【アジア杯4位惨敗】 千葉枠 Part13【一斉粛清】

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http://blog.livedoor.jp/meitei2005/


わーい、かったー、かったー、かったー
ぼくらのおしむじゃぱんがかめるーんにかったぞー

(中略)

まず日本代表が「強豪国」に勝ったこと自体がかなり久しぶりだった。
ジーコ時代には何度か強豪国と試合をしたが、
アルゼンチンとは3戦して3敗、ドイツには1分1敗。
その他にもフランス、メキシコ、ブラジルには全く歯が立たなかった。

唯一の成果は04年4月のチェコ戦の勝利ぐらいだろうか。
同じ年の6月にもイングランド相手にアウェイで引き分けていて、
この時期は試合内容でもジーコ時代で数少ない良い思い出になっている。

(中略)

しかしオシムは、アジア杯でチームの完成度を高め、
その後の試合で成果を出す方を選んだようだ。
まず彼は1つ目の賭けに勝利したと言える。
次のオーストリアとスイス戦できちんとした試合をして見せれば、
日本に対する評価も好転し、強豪国との試合数も増えて行くだろう。

(中略)

オシムは世代交代だけでなく国際評価という意味でも
ジーコ時代の負の遺産の処理を運命付けられており、
たったの1年でその成果が出始めている。
もし中津江村の存在というジーコ以前の遺産がきっかけになったとすれば、
不思議な運命だと思わざるを得ない。