643 :
実習生さん:2006/06/26(月) 02:30:46 ID:w0w2FUTX
国語教育スレの過去スレであれだけ書き込みしているんだから、論点をまとめて
もらえんもんかね>猫氏 あるいは主張が複数あるならそれを別個に立てててくれ。
いまはwikiとかもあって議論しつつまとめるにはそういうのが便利だぞ。
644 :
実習生さん:2006/06/26(月) 21:27:12 ID:cuFFNAks
いままで、子供にあまり音読をさせてきませんでした。
と言うのも、文章を意味の固まりとして読みつなげるように
なるには、黙読のほうが良いように思ったからです。
この考え間違ってるのかな?
645 :
実習生さん:2006/06/26(月) 22:29:13 ID:Z+ks9qqW
読書は量をこなせば勝手に速読ができるようになるし文意も
読み取れるようになるので、量をよませることですね。
作家とかきくと驚くほど本を読んでいる。ものすごい表現が多彩
だとおどろいていたら、その裏には一般人にはありえない量の本を
読んでいたという共通点がありました。
つまり、量を読めば国語力はあがるわけです。
646 :
実習生さん:2006/06/26(月) 22:32:01 ID:Z+ks9qqW
欧米では幼稚園から言語技術と言う科目をやって、すべてを論理的に
説明し、議論できる能力を幼稚園から行っているらしい。
ここで考えるより、まず外国で行っている優れた国語教育方法を探した
方がずっと有益ですね。実践で結果まで出した方法であるわけですし。
ここのスレはほとんどまだ実際にやってない方法を話しているに過ぎず、実際に
あがるかどうかは謎なものがおおい。自分がここのスレの教育方法をうけても
まず100%国語力はあがりませんね。
647 :
平下流:2006/06/26(月) 22:44:06 ID:BQ4znjeg
>>642 やはり、あなたでしたか。
あの板はいろんな人がいますので、即断即決は禁物かもしれません。
もう少し、気長に付き合ってみたらどうでしょうか。
648 :
実習生さん:2006/06/26(月) 22:45:49 ID:cuFFNAks
読書量が読解力養成に有効なのはよくわかるのですが、
わりかし楽に読める文章を多読するのと、多少骨のある
文章をじっくり読むのとではどちらが有効ですかね?
一応小3をモデルでお願いします。
649 :
実習生さん:2006/06/26(月) 22:57:39 ID:Z+ks9qqW
>>648 小三が読みたいものを読ませればいいでしょう。何を読めばいいかと
常人の何倍も読んだ人がいうには、読みたいものを嫁 というものでした。
活字中毒になれば、勉強も苦にならないのでそれがいいでしょう。ただ
知能が高いと小説とかを嫌う可能性が高いので、何か知識が得られるものを
進めるのもOKでしょうね。
650 :
実習生さん:2006/06/26(月) 23:00:27 ID:3kU0Dqyf
音読は音読
黙読は黙読でまったく別のもんだから
両方やればいいんでない?
651 :
実習生さん:2006/06/26(月) 23:03:15 ID:cuFFNAks
音読のプラス面とマイナス面を考えてみると、、、
プラス
脳を活性化させる。
同じ文章を繰り返し読むことで、文章や文の構造が身に付きやすい。
集団学習では、音読場面が欠かせない。
姿勢、心肺機能などにも効果がありそう。
もしかしたら、自分の声を耳から聞くことで、力強い言語野が形成されるかもしれない。
伝統的な読み方であり、その伝統を無視しきれない。
マイナス(黙読のプラス面)
後戻りに馴染まないので、意味把握が曖昧なまま読みが進められる。
黙読に比して、単位時間で読める量が圧倒的に少ない。
音読で文章を読む大人はおらず、その意味で成長過程限定の読み方でしかない。
音読みが中心であり、どこかで意味読みへとドラスティックに変更する必要がある。
音読3回こなせる時間があれば、黙読なら5回はこなせる。そうすれば、問題なく、
文章や文の構造が身に付く。
652 :
実習生さん:2006/06/26(月) 23:11:02 ID:Z+ks9qqW
自分の記憶では黙読している大人がすごいというのがある。
はじめは音読以外で本を読めなかった。それがいつのまにか
黙読で読めるようになった。
音読は基礎みたいなものでしょうね。いろんな意味があるでしょうけど
頭いい人があえて音読しているのを見たことはありませんし。
そして日本で取り入れるとしたら 言語技術トイウ科目でしょうね。
議論をする能力を考えていましたが、外国ですでに行ってきちんとした
人間を教育できているのでそのまま取り入れられます。これと平行して
掲示板で議論、リアルで議論も応用編として行えば、論理的に表現でき
考えられる人間を育て上げることができるでしょう
653 :
実習生さん:2006/06/26(月) 23:21:52 ID:cuFFNAks
むかし、活字中毒っぽい状態になったことがあります。とにかく、文章を読んでいる状態が
気持ちの上で一番落ち着くのです。そのとき気付いたのですが、
たえず人の書いたものに思考を預けていると、人間{馬鹿}になります。
自分で世界観の構築をはかることをしなくなるんですよ。
動機的には賢くなりたくて多読を始めたのに、逆効果に気づかされました。
系統だった世界観を持っていることが賢さの尺度だとすれば、多読にはアイロニーが潜む。
654 :
平下流:2006/06/26(月) 23:29:02 ID:BQ4znjeg
何故、皆さんは国語の技術、手段、方法といったハウツーを求めるのでしょうか。
効率的な王道があるのでしょうか。仮に、技術、手段、方法が身についたとし、目的はなんでしょうか。
少し前、ワールドカップの話が出ていました。
中田には感動しました。彼には、明確な目的意識がありました。
オーストラリアの後、次のクロアチア戦をどのように戦うかとの問いに「どうもこうのない、とにかく走らないことには始まらない。」という趣旨の発言をしていました。
ブラジル戦を前にしては「考えたって仕方が無い。動くしかない。」と言っていました。
作戦だ、技術だ、方法だなどどは言っていません。そんなことより、勝ためにはひたすら走ること、動くこと。
ここで、肝要なのは、目的は必要条件、十分条件は体力だということ。
母国語にとってその体力とは何なのか。少なくとも、ハウトゥー的なものでないことは確かでしょう。
まして、母国語にとって必要な基礎体力を身に着けるのに、実績がいくらあるにしても、外国語とは・・・。
655 :
実習生さん:2006/06/26(月) 23:42:47 ID:cuFFNAks
とにかく走ることってのは、サッカーというゲームの性質上、圧倒的に正しい戦略だと思いますよ。
汗っかきが相手の攻撃の目をつぶし、自分たちの攻撃の幅を広げる。
まぁ、中田から見るとその当たり前のことをチームメイトが実践できていないように映ったのでしょう。
それにあまり国語の話とは結びつかないと思いますね。
論理の建て方としては、まず多読をこなし、ある年齢に達した後に論理的な読解技術を付加するのがよいか、
あるいは幼少から同時並行で進めるのがよいか、、、でしょう。
ちなみに前者に一票。
656 :
平下流:2006/06/27(火) 00:06:09 ID:YnaP2jz6
>>655 一言。
>とにかく走ることってのは、サッカーというゲームの性質上、圧倒的に正しい戦略だと思いますよ。
私の趣旨は走ることは体力の問題であって戦略ではないということです。
657 :
平下流:2006/06/27(火) 00:10:41 ID:YnaP2jz6
>>656の補足
戦略を立てるにしても、その前提としての体力が無くては、絵に描いた餅、机上の空論という趣旨です。
658 :
GEN:2006/06/27(火) 00:10:49 ID:lLtQbej2
>>644 音読は非常に良いですね。
黙読の方が良いということでも、音読の方が良いというわけでもありません。
双方、同じ「本を読む」という行為ですが、其々効果が違います。
勿論、「脳に与える効果」も違いますが、それ以上に音読は「コミュニケーション」であるということが非常に大きいと思います。
読み聞かせは、受ける側になりますが、音読は表現者・発信者になります。
是非人前で音読させてあげてください。楽しませてあげてください。そのためにはあなたも楽しんでください。
量を押し付けるのではなく、好きな本を何度でも読ませてあげてください。読み聞かせの時も、何度も何度も同じ本を「読んで」
とせがまれたでしょう?子供は日々成長しています。まだまだアメーバのようにグニャグニャです。同じ本を読んでも毎回が
新しい発見です。私たち大人も同じですが、子供は大人の比になりませんよね。大人は頭が石ですから。
小さいお子さんは、好きな本を好きなように読ませることが大切です。決して押し付けてはいけない。
本を読む楽しみを感じられれば、押しつけずとも自ら本を読みます。好きなのならば、あたりまえですね。
音読も強制はいけない、子供の好きな本を一緒に楽しむ気持ちでいてください。興味深々でいてください。あるときは黙読している
子供の邪魔をして本を覗き込んでみたりするのも良いでしょうかね?とにかく読んで聞かせてあげたいと思わせることです。
読んでくれたら喜んでください。楽しんでください。子供は内的な読書から、外的表現の楽しさを知ることが出来ます。
読み終えたら、毎回感想を話し合いましょう。感想を言葉にすることで、人に伝える楽しさと難しさを知ります。
国語の能力や論理能力を考える前に、先ず豊かな感受性を育むことを考えてください。
以上です。
ちなみに私は独身の大工ですが、人間を愛しています。参考になさるかどうかは他の方の意見も聞いた上で、ご自分でご判断を。
659 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:16:56 ID:+bBCxzSv
<音読と黙読>
・バランスよくするのがいいと言うのは全くその通りだけど、それぞれの特性を
どれだけ理解しているかが重要です。
・黙読は意味内容を理解するのに有効です。速度も基本的に黙読です。何でもかんでも
音読を優先していると速読できない頭になります。
・音読は、意味内容を(黙読によって)理解しているものをするのがいいでしょう。
・意味内容を考え理解しないで音読するのは、G理研=T教会やF総研のセミナーと
同じで思考停止によって、単純な思想の注入=洗脳のように機能する場合もあります。
これはスローガンの連呼の機能と同じということです。要注意。
・音読は視覚だけでなく、聴覚も必要となるだけでなく、脳の運動野も使うから
脳のアイドリングやウォーミングアップに有効でしょう。
・授業の始めに、それまで習って十分に理解したところを音読する(コーラス)のが
簡単にできることです。ただし、参加しない生徒もいるでしょう。そこまでは面倒を
見切れません。また、一人一人読ませるのは時間の無駄です。よく国語の時間にありますね。
これは自己満足以外のなにもない。
・先生が何度も練習して朗読するのは、モデルの提示として意味があります。
660 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:18:19 ID:fOXhom+s
あ、失礼。戦略は間違えました。戦術でした。
661 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:25:20 ID:+bBCxzSv
>>653 >たえず人の書いたものに思考を預けていると、人間{馬鹿}になります。
>自分で世界観の構築をはかることをしなくなるんですよ。
そういう思い込みとハッタリはいけません。そして、そのデタラメはあなたの
オリジナルではなく、どこか既にあったもののすり込みということです。
思考とは引用の織物です。
そうでない例があったら、一例でいいから挙げてください。あなたの考えに合致
している例を。ちなみに、そういう二項対立(コピーvsオリジナル)が完全な囚われであり、
古い枠組みの確認にしかすぎません。
662 :
GEN:2006/06/27(火) 00:27:26 ID:lLtQbej2
猫さん
>>632-635御意!!
まるで僧侶が成仏を目指すかのごとく。
あ〜レスしたいのですが多忙で・・・すいません。
でも、猫さん。確信しましたよ。あなた同胞(同房?)ですね。仲良く喧嘩しましょう。
663 :
平下流:2006/06/27(火) 00:31:10 ID:YnaP2jz6
>>660 了解いたしました。
ただ、私の趣旨としては、戦略を戦術に置き換えても同じことです。
第一に、戦略も戦術もハウトゥーであり、目的ではないということ。
第二に、戦略も戦術もハウトゥーであり、体力ではないということ。
664 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:39:27 ID:Tobmo2fE
ちょっと口を挟みたいことが一つ。
国語力を身につけるために読書するんじゃなくて
面白い体験(読書)と出会うために国語力を身につける
そう考えようぜ
665 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:40:23 ID:fOXhom+s
馬鹿になるってのは私の体験に基づく実感です。
字面を脳に流し込みたい欲求とでも言いましょうか。
べつにオリジナル、コピーを問題にしているわけではありません。
脳に流し込んだものを整理するような頭の働きをしなくなる状態です。
絶えず、流し込んでいるだけとでも言いましょうか。
もちろん今はそんな読み方をしていません。ただ、その当時読んだものがどれほど
自分の身になっているかは、疑問ですね。「鉄は熱いうちに打て」と言うじゃないですか。
たぶん打つ作業をしないで済ましているような状態を指すのだと思います。
666 :
実習生さん:2006/06/27(火) 00:52:11 ID:+bBCxzSv
>>647 分かっています。戦略=戦術wとして、燃料投下・餌まきをしました。
チビチビやらないんです。すいません。
>>654 勝とうという気持ちがずーっと低かったから負けた、と川口が言ってました。
中田の「走る、動く」とはまさしく、そういう意味だと思います。
従って、体力の問題なんかではない。というか、実践でスタミナがもたない
理由とは何かを問うているのです。
そう、まさしく練習のときの精神を問題を問うているんでしょう。それは試合での
精神の問題に直結します。
意志、志向の問題です。
基本的に彼はチームメイトを見下しています。
だから、せめて一生懸命に走って動こうとする『精神』くらい持てと言ってる
のですね。彼を要約すると「意気地なし、根性なし」ということ。
彼はチームメイトに技術論を期待するほど自惚れてはいません。
戦略という問題を封じることで、個人のヘラヘラさを指弾したのです。
他の選手が逃げられない問題を投げつけられたと感じているか、どうかは
分かりませんが。
ま、技術や戦術も結果であって理由ではありません。
原因とは、それらを根源で左右する意志の問題だと彼は言いたかったのです。
☆ (まとめ)下半身を鍛えようと走り込みをするかどうかは、意志の問題ですよね。
667 :
実習生さん:2006/06/27(火) 01:08:51 ID:+bBCxzSv
GENさん
>音読は「コミュニケーション」であるということが非常に大きいと思います。
読み聞かせは、受ける側になりますが、音読は表現者・発信者になります。
いいえ、意味内容を考え理解しない音読は反コミュニケーションの機能を持っています。
カルトやセミナーで大声を出させるのはどういうことか、ということです。
>国語の能力や論理能力を考える前に、先ず豊かな感受性を育むことを考えてください。
耳に心地よい道徳ですね。「まず感受性」ということで論理の欠如が正当化されます。
論理に対峙させられた感受性は既に死んでいます。感受性は凌駕するものです。でないと
いけません。
論理より先にというのは、体よく論理を否定しているにすぎないのですよ。
論理を否定しても感受性は保証されません。トンチンカンやデタラメを言うと
感受性があるのですか?
関係ないでしょ?感受性とは、何かを否定的に指差すことで明らかとなるものではない
のです。
幼い子供の感受性は論理とは無関係です。先んじているんでもありません。
彼ら(彼女ら)は、その(論理の)存在をしらないんですからね。
ひとたび論理を知ったなら、突き抜けるような経験が必要です。
そうすると幼児と同じスタートラインにつけるのです。簡単なことではありません。
ゴッホのように、感受性がある人はどうでしょうか。
彼は論理より「まず感受性を豊か」なんて考えていない。実は彼の感性とは
彼の論理に他ならないんですね。彼に二項対立は存在しなかったと思いますよ。
668 :
GEN:2006/06/27(火) 01:14:53 ID:lLtQbej2
いえ猫さん。私の真意はそこにはありません。精読を願います。
669 :
実習生さん:2006/06/27(火) 01:35:14 ID:uobKUYOx
670 :
実習生さん:2006/06/27(火) 02:34:27 ID:Tobmo2fE
教科書読んで大事なことって
面白いか面白くないかだよな。
それによって授業は深みを増してくる。
または、授業で一般書を読むことをしたほうがいいかもな
一時間
671 :
実習生さん:2006/06/27(火) 07:52:19 ID:7mDbltG5
>>653 そういう人もいるんでしょうね。ですが、自分の場合はいい情報のみきちんを
考えて、餞別して入れられています。入れられない人と入れられる人は何が
違うのかわかりませんが、おそらく入れた情報を議論するとか、情報をつかって
他の人と考えると言うことが無いからおきるんでしょう。
他の人と議論すると、いろんな考えがみえて、こう考えると正しいとかわかってきます。
日本では議論の教育が限りなく足りないわけです。
国語・数学・スポーツの基礎が議論だと今は思ってます。 ものすごい応用範囲が広いからです
672 :
実習生さん:2006/06/27(火) 07:55:04 ID:7mDbltG5
>>654 日本のサッカーで国語教育を取り入れているのを知らないんでしょうか・・
欧州のサッカー選手は、なぜこのようなプレイをしたのかというのを「この場合は
こうでこの場合はこうでこの場合はこうなのでこれをしたのは間違っていない」
などものすごい論理立てで説明します。 こういうのを日本がみて、国語教育が
大事だとわかり普通に練習メニューに議論の練習みたいのが組み込まれています。
673 :
きゅーじぅ:2006/06/27(火) 09:27:04 ID:TWIjXizG
674 :
実習生さん:2006/06/27(火) 09:47:22 ID:Eieoecmu
>>671 思考や認識が議論であるというのは、大変おおざっぱでありますが注視すべき
点です。
弁証法(Dialektik/dialectics)はもともとソクラテスの問答法から始まった
ものとされます。そもそも、対話だったんですね。他者の思考、外部への思考だったんです。
dialogue(ダイアローグ)は英会話でよく聞くでしょ?
ま、こういう話になると必ず日本のオリジナリティを口にする人間が出ますね。
オリジナリティという考えがあまりにも西洋的だということに気付かないのが情けない。
この陥穽にはまったのは宣長も同じだったのです。
ここも、やっとまともなスタートラインについたようです。
675 :
実習生さん:2006/06/27(火) 09:49:49 ID:Eieoecmu
>>673 そうでしょうか。
そのような素晴らしい出会いのための読書を可能にする国語力を付けるには
どうすればいいか。やはり、読書なんでしょうね。目的も方法過程も読書と
いうだけのこと。
目的そのものが過程を明らかにするということが分かります。
だから、まず目的論なんですね。
>>658,
>>668 GENさん、私は読み聞かせを否定しませんよ。
黙読と音読と読み聞かせとは、それぞれ別物と認識しています。
>>667ここに猫さんの認識が現れていますよね。
しかも私を含めた一般の認識とはずいぶん違う。
違いすぎて何を言っているのかよくわかんないんですよ。
で、質問。
>耳に心地よい道徳
ふつう道徳ってのは、共同体内部の視線を意識した行動基準を表しますよね。
私は、神と対峙して自己を見つめることでの内省すなわち倫理と区別して使います。
猫さんがどういう意味で「道徳」を使うのかわからない。
>感受性
感受性の存在自体を否定しています??何が言いたいのかさっぱりわかりません。
猫さんが論理を重んじる立場だというのはわかります。だけど、論理は
大脳生理学、神経生理学、解剖学などの知見では、
大脳皮質という一番最後に出来た脳の活動ですよね。
論理などは、あくまで感情、感覚等の古い脳とのバランスの中で捉えられるべきものです。
>ひとたび論理を知ったなら、突き抜けるような経験が必要です。
そうすると幼児と同じスタートラインにつけるのです。
もう少し詳しく書いて欲しい。とくに、「突き抜けるような経験」の部分と
「幼児と同じスタートライン」の部分。
続き
>彼の感性とは彼の論理に他ならない
どうしてすべてを論理に引きつけて処理しなければならないのか、
さっぱりわかりませんね。
私なんかは逆の認識です。論理や理屈などは、なにがしかの感情を
前提とする閉じた体系に依拠した展開でしかないという考え方です。
>彼に二項対立は存在しなかったと思いますよ。
二項対立とは弁証法のことですよね。思考の方法論のひとつであり、
論理の基本的方法論ですよね。ゴッホの感性を論理で括っておきながら、
そこに二項対立を見いださないというのがよくわかんないですね。
まぁ、二項対立を有さない論理があるってことなんでしょうか。
論理って言ったって「空の論理とか」「感情の論理とか」
いろいろな使い方が出来るわけで、猫さんがどの範囲で使っているのか
よくわかんな過ぎ。
>トンチンカンやデタラメを言うと感受性があるのですか?関係ないでしょ?
これもなんかおかしい。トンチンカンやデタラメも真偽のほどは別にして、やっぱ
論理の一種じゃないのかなぁ?もちろん感受性でないことには同意しますけど。
678 :
平下流:2006/06/27(火) 21:38:23 ID:YnaP2jz6
>>672 知りませんでした。
でも、情けない話ですね。
ただ、一流のスポーツ選手はみな頭が良いですね。
679 :
実習生さん:2006/06/27(火) 22:04:44 ID:4lww+Lpr
>>678 スポーツでうまい人は頭よく無いとできないよ。
ただスポーツは馬鹿がやるものなのでトップとは比較してはいけない・・・
680 :
実習生さん:2006/06/27(火) 23:47:36 ID:Tobmo2fE
681 :
実習生さん:2006/06/27(火) 23:50:13 ID:4lww+Lpr
読書は知識をつける物と言う形が主でいいでしょう。
682 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:05:13 ID:MTSHsPiX
>>681 イヤだ。楽しみが主だ。娯楽だ。
楽しくなければ読まないよw。
683 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:08:40 ID:18Q2xKbQ
>>676 >ふつう道徳ってのは、共同体内部の視線を意識した行動基準を表しますよね。
私は道徳を「共同体の掟」と決まって表現します。何度も言及しています。ここでは
内面化そのものは必然じゃーない。嫌でもそのような掟に拘束されてしまうようなもの
でもありますから。もちろん、内面化されている場合もあるでしょう。
ポイントは時空間が限定され、かつ共有されている掟ということです。
例えば、 感性は暖かく包み込み、論理は怜悧に刻む
これはそのような掟の内面化にすぎません。(無意識での)注入です。
そのように迫るものが道徳です。ある種の偏向された価値が既に前提されています。
そのバイアスとは制限された時空間の要請によるものであって、普遍性や絶対性
を持っていません。
そもそも美的なものは論理的であったというような事実は無視されています。
昔は、芸術家は同時に科学者であったということから分かります。ダヴィンチに
形容されることが多いですね。
そう、あのコードを読み解くにも『制限された』時空間が必要ですよね。
デカルト空間では無理です。西欧では、禁忌に触れるものとして物議をかもし、
一方日本では単なる謎解きの娯楽としてもてはやされる。
まさしく、道徳の視線です。
感性が暖かいものだとする視線こそが、道徳的偏向なのです。
684 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:23:17 ID:18Q2xKbQ
>感受性の存在自体を否定しています??
そもそも理解しようとする気はないから分からないだけではないですか?
それと(科学的)認識にも誤りがあるようです。
感性の存在自体や感性そのものの意味や価値を一度たりとも否定してはいません。
ただ、その理解がトンチンカンだから異議を唱えているだけです。その誤った
理解を生み出すものを道徳だとしているのです。
>大脳生理学、神経生理学、解剖学などの知見では、
大脳皮質という一番最後に出来た脳の活動ですよね。
論理などは、あくまで感情、感覚等の古い脳とのバランスの中で捉えられるべきものです。
非常にルーズな理解で閉口します。
ただ、議論がワープしそうなので我慢し、かつ最大譲歩して私見を言います。
「一番最後にできた」というのは、人間を特徴付けるものになるんでしょ?
一番古いものに価値をおきたいのは、あなたの勝手です。しかし、そういう無意識の
パブロフ犬的反応こそが、ノスタルジックに感性を擁護しようとする道徳の仕業では
ないですか?
685 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:41:26 ID:18Q2xKbQ
>バランスの中で捉えられるべきものです。
そんなこと既に言及済みです。そして、それはスタートであって結論にするのは
全く意味がないのです。それくらいのことは分かっていいようなものです。
バランス、中庸・・・そのような『道徳』を結論にするのは、耳に心地よく
何か分かった、何か達成したようなエクスタシーをえられるんでしょうね。
で、そのバランスの中身は一向に語られない。語ることはできない。なぜなら、
そもそも何もないから。ただただ、バランスというタームによって快感が得られる
頭になっているんでしょう。そういう仕組みを道徳だといっているのです。
だからこそ、私は『あえて』論理だとしたいのです。
方法論的に論理を徹底したい。そこから、バランスの中身が見えるものだとしているのです。
あなたが読解力がないのを責める気はありません。ただ、読めないことを当方のせいにだけ
するのはどうかと思うんですが。
686 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:42:47 ID:18Q2xKbQ
ところで、左脳右脳を出して議論した方がはくがつくと思いますが。
柄谷(書名は・・確認は面倒)が言ってたが、(かなり付け足して)
そういう感性や美的なものっていうものこそが、単純に物質的還元がなされて
しまっている。ランナーズハイはSMと同じ快感。全く同じ!!簡単に薬で
得られるものです。
我々に残っているのは、認識だけだと。
全くその通りなんだよね。道徳によって称揚したい感性や情緒の領域こそは
簡単に物質的還元がなされるものであるという背理。
CGに自然をしみじみ感じる我々を擁護する論理の建築をまずは目指す
べきなんだよ。
MITのミンスキーのように「心は機械だ」っていうテーゼでしこしこ
やってる科学者は実に多い。あの利根川もそうだ。
そういう輩を撃つのに竹やりを持ってくるのとは一緒に闘えない。
あなたのような低レベルの論では、彼らの思う壺ということです。
私は、あなたではなくミンスキーを撃ちたいのです。
ただそれだけです。
687 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:45:28 ID:U1MEm8hR
688 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:52:13 ID:18Q2xKbQ
>>677 はっきりさせておくと、あなたはあまり頭がいいとは思えません。
もう一度、いや二度三度当方の発言を精読してください。
>論理や理屈などは、なにがしかの感情を
前提とする閉じた体系に依拠した展開でしかないという考え方です。
そういう認識をもたらす道程こそが論理の徹底だとしているのです。
透徹した論理によってもすくえないものがある。論理の網の目からこぼれ落ちる
ものがある。それを我々真の意味で経験しないとならないのです。あなたはまだ
そういうところには至っていないようです。宣長が指摘したように、あなたのような
頭こそが漢意に囚われているのです。
その認識は彼と共有しますが、それからは全く異なります。
私の立場は、だからこそ論理の徹底なのです。そう、その立派な論理を命がけで
試してみるのです。そして、自壊をもたらすことができれば彼岸です。
他で優ったかのような論は印象批評です。
しかし、自壊はそうではありません。
自己矛盾を突きつけるのが一番痛い攻撃なんですよ。
689 :
実習生さん:2006/06/28(水) 00:59:10 ID:18Q2xKbQ
>まぁ、二項対立を有さない論理があるってことなんでしょうか。
ある。
少なくとも彼にはあった。彼が耳をそぎ落としたのは、整合性がないと思ったからだ。
彼の論理を理解できないからといって、ないとはいえない。
そこでは美学と論理は癒着していて腑分けは無理だ。そこは狂気の淵かもしれない。
>トンチンカンやデタラメも真偽のほどは別にして、やっぱ論理の一種じゃないのかなぁ?
だったら、二項対立がない論理なんて完全にある、ありまくり!www
で、私の発言の一部をコンテクストから乖離させて論じてほしくない。
前後を含めてよく読め。そもそも、疑問文、それも修辞疑問文ということが
分かっているのか?
690 :
GEN:2006/06/28(水) 01:00:05 ID:q+fK9YFu
猫さん。
私は感受性を第一に考えます。
何故なら論理を追求し意思を貫き、知を求めることは、好奇心から発するものと考えているからです。
好奇心がなければ、目的の設定すら出来ないと思います。事象・事物など、刺激として入力された情
報に好奇心をもってその視線を向けるには、先ず「感じ・受け止める心」が必要なのではないでしょうか?
そして論理を追求する為にも、苦悩するからこその追求と、苦悩と戦う心の強さが要求されます。
知ることに歓喜し、知らないことに苦悩し、求める。そこに目的を見出し、強い意志のもとに論理を追求していく。
目的は論理によって形成されるものであっても、発生源はあくまでも”受け止め求める心”にあると考えます。
猫さんは、知の探求心について、先ず最初に何が最も必要なものであり、何が人を”論理の徹底”に向かわせるとお考えですか?
691 :
実習生さん:2006/06/28(水) 01:04:52 ID:+QTPYuOn
>>682 知識をつけるのが楽しいわけですけど。
小説とかただの何にも得ない娯楽で読むのももちろん
ありですが、小学生に教えるとしたら、知識が付くほうを
すすめるべきでしょう
692 :
平下流:
>>681 >読書は知識をつける物と言う形が主でいいでしょう。
そうですか。色々な人がいて面白いですね。
私にとっては、物を考えるきっかけ、ヒントです。
読書をしていても、物を考え始めたら、書物は閉じてしまいます。