須賀川市立第一中学 柔道部リンチ事件

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376369のコピペ(個人情報抜き)
369 名前: 須賀川市民 Mail: 投稿日: 2007/01/04(木) 12:43:45 ID: 9MbNaMh2

厳希の事件後の足取り
事件後新人戦に出場 県大会決勝戦で判定で敗退 宿泊先のホテルで万引きをしている。
事件が広まり始めたころ登校拒否、学校には来ていなかった。母親は決勝戦で負けたショック
が原因で事故との因果関係ではないと主張していた。うわさで息子が事件の原因だといわれたこと
で気持ちがズタズタになり心に深い傷を負った。息子は被害者だ。2度と柔道着に袖を
通すことがないと保護者会で主張していた。誰も信用していなかった。

3年生になり6月の中体連に出場、厳希は復活した。試合会場には校長、教頭
PTA会長、副会長までが駆けつけ厳希を応援、励ましていた。この対応には他の父兄達は
腹ただしく思っていた。これを機に完全復活、学校には重役出勤校長から特別待遇で担任も注意できず。
ますます手がつけられなくなってきた。下級生を呼び出し悪口を言っているとかで
ぼこぼこにしている。このことも公にされていない。全国大会出場が決定したとき
相楽市長に表敬訪問、地元の新聞に写真入で報道された。学校では大きな垂れ幕を校舎に張り付け
卒業までそのままであった。この時点で市長も学校もうやむやにしようとの姿勢がみれる。
高校受験は全て失敗。頭の中身は空っぽ、身上の悪さで高校側が拒否、本人は全国大会出場で
簡単にいけると思っていたが世の中はそんなに甘くはなかった。
卒業後回転寿司に勤務すぐにやめ建設現場、市内の居酒屋に勤めたが1年前にやめている。
郡山の専門学校(高卒の資格がとれる。)に通学していた。チンピラたちとバイクで暴走していた。
近所では非常に迷惑していた。去年少年院に入り平和が戻っていたが去年の暮れに
自宅に戻っている。バイクの改造を始めており近所の人たちは眉をひそめている。
以上が高橋厳希の足取りである。