日本サッカーを後退させるマスコミども15

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金子達仁W杯観戦記
「誰からも愛されるフランスではない」

 フランスの決勝進出は予想通りだった。
しかし、あんな勝ち方をしようとは、まったくもって予想外だった。
 気持ちはわからないでもない。ジダンにとって、今回は最後のW杯である。
なんとかして有終の美を飾らせたいという思いがチーム全体に漲(みなぎ)っているに違いない。
だが、あまりにも強くなった勝利へのこだわりが、フランスをフランスではなくしてしまった。
 ありていにいえば、彼らが時に恐れ、時に侮蔑(ぶベつ)してきたドイツのようなチームになってしまった。
 ポルトガルとの準決勝。ジダンのPKで先制してからのフランスは、露骨なまでの守備偏重サッカーに切り替えた。
1点のリードにこだわり、あとはひたすら相手のスキだけを狙うというサッカーは、もちろん間違いではない。
しかし、そうした「常識」を打ち破る攻撃的なサッ力ーを展開してきたからこそ、ブラジルは、フランスは、
国籍を超えて世界のファンから愛されてきたのではなかったか。
 いまから24年前、プラティ二率いるフランスは、西ドイツとの準決勝で2点のリードを奪いながら、
なおも攻撃にでて追いつかれ、W杯史上初のPK戦で姿を消した。
延長に入ってからの2点リードという絶対的なアドバンテージをものにできなかった彼らは、
それゆえリアリストの失笑を買いもした。
しかし、その代償として、世界中のファンから愛される資格を得た。
 06年のフランス代表を、フランス人以外の誰が愛するというのだろう。
 ジダンへの思い。大会直前に重傷を負い、離脱を余儀なくされたシセへの思い。
自分のためだけでなく、仲間のためにも戦うであろう今大会のフランスが決勝まで進出して来ることは、十分に予想できたことだった。
2大会ぶりの決勝進出は、当然のことながら、フランス人にとって大きな喜びでもあることだろう。
だが、勝利の代償として、彼らは大きなものを失った。
 もはやフランスは、誰からも愛されるフランスではない。
 プラティ二時代のフランスは、敗れてもなお「シャンパン・フットボール」という言葉を残した。
もし、今回のフランス代表が黄金のカップを手にしたとしても、同じ賞賛を浴びることはあリえない。
勝利という唯一の目的のために、徹底して贅(ぜい)肉をそぎ落した現実的なサッカー。
ジダンという希代のアーティストの存在が、チームをドイツ化させてるとしたら、なんとも皮肉なことである。
(スポーツライター)

マスコミも糞だがおかかえライターも糞