○●○●いじめ統一スレッド26●○●○

このエントリーをはてなブックマークに追加
52観念は具現化する ◆3PwDX5T6IA
虐めに関するよくある勘違いと正しい見方 ver.0801

其の1「虐められる側にも原因がある」
 "原因の追究"を途中で止めた結果陥る、典型的な錯誤である。理由が何であれ、数ある選択肢の中からその行為を選択しているのは行為者自身。行為者が虐め以外の選択さえすれば、虐めは起こり得ない
 被行為者に自身の行為の原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない。これは虐待、差別、嫌がらせ、暴行の他、思考、解釈、期待、信頼、妄想なども同じである
 この錯誤を主張する者は大概、「虐めの原因」と「虐め発生以前に起きた他の事柄の原因」を混同しているか、さもなくば原因(客観)と理由(主観)の区別が付いてない
また、加害者に上手く対処できない無能な教師が教育責任を放棄する際の逃げ口上としても、しばしば使われる
 虐めの真の原因は唯一、虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如に帰着する。つまり100%「行為者の心(の狭さ)」に原因がある。第三者は行為者の言い訳を鵜呑みにしてはならない

其の2「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
 この場合、本当の原因は「どの学校にも多様な個性を受け入れられず、自己表現力に乏しい未熟者がいる事」である。安易に「多数派は正しい」という誤謬を盲信してはならない

其の3「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
 この場合、本当の原因は「虐める側に虐めたくなる理由がなくなったこと」である。幾ら被害者側が変わったところで結局は行為者の心境が変わらなければ行為は止まない
「被行為者が(自分の思い通りに)変われば行為を止める」というのはテロリストが多用する責任転嫁であり、「自分が反省せずに済むための口実」でしかない

其の4「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」
 人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であって虐めではない。寧ろ却って人間不信・社会憎悪を増しかねず逆効果である。この場合、矯正すべきは「虐め以外の手段を知らない者の浅はかさ」である(躾と称した虐待や体罰も同じ)

続きは http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1186284398/658