1 :
実習生さん:
学業は、要領のよさ(合理性)を得るものとなっていて、
読書は「点数アップには役に立たない」とみなされがちかと思う。
読書に絶対的な価値を置くわけじゃないけど、
生徒の読書事情ってどんなだろう?
>>1 良スレ乙!
『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』
なんかは、受験勉強にも読書にもいいと思う。
「言語を鍛え、新たな世界へと跳躍するために。」てのが売り文句みたい。
てか1人でいいから、好きな現代思想家1人、ハードカバーのエッセイ集
数冊〜十数冊 愛読するだけで相当な語彙力・哲学つくと思うよ。
分からない漢字や慣用句なんかは蛍光ペンで線引いて、
惹かれる言葉、理屈なんかは鉛筆で線引いて、数年かけて何度も読む。
エッセイ集なんかは無理して1回で読まなくても、読んだ順に目次の項目消してけばいいわけだし。
俺は中島義道を治療薬として2年ほど愛読してるが、普通は大学受験と言えば鷲田清一。
でもやっぱり王道は、講談社学術文庫のP.G.ハマトン『知的生活』。
これを読まずに知識人は名乗れない。
中島義道の『哲学の教科書』や池田晶子の『2001年哲学の旅』
なんかも必読指定したいけど、やっぱり王道はこれ。
大学入ってから知的にグレるための必読書ベスト7(中島義道推薦)
・ドストエフスキー『地下室の手記』 …ひきこもり爆発。有象無象を見下す有象無象。
・チェーホフ『ワーニャ伯父さん』 …哀れなペテン師たち。
・カミュ『異邦人』 …偽善の押し付け。日本の縮図。
・太宰治『人間失格』 …古典的且つ正統的なグレ方の見本とのこと。少し謙虚。
・ゲーテ『ファウスト』 …知識馬鹿に対する嫌味。
・ニーチェ『この人を見よ』 …狂人への第一歩。
・ハイデガー『存在と時間』 …これぞ真実!
×数冊〜十数冊
○数冊〜数十冊
…寝るか。
5 :
実習生さん:2009/12/26(土) 13:24:49 ID:XcqL1CbD
1だけど、大多数の生徒が、中島義道さんのような思考を理解するのは難しいと思う。
彼らの多くは、学校の勉強、恋愛、クラブ活動に時間を割いていて、
中島さんのように「何で俺生きてるんだろう」的な問いはしにくいと思うんだ。
(そう思っても、思考を掘り下げたりはしない。)
引きこもりや不登校で悩む人たちは、哲学的思考を得やすいと思うけど、
マジョリティは目の前の人間関係に惰性になりがちではないかな?
本来私も、一度でも学生時代にヒネクレを経験することは大切だとは思う。(視野を広げるために)
ただ、純粋まっすぐさんたちには、哲学書は読んでも吸収されにくいのも事実。
あの人確実にハイデガーの影響受けてるしなw
『存在と時間』を柔らかく咀嚼して食わせてくれるから有難い。
ハイデガーとはちょっと思想違うみたいだけど。
最近になって、教養(知識量)と知能レベルは直接的には何の関わりも持たないということを悟った。
存在してるか否かも論じ得ないクセに、人間たちはあたかも本当に存在してたかの如く
日本史や世界史の事件の数々を覚える。
本当にあったか無かったかも分からないお話を覚え、
読んだところで大した言葉も哲学の得られない文章を英語で読んでは自己陶酔に浸る。
なるほど、京大の素材文なんかは、日本語で読ませても難しく、為になる文章が多いと聞くが、
やっぱり難解な哲学書や文学小説に比べれば大したことない。
歴史だって、物語として読むのなら、結局は文学読んでるのと変わらん。
そもそも存在とは何か?何故いつも今なのか?自分とは何か?時間とは何か?
という、ある種言語論的転回を内包した、言語ゲームをやり込めばやり込む程、
知能レベルというものはどんどん上がってゆくんだと思う。
そしてこういった問こそが、人類が遙か昔から憧れてきた、絶対知の世界なんだと。
仮に神が存在するとするならば、神は人類に何も与えてくれなかったようだ。
ゴタゴタと科学実験をして仮説を立てては、結局は塗り替えられ、
この世界の根本に迫るような問は依然として神聖不可侵である。
人間たちは全てを知ってるようで、実は何も知らないのだ。
古代ギリシャ時代、聖者ソクラテスは傲慢な知識人どもを片っ端から啓蒙していったが、
現代人はそれをすっかり忘れてしまったようだ。
こんな落とし穴は、ゲーテの『ファウスト』さえ読んでれば陥らないハズなのに。
何か受験勉強に全く魅力感じなくなってきた。
こんなことやってる暇があるなら、漢字検定や哲学用語の勉強しながら
哲学書や文学小説をバンバン読み飛ばし、世界に思いを馳せてる方が
よっぽど知能レベルは引き上げられてゆくし、無知の知が持てる。
宇宙や形而上の世界 遊泳してる様で気持ちいいし。
『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』 にも書いてたけど、
所詮はその人間の語彙力が、その人間の脳内世界の限界なんだよな。
多くの文章読みながら言葉をモノにして、
ひたすら言語ゲームやってる方が人生知的で楽しいや。
生きているとはどういうことか?何故いつも今なのか?全く分かりやしない。
死ぬまで英語や歴史や理科、古文漢文の勉強してきたいとか思ってたけど、
完全に興味失せてしまった。
哲学、文学、倫理学、美学、心理学、精神分析学が最優先。
俺河合塾通ってて、よく河合の掲示板行くんだけど、やっぱどいつもこいつも馬鹿に見える。
偏差値だの講師の愚痴だのばっかで、全然哲学的な議論にならない。
こんなんが京大生や阪大生やってるのかと思うと反吐が出る。
お子ちゃまは学校の話しか出来ないみたい。
ニーチェ(ツァラトゥストラはかく語りき)もヘーゲル(精神現象学)も
カント(全ての美にして崇高なるもの)もキルケゴール(あれかこれか)も
み〜んな知らないんだから(笑)
ドストエフスキー(地下室の手記)知らんとかマジ退いたわw
読書版の人達がどれぐらいの大学出てるか知らないけど、
河合の糞どもより遙かに話が判る人達だと思うよ。
地球人にはもう何の興味も湧かない。哲人こそが俺の同志だ。
”科学はおそらく、間違いが系統的に批判され、そして……
やがて訂正される唯一の人間活動であろう”(カール・ポパー)
”迷信が、世界全体を炎に包み、哲学がその炎を消していく”(ヴォルテール)
”限りあるものには、本物の存在はない”(ヘーゲル)
これが、知能レベルの進化した哲人達が出した世界に対する答えである。
中にはマルクスのような哲学者にして哲学者に非ずなのもいるが、あんなのは放っておく。
答えの存在しない問は、答えがないからこそ真実の光が発せられ、魅力的なのだ。
科学も含めて、宗教に奔っては真実の光は雲の影に隠れてしまう。
その点プラトンのイデア論は、正に現代人に対する啓蒙には打ってつけと言って良いだろう。
9 :
1 ◆zhWxBjgwSI :2009/12/26(土) 23:10:46 ID:8L9/H1Cn
長い文章お疲れ様です。あなたの意見は良くわかります。
ただ、そんな周りの読書不足を見て、学問書の価値を無理に押し付けるのは難しいです。
彼らが自ら積極的に、書物を手に取り読むようになる「時期」を待つしかないのでは。
それに、サイレント・マジョリティとして、読書をしている人も見過ごしてはいけません。
もしかしたら、ある場所では多くの人が学問に没頭していると思いますよ。
私の感想ですが、
あなたは、「偏差値」「ブランド」にとらわれないという点、主張がある点で、すごいと思います。
なぜなら、紙の上の勉強をし過ぎて、就職のキップとして大学に進むのが大多数で、
その上、まともにディスカッションできる学生は少ないからです。
(ゼミの慣れ、人にもよりますが。)
名前欄から高校生(もしくは浪人生)と察します。
今の時代、哲学を熱弁できる仲間を探すのは難しいかと思いますが、
哲学は「よく生きるためには必要」なので大切にしてください。
(哲学が金稼ぎの役に立つかと言えば、閉口してしまいますね・・・。)
10 :
実習生さん:
いまどき、ここまできっちり読んでくれてる学生がいることをうれしく思います!
これこそ本来の学生のあるべき姿です。