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戸塚校長はそろそろ就職しろ!:
十三歳の小川真人君が常滑市民病院にかつぎこまれたときは、自
力呼吸ができない状態だったという。パンツ一枚の姿で、頭、鼻、
くちびる、背中などに無数の傷と皮下出血があった。太ももはぱん
ぱんにふくれあがっていた。歯はグラグラだった。
取材にあたった小中陽太郎氏に対して、医師は「ももの筋肉が挫滅
していました」と語っている。挫滅とは、組織がめちゃめちゃにつぶ
れて、形をなしていないことだ。戸塚ヨットスクール、戸塚校長の逮
捕によって、小川君の死の真相は次第に明らかにされるだろう。
元訓練生の話では、入所の翌日から、木刀のあらしが小川君を襲っ
た。死の当日は、食事もうけつけないほど衰弱していた。熱が三十八
度もあり、押し入れで寝ていた。コーチがそれを見つけて殴り、戸塚
のところへ引きずって行った。「海へつけとけば治る」と戸塚が命じ、
頭を押さえて海に沈めたり、殴りつけたりしたという。
四年前には、当時十四歳の少年が訓練中に死に、三年前には二十一歳
の青年が死んでいる。ふたりとも全身に数多くの皮下出血があった。去
年、一人の少年がヨットスクールの悪口を親あての手紙に書いた。
それを見つけた戸塚やコーチたちは、約七時間、少年を殴り続けた。
「顔がふくれあがってうちわみたいになった」という証言がある。殴ら
れた少年はやがて、仲間とふたりで海に飛びこんだらしい。その行方は
知れない。
密室のできごとが「死」といういたましい事実によって、はじめてお
ぼろげながらわかってくるという事態はかなしい。しごきこそ教育だと
戸塚校長はいう。だが子どもたちの死を未然に防げなかったことについ
ての謙虚で痛切な反省なしには、その主張はうつろに響く。
校長側のいい分も含めて、子どもたちが命を失うまでのあらゆる記録
を冷静にたどること、百の議論もけっこうだが、必要なのはまずそのこ
とだ。
「天声人語にみる戦後50年」朝日文庫 p232、p233