オシムはわざと負けた

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〜 オシム、シュトルム・グラーツ辞任の経緯

リーグ連覇や CL 健闘などの好調期の後、成績がやや低迷。会長は
グラーツを常勝チームにすることを要求した。オシムは、選手の
育成やチームの熟成には時間がかかるので、成績にはどうしても
波が出てしまうことを説明したが聞き入れられない。

会長は強行手段に出た。オシムに相談なく選手 13 人を放出し、
自分が選んだ「スター選手」を 13 人連れてきた。この補強(?)
などにより、CL の賞金等で一時は豊かになっていた財政も逼迫して
いった。

こうして 2 人の間の確執が一気に表面化。会長はマスコミを使って
オシム批判を展開した。この頃、会長により旧ユーゴ選手や諸国に
対する侮辱発言があり、人権保護団体から注意(処分?)を受けた。

混乱の末、2002/03 シーズン開始当初にオシム辞任。会長は副監督
(?)を監督にしたが、短い期間でまた監督交替(元コーチ?)。
シュトルム・グラーツは低迷期に入る。

# ※ 注
# まとまった形での、確実に信頼できるソースは見つからなかった
# ので、調査方法として、主にドイツ語のウェブページを、適宜
# 検索し、独→日 Web 翻訳を介して読み漁った。
#
# ニュース記事から掲示板やブログまで、種々雑多なソースを大量に
# 読み、それらを総合して構成したものなので、信頼性は決して高い
# とは言えない。