>>1 もっと文章を整理しよう。異なるテーマを混ぜすぎている。
「余剰教員はクビ・社会人採用」「教師は社会経験に乏しい」「社民系共産系は解雇」など
という主張は、主題からずれるし、他にスレッドもあるのでそちらでやったほうがよい。
>日本の高度成長を支えてきた骨のある指導者は大体4・50人の学級で教育を受けてきた筈だ。
その通りだが、それで勉学できたのは彼らが優秀だったからだ。
>生徒には、教師の目を盗む自由や、授業そっちのけで、自分の趣味に没頭する自由もあっていい。
静かにやってるならそれを許容するのも一つの方法だが、実際はおしゃべり・携帯電話の会話・
ポケットゲーム等まじめな生徒にとって大迷惑になってしまうだろう。
>躍動的な社会を作るためには、多種多様な人材が育たなくてはいけない。
これは、授業以外の社会経験(学校であっても、部活動などの課外活動)にその育成効果を求めるべきだろう。
授業中の「内職」を許容したぐらいで躍動的な社会の建設に役立つ人材が育つなら、すでにいくらでもやってるよ。
>50人くらいいれば、たとえイジメが起きたとしても、一人や二人助け舟を出す生徒が自主的に現れてくるものである。
こんな希望的観測はなんの救いにも解決にもならない。
>いずれにしても、キッチリ教育なんていうおぞましい考えはすてて、
多様な教育という点では賛成できる部分もあるが、あくまで学校に一定の秩序が保たれて
いてのことだ。