【広島】民間登用小学校長自殺関連 パート2

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835実習生さん
1. なぜ、慶徳校長の病気休暇願いを受け入れなかったのかという事実に答えていない。

(1)慶徳校長の病名を秘密扱いにするように指示していた

 2002年5月10日、藤井教頭が脳内出血で倒れた直後の5月13日月曜日に、慶徳校長が病気休暇願いを申し出たいきさつのやりとりが、極めて曖昧である。診断書の有無、正式な病名、慶徳校長と対応した教育委員会職員とは誰なのか。
そして、そのとき、誰とどのような具体的なやりとりを行ったのかを意図的に隠蔽している。
 広教組が関係者からの事情聴取等から確認し得た事実は次の通りである。5月13日月曜日、朝11時に、慶徳校長は、山ア尾道市教育長を訪ね、身体の不調により休ませてほしい、これから病院に行って診察を受けることを告げ、JA尾道総合病院で受診している。
精神科医より「中程度のうつ病、一カ月の休養を要す」と書かれた診断書を受け取り、12時40分、受診を終え診断書を持って市教委で山ア教育長に病気休暇を申し出た。
 市教委では、山ア教育長、山岡次長、黒木学校教育課長、川中指導主事、高橋尾道市小学校校長会会長らが慶徳校長ら(慶徳校長は、高須小教務主任の連絡で尾道市教委に駆けつけた真神田前高須小校長に付き添われて尾道市教委に行った)を待っていた。
山ア教育長から「頑張ってほしい」と説得され、診断書を添えた病気休暇の承認願いは無視をされた。それだけではない、その日の夜7時頃、尾道市教育委員会の黒木学校教育課長が、慶徳校長に「病気の件は、秘密にするように」という口止めまでしていたことがわかった。
真神田校長も5月13日の午後3時頃、川中指導主事から「あの件(慶徳校長の病気の件)は、マル秘扱いになりました。」との電話連絡を受けていた。
836実習生さん:03/08/01 16:38 ID:gDcwg5HB
病名を県教委も知っていた

 尾道市教育委員会と広島県教委の最終報告書では、「5月13日(月)に慶徳校長は、尾道市教育委員会を訪れ、藤井教頭入院後の不安と心労が重なり、しんどいのでこれから病院に行くことを話した。
その後、病院の帰りに尾道市教育委員会を訪問し、病院で診察を受けた結果、情緒不安定であり休ませて欲しいと言われた。
尾道市教委職員は、教頭の不在による校務運営に対する不安から弱気になっておられるのだと考え、尾道市教育委員会職員を派遣して支援すること(中略)等について説明を行い、
頑張っていただきたい旨伝えてところ、理解され引き続き校務運営に努力されることになった。話しているうちに次第に慶徳校長の表情が明るくなった。」
 「5月23日(木)、慶徳校長は元気になっておられ」
 「5月29日(水)、健康状況は回復されつつあった」
 「8月10日(土)、顔は陽に焼けて表情も明るく元気であった。」
と書き連ねている。
 慶徳校長の自殺事件を当初から、独自に調査をしている精神科医の野田正彰京都女子大学教授は、「世界」7月号でこのように分析している。
「情緒不安定であり休ませてほしい」と尾道市教育委員会申し出たことになっているが、キャリアを積んだ年配の管理職であった職業人が、雇用者に対して自分自身を「情緒不安定」と言うだろか。
また、精神科専門医は「情緒不安定」といった情緒的な言葉をまず使わない。精神科医が診察し、その診察を根拠に本人が休みたいと申し出たのなら、診断書が添えられていたはずである。
診断書には、「抑うつ状態」か「心因性うつ病」といった精神医学的用語が書かれていたはずである。情緒不安定という一般的な言葉は、第三者がある人を評して使う言葉である。
診断書を慶徳校長は提出したのに、尾道市教育委員会は、うやむやにして受理せず、慶徳校長の自殺後の今になって彼ら素人の言葉で「情緒不安定」と呼んでいるのではないか。