革に対する反対)に追われて
それどころではなかったのに。

いやーどうだろな。なんつっても後にテロの語源にもなったと言われる
恐怖政治の時代だからな。
しかも皮肉にも革命によって、国家財政が元の3分の1にまで激減したとかで、
これらのこともあって、今ではフランス革命の評価はあまり高くないらしい。
アメリカがイラクに介入して国防費で経済圧迫してるようなもんね
66名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 22:49:46 ID:E2oUyAId
>>63

それ以外に、ベルギーをめぐって、オランダとフランスが同盟結んで
オーストリアと戦争していたときに、戦局がフランス側が優勢だったのに
母国オーストリアの利益のために、フランスとオランダに賠償金払わせて講和させたらしい

以来、国民から「オーストリア女」 と仇名されるようになる
67名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 00:31:50 ID:kGdR00F/
ベル薔薇のせいで天真蘭漫な頭の弱い世間知らずのお嬢さんってイメージだったんだけど、違ってたのか。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 08:07:06 ID:HryRKs3Q
マサコリー・アイコワネット
69名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/23(木) 08:03:10 ID:6roxNLSu
インドの富豪ラクシュミ・ミタルは娘の結婚式にベルサイユ宮殿貸し切り、
数億円を費やした。イギリスのロンドン在住。
金はあっても、インドの貧しい家出身の黒人であることにはかわりない。
ダイアナ妃の愛人(富豪)も外人。金をいくら積んでも、自分の最大のコンプレックスである
白人ではない血筋は解消されない可哀想な人々。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 07:18:47 ID:WXE4e9EK
イギリスはカミラも悪いけど、チャールズマントヒヒ皇太子が一番悪い。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 03:48:21 ID:HKpsLe33
>>70
ダイアナの浮気相手がイケメンばかりなのは、馬面チャールズに対する当て付けだ、というイギリスの当時のゴシップ誌のタイトル思い出したw
72名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/06(水) 21:20:55 ID:Y+tlsbmZ
ダイアナの全てを支持するわけではないが、チャールズがカミラと不倫を続けなければ
ダイアナも浮気しなかったと思う。
チャールズは皇太子の資格ナシ
73名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/07(木) 16:26:02 ID:IH8bmYX2
>>19
マリア・カロリーナの場合、ナポリ大使からスペイン宮廷にはこういう問題があると
報告を受けていた宰相カウニッツが、じきじきに政治教育をし、その余りの聡明さに舌を巻いた、
という話があるから、そういう点で、フランス大使が無能であったとも言える。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 14:43:18 ID:JqPuuxFU
フランスの雅子様
75名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 20:18:58 ID:pyspWsig
カウニッツのガリガリじじい!
76名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 21:54:36 ID:0wxpf9J2
往復書簡の本に載ってるものだけ見て判断は出来ないけど
あれを見る限り母親と兄にオーストリアの為にいいように使われて
革命で助けを求めた時にはその母と兄は死んで代替わり
ポイ捨てって感じで悲劇ではあるとは思った
77名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 23:15:38 ID:XlzzRNiS
マリア・テレジアがあと十何年か生きててくれたらねえ
兄二人は生きてたとしてもあの状況で助けてくれたかどうか疑問だし
78名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 22:10:51 ID:3QOnGyZz
そもそも、アントワネットの旦那の父親が早逝しなきゃ違ってたかもしれん。
国王の坐、祖父→旦那だもんな。
79名無しさま:2009/05/13(水) 08:48:21 ID:lube4LgM
嫁入り前、ウィーンで若き天才モーツァルトに出会い
大きくなったら結婚してあげる
といったのはほんと?
80名無しさま:2009/05/13(水) 09:10:19 ID:SmoaZTGr
幼いモーツァルトに求婚されたという伝説はある。
絶対無理なのは分かるけど、いっそモーツァルトと結婚してればまだ幸せだったかも。
マリア・テレジアもマリア・クリスティーナには恋愛結婚させてるんだから、
アントワネットこそどっかの貴族と結婚させて平和な公国にでもやればよかったんだよな。
フランスなんて大国の王妃が務まるような器量じゃない事は百も承知だったろうに。
81名無しさま:2009/05/14(木) 19:31:43 ID:PI1U9vtf
馬鹿な子ほどかわいいってか
82名無しさま:2009/05/16(土) 01:18:56 ID:/GHGwppp
>>72
チャールズはカミラと長く続いてたけど、ダイアナは男とっかえひっかえだったからな。
不倫した相手の男は離婚で妻を不幸にしたし。
ダイアナにはいい印象ない。
事故で死んだから悲劇の女性になれたけど、
イスラム教徒と結婚して、子供なんか生んだらバッシングの嵐だったんじゃないかな。
83名無しさま:2009/05/17(日) 01:27:09 ID:YiSTQHrY
最初から愛人が本命で妻がお飾りだったのが悲劇だね
とっかえひっかえも結局元はそこだから満たされないからだろうし
チャールズはどうか知らないけどカミラは最初からその気だったように見える
跡継ぎ産んだり王妃は家柄的に無理でも、そっちを全部パスして再婚ならいけるって
ダイアナは馬鹿だから操りやすいだっけ
ダイアナの婚約前にカミラが二人をくっつけようとしてて
恐ろしい事を言ってた話があったよね
アントワネットはその点マシだったんだろうけど
別に夫を愛してはいなそうでスパイみたいなのに騙されてるから
それはそれで可哀想だけどこっちは夫の方が可哀想かな
84名無しさま:2009/05/18(月) 08:18:22 ID:R8ISWPJE
>>80
マリー・アントワネットも末子だったし、
ルイ16世も次男で、二人ともフランスの支配者になる予定の人間ではなかった
だから、両国ともそういう教育を二人にしなかったんだろうね
85名無しさま:2009/05/28(木) 22:39:32 ID:YBuPEk5P
備えあれば憂いなしって本当だな
86名無しさま:2009/05/31(日) 20:12:47 ID:+l7mg0yJ
>>76
しかし、まあ、それが政略結婚と言うもので、王女の役目だし・・・ともいえる。

政略結婚って女性にとって気の毒・・・という感じはするし、確かにそうなんだろうけどw、
同時に能力がないと務まらない。
もともと、王妃など支配者階級の女性には、夫が病気や早死した場合、
摂政として代理を務めることができるだけの能力が要求されるわけだが、政略結婚の場合、それに加えて、
夫を裏から上手に操って、実家に都合のいいような政策を取るように仕向けたり、
嫁ぎ先に母国の文化を伝えるなどをして、国民が母国に好意を持ってくれたりするようにするなど、外交官としての役目がある。

それがアントワネットに出来なかったんだから、しかたない・・・って気もする。
まあ、悪いのは、最初からそういう軽率な性格で、王妃の器ではないとわかっていて、
嫁がせたマリア・テレジアなのかもしれないが。
87名無しさま:2009/05/31(日) 20:32:09 ID:ueAvF5lB
基本的に母国寄りで政治に口出しする王妃は国民には嫌われるんじゃないかね
別のマリア・テレジアの娘の子孫の皇妃も
オーストリアが倒れる前にイタリア女の徒名が付いていたし
88名無しさま:2009/06/01(月) 08:31:11 ID:aThCDQyN
>>87
だから、裏から上手に、だよw
基本的に、王・王妃というのは、人気商売だからね

それに、民衆だって、王の執政に不満を持った場合、やはり、「王様」を直接攻撃するのは抵抗がある
王は悪くない、君側の奸が悪いとなる
その場合、不満が所詮、その国の王族でない王妃や王妃でない愛妾に行くのはある意味当然

だから、外国人である王妃は、どうしても優等生を演じなければならないわけだが・・・w
それが出来なかった

フランス革命は、あの当時の政情から考えると、絶対に起こったろうが、だといって、
もし、王妃がアントワネットでなければ・・・上に出ているマリア・カロリーネあたりだったら、
「悲劇」まで行かなかったのでは?
89名無しさま:2009/06/13(土) 09:26:56 ID:sl3W4ozw
アントワネットのようなローブ・ア・ラ・フランセーズを着てみたいなぁ
90名無しさま:2009/06/13(土) 11:59:28 ID:0dMY+Htv
>>67
遅レスだけど…
そのイメージ、ある意味合ってるんじゃない?w
91名無しさま:2009/06/15(月) 20:16:35 ID:UG3B8r47
逃亡の24時間 〜ルイ16世とマリー・アントワネット〜(再)

BS-hi 6/19(金)午後11:00〜

http://www.nhk.or.jp/frontier/archives/20090613.html
92名無しさま:2009/06/16(火) 02:42:23 ID:Cn2SAWHN
>>90
そんな女が王妃として君臨してしまった当時のフランス国民てらかわいそすぐる。
93名無しさま:2009/06/16(火) 07:21:42 ID:yCAzHctb
だからさ、今でもフランスではマリー・アントワネットの評判はよくないらしい
オーストリアは、フランスを滅ぼすために一番できの悪いのをよこしたんだ、って
94名無しさま:2009/06/16(火) 11:56:23 ID:mCI7IRfd
そうか?色んなドキュメンタリー作品を見るに、今はフランスでも同情的な声の方が
多い印象だよ。気の毒だった、女性のアントワネットまで処刑する必要はなかった、
国外追放で十分だった、みたいな。
95名無しさま:2009/06/16(火) 20:23:32 ID:yCAzHctb
>>94
「よくない」にも幅があるからね
96名無しさま:2009/06/17(水) 00:29:33 ID:wSQjNmgB
>>94
革命後の革命家たちの醜い権力闘争にカトリック信仰すら否定した恐怖政治
それにアントワネットの息子の王子の惨死の実情も知られてるからかも。
97名無しさま:2009/06/17(水) 20:12:41 ID:1qN2Hxid
王妃としては無能で、マリア・テレジアはよくあんなのを送り込んできたな(怒、
でも、死刑にするほどではなかった、ってところなんだろう
98名無しさま:2009/06/17(水) 23:29:42 ID:wSQjNmgB
オーストリーが有能すぎる王女を送り込んできたら、
それはそれでフランスにとって脅威になっただろうけどね。

一例:ルイ13世の妻、スペイン王女アンヌ。病弱な夫と不仲でありながら
なぜが妊娠し、ルイ14世を産むが、王侯貴族からルイ14世は王の子ではなく
スペイン王女アンヌの私生児だと反乱を起こされ、鎮圧し、
息子のルイを即位させ、反乱の記憶で王侯貴族たちに絶対の不信感を持ち
ルーブル宮殿を嫌ったルイ14世は、国費を傾けるほどの金でベルサイユ宮殿を建造し
晩餐会・舞踏会・お芝居といった享楽の限りを尽くし、戦争しまくり
フランス革命の一因を築いた。

99名無しさま:2009/06/17(水) 23:50:31 ID:wSQjNmgB
>>88
>外国人である王妃は、どうしても優等生を演じなければならないわけだが・・・

フランス王家の歴史で優等生だった王妃はどのくらいいるのか疑問だね。
旦那を発狂させた上に殺したイザボー・ド・バビエール
アンリ3世の妻だったカトリーヌ・メディチ。
アンリ4世の妻で、稀代のヤリマンと呼ばれて夫アンリ相手に戦もしたマルゴ
マルゴの親族で、アンリ4世の後妻でアンリの暗殺に手を貸したという風評がありながら
しれっと夫亡き後息子の国王の摂政になったマリー・メディチ。

悪女と呼ばれた王妃が珍しくない国それがフランス。
100名無しさま:2009/06/18(木) 22:14:30 ID:wokt20LL
>>99
フランスにとって国益をもたらす王妃と、
薬にも毒にもならない王妃が優等生ではないかと。

前者で有能な王妃なら、
ルイ8世妃、ブランシュ・ド・カスティーユ
ルイ13世妃アンヌ・ドートリッシュ など

前者で特に逸話が無い王妃なら
フランソワ1世妃、クロード・ド・フランス
(彼女と結婚したことによりフランソワは王位とブルターニュ領を獲得)
ルイ14世妃、マリー・テレーズ・ドートリッシュ など
(孫がスペイン王家を継承)

薬にも毒にもならない目立たない王妃は
ルイ15世妃、マリー・レクザンスカ あたりかな。

けれど、フランス革命に立ち向かえそうな資質を持つのは
何故か>99が挙げた王妃達のような気がしてしまう。
101名無しさま:2009/06/20(土) 04:45:16 ID:oh+8Jdkj
>>100
>ルイ13世妃アンヌ・ドートリッシュ 

夫からも疑惑を向けられた皇太子を出産し
不義の子を皇太子にしたと、王侯貴族から反乱を起こされフランスに内乱を起こし
内乱鎮圧後、ベルサイユで国王の息子と贅沢三昧に過し
イタリア人のマゼラン枢機卿に国政を牛耳らせたがね。

>ルイ14世妃、マリー・テレーズ・ドートリッシュ 
(孫がスペイン王家を継承)

ルイ14世はスペイン王位継承に口を出し、フランスは国庫が枯渇しつつあったのに
スペイン王位継承戦争に参戦して、それが国家財政の破綻を招いた。

>薬にも毒にもならない目立たない王妃は
ルイ15世妃、マリー・レクザンスカ

廃位されたポーランド国王の娘、という出自だったため
多額の持参金も、国土もなく、欧州の列強王家の閨閥もなかったので
疲弊してたフランスの国力に利益をもたらす存在ではなかった。
そして、ガチガチのカトリック信者だった彼女は、度重なる夫の不貞へあてつけるように
信仰生活にのめりこみ、彼女に育てられた皇太子もまたガチガチのカトリック信者になり
それはドヴォと呼ばれたカトリック狂信一代派閥となり
彼らの、キリストと同じく、神が定めた運命には逆らわないという信仰生活の影響をモロ受けたルイ16世は
革命が起きても無抵抗(無気力ともいえる)のまま、だった。
102名無しさま:2009/06/20(土) 11:08:51 ID:4s8x1O5z
>>101
マリー・テレーズ自身は何もしなかったのでは?
ルイ14世の野望は領土拡大と、
(フランソワ1世以来の悲願ともいえる)
打倒オーストリア・ハプスブルク家だったので、
どう転んでもスペイン継承戦争は回避出来ないと思うのだけど。


取り合えず私は、異国の王女アンヌ・ドートリッシュが異国出身のマザランを
起用した結果、ルイ14世の治世の基礎を築いた事実がある以上、
アンヌ・ドートリッシュとの不貞の噂を理由に揶揄する気にはなれない。
二人が秘密結婚した証拠が発見されたなら、
彼女達への評価が変わるであろう程度の認識だもの。

最後に、ルイ16世は王としての資質を発揮した形跡が殆ど無いけれど、
信仰の篤さだけがその理由ではないような。
王としての野心が無いまま、王冠をかぶっていただけだと思うけど?
103名無しさま:2009/06/20(土) 22:56:19 ID:oh+8Jdkj
>>102
>マリー・テレーズ自身は何もしなかったのでは?
フランス王妃として
スペイン王女として
「何もしなかった」ことこそ問題だった。
国際政治的にも、宮廷政治的にも影響力ゼロで「何もしなかった」王妃を妻にした
ルイ14世は結果、やりたい放題でベルサイユでは国家財産を浪費しまくり
領土拡大癖を戦争しまくり、果ては最後の愛人の影響を受けてナントの勅令を廃止して
フランス国内のプロテスタントが圧政を逃れて新大陸に逃げ、国家財政がますます疲弊してしまった。

アンヌ・ドートリッシュに関しては、彼女がルイ14世の絶対王政の基礎を築いたことには同意するけれど
その絶対王政がフランス革命の火種を育んだ以上、もろ手をあげて賞賛はできない。
ルイ13世崩御直後、王侯貴族がルイ14世の出生に疑惑ありと反乱を起こし
それが内乱にまで発展したことは、このスペインから来た王女の日頃の素行に問題があったということだし
内乱まで起こされてもまだ懲りず、息子が政権を握ってから外国人の枢機卿をフランスの国政に重用した
これは、フランスの皇太后としてどうよ、とは思うね。

>王としての野心が無いまま、王冠をかぶっていただけだと思うけど?

野心を持つことを、忌避すべき欲望とした、カトリック狂信派(堅信派とも言う)ドヴォの影響は受けていたと思うけどね。
104名無しさま:2009/06/23(火) 00:00:08 ID:D0M+RFKG
>>86
アントワネットの父の領地で、オーストリィvsフランスと領地紛争していたアルザス地方は
彼女の結婚でフランス領土になったし、マリーの影響で、ハンカチーフは現代の形になり
それまで観賞用で食用になどとんでもないと思われていたじゃがいもが
フランスで食べられるようになったのは、アントワネットが髪に馬鈴薯の花を飾って
舞踏会に出て、じゃがいもを食卓に上げたのがキッカケ。
ルソーの自然に帰れの信望者だったアントワネットは、自分の子に自分の母乳をあげて
これが上流社会で流行して、生まれたら即乳母に預けられた富裕層の子供は
わずかな期間でも、母親の母乳を飲めるようになった。

>夫を裏から上手に操って、実家に都合のいいような政策を取るように仕向けたり、

こんなことをやったら、フランス国民から慕われるどころか、嫌われて
下手すりゃ、貴族たちから反乱を起こされるよw

>国民が母国に好意を持ってくれたりするようにするなど、外交官としての役目がある。

これは同意。ただし、国民があまりにも外国人生まれの「国母」に好意を持つと危険。
ロシアのエカテリーナ2世は、ロシア語もまともに話せなかった夫と違い、ロシア語が流暢で
ロシアの文化・宗教も積極的にリスペクトして、これが人気になり
結果、軍人貴族たちと結託して、夫を暗殺して、ロシア皇帝の血など一滴も体内に流れていないのに
自らがロシアの女帝になり、この女帝が夫の存命中に浮気して生んだ(と女帝自ら認めてる)
母女帝に疎まれまくったロシアの皇太子が、ルイ16世治下のベルサイユ宮殿に寓居していた。
恨みつらみをベルサイユの宮廷貴族の前でブチまけるこのロシアの皇太子を
ルイ16世夫妻はいつもかばい、慰めていた。
そして、そのロシア皇太子の息子、アレクサンドルがナポレオンを追い落とし
ブルボン朝にフランスの玉座を取り戻してやった。
105名無しさま:2009/06/23(火) 01:16:46 ID:Q5Yutaf6
マリー・アントワネットは空気読めないスイーツ女だったのかも
知れないけど、末っ子で甘やかされた王女って
こんなもんなのかも。

嫁いだ家に出来るだけなじもうと努力するのは仕方がないにしても
比較的家庭的だったマリア・テレジアの宮廷と違って
ベルサイユは色々大変だったろうね。
簡素なドレスを好んだだけでリヨンの織物業をないがしろにするのか!
と罵られたり、くだらないしきたりを廃止して逆恨みにあったり・・・。
当時の王族としては子煩悩で手元で世話をする傾向のある
母親だったのに。
106名無しさま:2009/06/23(火) 02:09:30 ID:qObbbsfI
>>99
>イザボー・ド・バビエール

無条件に強そうな名前の女性だ…w
107名無しさま:2009/06/23(火) 21:24:05 ID:pwywZvUD
「イザベル」をフランス風にした名前なのかな?>イザボー
随分イメージが違うよなw
108名無しさま:2009/06/26(金) 21:19:39 ID:gyDgryLy
ルイ14世も15世もド派手に愛人作って暮らしてたから
外国生まれの両王妃は、同情されるだけで目立たなかった。
でも、ルイ16世はオーストリー人の妻を愛し、愛人を持たなかった。
外国人の王妃を愛し愛人を持たない=フランス女性よりオーストリー女がいいのか!
→フランス女性への侮辱 だと貴族も庶民の女も思って、マリーへの反感は強まる一方。

蛇足だが、太陽王ルイ14世の妻のスペインのマリー・テレーズは
生涯フランス語がたどたどしくしか話せなかった。
109名無しさま:2009/07/09(木) 21:28:21 ID:kfJyzSRI
>>108
女ってマンドクサ
誰が何人好きになってもいいじゃねーかw
110名無しさま:2009/08/16(日) 17:22:22 ID:Yr7ahhPa
無茶な事をやりまくった悲劇の王女といえば
イングランドのメアリーT世(ブラディ・メアリー)のほうが凄い。
あれだけ踏んだり蹴ったりの人生じゃ「グレるのも無理はないな」と思う。
111名無しさま:2009/08/16(日) 17:40:54 ID:WLoINYGQ
メアリー一世は可哀想ではあるけど悲劇とまでは思わないな
別に処刑された訳でもないし
それだったら同じ名前のメアリー・スチュワートの方が悲劇だと思う
112名無しさま:2009/08/18(火) 02:25:11 ID:s5DTJkSB
あの辺はメアリー&エリザベスの親父が悪いと、僕は、思うんだな。
113名無しさま:2009/08/18(火) 18:21:03 ID:QK5cnvbt
ヘンリー8世が糞なのは基本だな
114名無しさま:2009/08/20(木) 20:31:39 ID:P37/mqmg
>>101
マリー・レクザンスカ王妃はフランス料理&菓子の発展に
少なからず貢献したからなあ。
(父王のスタニスラフ・レクザンスキーは知る人ぞ知る「美食王」。
フランス菓子の「ブッシェ・ア・ラ・レーヌ」のレーヌとは
発案者のマリー王妃。いわば料理プロデューサー親娘)
現代人と王侯貴族から見れば「薬」、民衆には「毒」ではないかと。
115名無しさま:2009/09/06(日) 01:47:18 ID:9ZD3DlQA
>>114
フランス料理菓子の発展に貢献したのは彼女一人じゃないよ。
アンワネットはクグロフをフランスに流行させ
飢饉のときはジャガイモの花を髪に飾ってジャガイモの普及に貢献した。
カトリーヌ・メディチは、カトラリーを使って食事する習慣と
前菜・スープ・魚・肉・デザート様式をフランス料理に定着させたし
ルイ14世の正妻マリー・テレーズはチョコレートをフランスに持ち込み
ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人は、セーブル陶器の商品開発に貢献して
食卓を豊かにしたし、デュバリ夫人も美食でならし
今でもフランスには彼女の名を冠したレトルトが製造されてるくらい。
116名無しさま:2009/09/06(日) 01:50:38 ID:9ZD3DlQA
>>114
ベルサイユに移ってからのフランス宮廷では
お菓子の流行を作るのは貴婦人たちだった。
ルイ14世の愛妾だったラ・ヴァリエール・モンテスパン夫人はもちろん
ヒミツ結婚したスカロン夫人、フォンタンジュ嬢
みな、それぞれが開発したお菓子があった。
117名無しさま:2009/09/15(火) 22:26:09 ID:tOVZqlmn
早い話、貴婦人達はスィーツ(笑)だったのか。
118名無しさま:2009/09/22(火) 12:56:24 ID:8X5ACZ8V
男も上流階級はお菓子好き。
リシュリュー公もお気に入りの菓子のレシピを色々残してるし
鉄血宰相ビスマルクが愛したチョコレート掛けバウムクーヘンも
ドイツの銘菓として現代に受け継がれている。
日本だと茶人大名の松平不昧公の和菓子が有名。「山川」とか「姫小袖」とか。
119名無しさま:2009/09/23(水) 07:06:09 ID:kUQHX9R6
既出かもだけど、この人、ダブルリミテッド(セミリンガル)だったらしいね。
14歳で嫁いだ時、まだフランス語を習得し切れてない状態。
暮らしているうちに日常会話には困らないものの、読書ができるレベルではなく
年相応の知識が身につかなかったらしい。
母語のドイツ語も14歳で中断→フランス語生活なので、退化して
こちらも子供レベルに留まった。
言語レベルがドイツ語フランス語ともに子供なので30代になっても
思考が大人にならなかった・・
時々帰国子女やインター育ちにとんでもないバカがいるけど、こういう
10代の時に二ヶ国語をまたぐと、バイリンガルになるかダブルリミテッドになるかの
どっちからしい。
120名無しさま:2009/09/23(水) 11:46:01 ID:7UyvRVCG
「パン無いアルか、お菓子食たらよろしアルね」だったのかw
ルイ14世妃マリー・テレーズの仏語もカタコトだったらしいけど
母国語も覚束ない&フランス暮らしで忘れていったんだろうか。
121名無しさま:2009/09/25(金) 08:57:27 ID:G9l8ror9
>>119
義妹に宛てた遺書は、文法的にも正しいフランス語だけどね。
>>120
>「パン無いアルか、お菓子食たらよろしアルね」だったのかw
これを言ったのは、ルイ15世の娘。アデライド。
122名無しさま:2009/09/25(金) 11:42:06 ID:NVb9v5aU
>>121
文法的には正しくても、語彙力など30代のそれではないよ。
彼女は周囲が現代で言う中等教育以上の内容の話をし始めると
半分も理解していなかった。なんとなくどんな話をしているかわかる程度。
だから革命以前の国家財政の窮乏についても、体系的に理解できなかったんだよ。
ダブルリミテッドっていうのは>>120の例のような文法的におかしい言葉を
話すわけではなくて、年齢や立場に即した言語レベルに到達してないこと。
一般の小6が文法的に正しい手紙を書けても、日経新聞理解できないというようなことを
イメージしてもらえばわかると思うけど。
123名無しさま:2009/09/25(金) 22:12:30 ID:G9l8ror9
>>122
>文法的には正しくても、語彙力など30代のそれではないよ。
彼女は周囲が現代で言う中等教育以上の内容の話をし始めると
半分も理解していなかった。

アントワネット本人が理解してなかったと証言できるのは本人くらいでしょ。
当時から彼女の評判は宮廷内でも市井でもすっごく悪かったから
悪意のフィルターをかければ、周囲の話も理解できないアホ王妃に仕立てるのは簡単。

>だから革命以前の国家財政の窮乏についても、体系的に理解できなかったんだよ。
これは、ダブルリミテッドどうこう言う話じゃないんじゃないの。
フランス生まれ育ちの王侯貴族・聖職者たちはダブルリミテッドじゃなかったけど
国家財政救済の一策だった、課税に反対して、せっせと蓄財に励まないでしょ。
124名無しさま:2009/09/25(金) 22:14:21 ID:G9l8ror9
日本語訂正

フランス生まれ育ちの王侯貴族・聖職者たちはダブルリミテッドじゃなかったけど
国家財政救済の一策だった、課税に反対して、せっせと蓄財に励んだんだから。
125名無しさま:2009/10/08(木) 10:04:26 ID:NpFByrNY
当時にちゃんがあったら、アントワネット様はねらーだった可能性が高いw
126名無しさま:2009/10/08(木) 20:48:03 ID:GGSLLLdE

Tubeでギボアイコが、フランスを訪ねてマリーアントワネット
の霊と喋ってたのがアップされてた。
「マリーアントワネット」で検索できると思う。
127名無しさま:2009/10/12(月) 14:09:29 ID:pyeQUYF2
>>126
その当時まだ成仏してなかったのか…
128名無しさま:2009/10/13(火) 00:00:16 ID:jHg96dC5
マリーの3サイズは何センチ?
129名無しさま:2009/10/13(火) 00:06:52 ID:UXkoSNPu
日本のマリーアントワネットは雅子様?
130名無しさま:2009/10/13(火) 14:43:55 ID:QB0NqNF8
>>127
・・まあマリーはカトリックだろうから成仏って概念ないんじゃないのw
131名無しさま:2009/10/14(水) 00:11:27 ID:VESrlOMw
>>129
何で?
外国から嫁いだわけでもなければ政略結婚でもないし
ましてや自己判断の出来る大人になってからの婚姻だし。
132名無しさま:2009/10/14(水) 18:14:51 ID:R/v/WsZQ
神聖ローマ帝国皇帝の娘であるマリーと同列というのはさすがに失礼なのでは・・
133名無しさま:2009/10/21(水) 08:45:12 ID:2dYdUbMS
>>129
皇妃エリザベートをショボくした感じ、とか言われてたような。
異常な旅好きとか逃避癖とか。
134名無しさま:2009/10/22(木) 14:53:13 ID:+cuwbdlP
>>128
昔NHKの番組で、推定B102、W63と言われてた。ヒップは不明。
135名無しさま:2009/10/27(火) 00:21:20 ID:/PWj25KY
>>133
旅好きと言われるほど特に海外旅行はしてないでしょ。
粉屋のお嬢様は、ゴコームでそれはそれは海外によくお出ましだけど。
136名無しさま:2009/10/31(土) 15:24:07 ID:BnIDImx0
>>1今日はじめて「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」って言葉を知ったんだが、
マリーアントワネットってバカじゃないの!?
パンすらないのにケーキなんて贅沢品があるわけないだろ!!
俺は怒り心頭だよ!
ふざけんじゃねえぞ!?食い物がないんだよ!!
お前感覚おかしいよ!狂ってるよ!贅沢しすぎで頭おかしくなっただろ!
お前んちの食料庫にはなんだって揃ってるんだろうが、庶民はそういうわけにはいかねーんだよ!
だいたいなあ。ケーキなんて手に入るぐらいならそれでどんだけパン買えると思ってんだよ!!
マリーんちに乗り込んで往復ビンタで目を冷まさせてやらなきゃ気が済まないんだけど。
どうやったらマリーんちに怒鳴り込めるの?おまえら
137名無しさま:2009/11/02(月) 05:41:47 ID:1HUWF1GY
ちょっとスレ違いだけど、当時は日本でもフランスでもみんな腋毛ボーボボーだったよね?
西ヨーロッパ(フランス、ドイツ、イタリアなど)の女って今も普通に腋毛ボーボボーかしら?
腋毛マニアの僕に2009年は住みがたい時代なので、18世紀と19世紀に憧れてます。
1ヶ月に1回しかお風呂に入らないのはキツイと思うけどさ。
138名無しさま:2009/11/05(木) 20:27:28 ID:vIaSl/Nt
>>136
その発言はマリーのものだとされてるけど、実はマリーの旦那の伯母のアデレイドが言ったらしい。
139名無しさま:2009/11/19(木) 11:14:44 ID:W8T6+NAA
134ありがとうございます。私の心の中だけの漫画の女性のバストの案のひとつになりました。理想のウエストヒップいくつ?
140名無しさま:2009/11/27(金) 19:18:15 ID:+hnOAw9J
プチ・トリアノンって、マリーとお付きの人の幽霊が出るので有名だよね。
確か、イギリス人の旅行者(女性2人)が、プチ・トリアノンで同時に見たという話だった。

あと、夜中に、首を手に持って馬車で駆け抜けるマリーの姿も
目撃者がいるらしい。
141名無しさま:2009/11/27(金) 19:46:28 ID:+hnOAw9J
イギリス人教師2人が見たプチ・トリアノンでの幽霊達・・
http://redlionbbm.pokebras.jp/e34754.html
142名無しさま:2009/12/03(木) 20:14:30 ID:9CqACuI8
>>126
見たよそれ。
フランス行く前に霊視したものが、宮殿にあって。
マリーは一部の貴族から責任擦り付けられたっぽいね。

ノストラダムスの霊視も面白かった。
ノストラダムスの腕の骨にはちょっとびっくり。
143名無しさま:2009/12/03(木) 22:40:07 ID:nLsTlTY3
ワイングラスはマリーの乳を象ったもの
腕時計の考案者
作曲もした

スイーツなりに頑張ったと思うよ
14歳で外国の王室に輿入れなんて、やっぱ無理あるよ
ルイ16世が絶倫だったら、歴史は違っていたかも
144名無しさま
>>143
>ワイングラスはマリーの乳を象ったもの
ではなく、「マリーの乳を象った器がある」が正解。今も残っている。
当時、おっぱいから象りした器を作るのが流行していた。
マリーはそれなりにいいおっぱいをしていたため、器もそれなりに
大きなものだったが、人によってはそこまでのおっぱいがないため、
手塩皿にしかならないようなものが完成し、恥をかいたとかw
以上、「芸術新潮」のおっぱい特集より。

腕時計については知らなかった。
ハンカチを今の真四角に近い形にしたのも、マリーじゃなかったかな?
プチトリアノンだって悪い趣味じゃないと思う。
イギリスの田園趣味を大陸に最初に取り入れたとも考えられる。

センスはいいよね。
ファッション界のポンパドゥール夫人だ。