【広島】民間登用小学校長自殺関連 パート2

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722実習生さん
さて、果たして学校長の自立した学校運営はあったのだろうか。私は、慶徳校長の1年間の経過を聞き取りながら検証してきたが、慶徳校長が校長としてなにがやりたかったのか。教育委員会は慶徳校長になにを求めていたのか、結局なにも見えてこなかった。
私は慶徳校長が自死した直後、尾道市教委の山ア教育長に、「慶徳校長はどんな学校をつくりたいと言っていましたか」と尋ねている。
教育長は「子どもが学校に来るのが楽しい、行かせたいという学校つくりたい」という思いを持っていたと言ったが、私の問い直しに対して「直接聞いていないですが・・・」と答えた。これが実態である。
尾道市教委の教育長は、民間人校長という重責を選んだ人とこれからの高須小学校のイメージについて、心から話し合ったこともなかったのである。
その後、山ア教育長は高須小学校へ学校訪問の1日しか出向いていないのである。慶徳校長と尾道市教委との関係は指示と報告の関係でしかなかったといえよう。
「校長の学校自己診断票」「学力テストの分析」「運動会の国旗・国歌のとりくみ状況調査」「心のノートの活用計画」「卒業証書授与式のとりくみ状況報告」
「国旗・国歌実施状況報告」等々、尾道市教委から求められた提出書類は、慶徳校長が勤務した1年間で370件に及んでいると言う(尾道市教委発表)。
その大半は、報告の前に微細にわたる指示が出され、点検のための報告となっていた。
たとえば「国旗の位置はどこか」「誰が国歌斉唱の号令をかけたか」「国歌はピアノ伴奏したかどうか」「子どもの声の大きさを3段階で」等の報告を求めているが、
その前に、「職務命令の出し方」や「職務命令違反者に対する『処分』のための確認の仕方」まで徹底した指示がだされている。
723実習生さん:03/07/31 18:11 ID:0/DeH67H
 県教委は報告書の中で、民間人校長は「企業における組織経営に関する経験や能力等に着目した校長採用を行い、学校教育を活性化することを目的」としているが、教育委員会は学校長の自立した学校運営は全く認めていないのである。
たとえば、校舎の使用許可すら校長権限ではなかったことを尾道市教委の最終報告書は伝えている。尾道市同和教育研究協議会(以下尾同教)から学校の貸し出し申請があった際、慶徳校長は尾道市教委に相談している。
「尾道市教委で諾否決定したいので、申請書には押印しないよう指示されていると回答して良い」と尾道市教委は答えている。文部省是正指導の後退になるという理由で何とか貸し出しを拒否しようとする尾道市教委の意図がそこにはある。
ところが一転、慶徳校長は尾道市教委に呼び出されて、貸し出し申請書に押印させられている。
「その日は学校行事がなく貸し出しする上で物理的制約はない」と慶徳校長が最初に尾同教に伝えていたために貸し出しを認めざるを得なくなったということであろう。
尾道市教委の最終報告には、「校長は何でこんな問題で悩まなければならないのか」との教職員からの聴取が報告されている。まさに、尾道市教委による校長のロボット化を物語っている。11月3日に高須小学校の児童が亡くなった時の葬儀の参加についても、
他の校長に聞けば、本来、葬儀参列にかかわる服務の問題も尾道市教委にお伺いをたてる必要はないと言う。しかし、慶徳校長は尾道市教委に問い合わせをし、慶徳校長の常識と違う指示を伝えなければならなくなっている。
慶徳校長の「私もおかしいと思うが、上からの指示なので仕方ありません」という言葉が、彼の虚しさを伝えてあまりある。
724実習生さん:03/07/31 18:13 ID:0/DeH67H
B 教職員との対立について

 県教委や尾道市教委は5月9日に最終報告書を出すに当たって常盤県教育長、山ア尾道市教育長を戒告、両教委の部課長ら6人を文書訓告の処分にした。学校運営に不慣れな校長への支援が不十分だったという理由である。
その上で慶徳校長の前任校長も処分にしている。理由は「校長権限が制約され、適切な校務運営が整備されていなかった」のは前任の校長の責任であり、自殺した校長の学校運営に支障をきたす一因となったとしている。
教職員といっても前年の4月には人事異動があり、変わっているであろうが、「尾道市立高須小学校教職員」と言う固定された集合体があるかのように、県教育長は決めつけている。
県教委や尾道市教委の報告書は教職員の非を印象づけようと、自殺に至る道程とはおよそ無関係なことを延々と書き続けている。
しかし、具体的に校長の権限が侵された事実を何一つ拾えず、そこで「結果としては市教育委員会の指示した事柄が実現されている」と書くしかなかった。
それ故、高須小学校の教職員を2002年度末人事で大量異動(12人)させ、また、前校長を処分することで間接的に高須小学校の教職員はひどい集団だと世間に思わせようと謀ったのである。
725実習生さん:03/07/31 18:16 ID:0/DeH67H
 一例だけあげておこう。県教委の報告書の中に、3月7日に実施した人事評価制度の研修で講師に来ていた木の庄東小学校の花咲校長からの聴取でこう報告している。
「慶徳校長が『藤井教頭先生が、引き続き休まれるが、実は3月11日の朝、7時30分にご挨拶にこられます』と言った途端に、数人の教職員が立ち上がって『何で来るんですか』
『7時30分にどうやって私たちに来いと言うんですか』『会ってゆっくり話す時間もないのに、来られる必要はありません』などの発言があった。
これに対して校長は一言も言葉がなかった」となっている。私は、このやりとりはおかしいと思っていた。なぜならば、慶徳校長が自死した直後、
尾道市教委が保護者説明会を行う前に、「しばらくの対応として病休中の藤井教頭に復帰してもらおうと思っている」と尾道市教委が言った時、
高須小学校の教職員は病休中の藤井教頭の体調に配慮しない尾道市教委の対応に抗議し、撤回させていた経過を知っていたからだ。この件については案の定、報告書の綻びがでてきた。
6月16日の尾道市議会総務委員会で、奥田議員の「そのようなこと(教頭訪問に対して校長を非難したこと)があっていいのか」という質問に対し、
尾道市教委の黒木学校教育課長が「発言した教職員は病気療養中であった藤井教頭が早朝来ることや寒い時期であったことから藤井教頭の体を心配して『そんな早い時間に来なくてもよいのではないか』という主旨で発言したものであります」と報告書と全く違う答弁をしている。
私がもう一つおかしいと思っていた点は、なぜ、たまたま研修会の講師できていた花咲校長が聴取に対してこのような発言をしているのかという点だった。
県教委が「教職員と校長の対立」に絞った誘導尋問をするか、花咲校長が聞かれてもないことを言わない限り、関係者とはいえない立場の人間のこうした発言は拾えないのである。
726実習生さん:03/07/31 18:18 ID:0/DeH67H
 もう少し「教職員との対立」と言われていることについて触れておく。
 私は、たくさんの高須小学校関係者の聞き取り調査に立ち会った。そして、慶徳校長は自ら進んで民間人校長になったのではないということを知った。しかし、銀行マンとして身につけた組織への適応性から、慶徳校長はそれでも校長職を何とかこなそうとしていたのだろう。
だが、現場で待っていたのは「学校文化がわからない」「数奇な教育用語がわからない」「教育委員会から送られてくる多数の書類をどう理解し、どう書いていいのかわからない」という現実であった。教職員から質問されると「私は素人なのでわかりません」と答えるしかなかったという。
わからないまま、全て「通達」と告げて「お願いします」と言うしかなかったのである。教育委員会の報告には、なにもわからない校長を支援しなければならない教職員の立場については一片の考慮もない。
聞き取り調査の中で、「素人なのでわかりません」という校長と教職員の両方の苦悩が見えてきた。
教職員にとって校長から説明を受ける以外、理解し納得することはできない。また、質問をすることも意見を言うことも教職員としての責務である。
それでも教職員は校長と付き合い「わからない」と言って苦しい思いをさせないようになっていたと複数の教職員が答えている。
教育基本法に「教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない(第6条)」とあり、さらに「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して行われなければならない(第10条)」と明記されている。
先にも述べたが、当然、教員は自分の意見を述べ、不当と思えることは批判しなければならないのである。
また、6月17日締め切りの提出書類であった「校長の学校自己診断票」で慶徳校長は「職員会議などで、校長権限が侵されることはない」旨を回答している事実も明らかになった。実際に校長の提案通りにならなかった事例はない。
だとするならば、尾道市教委が下ろしてくる通達について質問したり意見を言うことさえ「校長権限が制約された」と教委は決めつけていることになる。意見も認めないというならば、広島県の教育委員会は前近代的な全体主義の機関と言うことになる。
727実習生さん:03/07/31 18:19 ID:0/DeH67H
C 重ね合わせることの必要性について

私は、今回、高須小学校の問題を追って、全国の学校現場の病理的な実態と重ね合わせることの必要性を感じている。学校現場では、職員会議で意見を言うことがなくなってきている。
いや職員会議すらもっていない実態が数多くあるだろう。意見が出ないのは教職員が納得しているからではない。
教職員から意欲を奪い、学校から活力を奪っている結果である。なぜ、自分は教職を選び、教職に身を置いたのか、その初心を失いつつ、疲弊し、追いつめられ、結果、あるものは病気休職を余儀なくされ、また若年で教職を去り、命を絶っている現実がある。
 公立学校の教職員は社会的に見れば安定した職であろう。しかし病気休職者は年々増加し続けている。しかも病気休職者の中で精神疾患の占める割合が増えている。
連合の全国調査によれば、2001年度の病気休職者の内で精神疾患の占める割合は教育公務員以外の公務員が25%であるのに対して、
教育公務員は48%となっている。特に広島県の公立学校職員の精神状態は急速に悪化している。広島県では昨年末の教職員の早期退職者は214人に達している。
教諭の退職者は165人(退職者の内の82%)、定年で退職した人は37人しかいない。広島県の教育関係者、マスコミはもっと真剣にこの問題に向き合うべきである。
「教職員として自分の初心を失うかどうか」「教職員としての自分を否定してしまうかどうか」の問題である。一旦、自己否定してしまうと、「なぜ自分は教職に就いたのか」という原点にはなかなか戻れない現実がある。だから自分の心を壊していくのである。
全国でどれだけの教職員が疲弊し、精神的に追い込まれているだろうか。高須小学校で起きた出来事と重ね合わせる必要がある。
728実習生さん:03/07/31 18:20 ID:0/DeH67H
D 慶徳校長を自殺へ追いつめた原因について

 なお、自殺へ追いつめた原因をまとめると、第一次原因は尾道市教委が、今年三月、家の近くの小規模校への転職の希望を断ち、再度、民間人校長として成果を出せと告げ、絶望させたことにある。
第二次原因は、うつ状態の診断書さえ受け付けず、一切休養を取ることを許さず、抗うつ剤や睡眠導入剤の服用と疲弊が悪循環に陥っていたことである。
第三次原因は、校長を教育委員会の命令を忠実に実行する中間管理職として使用し、膨大な通達で苦しめ、職務に対する無力感をつのらせていったことにある。
三次、二次、一次と負荷が積み重なっていき、慶徳校長は自死に至ったのである。