○●○●いじめ統一スレッド26●○●○

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177観念は具現化する ◆3PwDX5T6IA
虐めに関する、よくある勘違いと正しい見方 ver.0804

その1「虐められる側にも原因がある」
 "原因の追究"を途中で止めた時に陥る、典型的な錯誤である。無能な教師が教育責任を放棄する際の逃げ口上としても、しばしば使われる
 理由が何であれ、数ある選択肢の中からその行為を選択しているのは行為者自身。行為者が虐め以外の選択さえすれば、虐めは起こり得ないのである
 被行為者に己の選択の原因を求めるのは行為者の甘え・責任転嫁でしかない。これは虐待、差別、嫌がらせ、暴行にも言える。思考(解釈、期待、信頼、妄想等)も同様である
 虐めの原因は唯一、虐める側の慈愛心(包容力、想像力、表現力、忍耐、思いやり)の欠如、即ち100%「行為者の心(の狭さ)」にある
 以下は、上記を理解できない者に多い勘違い
@「虐めの原因」と「虐め前後に起きた別の事象の原因」を混同している
A「虐める理由」を「虐められる原因」に摩り替えている。理由(主観)と原因(客観)の区別が付いてない
B加害者の言訳(動機・口実)を鵜呑みにしそれを原因に摩り替えている
C不快感の原因がそれを感じる者自身にあることを理解していない
D己の非(愛の欠如)に無自覚

その2「学校を何度変わっても虐められる。これは虐められる側に原因がある証拠だ」
 この場合、本当の原因は「どの学校にも、多様な個性を受け入れられず自己表現の拙い未熟者がいる事」である。「多数派は正しい」という安直な誤謬を盲信してはならない

その3「虐められる側が変わったら虐めが止んだ。これは虐められる側に原因があった証拠だ」
 この場合、本当の原因は「虐める側に虐める理由がなくなったこと」である。これに似た錯覚に「祈ったら病気が治った。治ったのは祈ったことが原因だ」等がある。表面的な事象のみでは因果は推し量れない

続きは 現実(外界はそれを見る心(内界)の鏡
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