>>490 トンチンカン、乙
三森は絵画の構造分析をテクスト分析に先行させ、必ずやるべきだと主張している。
そしてそれが言語教育にとってかかせないことだという点が注目すべきだと言ってる。
お前のハッタリ自慢とは関係ない。CMうんぬん的外れ。
3)絵画の構造分析が言語教育に必須であるということに対する批判があれば、
根拠とともにどうぞ。
>>491 >なぜ、正岡子規は「写生」を主張したのかということ。
>なぜ、日本人はカメラが好きなのかということ。
>なぜ、日本人はビデオが好きなのかということ。だよ。
> そういう心性のあり方は輸入によってもたらされたものじゃない
>んだよ。
> 正岡はあきらかに「戦略として」写生を打ち出している。
リアリズムの視線こそが西洋的だということは常識だ。そういう視線の獲得によって
事後的に内面(心性)は生まれる。先に日本的な心性が何かあって、それがリアリズムを
利用したというような印象批評は間違いだ。
柄谷「起源」が分かりにくければ、何度か言及した「瀬戸内海の発見―意味の風景から視覚の風景へ」
ttp://www.amazon.co.jp/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%86%85%E6%B5%B7%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E2% 80%95%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%96%E8%A6%9A%E3%81
%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF%E3%81%B8-%E8%A5%BF%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E6%86%B2/dp/4121014669
>明治後期、日本人の眼に映る風景は大きく変化した。それは、山や海や都市そのものが変化したと
>いうよりも、見えるものをどう認識するかが変化したのである。日本の伝統的風景とは、歌枕の地や
>故事・伝説に由来する名所旧跡そのものであった。それを、欧米人の客観的で科学的な視線の影響で、
>自然景や人文景といった近代的風景として見るようになったのである。本書は瀬戸内海を素材に、
>日本人の景観認識の変化を辿るものである。
495 :
実習生さん:2007/03/30(金) 11:41:49 ID:53m5yUty
僕には「俺のほうが賢いぞ〜」っていう知識のひけらかし合いにしか見えない。
そうであるならばスレ違い。
496 :
実習生さん:2007/03/30(金) 11:42:56 ID:Gzivs/30
>>492 >あんた自身が個人的興味を満足させるだけで終わりそうで、残念なんだが。
猫はまったくこの原理だけで掲示板に出入りしています。
続き
日本に来た外国人が風景を発見し、その模倣として日本人に風景が誕生したことがよく分かる。
西田は理系で元は国立公園の職員だった。理系の人間がこういうテーマを扱うと分かりやすい典型だ。
外国人が見出し、日本人が従う例は山ほどある。柄谷「起源」には、フェノロサが山水画を「発見!」
したことが書いてある。外国人に発見され(orさせ)日本人が信仰する典型例が
井上章一「つくられた桂離宮神話」
ttp://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/magazine/024/book1.htm である。以前には一部においてのみ、その技巧が評価された桂離宮が技巧を否定され質素な日本美の
典型として誕生するさまは日本人として何とも情けない限りだ。
情けないのは、「あ」君の強弁も同じだ。
正岡子規がリアリズムの視線を「戦略」として採用した。しかし、「心性」はそれ以前からも
自然を愛でるようなオリジナリティを持っていたと。苦し紛れに、こういうインチキを言わないと
いけないこと自体が恥ずかしい。西洋の視線を真似したことが恥ずかしいのではない。それにも
かかわらず、まだ嘘とハッタリで日本人の優位性やオリジナリティを主張しないとならない
あさましさが恥ずかしい。
子規がそれまでの歌を「月並み」といって唾棄した。日本的、自然さ自明性
そういうものを意識的に変えようとする「戦略」にまで、まだ日本的な自然さを
捏造せずにはおられない人間が恥ずかしい。
柄谷「日本近代文学の起源」・・風景の発見
『吉本隆明が強調しているように、万葉集でさえも漢文学あるいは漢字のもたらした衝撃に
おいて成立したのである(「初期歌謡論」)。花鳥風月はいうまっでもなく、国学者が想定する
ような純粋土着的なものも、漢文学による「意識」において存在しえたのだ。古代の日本人が
「叙景」をはじめたとき、つまり風景をみいだしたとき、すでに漢文学の意識が存在したのである。
文学の源泉に遡行するとき、われわれはそこに文学・文字をみいだすだけである。』
漱石がイギリスでおちいった自我の危機。彼は漢文(学)に日本人を見出した。
だから、午前中は漢籍にしたしみ午後は執筆という毎日を送った。漱石は「あ」君の
ように嘘で自我を支えることはしなかった。
さて、本居宣長が賀茂真淵を批判した論点を理解しているだろうか。
その点についてどう考えるのか、ぜひ聞きたい。宣長は、「あ」君のような
態度こそを反日本的(漢意)としたんだよ。
4)なぜ、テクストからだけで判断しないのか。
なぜ、西洋の視線をパクッタという事実以外の願望やくだらんプライドを
盛り込んだ読みをするのか。
そういうのはいけないという主張ではなかったのか。
日本人の「心性」にかんする論拠を示して欲しい。単なる断言。それも迂回的に
印象批評で思わせぶりだ。そういう理解=読みができる根拠が知りたい。
>>492 そういう観点から議論するのもアリでしょう。
複数が交錯してはいけないのですか。私はそういうハウツーの交換自体を否定
していません。小学校の現場に立つ前提なら興味はないと言っているまでです。
また、そういう小学校教師どうしが意見交換すること自体も別にかまわないでしょう。
だから、邪魔はしていません。
嘘やデタラメはいけないとだけ言っています。
嘘やデタラメからいいものが生まれるのでしょうか。
あなたにはそういうことを感じません。ただ、ここを国語教師のスレにする
必要があるのかどうか、そういう誤った前提があるように思うのですが。
500 :
実習生さん:2007/03/30(金) 13:09:49 ID:sZ4ZUdjL
>>499 >ただ、ここを国語教師のスレにする
>必要があるのかどうか、そういう誤った前提があるように思うのですが。
国語教師がハウツーを交換しちゃまずいスレかな?
それを言われちゃ何も言えんが、しかし仮に「国語教師の指導法スレ」
みたいなものを立ち上げようと思っても、削除規制で引っかかるんで
「誤った前提」と言う言葉は少々つらいね。
>国語教師がハウツーを交換しちゃまずいスレかな?
そんなことはないと思いますよ。また、そんなことを言っていません。
複数が交錯することはいけないんですか?
また、三森などの実践を検討することは大変興味あります。
502 :
実習生さん:2007/03/30(金) 16:40:35 ID:fKDhQPO9
>>501 あのやり方は、まだインターネットとかなかった時代につくられたもので
あるから問答が多い。
やるなら、ネットの掲示板で児童に議論させるのもやった方が
のびるだろうよ
503 :
実習生さん:2007/03/30(金) 16:52:29 ID:qSexsjVP
あらら やっちゃたね。猫くん。
心性=内面ね。そんなことはないだろ。日本人には意識はなかったとでも
いうのかい?猫くん。それは勇み足。
フォルマリスムにもなってない。
しん‐せい【心性】
心のあり方の特質。心的傾向。メンタリティー。「日本人の―」
内面/世界を分けるような思考法は西洋から来たものだが、ハイデッカー
のような世界-内-存在という見方は日本は古くからあった。柄谷がいって
いるのはそのような二分法の成立だよ。読めてないよ。猫くん。
また、柄谷が言っているのは日本独自のとか、日本由来のということが
問題ではない。ということだよ。そこにあった<交通 INTERCOUSE>が隠蔽
されてあたかも伝統になっていくようなことが問題だといってるだけだよ。
そういう日本的構築についてクリティカルな態度になっているだけだ。柄谷
はだからこうすべきとは言ってない。ただ<その面が気に食わない>と言っ
てるだけだよ。そして批評とはそういうものだ。そのことについて柄谷は自
覚的だよ。
柄谷は意識を否定してなんかいない。それが読めなきゃしかたないね。
504 :
実習生さん:2007/03/30(金) 16:58:24 ID:qSexsjVP
ぷ。リアリズムが日本では写生という態度や私小説という態度に
なってしまうこと。
(そこに日本語というものの形態がある)
そのことの方が遥かに重大だよ。
嘘やデタラメというより底が浅い読み取りなんですよ。猫くんのは。
そして深めるんならこんなところに書き込むんじゃなくて論文を書け。
どこかで聞いてきた話ばっかするな。論文を書くのが実践だ。
ふざけてはいけない。キミに啓蒙される人はいないよ。プロパーになれ
ならないなら、そんなこと書き込むな。(しかもちっとも面白くないんだ
よお。)
よい子の社会主義
ttp://www.thought.ne.jp/html/text/socio/01hm1.html これぐらいはじけてくれるならまだしも。
そして、くるぶしだって、きちんと完結する形で自分の文として
公開してる。相手に半分持ってもらうみたいな掲示板でそれをや
るのはどうかと思うよ。
505 :
実習生さん:2007/03/30(金) 17:10:59 ID:qSexsjVP
絵画の構造分析がテキスト分析に先立ってやっておかなければならない。
そんなことはないよ。
絵画の構造分析において、例えば 上 下 左 右 中央がすでに意味を
持っているという前提があるが、これもキャンバスという切り取られた空間
が前提なんだよ。壁画とかになるとそんな単純なことではなくなる。
(だからこそ中世以前において壁画が絵画の大きな領域であったこと、現代
において絵画がキャンパス自体を飛び出していったことは社会との関わりに
おいて必然だともいえる。また形式的には所有とことの否定でもある。)
テキスト分析よりも絵画の構造分析を先行させたいと考えてるのは、すで
に意味を持っている(と思われている)ことばを形式的に扱う訓練をさせた
いからにすぎないよ。抽象画の○や□にはそれ以上の意味がないからとか思
ってるだろ。(そんなことはない。フォルムやサイズはもうそれ自体がすで
にメッセージ性を宿してる。)そんなことは、テキスト分析の教え方の問題
にすぎないよ。もちっと、テキスト分析の方法論を整理すればいいんだよ。
絵画なんかへ逃げないでさ。転用を当てにしてはじめるっていうのは、好き
じゃないね。絵画の構造分析はテキスト分析のためにあるんじゃないからね。
ふ・ざ・け・ん・な。
506 :
実習生さん:2007/03/30(金) 17:22:50 ID:qSexsjVP
って嘘つき
三森は絵画の構造分析なんか必要だといってないじゃないか。
「絵画を読む」トレーニングが有効だといってる。
猫くん。底が浅いよ。絵画には絵画の構造分析がある。きちんと学問として
成り立ってるんだよ。(記号学以降それはもう一つのジャンルになってる)
そんなことまで要求してなんかいないよ。適当にわかることを書いてみよう
といってるだけだ。ふざけてはいけない。
構造分析などと言ってはいけない。プロパーが聞いたら、そんなもんじゃねえ
っていきなりジヨットの水平とバロックの垂直とか言い始めたらどないするねん。
507 :
実習生さん:2007/03/30(金) 17:28:31 ID:qSexsjVP
508 :
実習生さん:2007/03/30(金) 19:26:09 ID:r9fBvl2A
ごまかさないで答えるところが見たい。
509 :
実習生さん:2007/03/30(金) 22:24:05 ID:+ElMTVKA
やっと、こういうバカどもがとっとと処分されるまともな社会になりつつありますが、まだ油断できませんw
【社会】「君が代不起立」「処分歴8回」の女教師は“天下の朝日”に支援され、韓国誌では英雄視…週刊新潮
町田市立鶴川第二中学校の根津公子教諭(56)が、卒業式の「君が代斉唱」の時、また
しても起立をしなかった。これまで都教委から処分されること8度。今やその世界で有名
な“闘士”だそうだ。でも、税金で給料を貰う日本の公務員が日の丸・君が代を蔑ろにして
なんで許されるの?
根津教諭の“闘争歴”は古い。話は94年に遡る。彼女はこの時、学校に掲げられた日の丸
を引きずり下ろして処分を受けている。彼女を英雄視する韓国の雑誌は、こう書いている。
≪校長が日の丸を掲揚すると、生徒たちが反発した。“日の丸掲揚をできなくしよう”
“言葉ではだめだ。日の丸を引きずり下ろすんだ!”生徒たちは力の限り叫んだ。
その時、根津教諭が「静かに」そして「堂々と」日の丸を下ろした。生徒らの反発は
この学校で根津教諭が耕し続けた平和教育の結果だった。周辺の学校まで噂になる
ほどに日の丸・君が代問題に対する生徒たちの理解度は高かったのだ≫(ハンギョレ21)
週刊新潮4月5日号P.52より
510 :
実習生さん:2007/03/30(金) 23:14:25 ID:NOMiBrFP
>>504 >嘘やデタラメというより底が浅い読み取りなんですよ。猫くんのは。
>そして深めるんならこんなところに書き込むんじゃなくて論文を書け。
>どこかで聞いてきた話ばっかするな。論文を書くのが実践だ。
>ふざけてはいけない。キミに啓蒙される人はいないよ。プロパーになれ
>ならないなら、そんなこと書き込むな。(しかもちっとも面白くないんだ
>よお。)
まったく同感。
ただ、猫のような浅薄な話に乗っかるウブでナイーブな人達もいるのが悲しい。
まるでオウムの師弟関係を見るようだ。ママンとやらが、さしずめジョウユウにあたる。
小さいときに、いい加減な教育しか受けなかったのは、気の毒に思う。
この現象が正に教育の歪なのかな。 今となっては、取り返しがつかないことなんだ。
>>503 相変わらず歪めてすり替えてずらしてレスするな。
番号を付せといっても聞かない。困った奴だ。
>>491 >なぜ、正岡子規は「写生」を主張したのかということ。
>なぜ、日本人はカメラが好きなのかということ。
>なぜ、日本人はビデオが好きなのかということ。だよ。
> そういう心性のあり方は輸入によってもたらされたものじゃない
>んだよ。
心性や内面、意識があるとかないとか、語彙としての意味の差異なんか誰も
問題にしていない。「>そういう心性のあり方」が昔から引き続いてあったという
ことの論証をしてくれと言ってるんだ。お分かり?
>>504 >ぷ。リアリズムが日本では写生という態度や私小説という態度に
>なってしまうこと。
>(そこに日本語というものの形態がある)
>そのことの方が遥かに重大だよ。
一方で輸入を認め、価値体系の転倒によってずらして正当化する愚かさw
態度の問題じゃーないんでしょ??「心性」の問題なんだろ??
「>遥かに重大だよ。」という断定だけでなく、根拠をあげて論証しろ。
すり替え、ずらしなしでなw
☆ お前、ここのスレを見る人間を馬鹿にしているだろ。オイラを馬鹿に
しているとかそんなことじゃーない。デタラメと強弁で誤魔化す。
いつまで続けるんだ?
512 :
実習生さん:2007/03/30(金) 23:47:23 ID:NOMiBrFP
>>511 >☆ お前、ここのスレを見る人間を馬鹿にしているだろ。オイラを馬鹿に
> しているとかそんなことじゃーない。デタラメと強弁で誤魔化す。
> いつまで続けるんだ?
これって、自己批判だろ。
513 :
実習生さん:2007/03/30(金) 23:51:58 ID:qSexsjVP
猫さーん。とんでもないよ。
>心性や内面、意識があるとかないとか、語彙としての意味の差異なんか誰も
問題にしていない。
それを問題にしないなら、いったい「ことば」の何を探求すればいいわけ?
はっきり言おう。そんなやつは国語スレから出て行け。ことばを大事にしよ
うとする態度がないなら、ことばにこだわる意味なんかない!ふざけるな。
神社の祝詞とかそういうものから上げるかい?それとも、古事記、日本書紀、
万葉集?我が妹の衣の袖なんかに感情移入するなんてそういう心性があったから
に他ならないし、女性を櫛にするとか、ヨモツヒラサカのモモだとか、感情を物
に託すあるか仮託する、象徴化するという傾向はとても強いよ。少なくとも、文
字を使って物語るようになり、その物語が文字の形で残るようになってからはい
くらでも証拠はあるだろう。
(柄谷がいってるのは、文字の輸入によってそういう物語、文学が可能になった
ということであって、それ以前にも<それ>があったというのは壮大な後付けの
物語なのだということだけだよ。)そういうディテールにこだわる傾向ははっき
りと最初から見られる。花鳥風月とかそういうことじゃないんだよ。
なぜ日本語で社会関係のことを物語ろうとすると「私という現象」を書かなければ
ならなくなるのか?複合汚染のような書き方をすると小説ではなくなってしまうのか?
そういうリアリズムの問題が日本語で表現するというときにはついてまわってるって
ことだよ。
だからこそ、キミの話はうさんくさく受け取られる。君という存在が蒸発してしまって
いるからだ。日本語ではそういう「話者」は無視されてしまう。なぜなのか?
実は「家」の問題よりこちらの方が大きな問題だったのだよ。
どうして伊豆の踊り子は名作なのか?阿部公房の砂の女はなぜ、「わたし」
が語ってるのだ?そういう問題なんだよ。
514 :
実習生さん:2007/03/30(金) 23:57:26 ID:qSexsjVP
なぜ物に感情を託するのか?については日本の根っこに無言交易が
横たわっているからではないかと考える人もいるだろう。
山の民、海の民を上げるまでもなく。ことばを介さない部族間の交易
によって「もの」にいろんな意味を付与されてきたと考えることもでき
るだろう。
>>505-506 言っとくが、お前と違って嘘やハッタリでは言わない。知らないことを知っているように
言わない。自信ないことを語らない。論拠をすぐ出せないもので語らない。
>絵画の構造分析がテキスト分析に先立ってやっておかなければならない。
>そんなことはないよ。
お前がそう断定する論拠は何だ?上記に続く駄文は意味がない。論拠を聞きたい。
>って嘘つき
>三森は絵画の構造分析なんか必要だといってないじゃないか。
>「絵画を読む」トレーニングが有効だといってる。
ネットでちょろちょろ見てシッタカかw
「外国語で発想するための日本語レッスン」(三森ゆりか、白水社)
<絵の分析からテクストの分析へ>pp.51-54
『その後の調査で、ヨーロッパの多くの国々で幼児教育のなかに、子どもに絵を見せたり
絵本を見せたりしながら分析的に考えさせる訓練が入っていることも明らかになりました。
また、スペインのモンセラ・サルト女史が考案した「読書へのアニマシオン」もまさに
そのような構成になっています。つまり一枚の絵の分析から始まり、絵本の分析、そして
一冊の本の分析へと繋がるように、「読書へのアニマシオン」の内容は構成されているのです。
現在、私は教室を開き、幼児段階の絵の分析、ならびに絵本の読み聞かせ(+分析的質問)
から高校生の「テクストの分析と解釈・批判」まで同一線上の技術の訓練として捉え、指導を
行っています。絵の分析をしっかりと積み上げた生徒は、テクストの分析能力も高く、彼らが
絵の分析で培った観察力、分析力、論証力をテクストの分析に応用しているのは明らかです。
読者の皆さんが大人になってから「テクストの分析」を学ぼうとする場合も、一見まわり道
のようですが、「絵の分析」を通してまず観察する能力、分析する能力、事実に基づいて論証
する能力、そして観察した事柄を相互に論理的に関連づける能力を養ったほうが、結果的には
「テクストの分析」に早く到達することができるでしょう。さらにそれだけでなく、分析的に
読むことの面白さ、楽しさを、「絵の分析」を通して実感として味わうことができれば、
「テクストの分析と解釈・批判」に対する興味も自ずと湧いてくるのではないでしょうか。』
これに続く、第二章「絵の分析」では詳細に方法論を説明してある。
>>491 >なぜ、正岡子規は「写生」を主張したのかということ。
>なぜ、日本人はカメラが好きなのかということ。
>なぜ、日本人はビデオが好きなのかということ。だよ。
> そういう心性のあり方は輸入によってもたらされたものじゃない
>んだよ。
この心性の中身を詳しく論じてくれっていう話し。
あわててすり替えるのは見苦しい。
518 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:03:43 ID:qSexsjVP
そりゃ猫くんが「ことばを雑に扱うからだよ」
絵を読む(ただ分析する)のと絵の構造分析を行うということは
全く次元が違うことなんだよ。
一緒くたに語るな。
印象批評だ!というわりには絵に関わっての印象批評は認めるって
いうのかい?いいかげんにしろよ。それはわしのテリトリーだけに
ちょっとちょっとちょっと!だよ。
519 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:05:38 ID:CZmaNZiS
ええ!猫くん。読めないのかい?
物や場面を切り取る。(フレーミングする)ことでそれを切り取った
人間の感情を代弁させるという傾向だよ。
本当に読めない人だな。キミは。厭きれちゃったよ。
520 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:07:04 ID:x7QMCckx
俺もその「心性」を具体的に説明して欲しい。
先生、待ってまーす。
521 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:08:12 ID:CZmaNZiS
三森は間違ってない。
きちんと「絵の分析」と言っている。
「構造分析」とは言ってない。きちんとそういうジャンルが存在して
そこで行われていることと自分がやらせようとしていることが違うと
いう認識があるからだよ。猫くん。
なんでそういう、細部が読めないんだろう。自分の文脈に引き寄せす
ぎ、相手のことばに対峙してなさすぎだよ。
>>512 尻馬で周辺をかぎまわって、恥ずかしくないか?
インチキ・デタラメあるんなら具体的に指摘してください。
523 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:11:14 ID:CZmaNZiS
だから、わしがしてるんだが。猫くん。
いんちきじゃなくて、でたらめじゃなくて早飲み込みだってば!
間違いがあるんだよ。
>>521 どこまでも強弁かw
彼女は構造分析という意味で「分析」を使っている。第二章を読め。
お前は「トレーニング」だと言ってたんじゃーないのか?w
>>517 を早く誤魔化したいのは分かる。無理だ。論拠をよろしく。
525 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:13:42 ID:CZmaNZiS
キミはスポークスマンなのかい。
誰それが、○○については○○と指摘している。
…だから、どうしたのさ?ってだけじゃないか。
そんなの?まだ、私小説の方が相手を説得できるだろ。
526 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:14:42 ID:CZmaNZiS
猫くん。日本語では技術の訓練は「トレーニング」だよ。
違うのかね?
>>525 お前のように嘘とハッタリでは言わない。
その神経が理解できんよ。
>>491 >なぜ、正岡子規は「写生」を主張したのかということ。
>なぜ、日本人はカメラが好きなのかということ。
>なぜ、日本人はビデオが好きなのかということ。だよ。
> そういう心性のあり方は輸入によってもたらされたものじゃない
>んだよ。
を誤魔化す理由が知りたい。これは核心だぞ。
528 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:19:13 ID:CZmaNZiS
>>517 の具体的な内容は
>>519 日本の物語は、人が話を進めているのに(ストーリ)なぜか、
物(デティール)がストーリをひきずっている部分もあるよ。
物語が異(もの)を騙ることであるとしてもだ。
(このような字義的な字源的なことを根拠とするような語りは
本来はよくない。まさに国語的な語りである。)
>>526 お前が「分析」と「構造分析」は違う!と妄言垂れるから、それに触れただけw
最初から、お前のように瑣末なことで議論しない。核心が大事だからな。
細部はその核心との関係によって重要になってくる。
要は、お前が批判していたことはトンチンカンだったということだな?
531 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:26:55 ID:CZmaNZiS
猫くん。話がすれ違ってるよ。
三森は「構造分析」とは言ってない。「構造を分析すること」
と「構造分析というジャンル」は違うからだよ。
絵画の構造分析を専門で行っている人々は「構図」の分析から
心理への影響を確かめたり。ある色(明度、彩度、色相)が
他の色とどうような関係にあることでどんな効果を生み出してるか
というようなことをまとめる。
あるいは、さまざまなタブローに描かれた左手を取り上げて、その
扱われ方についてまとめる。などのことだ。下は図像学と呼ばれる
こともある。
キミにとっては瑣末らしいが、その瑣末にこだわって読むことが読む
ってことだよ。
文の内容しか考えなければ、文の意味はわからないよ。
ねこがねずみを追いかける。と
ねずみがねこに追いかけられる。の内容は同じだが意味は違うんだよ。
532 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:29:12 ID:5K6kT+M8
>>531 三森はそういう意味で使っているということだ。テクストの分析への応用としての
絵画の分析。構造にこだわるなら、他の多くの誤魔化しはどうなんだ?
「心性」の説明を待ってるからw
要はそこなんだ。なんで誤魔化す?
534 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:36:02 ID:CZmaNZiS
ごめん。あの説明でわからなければ、残念ながらキミに語る
ことばをわしは持ち合わせていない。そして、キミが理解し
なくてもわしは一向に困らない。
自分のことばで自家中毒を起こして歩けなくなっても、キミ
以外は誰も困らない。
シズケサヤ イワニシミイル セミノコエ。
ここに「もの」にこだわる傾向を読み取れないならし
かたがない。
535 :
実習生さん:2007/03/31(土) 00:37:37 ID:CZmaNZiS
あ!もしかして心性の意味がわかってないのか?
意識の傾向だよ。さっきから一生懸命、傾向ということば
を使っている意味が伝わってない?
あーでも、まあ、いいや。どうせ他人のことばなんて要約して
自分のことばだけが大事なんだよね。
>>534 >>491 >なぜ、正岡子規は「写生」を主張したのかということ。
輸入だよw
それ以前もずっと輸入w
記紀も輸入w
輸入でそれまでと混交し変化する。元ももちろ輸入。
様々なる輸入、様々なる意匠w
それから逃れた心性なんてない。
537 :
実習生さん:2007/03/31(土) 01:02:46 ID:CZmaNZiS
ふーん。じゃあ、日本語が中国語にならなかったわけは?
輸入なんでしょ。ねえ。さあ。どうなのよ。あー輸入だ。
輸入。君の考えも誰かの考えのコピーにしかすぎないんだよね。
じゃあキミなんていう現象にちっとも価値なんかないね。
それなら別にかまわないよ。わしはね。
宣長は馬渕をどう批判したか、せっかくいいヒントをやってるのに考えない。
おそらく知らないんだろう。検索しても、分からんだろうしw
一生懸命、柄谷を出していたなw どうでもいい上滑りだったけど。
その柄谷は『”感性”とは、いわば未発達の(または遅れてしまった)テクノロジー
のことだ』と言っている。
奈良時代の和紙とは当時の最先端テクノロジーだ。我々の感性とはそういうものに
右往左往して遅れて付いていこうとする。
昔、CDが出たときレコードのアナログの方が温かみがあるとかなんとか
さんざん言われた。「STEREO」という雑誌は今でもあるのかな。
芭蕉の句を愛でる心性なんて日本人にはない。なかった。今も昔もない。
芭蕉の句で、結果としてそれを愛でる心性が形成される。ちょっと考えれば
分かることだ。
今ではCDの「冷たさ」を憂う感性はもう聞かれない。
感性とは周回遅れのテクノロジー。比喩ではなく、そのまんま。
>>537 お前は馬鹿か?
>じゃあ、日本語が中国語にならなかったわけは?
>>536 輸入でそれまでと混交し変化する。
白い絵の具に真っ赤な色を混ぜる。結果、真っ赤になるのか?w
かなり混ぜんとアカンなww 日本も占領支配されていたらそうなっていたかもな。
台湾や半島大陸で行ったように、言語の強制を100年くらいしてたら、そうなったかも。
イギリスではノーマン・コンクウェスト以降も英語がよみがえったけど。
日本なんか、明治以降、日本語を止めてフランス語にしようとか、漢字はダメでローマ字
がいいんだという舶来マンセーな輩がたくさんいた。たしか、その糞は小説の神様とか
呼ばれていた人物もいたな。
>輸入。君の考えも誰かの考えのコピーにしかすぎないんだよね。
>じゃあキミなんていう現象にちっとも価値なんかないね。
こういう妄言の前提には、オリジナリティにしか価値はないという無根拠な
決め付けがある。しかも、そのオリジナリティ自体が自律してあるように見なす。
柄谷を援用して「交通」とかなんとか言っていたけど、結局は何も分かってない。
文学の起源は文学だということの意味をまるで考えない。
写生は自然を客観的に写すことだとする。写生の起源は文字だよ。文字しか見ていない
と言っても過言ではない。そもそも我々の眼は既にテクノロジーとして「文字化」して
対象を見る。虫たちは我々と違った色を見ている。自然は我々が見るようには「ない」。
「もの」にこだわる、って小学生にはそう言い張るのは分からんではない。
しかし、そんな馬鹿げたことをここで言う頭が理解できない。
なぜ、明治期以前は風景が見えなかったのか。そういうことをまるで考えない。
眼はまず「文字」を通してしか見ない。この「文字」はもちろんメタフォーとして
の意味もある。だが、文字通り「文字」しか見ないんだよ。沈思黙考すれば分かることだ。
541 :
実習生さん:2007/03/31(土) 02:12:26 ID:CZmaNZiS
あーあー現象学も適当にしかわかってないんだなあ。
違うよ。知覚に論理的だとしても、(ゲシュタルト心理学を援用しなくても
それは論理的だといえるだろうけど)論理的=概念によって構成されている
わけではない。ことばは文字じゃない。文字はことばのもう一つの顔だ。
文字があるからこそ文学は生まれたといえるが、文字がなくても物語は生ま
れている。では文字によって生まれた文学とは何なのか?文字がなくても存
在する物語とは何なのか?…円環…波紋と螺旋…双曲線。その違いがキミに
わかるかね。
オリジナル…藁。そんなことをいってるんじゃないよ。スポークスマンなど
存在しないのも同じなんだから。キミが勝手に蒸発してしまっているなら、
それは結局、意味などもたない。キミの早合点や独りよがりこそキミ自身だよ。
そしてキミはキミ自身をキミの視線から避けるために(対自でありたいために
即自として存在する自分を殺し続けているだけだ。)そしてそのような大文字の
主体こそ形而上学的なものだよ。しかも無意味な超越性だ。
542 :
実習生さん:2007/03/31(土) 02:23:34 ID:CZmaNZiS
ぷ 純粋なものはないなら中国語だって純粋じゃないだろうに。
猫くんはバカかい。白に赤を混ぜたら、白でも赤でもないさ。
だけど、白も赤も純色だよ。
キミのいうとおりなら、全部黒になってお終いだ。全部黒にならな
かったわけは…。さあ、この謎が解けるかな?
ヒント中国語は存在しない。漢語や唐語は存在する。そして、最終的に
はラジオの普及を待たなければ統一的な日本語は存在していない。
ピジンの研究。あるいはクレオール。
モンゴロイドの移動。エスキモーはモンゴロイド。そしてフェゴ島。
ヤーガン族。
543 :
実習生さん:
焦るなよ、猫。
小学校教師殿はあと十日もしないうちに消えるよ。
なぜって、正業を持っている人は、お前ほど暇じゃないからな。
今でも、こんな深夜に書き込みしているのを見て、他人事ながら
心配になるくらいだ。
だが、猫は違うだろ?
年中長時間に渡って書き込みできるお前だもの、どうせ暇なんだろ。
小学校教師殿の書き込みが間遠になるのを見計らって、ここぞとばかりに
書き込んで、このスレを終わらせるがいいや。
そうすればさ、お前が圧倒的に負けている証拠も消えてなくなるからさ。
また、新たなヤマさんや半さんを見つけたらいいよ、な。