>>173 > 「一部の人」じゃありません。民主国家では、国民多数の支持で規律というものが決まるわけですから。
民主国家でも、規律を決めるのは権限のある機関です。権限の連鎖の元が多数の支持にあるというに
すぎない。だから、こんなこと↓も起こるわけです。
日の丸・君が代義務化 有権者の7割が否定的
東京新聞は、参院選の情勢を探る電話世論調査で、卒業式などにおける君が代斉唱時の起立を
教職員に義務付けた都教育委員会の通達の是非について調査した。通達について「行き過ぎだ」や
「義務付けるべきでない」と、否定的に答えた人は合わせて七割に達した。
・・・「敬うのは当然だが、義務付けは行き過ぎ」と答えたのは36・7% 、「内心の自由の問題で、義務
付けるべきではない」と答えた人も35・4%あり 合わせると72・1%に達した。
・・・都内の有権者千三百七十九人を対象に行い千二十五人(74・3%)から回答
公立学校教師の国旗掲揚・国歌斉唱に関する問題23より (レス15と19)
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news2/1089738216/l50 > これは、たとえば警官が内心の自由を盾に野党の人間の警備を放棄することが許されるか?
> などと考えてみれば自明のことです。
自分の口から「君が代は千代に八千代に・・・」と発声すれば、だれが見ても一定の価値観を表現する
行為といえます。
しかし、警官が警備をすることは思想の表現行為とはいえないでしょ。その行為からはどのような思想も
うかがえないし、彼の思想に興味ももたれない。
それとも、野党の警備をする警官は「私はこの党を支持しています」という信条告白を強制されている
とでも言うつもりですか?
こういう事例の違いが理解できなければ、法律の議論など、やめたほうがいいですよ。