都留文科大って如何なんですか? 第二章

このエントリーをはてなブックマークに追加
105佐伯荘(OB)
>>82>>90
 今泉先生のゼミは地元の人も参加できる
観察教室のようなものもやってましたよね。
僕は国文だったから直接面識は無いのですが、
高校時代の生物の先生が今泉先生を高く評価していたのと
音楽の先生が同期だったとかで勝手に親近感を持っていた
んです。

>>91文題生さん
佐伯荘は僕が出た後は新規に人を入れなかったようです。
当時共同下宿というかアパアートはけっこうあって、
僕のような貧乏学生は多くそういったところに住んでいました。
ワンルームタイプの家賃は高くて¥30000でした。
そういうところに住んでいる人はまだそう多くなく、
うらやましかったです。
 当時佐伯荘の家賃は¥7000ポッキリ。風呂と台所は共用。
お湯は灯油のボイラーで沸かすものだったのでいつでも
すぐに入れました。大家さんは住人の世話を全然焼いてくれない
人だったので、こっちはこれ幸いと、勝手に部屋を2つ使ったり
底に穴のあいたバケツを風呂場の天井からつるして
シャワーにしたり楽しくやってました。
 部屋に集まって遅くまで鍋をつつきながら語り合ったり
楽器を弾いたりして過ごすこともよくありました。
 当時としても佐伯荘の住人と生活は「レトロ」
なものでした。東京の私立大学に行っていた友達は
バブル時代を謳歌して、ブランドスーツを着て
六本木で遊んだりしていたようですが、そういう人たち
に比べると都留での私の生活は質素でつつましいものでしたよ
いやほんとに。