オシムジャパンの3日間>ジーコジャパンの4年間

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 ◇駆ける魂 オシム監督◇

 旧ユーゴで1984年スロベニア人のカタネッチ(現マケドニア代表監督)が赴任したのは
ボスニアのサラエボだった。そこで、カタネッチはジェレズニチャル監督のオシムの練習
を見る機会に恵まれ、その現代的内容に圧倒される。
「驚くべきことに20年以上も前に、オシムはすでに現在と同じトレーニングをしていた」。

 ボールへの接触は2タッチ以上許さず、放した後もすぐに意図を持って動く。パスを出して
立ち止まること(パス出し地蔵@小野・茸・小笠)はもっての他で、次のアクションに向けて走り続け
なければならない。

 当時はゲームメーカーと呼ばれるエースにまずボールを預けて、あとはその「王様」の力量次第
という戦術が一般的だったから、チーム選手全員が連動してゴールに向かうというやり方は
まだ珍しく、カタネッチにとって衝撃的だった。

「選手を辞め、指導者になって改めて確信したのだが、結局、約束事のまったく無い個人の自由な
プレーに委ねるなら、ボールを持っていない他の選手は、彼(ボールを持つ王様)がどう動くのか
分からなくなってしまう。パスか?ドリブルか?プレーはここに来て”崩れる”のだ。
 先のドイツワールドカップのポルトガルが反面教師のいい例だ。彼らは実に見た目はいいサッカー
をした。プレーヤーはみんな1対1に強く、ボールも一見すると回った。」
 しかし、フッニッシュに向けて見るとどうか。
「クリスチャーノ・ロナウドがドリブルで30b突き進み、商攵の屈強なDFが立ち塞ぐ。
それから彼が何をするのか?味方の選手ですら全然分からない。何かを試してシュートしても
決まらず、仕方なく逆サイドのフィーゴがボールを受けても、ちょっとましなだけで、
チームで他の選手が連動する動きが感じられなかった。」

 オシムがチーム全員の連動をもたらすトレーニングをどこで学んだか?については、
関係者は「あれはオシム本人が自分で発案したものだろう」と口をそろえる。
 パルチザン・ベオグラードでオシムの下でアシスタントコーチをしていたパウノビッチによれば
「今、日本で話題になっている7色のビブスを使う練習方法もオリジナルだ。私が想像するに、
オシムは、選手がピッチ上で自分で考える習慣、判断の速さ、予見性を身につけるために
あのメソッドを考えついたと思う。」

 普通の紅白戦方式の2色のみに対し、多色のビブスを用いた練習方法は、
「敵か味方か、パスを出していい相手、フリーマン、攻守の切り替え、等等、
決め事が細かく、そのぶん、プレーの中で、思考の速さとアイディアの豊かさを強く求められる。
しかも、刻一刻と移り変わる局面で、激しいプレッシャーを受けながら、瞬時に考え判断しなければならない。」

「サッカーで最も重要なのはアイディアだ。サッカーは止まったボールを扱うのではなく、
同じ場面はない。
試合中、監督が作戦タイムをとってIntervalを入れたり、アイディアを授けることはできない。

アイディア(思考力)の無い人間でもサッカーはできるが、決して良いサッカー選手にはなれない。」

 オシム語録を実践させる練習方法はすでに20年以上前に、「ソ連や他民族国家における
強大な敵を自分のアイディアで欺くことを生きていくうえで嫌でも強いられる地域」サラエボで
生活の智慧で生まれた。
(木村元彦、NIKKEI 8/25コラムより)