ジーコがやりたかった事

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2ちゃんねらーに大黒摩季とか言わせたかった
2:2006/05/16(火) 14:28:07 ID:3S2EGQrc
3 :2006/05/16(火) 14:28:35 ID:9Nufc0DG
久保入れて欲しかったなあ。
4(・ω・):2006/05/16(火) 14:29:29 ID:tL6DutIO
リアル・ウイイレごっこ
5 :2006/05/16(火) 14:29:36 ID:Q3vFgKi9
わっはははははははははいはいわろすわろす
6 :2006/05/16(火) 14:29:52 ID:ELU9w/wF
☆ アンチジーコ豆知識 ☆

○基本的概略
 アンチの発生は前監督トルシエの時代に大量発生したシステム・戦術等の机上論に幻想を
 抱く人。なかでもトルシエに極度に傾倒した一部のファン、通称トル信と呼ばれる人々が
 戦術、決まり事による行動や判断の規定を多くつくらず個々に考えることを強く要求する
 ジーコの代表監督就任に異を唱えたことに端を発する。

 これに何はともあれ反対するアマ評論家、アンチ鹿島、ウイイレ厨等が合流し
 「このままでは手遅れになるぞ!」を合言葉に本格的な活動を開始。 前監督時代に
 戦術という言葉が独り歩きするTVゲーム目線の風潮に危惧を感じ、ジーコ就任による
 本来的な意味での強化を歓迎した層を“信者”と断じ激しい舌戦が開始された。

 しかし就任当初は新しい方向性に試合結果も芳しくなく、コンフェデのフランス戦、
 東アジアの韓国戦等、時折輝きを放つ試合もあったがアンチは口を揃えて
 「結果が出ていない。今ならまだ間に合う。即時解任を!」と唱えるなか、
 W杯1次予選が開幕。オマーン戦、シンガポール戦の辛勝を受けて
 アンチの勢いはさらに加熱、日本サッカー史上初の解任デモ行進まで行われた。

 この流れを変えたのがジーコの方向性に一定の結実を見たハンガリー・チェコと連戦した
 東欧遠征であった。一方的優位なホーム開催の大会以外では惨憺たる結果しか残せなかった
 前監督時代からの躍進に、とりわけ今でこそアンチの残党が「所詮親善試合」となかったことにする
 チェコ戦は当時アンチの実行動派だったデモ隊に第2回行進を中止させた程の衝撃を与えた。

 その後英国とアウェーで引き分け、さらにはピッチ内外における言語道断といえる
 敵対行動で、本来中立地のはずの敵地で連戦したアジア杯でも優勝するに及び、
 ジーコは「お手並拝見」だった中立派の支持も得て評価を決定的なものにした。

 その後日本代表は1次予選、最終予選ともに1試合残して通過。
 本大会出場一番乗りというおまけがついたのは余談だが、
 結局同格イランのアウェーを除けば引き分けによる勝ち点の取りこぼしもなく、
 終わってみれば予選を通じて指揮をとり切符を手にした初の日本代表監督となった。

 これら結果を受けて自分の中の机上論から演繹的に生み出した批判が悉く外れたアンチは
 帰納的な考察、反省を放棄し「ジーコが監督ではドイツ本大会に行けない!」から
 「日本のポテンシャルはこんなものじゃない」へと方針を微妙に転換する等。
 出てしまった結果から自論を護る為だけの主張を更に持論から延々と繰り返しループしている。
 つい最近まで「本大会惨敗するよ?」のみがアンチ最後の砦であり、 「ジーコがベストか?」
 とオシム待望論やシャムスカ有望説を強引に自陣にすり替え、 聞きかじりを自慢げに語って
 千葉や大分のサポにまで迷惑がられ、嘲笑の声を被害妄想で正当化する日々である。
7三振タイガース
ジーコは王監督みたいになる事が目標らしい