1 :
さく・え/ななし:
平成12年から東京書籍の『新しい国語 二年 上』に掲載された、
宮西達也『にゃーご』を巡り、
「たかじんのそこまで言って委員会」(全国21局ネット)において、
小学生の子供を持つ、辛坊治郎(讀賣テレビ報道局局次長)による以下のような批判があった。
「授業に出るなということか」
「先生の言うことを聞くなということか」
「みんなが恐いと言っても恐くないし、話し合いで解決するということか」
これを受けた三宅久之(政治評論家)の発言
「みんな話し合いで解決すれば、それで済むなんて、そんなことは無いんです。世の中には」
その他の出演者の意見の多くは、
「“戦いはやめよう”“みんな仲良くしよう”“どんな危険な相手でも話し合えば分かり合える”
という教育が、現実とかけ離れているのでは?」というもの。
この回の放送での、“授業を聞いていなかったネズミが正しいのか?”という、
「たかじんのそこまで言って委員会」による批判に対しての、宮西達也の反論。
「目に見えるものが一番ではない」「優しさや思いやりが大切」
「完璧な人間はいないと思う」「不完全な中で一番大切なものは何か」
この発言を受けて、今回、スタジオではさらに議論が白熱した。(
>>2以降に続く)
2 :
さく・え/ななし:2014/06/17(火) 04:45:42.08 ID:+KbwC5og
宮崎哲弥(評論家)「『にゃーご』というのは、あまり良くないと思う。
なぜ良くないかというと、結局根底に流れる思想は“みんな仲良く”でしょ。
“基本的なベースは共通しているから、やがて了解にたどりつく”という、そういうストーリーなんだよね。
今まで国語の教科書から“対立”を孕んでいる話や“子供にやや刺激的と思われる、
少しだけグロテスクな描写”のある話がどんどん削られてきた。
それで残ったのがああいう話なんだよ。
私は、話し合い・ディスカッションの土台というのは、あくまで“対立”でなければならないと思っている。
価値観の“対立”とは、“みんな仲良く”ではなく、
“違う人間がいるんだ”というところから始めなければならない。
どうも“みんな仲良く”というのを良いことだと誤解しているのではないか。
ああいうものが検定を通りやすくなってきて、ああいう話ばかりになってしまうのはまずい」
勝谷誠彦(コラムニスト)「さっきのオッサン、あの作者、
よくあんなもん出版する気になりましたね。
話し合いの土台が対立であるということは、違いを認め合うということだからね」
村田晃嗣(同志社大学教授)「教科書や教育の現場から、
残酷な話やグロテスクな話をどんどん排除すれば、そこでは“ピュア”な世界が出来るかもしれないが、
外を向けば秋葉原では人がどんどん殺されているといった驚くべき残酷な話が溢れている」(
>>3以降に続く)
3 :
さく・え/ななし:2014/06/17(火) 04:48:16.75 ID:+KbwC5og
森本敏(拓殖大学教授)「あの作品は全然おかしいんだよ。
“話せば分かる”“対話が重要”それで平和になるという考え方を、
子供のときからずっと植え付けているという思想そのものが間違い」
三宅久之「だいたい、授業をサボってたやつがああなるのは、
おかしいと思いませんか? ちゃんと“いけません”ということを言わなければいけない。
平和主義に合わせて物語を作るなんてことは、世の中万事そういうふうにすれば、
鬼でもすぐ話に乗って、虎の子の金銀財宝を半分くれるなんていうようなことはね、
私は百害あって一利無いと思う。世の中そんなふうに出来ていないんだよ」
辛坊治郎「絵本として良いか悪いかという議論は別として、
あれを教科書に載せていいのかという問題がある」
『にゃーご』に限らず、宮西達也のどの絵本にも、「たかじんのそこまで言って委員会」で批判された思想が貫かれています。
私は以前から宮西達也の絵本には違和感を覚えていたのですが、今回こうして取り上げられたことで、その違和感の正体を知ることが出来ました。
ttp://www.suzuki-syuppan.co.jp/script/detail.php?id=1040040799
5 :
さく・え/ななし:2014/08/04(月) 01:27:16.65 ID:3KsjcuOP
委員会側が正しいな
教師が教科書に載せたがる時点で左翼丸出しと分かる
要は教育者が入った各自治体の教育委員会がそういう反日左翼的な教科書を採択する傾向が強い
だから教科書作ってる会社は売り上げを上げたいために左翼的な内容にする
作品として好き嫌いはあるが表現の自由から絵本の出版自体はあり
自虐史観丸出しの歴史教科書を採択している教育者(教育委員会)が酷い
話し合えば解決するという教育も、中韓に毅然たる姿勢を取らない日本人を増やす狙いがあるのだと思う
8 :
さく・え/ななし:2014/09/30(火) 00:48:15.99 ID:P+COe2Ol
>>6 軍事力を担保にしない外交交渉は不利にならざるを得ないからな
拉致問題でも、日本が被害者を返せ!返さなければ軍事力を行使してでも取り返すというのが一つの大きな圧力になるはずが、
9条で動けないから日本は
「拉致被害者を返せ!返さなければ話し合いをするぞ!」って状況だからw
和田豊辞めろ
■米メディア「謝罪談話は不必要だ」
日本が「戦後70年談話」で再度謝罪を表明しても和解はもたらされない。謝罪は不毛である――米国でこんな意見が出てきた。
終戦記念日の8月15日に安倍首相が発する「戦後70年談話」の内容をめぐって、早くも内外で論議が始まった。
◆何を述べても中韓両国は満足しない
米国において民間の識者たちの間では、これ以上の謝罪表明は不毛であり、関連諸国との関係の改善や和解には寄与しない、との意見も目立ってきた。
米国大手紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」(1月13日付)は、同紙コラムニストで中国やアジアの専門家であるアンドリュー・ブラウン氏による「日本にとって謝罪表明は難しい技だ」と題するコラムを掲載した。
ブラウン氏は、すでに宮沢喜一首相や村山富市首相らがその種の謝罪を述べてきたことを強調し、それでも中韓両国などとの「関係改善」や「和解」をもたらさなかったと指摘した。
ブラウン氏は同コラムのなかで、米国のダートマス大学准教授の若手日本研究学者、ジェニファー・リンド・ダートマス大学准教授の近著『謝罪国家=国際政治での謝罪』から
「安倍首相が何を述べても中韓両国を満足させはしない」という見解を引用していた。
リンド氏はここ数年、米国の大手雑誌や新聞などへの寄稿で、日本の謝罪が「危険」であることを説き、以下のように述べてきた。
「日本が戦時の行為を対外的に謝罪することは非生産的であり、やめるべきだ。1つには謝罪は国内的な分裂をもたらすからだ」
「日本は戦後の民主主義確立、経済繁栄、平和的努力などを対外的に強調すべきだ」
「中国共産党が自らの統治の正当性を支えるために国内の反日感情をあおってきたことは周知の事実である」
◆謝罪は外交手段にならない
また、米国オークランド大学教授の日本研究学者、ジェーン・ヤマザキ氏は近著『第2次大戦への日本の謝罪』で、戦後の日本は異様なほど何回も謝罪してきたと記す。ヤマザキ氏によると、
対外的な国家謝罪は、自国の立場を国際的に低下させ、自国民の自国への誇りを傷つけ、今となっては自分たちを弁護できない自国の先人にとって不公正なものとなる。そのため、普通の国家はしないのだという。 (つづく)
(つづき)
そのうえでヤマザキ氏は、謝罪を日本の外交手段と見るならば完全な失敗であると断じる。
「日本は国家首脳レベルで中韓両国などに何度も謝罪を述べたが、関係は改善されなかった。国際的にも、日本が本当には反省していないという指摘は消えていない」と論じ、
「謝罪が成果を挙げるには、受け手がそれを受け入れることが不可欠だ。だが、中韓両国は歴史問題で日本と和解する意図はない」と結んでいた。アンドリュー・ブラウン氏のコラムの結論と同様である。
安倍首相は、これから戦後70年談話を作成するにあたって、米国側の識者や専門家のこうした「謝罪不毛論」を十二分に考慮に入れるべきだろう。