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書棚を整理していたら、4年ぐらい前のサッカーマガジンが出てきて、表紙にどでかく隆行!
「鈴木隆行 進化論」
ぱらぱらとめくっていたら、鹿島のフロントの鈴木満氏がいい事書いてたんで紹介するね。
「彼が入団してきたとき、私はサテライトのコーチでした。
当時の彼は荒削りで、一つひとつのプレーが未熟で、ヘディングでボールを落としたり、ポストプレーが未熟で足元でさばいたりといったことを反復練習させる毎日でした。
ただ、何か一つエッセンスが加われば、大物になるという感じはありましたね。体が大きかったし、強かったんですよ。
右も左も蹴ることができたし。
96年に私は強化担当になったんですが、当時は第1次黄金期で、かれもなかなか試合に出られなかった。
でも何とかジーコに見せたいな、というのがありました。それでCFZという、ブラジルにあるジーコのチームに留学させたんです。
そこでチームを3部から2部に上げる原動力にもなって、ジーコも隆行を認識する機会になったと思います。
CFZから帰ってきたあとも、ジェフ、フロンターレにレンタルして、できるだけ試合経験を積ませましたが、完全移籍は考えませんでした。
チャンスを与えて、ある程度長い時間やれたら活躍できる予感があったので、手放せなかったんですよ、レンタルとしてはだすけれど。
最大の転機はフロンターレですね。あのときJ1に昇格したばかりで最下位だったチームで、紅白戦にすら出られなかった。
自分はもうおしまいかな、サッカーをやめないとダメなのかな、というところまで追い詰められたときに、うちは柳沢、平瀬がオリンピック代表に選ばれて、ベベッドも3ヶ月でチームを去って、フォワードが誰もいなくなってしまった。
そこで隆行を呼び戻したところ、それまでは斜に構えたところもあったんですが、”俺は下手なんだ、100%力をだすしかないんだ”と、がむしゃらに頑張ってくれたんです。
それが3冠にもつながって、彼もトルシエに呼ばれてコンフェデのカメルーン戦の2ゴール、ワールドカップのベルギー戦でのゴールにつながったわけです。
クラブでも点をたくさん取っていなし、数宇で結果を残している選手ではないんだけれど、どん底と頂点を行ったり来たりしながら、とにかくベストを尽くして必死にやるというのが備わってて、それが大事なときに結果を出せる力になっていると思います。
ただ運がよかったというだけじゃない、それを裏付ける努力を怠っていなかったということですね。