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実習生さん:
>>いじめ撲滅系
まあいい。要するに、お前は俺を面罵する分際で、本気でいじめを無くそうなどと奇麗事ほざくわけだ。
「お前さんに関しては、いじめはいじめられる方に問題がある」
とかほざいた分際で。てめえも一人の人間を排除しようとしている点でいじめっこと一緒だろうが、てめえ!
しかも露骨な方法でな。そんな貴様にいじめ撲滅するなどちゃんちゃらおかしい。
気が違ったとしか思えん。ちっとは自己の醜さを恥じ入り、せめてここで醜い弁明するのやめろ。
気持ち悪いよ、貴様!
で、貴様に質問だ。いじめにおいて、いじめ加害者と傍観者がその帰責性の比重はどちらが重い?
それとも同じか?あるいは、一方にはまったくないか。理由とともに答えよ。
尚、以下の根拠を参考にしてもよい。
特に、いじめについては、弱い者をいじめることは絶対に許されない、社会で許されない行為は
子供でも許されない、また、いじめを傍観する行為も同様に許されないという毅然とした姿勢を
学校のすみずみまで行きわたらせることが重要である。
(文部科学省)
人は「いじめ」に、被害者・加害者としてだけでなく、観客として、あるいは傍観者として、
参与する。言うまでもなく、いじめの被害者にとっては、傍観されていること
(救いの手をさしのべてもらえないであろうこと)そのものが決定的な排除である。
従って、傍観者は傍観を決め込んでいるということにおいて「いじめ」に積極的に荷担しており、
そこには確かに「全員一致」の契機を見出すことが出来るだろう。
「いじめ集団の四層構造論」(森田・清永(1986))
いじめられる状況があったとして、それをただ傍観しているその傍観者はいじめっ子です。
つまり、いじめを防ぐには、早期発見が必要です。それを「自分には関係の無い」と思う、
それ自体がいじめなのです。このようないわゆる「偽善者」達がクラスに多いことが
いじめのやまない大きな理由です。
(いじめの専門サイト(ProjectE))