えっと、書き忘れましたが私の考える教育の最終的な目標というのは
別に社会人として生活できるようになる、という点もあると思いますが、
人間として自己の完成を目指す・またはその基礎的な能力を身に付ける
といったものです。
現在の公教育の目標(理想?)もこのあたりにあると思うのですが…
もしも違ってたらごめんなさい。
408 :
実習生さん:04/01/28 01:05 ID:g0X+S1ab
>>407 人間として自己の完成 ←これどういう意味なの?
>>406 >最終的な目標は公教育と同じ所にあると感じますし(出来ているかは別として)、そこに至るまでの方法も似通ったものでしかないと思い
>ます。
教育学を勉強した人には異論もあるのでしょうが、私も結局、「教育」である以上、本質
的には同じなんじゃないかと思います。
>今はそれよりもむしろ公教育の問題点を根本から解決するよう努めるのが先ではないでしょうか?
こうした問題も、教育学やフィールドワークを積まないと、なんとも・・・。
私自身は、公のお題目よりも、フリースクールで実践されている学習の中身に興味がありますね。
どう言い繕っても、あらゆる観点から見て、現在の既成の学校教育で行われている
プログラムの陳腐化・ルーティン化は否めないわけで。
たんに受験教育(あるいは、反対にゆとり教育でもいいが)がひどい、というのではなく、
何事もどこかピントがズレている印象がある。
(とくに「国語」なんかクソでしょ? ウヨサイトからの孫引きだけど、この小谷
野敦の言い分に禿同)
ttp://www.jiyuu-shikan.org/store/book/zasshi/zasshi0207.html
国語に限らず、教育業界は、官も民も学も、自分たちのパラダイムに奉仕するばかりに、
傍から見たらバカなことばかりやってるように見えて仕方がない。
(もちろん、全面否定ではありません。「使える」蓄積があれば使えばいいと思います)
もっとも、こうした知育的観点から見て、マシな所はほとんどないと思いますけどねw
(上のURLでも、ラ〇ンネットや上〇学園ぐらいかな? 学費は高いけど)
>>407 教育基本法ではこうなっていますね。まあお経みたいなものだけど。
ttp://www.houko.com/00/01/S22/025.HTM もっとも、こんなお経でも法律ですから(笑)、素直に読めば、「今の政策・学校教育
は、この基本法に即しているのか?」という素朴な「民主的」疑問も湧きますが、それはまた別の話。
まあ「新しい学力観」でも「生きる力」でもなんでもいいんですが、どうせ何を掲げても
ただのお経ですからね。僕自身は、個人が取り得る現実的な態度としては、
>>405に挙げたよ
うな醒めた戦略しかないのではないか? と思ってます。投げ遣りだけど。
その戦略の中で、フリースクールを利用するという選択があれば、それは否定しない、
という程度の理解ですね。
最終学歴についてはその家庭の所得や文化資本を含む
社会階層の差に相関するんだよね。
学歴は最初から階級再生産を隠蔽するだけの迷信であって、
学校制度なんてのは最初から空洞化しているだけどね。
>>411 身も蓋もないことをw このURLは有名では?
ttp://www.thought.ne.jp/html/text/socio/10sxs01.html ある程度、教育制度の普及に成功した国では、どこもそうした矛盾を抱えていると思います。
むろん、私は全国民にベーシックな基礎学力を保証する装置としての学校制度全体までは
否定していません。
学校制度が子ども・若年層を搾取労働から救う防波堤になってきた側面もありますね。
(日本はもう一回りして、高学歴モラトリアムが増えるわ、一方で学業に退屈した非進学高の生徒
たちがバイトに逃避→そのままフリーター化するわ、という事態が起こっていますね)
階層・労働・貧富の問題まで広がるとデリケートでフクザツなので、いちがいにバッサリ
切って捨てることができないのが難しいところですが。
とはいえ、僕自身は政策的な主張よりも、個人が状況の中でどう振る舞うか、という
ことの方に興味があるんだけどね。理想を語ると疲れるしさw
僕自身の言いたいことは
>>405>>410に尽きていて、せめてこうした「醒めた」態度があれば、
ラクになれる人も少なくないだろうに、と思っているのだけれどね。
右も左も「学校」「教育」となると妙に張り切ってしまう人が世の中多くて疲れますわな。
余談ですが、実のところ、「脱学校論」「反管理教育論」を語れる人はまだまだ
マシな境遇なんですよね。
そもそもフリースクール・学校なんかに興味もない、階層に比例した生活意欲しか持ち
得なくなった人々をどう扱うか、という問題には、右も左も答えを出せないでいる訳で・・・。
ttp://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no27/sinpo3.html なんつーか、こういうのを読むと、ますます諦念しちゃうんだけどw
確かに少しは冷めていないと、現実的に今の教育体制の中で生活するのは難しいかもしれませんね。
ただ、だからと言ってフリースクールに逃げ込むという姿勢は肯定できません。
そうでない人も当然いるわけですが、そのような人も少なからずいるわけで。
フリースクールを新しい別の教育形態としてとらえるのでなく、
ある種実験的な場としてとらえ、その情報などを公教育にフィードバックできるようにすればいいのではないかなとは思います。
まあ、何を選ぶにせよ本人にそれを判断する能力がなければ何の意味も持たないとは思いますが。
>>408 知識的な面だけでなく、精神的な面も含めて総合的に理想とされる人間像になるといった感じです。
道徳観念ですら不変のものではないので、言葉遊びにしか見えないかもしれませんが…
これ以上はうまく説明できないです、すいません。
415 :
スタンダード♪:04/01/28 11:02 ID:g0X+S1ab
>>414 理想とされる人間像←これが諸悪の根源だと思う。
それ肯定してんの?
>>415 何故諸悪の根源になるのか分からんのだが…
418 :
スタンダード2♪:04/01/28 12:37 ID:g0X+S1ab
>>417 人の在り方に標準はいらない。
理想的人間像とか、いろいろあるじゃん?
標準、理想、望ましい姿・・表現をどう変化させても
結局、それ外れた連中を否定・非難・締め出し・イジメになる。
人はいろいろ。その行動もいろいろ。それでいいじゃん。
標準体重、標準身長などと同じ。
外れるとデブ、もやし、うどの大木、ちび・・・
いいのか?そんな扱いして?
自分が、そう言われ、扱われないと判らないの?
------人に標準形はいらない------
標準体重ってのは、身長ごとにある、生活習慣病等にかかりにくい
「健康的な体重」のことだろ。標準身長ってのは、
子どもの成長過程での平均的な身長であって、極端に違うと、
何らかの異常(ホルモン等)がある可能性があるってだけ。
420 :
♪:04/01/28 12:59 ID:g0X+S1ab
>>♪
理想的な人間像にも幅がある。
遵法精神に富む、勤労・奉仕の精神に富む、協調性に富む、独創性に富む…
ソレに対し、
規則を守らん、怠け者、自分勝手、そんな人間像を目指させたいか?
それこそ、理想的な人間とは、
>それに外れた連中を否定・非難・締め出し・イジメ
をしない人間。そういう要素も含む。
423 :
♪:04/01/28 13:25 ID:g0X+S1ab
どんな人間像を目指すかは、個々の自由。
君や、国や他のものがクチ出す幕じゃない。
>>423 子供は公共財。
他人の子でも、必要があれば注意することが共同体の責任。
他人に“意見する”のもまた個人の自由。
例えば、道を誤っていると思ったら、注意するのが友情。
知らんふりするのは無関心。
なんだか自分が言いたかったことを言ってくれてる人がいる…
5kYEmulaさんありがとう。
どんな人間像を目指すかは確かに個人の自由ではある。
教育の場もそれに対して支援する体制を整える必用もある。
が、クチを出すなというのであれば、そもそも教育の場に臨むべきではない。
人からは自分に必用な物だけを提供しろというのはただの自分勝手・わがままである。
むしろ教師や親・地域住民など積極的に問題があればクチを出すべきでは?
そもそもあなたが言っているのは狭い範囲での理想像ではないでしょうか?
例えば「官僚になるのが一番すばらしい」とか。
俺が言っているのはその程度の問題ではなくて、もっと大きな観点のもの。
「優しい人間になれ」「人に迷惑をかけないように」とかね。
言うなれば憲法と法律の違いといった感じかな。
教育の場にはそういった基本的な面を育てる場である必要があるということ。
その上で、自分が目指したい職業・行動の規範としたいものなどの目標があれば当然それを目指せばいいと思う。
分かりずらい文章ですまん。
427 :
♪:04/01/28 15:20 ID:g0X+S1ab
>>424 <子供は公共財>
なに、それ?子供は、子供自身のもの’だろ。
公共財ってのはなんだ?ハッキリ主語を言ってごらん
428 :
注意、意見♪:04/01/28 17:38 ID:g0X+S1ab
>>424>>426 戻ったら公共財の説明してネw で、先へ〜〜っと
<他人の子でも、必要があれば注意することが共同体の責任>
<他人に“意見する”のもまた個人の自由>
<道を誤っていると思ったら、注意するのが友情>
↑
そうそう、個人がモノを言うのは自由だ。それでいい。
ただし、注意・意見が正しいかどうかは別物。
先に注意した方が正しい’なんて誰も言えない。ナンセンスw
また、言われた者が、それ聞く聞かないも自由。誰も自分の判断。
言った方も言われた方も自己責任。だんだん自由に近づいて来たねw
<知らんふりするのは無関心>
↑
これも自由だ。知らんふり・無関心が必ずしも消極的とは言えない。
積極的にそれを選ぶ場合も多いのが現実。
責められるよ〜な事柄じゃない。強要はいけない。
<友情>
↑
友情は信頼をその基礎におく。「友人の意見を誤りの無いもの」と
信用するには、その友人が自分に対し、ウソや偽りのない言動、
行動、誤りの少ない意見を積み重ね来た間柄が前提となる。
逆の事が増すにつれ信頼は減る←君の意見はきかないって事だ。
えっと、公共財ってのは俺も一面では納得できる。
これは別に俺が言いたかったわけじゃないけどね。
俺が言いたかったのは421・422あたりの意見ね。
分かりずらい書き方してすまん。
子供に限らず国民は全て国というものを主体に考えた場合、
国益をもたらす可能性があるわけでしょ。
で、子供の場合は修正のききにくい大人と違って、まだまだ可能性が多いわけだ。
そういった意味である一側面として公共財っていったんじゃないかな。
428さんの意見も文章としては面白いと思う。
ただ無節操な自由はただの自分勝手でしかないのでは?
国民として生きている以上は自分の権利や利益だけでなく、周りの権利・利益も考える必要があると思います。
その点も含めて考えると、地域住民が子供たちに対して注意するのも当然だと思うんですが。
430 :
無節操♪:04/01/28 18:34 ID:g0X+S1ab
>>429 無節操な自由’を、おいらがどのレスで薦めたかな?
それを言ってるのは、君じゃん。さっきから。
君は・・無節操の定義をした上で言ってるのかな?
無節操以外を批判してるのかな?それともせずに?
まだなら、今から言ってみて。
すでに言ったなら、レス番号を書いてネ。
431 :
実習生さん:04/01/28 18:54 ID:SFSX/ryI
共同体と公共の区別がつかない奴は氏ね
>>430 えっと無節操な自由っていったのは428であまりにも自分主体でしかない自由を言ってたからね。
それを薦めてないというのならこっちの思い込みだ。すまん。
で、俺がいつ無節操な自由を言ってるのかな?
俺が言っている無節操な自由っていうのは他の利益などを考えずに自己の主義のみを通そうとすることね。
で、そういったモノを俺は批判してる。
確かに「自己責任」という点は分かるんですが、だからといって何をしてもいいわけでもないでしょ?
つーか、なんでいちいち定義まで説明してやらなあかんのやら…
とりあえず言葉遊びや議論ごっこはしたくないので、本質について語る気がないならもう相手しないから。
俺の説明不足な点もあるだろうが、どーにもさっきからあなたは揚げ足を取って楽しんでるようなので。
433 :
本質♪:04/01/28 19:52 ID:g0X+S1ab
>>432 君の意見(例えば節操のある無し)に基づいて、
どんどん教育の本質’に向かってるとこだが、
それヤメて、何の話をしたいと言ってるんだ?
>>433 俺が何を言いたいか君と同じ事をして理解してもらおうか?
俺がいつ他の話しをしたいと言った?
君は一体教育の本質というのを定義付けているのかな?
一体どこが本質に近づいていると考えているのかな?
まだなら今言ってみて。
こんな事の繰り返しで話しが進むと思ってんの?
もう一回書いとくけど、言葉遊びや議論ごっこはしたくないので、本質について語る気がないならもう相手しないから。
>>414 >フリースクールを新しい別の教育形態としてとらえるのでなく、
>ある種実験的な場としてとらえ、その情報などを公教育にフィードバックできるようにすればいいのではないかなとは思います。
宣伝塔のT脇氏がそういう場に出向いていることからも明らかなように、文科省は
すでにそういう方向だと思いますよ。
(実は「保守」的な人には意外と、「個性」重視や、寺子屋的私塾・戦前の旧制的複線コースに寛
容な人がいますからね。中曽根臨教審もそういう方向だったのでは?
もっとも結局、旧エリート層のノスタルジックな主張に過ぎないとは思いますが・・・)
こうやって、公の政策にソフィスティケートされて回収されてしまうことについては、
反発もあると思います。
>まあ、何を選ぶにせよ本人にそれを判断する能力がなければ何の意味も持たないとは思いますが。
自己責任能力については、これも学問的にはキリがないテーマですので・・・。
>知識的な面だけでなく、精神的な面も含めて総合的に理想とされる人間像になるといった感じです。
恐らく欧米には、意識/無意識下で、土着の日常にも、公的・学問的にも、宗教的・
哲学的ベースでそうした人間像の理想とその相克があると思うんです。
日本にそんなバックボーンがあるんですかね? 僕にはわからない。
>>425 そのURLは勉強になりますね。とくに
>装置の言葉が覆い尽くし、装置という怪物が生んだ現実、その現実の理
>論的分析が欠如しているのです。要するに理論が不在なのです。スローガンや激しい呪詛は、あらゆる形のテロリズム
>に行き着きます。
右も左も、官も民も「ロマンチックで後退的な反科学主義」に陥っているのが、日本
の悲喜劇なのでしょうか?
「文化資本」ですが、現在の進学高・有名大を見る限り、フランス的ハビトゥスは、日本には余
り存在しないと思います。日本では、「受験」にこうした資本が集中してしまった感がありますね。
立花隆などの東大生批判(東大生の無知を批判)が類型的で的外れなのも、「彼らの生育
過程における文化資本はいったい何なのか?」という洞察に欠けているせいでしょうね。
それ以下のランクの大学では、最近は小子化で「受験」的文化資本の継承さえ曖昧になりつつあるようですが・・・。
スレ違いな話を延々と続けてスマソ。
437 :
実習生さん:04/01/28 22:54 ID:Xy3IYvON
幼少時にはあえて無節操に自由な行動をあえてさせるべき。
責任をとることを覚えさせるためには、あるいは覚え学んでもらうためには、
自由に振る舞って、自由に振る舞った帰結を自分で、
つまり、しりをぬぐうといいますが、自分で処理してもらう、
そういう訓練が必要です。
自分が不快な状態にあるとすれば、周りが悪いというよりも、
まず、自分の選び方が悪かったのじゃないか、
自分の試行錯誤に問題があるのじゃないかと自分に引きつけて責任をとる、
つまり自分でやり直す、
そういう態度が実は責任のある態度に結びついていく。
438 :
教育の定義♪:04/01/28 23:22 ID:g0X+S1ab
>>434 <君は一体教育の本質というのを定義付けているのかな?>
教育の本質は「教えたい者が、教えたい事を教えるにあらず」。
主体は教える側’ではなく→学ぶ側にある。主体’の位置付けがまず違う。
「学びたい者が学びたい事柄を学ぶ」←これが本質。
ソクラテスが何を教えようが、受け取るのは学びたい者だけ、
友達の作り方や付きあい方を、今、学びたがってる者には届きにくい。
人は興味のあるものに集中し、それを覚えたがり、実際使いたがる。
それが教育の本来・・というより、実際に基づく合理的解釈、本質だ。
人の興味は生きる原動力であり、個性の発露。個に目覚めるのを手伝い、
自我の確立を手伝う事が教育の出発点。
自分が満たされて初めて、人は・・少しは余裕を持って他をとらえ、
接する事ができるようになる。
従い、教育は人が学ぶのを手伝う’のがその本質であり、君の言う定義かな。
---------では君の教育の定義’を聴こうか-----------
439 :
実習生さん:04/01/29 00:24 ID:f76ydqVX
「共同性」を担保とするメディアを愛国心・愛校心・愛社精神・仲間意識などに求めるのに対して、
「公共性」のそれは、人と人との〈間〉における事柄・関心事への意識に求める。
いいかえれば、「公共性」は「共同性」のように所属の必然性をアイデンティティに求めるような空間ではなく、
アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持った共同体を超えた「間共同体的」
コミュニケーション空間なのである。
横浜国立大学教授の斎藤純一はこのことに関連して、以下のように述べている。
アイデンティティ(同一性)の空間ではない公共性は共同体のように一元的・排他的な帰属(belonging)
を求めない。公共的なものへの献身、公共的なものへの忠誠といった言葉は明白な語義矛盾である。
公共性の空間においては、人びとは複数の集団や組織に多元的にかかわること(affiliations)が可能
である。かりに「アイデンティティ」という言葉をつかうなら、この空間におけるアイデンティティ
は多義的であり、自己のアイデンティティがただ一つの集合的アイデンティティによって構成され、
定義されることはない(注7)。
http://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html
既成の学校制度は公共性よりも共同性を強いる傾向が強すぎるからな
>>439 まったく関係ないが、そのサイトのトップに
>このたび審査員の東中野修道教授(社会
>思想史・文学博士)による、選評をアップしました。思想的に正反対にあるにも
>かかわらず、このような評価をいただき、非常に感慨深いものがありました。
とあるね。東中野って意外と真面目な人なんだな。
442 :
実習生さん:04/01/30 13:15 ID:c3FX9dIN
チュウオウセン クサイ ソウブセン カ? ドッチダロ?
>>438 >教育は人が学ぶのを手伝う’のがその本質
美化し過ぎじゃないかな。
そういう面があることも否定しないけど。
でも、もっと欲望渦巻く空間だと思うよ、教育圏は。
他人を操作・否定したい、自分を維持・誇示したい、っていう欲望。
行政も教師も親も子どももね。
教育の公共性は、その欲望の共犯化の形成原理だと思うのだけれども。
人と人の<間>にある、とかいう透明なものではなくて。
444 :
目的と手段♪:04/01/31 12:27 ID:D37gpVy1
>>443 <他人を操作・否定したい、自分を維持・誇示したい/行政も教師も親も子どもも>
他人の操作は自己の幸せ実現の手段’であって←目的じゃない。
目的たる自己の幸せ追求がしやすくなるにつれ、手段たる他人の操作・否定・支配
は不要となってゆく。
大切なポイントは手段の駆使ごっこではなく→幸せの実現ごっこ←教育がそれを
手伝う体制を敷き個人を応援すること。
445 :
実習生さん:04/01/31 13:11 ID:sCgRq5JU
他人を操作・否定したい、自分を維持・誇示したい、っていう欲望は
無造作に無関係な子供達を教室に詰め込んで「皆仲間だ」と共同生活させるから
異常に強くなるのでは?
無関係な人に余計な干渉をしないというのが社会の常識だけど学校でそれは許されないし。
446 :
人を支配したい♪:04/01/31 13:29 ID:D37gpVy1
>>445 ど〜だろねぇ。大人は子供以上にヒトを支配したがる’←どうだろ?
447 :
実習生さん:04/01/31 13:36 ID:e6LOLMEM
>>437 >つまり、しりをぬぐうといいますが、自分で処理してもらう、
>そういう訓練が必要です。
小中学校で勉強しなかったことの尻拭いを大人になってさせたり、
わがままに育ったことのツケを成人になってから払ったり、
路上生活者を殺した尻拭いを刑務所でしたり、と取り返しのつかない尻拭い
をさせられているヤツがいっぱいいる。
>無節操に自由な行動
をさせておいて、責任は自分で取れは、それこそ大人の無責任。
どうせ無節操に自由な行動を許すなら、責任からも自由でなければならない、
そう考える方が当たり前で、
そのつど責任を問うようなやり方は「無節操」ではなく、非常に節操ある態
度だろう。
ものすごく難しいが。
448 :
実習生さん:04/01/31 18:42 ID:TPDk2ImO
>>447 あくまでも『幼少時にはあえて無節操に自由な行動をあえてさせるべき』なんだが
その辺の事を理解してレスしているかいないかであなたの言っている事の意味が変わってくる。
その辺がいまいちつかめないです。
友達を殴れば殴り返される、我が強ければ敬遠されると言った
わざわざ問うまでも無い当たり前の事が閉鎖的な教室内では出来ない所が問題な訳です。
猿山のボスが君臨する様な環境では結局、暴力が正義になってしまい
自分の行いに責任を持たないでも我を押しとうせばどうにかなてしまう。
そのつど責任を問うのでは無く自分の行いに対してリスクがストレートに
帰ってくる環境が必要です。
なんでも教師が教えられるなんて傲慢ですし教える必要もありません。
人が責任をとれる様になるには周囲が余計な手を出さない事が大切。
あたかも人生に本番と予行演習があるかのごとく信じ込ませる、それが学校。
450 :
ひめだるま ◆2kGkudiwr6 :04/02/01 00:09 ID:UZvOCwlm
ひさびさにやって来ました。ずいぶんレスが伸びていますね。結構充実した
カキコが多くてスレ立て人としてうれしいかぎりです。
なかでも特にレスしたいのが
>>447.
これは脱学校論者としてというよりも自由主義者としての発言ですが。
自由と放縦、自由と反動の区別を教えるのも自由(主義)教育のうち
だと思います。
いくら自由だといっても人を殴ってはダメ。それは子どもも大人も同じという
「法の支配」をキチンと伝えること。
自分の人権とともに、他人の人権も考慮する必要があると説明できること。
(反対するのが全部いけないわけではないにせよ、)ただムカついて、八つ当たり
するのは、決して自由ではない、ということ。
それらは、実際の行動や言葉を通して大人が子どもに伝えるべきことだと思います。
わたしはフリ−スク−ルでそれを学びました。
451 :
無節操♪:04/02/01 00:38 ID:2wXlaxq+
>>443 たしかに
教育そのものを美化しようとする教育信仰・教育崇拝というのが世間一般にある。
現実の教育現場は政治的な利害関係が渦巻く階級闘争の場ですらあるのだが。
453 :
実習生さん:04/02/01 12:40 ID:2wXlaxq+
454 :
実習生さん:04/02/04 17:50 ID:bFE9IrxV
456 :
実習生さん:
保守