http://www.toukou-t.com/s_toukou/rinzin/kaji.htm ・ぼくよりうまい選手はいっぱいいるのに……
・サッカーを始めたのは小学1年生のとき。寂しがりやの泣き虫で非常に弱い少年だった。
・仲良しの友達がやるというので、じゃ、ぼくもとチームに入った。
・早く休みになってほしいとばかり考えていた。
・サッカーをすること自体が苦しい。
・サッカーへの執着はない。
・家でサッカーの話は禁止。
・(プロ入りが決まった時の感想)「ラッキーだな」
・(代表入りが決まった時の感想)「まさか。なんで、ぼくが?」
・同じ世代とはいえ、彼ら(99WY組)は格が違いますからね。
・全国ベスト16に入った高校時代「球蹴りというか、お遊びのような感じ」
・サッカーを続ける理由は生活のため。
・お金をもらってやる以上、趣味ではないし、上り詰めるまで必死。
勝ったときのほんの一瞬の喜びと生活のために、毎日しんどい思いをしている
・飼い犬の名前は「勝利」
・今年は、代表でもFCでも、どれだけ疲れていても安定したプレーをする。家に帰っても、安定した生活をする。
・好きな言葉は?・・・・一生懸命。自分にはそれが一番合ってるかなと。
・尊敬してる人。・・・・・・母親ですね。どういうところ?僕、父親がいないんですよ。
それで男3兄弟で。それを一人で育てたのはすごいな、って。
「やっぱり地味がいい」 日本代表MF 加地 亮
2005年8月16日 朝日新聞朝刊
「加地は地味だ」という評価は僕の耳にも入ってくる。そう言われるのは結構悪くない。
「右サイドは別の人でもいいんじゃない?」という評価にも「はい、誰か違う人を使って
下さい」という感じだ。
確かに僕のプレーは見た目が派手派ではない。シュートを決めるわけでもない。
でも、ボールに直接関わっていない場面での動きをしっかり繰り返すことで、周りが
生きてくることがある。サッカーには、そういう役割を担う選手が必要だと思う。
例えば、右サイドでMF小笠原がボールを持っていたとする。そこで僕がオーバー
ラップすれば、小笠原をマークしている相手DFの位置は僕のほうにずれる。小笠原
はどうなるか。相手のマークが緩くなり、視野が広がって余裕ができる。センタリングも
あげられるし、中にドリブルで切りこむこともできる。
そうやって味方を助ける一方、相手DFが僕についてこなければ、小笠原が僕にパス
を出す選択も生まれる。僕の動き一つで選択肢は一機に増える。でも、オーバーラップ
せずに小笠原の後ろに立っていると小笠原はきっちりマークされ、自由にできない。
だから僕のサイドでいかに2対1の局面を早く作るかが重要だ。小笠原に球が渡る直前
には、2、3メートル後ろにいたい。そして、トラップした時にはもう横にいるのがベストだ。
その後、僕のパスが出てくるか出てこないかは問題ではない。
好きなのはそういうプレー。目立ち過ぎると、あまりいいことはない。いい時は周囲から
持ち上げられるだけ持ち上げられ、悪い時にはガーンと落とされるから。
やっぱり地味がいい。
この春、4歳の息子が近所の保育園に通うことになった。
友達はできたかとか、保育園の様子はどうかとか、息子にいろいろと話を聞いたところ、
先生は男の人なのだという。「ちょっとサッカーがうまいんだよ」と息子。
妻にもそのことを聞いてみたら、
「その先生、昔、ちょっとサッカーをやっていたことがあると言ってたよ。
でも、子供が好きだから、サッカーをやめて、保育士の資格を取ったんだって」
とのこと。私は「珍しい人もいるものだ」と思う一方、その先生にほのかな好感を持った。
その年の秋、運動会があるというので、息子の通う保育園に私が初めて足を運んだときのこと。
なんとグラウンドで子供たちと一緒に楽しそうな笑顔を浮かべているのは、加地亮、その人だった。
何かの見間違いではないかと思ったが、たしかに彼に間違いなかった。
妻の話を聞いてからこの瞬間まで、私は彼の名前などすっかり忘れていたのだった。
忘れもしない、8年前の2006年のドイツワールドカップ、ベスト4に入った日本代表のレギュラーで、
右サイドを颯爽と駆け抜けた加地さん。予選突破をかけたブラジル戦では、後半ロスタイムに
奇跡のゴールを奪った加地さん。私の中で、あの熱い日々が、走馬灯のようによみがえってきた。
その彼が今、子供たちと一緒に屈託のない笑顔を浮かべている。
グラウンドの大きさは違うとはいえ、あのときと同じ、いや、あの時よりも、いい笑顔だ。
運動会の終わったあとで、私は「加地先生!」と声を掛けた。
「いつも息子がお世話になっています」と私は挨拶をし、それから、おかしなことだが、
握手を求めてしまった。加地さんちょっと照れながら、私の手を握り返してきた。
「おとうさん、加地先生、サッカーうまいんだよ!」と、私の傍らで息子が言っている。
加地さんは朴訥な口ぶりで「昔、ちょっとサッカーをやってたんですよ」と照れ笑いを浮かべた。
私は、あの2006年ワールドカップのことが口に出かけたが、やめておいた。
目の前にいるのは、日本代表の加地さんではなく、保育士の加地さんなのだ。
息子や妻にとっては「ちょっとサッカーがうまい」先生だ。それでいいじゃないか。
私は「これからも息子をよろしくお願いします。サッカー、教えてやってください」とだけ告げた。
加地さん……いや、加地先生は「はい、頑張ります」と言った。
私は、彼の第二の人生を、ひそかに応援している。