695 :
実習生さん:03/07/05 11:35 ID:U+cliUtJ
でさ、いつも思うんだけどよく出てくる天皇の戦争責任ってなんなの?
ルーズベルトやチャーチル、スターリン、蒋介石らって責任あるんですか。
696 :
:03/07/05 11:36 ID:8e0+IiTM
学歴はんたーいとか煽ってる奴がいて、それに同調してたら、実はその煽ってた奴の
子供はきちんと塾とか入れて一流大学とか入ってるのな。で、調子こいて、つるんでて
気がついたら自分のこどもたちだけDQNになってたなんてな。ww
697 :
実習生さん:03/07/05 12:20 ID:68mKvMUi
大量破壊兵器の使用については、トルーマンが最大の戦争犯罪責任者
698 :
実習生さん:03/07/05 12:26 ID:l5Loh87C
いや、思想は家庭で教育するからさ。 国語と数学と理科だけはしっかり教えてくれ 部落民の歴史は人文系大学の研究範囲ジャン どうせやるなら微分方程式、複素解析 フーリエ解析 デジタル、アナログ回路、機械工学概論 情報工学概論を教えてやれよ
699 :
実習生さん:03/07/05 12:30 ID:b88LsAOd
>>692 ならば、広島が文教族に目を付けられた理由は何なんだ?
>>695 昭和天皇は、ヒトラー、スターリンに並ぶ「最悪帝」として世界史上に、その名を残している。
臣下による証言集
「やはり、陛下にはこの戦争に責任がある。
戦艦に御座乗りいただいて、戦死していただくのが一番よい。
自決していただくのが、もっとよいと思いますがね。
そのうえでで国民も、軍も、無条件降伏をすることに納得がゆくでしょう。」
(昭和20年7.26 近衛文麿)
殊に統帥権の問題は、政府には全然発言権なく、政府と統帥部との
両方を抑え得るものは、陛下ただ御一人である。
まさに、「国務と統帥はすべて、上御一人のご発動により生じます。」(東条)
で、恥知らず天皇がいくら知らばっくれても、責任重大である。
要するに戦争について御責任はあり。
即ち一国の統治者として、国家の戦争につきロボット
にあらざる限り御責任あることは明なり。
(木下道雄「側近日誌」)
「今度の敗戦については何としても陛下に御責任あることになれば・・・略・・・
皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何かやり切れぬ空気を残し、
永久の禍根となるにあらざるやを慮れる。」(木戸幸一)
>「寺崎英成 御用掛日記 昭和天皇独白録」
>寺崎英成 マリコテラサキミラー編著 文芸春秋杜 より抜粋。
>昭和20年7月25日
>「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、大本営その
>ものが捕虜となることも考えられる。そうなれぱ、皇祖皇宗よりお預か
>りしている三種の神器も奪われることも予想される。
>それでは皇室も国体も護持しえないことになる。もはや難を忍んで和を
>講ずるよりほかはないのではないか」
>同年7月31日「伊勢と熱田の神器は詰局白分の身近に御移して御守り
>するのが一番よいと思う。‥‥万一の場合には白分が御守リして
>運命をともにするほかはない」
>「同年8月9日ポツダム宣言受諾の''聖断"」をのちに回想して
>「‥‥当時私の決心は第一に、このままでは目本民族は亡びて終ふ、
>私は赤子を保護する事が出来ない。第二には国体護持の事で木戸も
>同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれぱ、伊勢熱田両神宮は
>直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込み
>が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲
>にしても講和をせねばならぬと思った。」
守ろうとしたのは三種の神器と国体の護持だね。
民族を守るってのは、日本人でなく、天皇の臣下って意味じゃないかな。
聖断、聖断と言うが、2月の段階ですでに聖断の希望は近臣から出てた。
それを昭和は断っている。
海外領土保持の有利な講和の夢をまだ見ていた。
赤子を愛しているなら、沖縄上陸情報の時点で聖断すべきだった。
だから、沖縄戦や東京大空襲や原爆が天皇のせいなのだ。
「こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷めるように云ったが〜」
「米内はむしろ私の方から推薦した〜」
「私が特に白川に事件の不拡大を命じておいたからである」
「陸軍の要求は之を退けて東条に組閣させた次第である」
独白録をざっと拾っただけでも、これだけ政治介入してますが?
あくまで例示です。
おそらくこれの10倍はあると思いますが?
一度独白録を読んでみたらいかがですか?
自己弁護のかたまりですが、昭和天皇がどれほど深く政治、軍事関与をしていたかは分かりますよ。
707 :
実習生さん:03/07/05 12:35 ID:ecFkGh9W
思想を教える暇があったら旋盤の使い方を教えてくれ
これだけあれば十分だろ。さらに細かいのもあるのかな。
・天皇の発言によって軍事行動が左右された事項
1、1933年・熱河作戦の一時指し止め
2、1936年・2・26事件における反乱軍の武力鎮圧の決定
3、1937年・日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定
4、1938年・張鼓峰事件における武力行使方針の一時指し止め
5、1939年・「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正要求
6、1940年・宜昌再確保への作戦変更
7、1942年・フィリピン・バターン要塞への早期攻撃の実現
8、1942年・重慶攻略の方針の決定と取りやめ
9、1942年・ガダルカナル攻防戦における陸軍航空隊の進出
10、1943年・ガダルカナル撤退後のニューギニアでの新攻勢の実施
11、1943年・統帥部内の中部ソロモン放棄論の棚上げ
12、1943年・アッツ島玉砕後の海上決戦のたびかさなる要求と、海軍消極姿勢への
厳しい叱責による統帥部引き締め
13、1943年・陸軍のニューギニアでの航空戦への没入
14、1943〜44年・絶対国防圏設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部指示など)
15、1944年・サイパン奪還計画の立案
16、1945年・沖縄戦における攻勢作戦の実施(防御部隊が突撃させられアボーン)
17、1945年・朝鮮軍の関東軍への編入取りやめ
<例>
1、「沖縄では守るだけか、海軍はどうしたのか」→防戦予定が突撃させられる、
大和特攻が敢行され死者3721人。
2、「(特攻隊は)そのようにまでせねばならなかったか。しかし良くやった」
→現地では「よくやった」とのお言葉をもらったと続々と続く一要因となる
3、1947年9月20日、寺崎英成を通して、「沖縄に関する軍事占領を継続する
事を希望する」「25年ないし50年という長期が良い」と要望した覚書をGHQ顧問
からマッカーサーに提出。
(「昭和天皇の軍事思想」校倉書房)
大日本帝国第3条の神聖条項による天皇無答責論は一種の拡大解釈である。
そもそも条文において明文化された無答責規定がないということが重要。
大日本帝国憲法における天皇の地位は、西欧・北欧の立憲君主制よりも
絶対君主に近い物である。
西欧・北欧の立憲君主制論(=国民主権と両立)を前提とする議論には
そもそも無理がある。
また、帝国憲法55条の輔弼条項を根拠とした輔弼機関答責論も、そもそも
戦前日本の統帥権の独立というシステムを無視した議論である。
軍令機関(参謀本部・軍令部)の長は、天皇に直属の幕僚長であり、最高命令
(大陸命・大海令)を下す権限を持たなかった。(権限は天皇)
帝國憲法55条は、軍事命令発令の所在について全くふれてない。統帥権が政府から
独立しており、かつ、幕僚長に最高命令を下す権限がないのであれば、
その責任は最高統帥者たる天皇に帰着せざるをえない。
つまり、天皇の憲法上の機能からの責任否定論は、ともに西欧流の立憲君主制
を前提とし、むしろ大日本帝国憲法が運用されていた政治体制の実態にはそぐ
わない議論であるといわざるをえない。
(昭和天皇の軍事思想と戦略、山田朗、校倉書房)
1971年に昭和天皇が訪欧したとき、イギリスやオランダでは歓迎されず、怒れる人々のデモがあり、大衆紙には「戦争犯罪人」とも「ヒロヒトラー」とも書きたてられた。
1975年の訪米の際には、自身の戦争責任を曖昧にし、太平洋戦争のことを「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」と、自分で宣戦しておきながら、まるで、第三者みたいなスピーチをした。
そのため帰国後、外国人記者クラブとの公式記者会見では、『ロンドン・タイムズ』紙の記者が天皇に、その発言の真意を質し、「ご発言がありましたが、このことは戦争にたいして責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。
また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいします。」と質問したところ、
昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と返答した。
すなわち、天皇自身は全く戦争に対する悔恨も責任も持たず、宮内省がつくった作文を、無自覚に読んでいただけだった。
やはり、戦争責任を誤魔化し、責任をA級戦犯や「一億総懺悔」という言葉で民衆に擦り付けて、自分は被害者面している昭和天皇は、とんでもないクズと言うほか無い。
711 :
実習生さん:03/07/05 12:47 ID:68mKvMUi
ソ連に日本を売ろうとした近衛に責任がある
712 :
実習生さん:03/07/05 12:53 ID:o9MHyxgZ
サヨは目的達成の為なら「いじめ殺しても良いと言う主義」の集団のようだ。過去にも何度も繰り返してるからな。
クソウヨは目的達成の為ならテロをしても良いというテロ集団だ。過去にも何度も繰り返しているからな。
714 :
実習生さん:03/07/05 13:07 ID:U+cliUtJ
>>FjYyUNkqレスさんくす。
その時代の外交慣習にならって、日本は国内法にも国際法にも触れてないんだろ?
それに戦勝国の戦争責任は一切問われてないし。
715 :
実習生さん:03/07/05 13:11 ID:A04/AMMO
広教祖の半分は帰化朝鮮人。
これ定説。
716 :
実習生さん:03/07/05 13:17 ID:K6IEizIi
岡山と広島県東部は関東並に渡来系が多い地区だが、広島県西部は江南系が多い。
717 :
実習生さん:03/07/05 13:23 ID:RJ7IlNGj
先の日本の戦争は自存自衛の戦争です。
東京裁判は勝者が敗者を一方的に裁いた裁判です。
先生は間違った教育を子供達にしないでください。
718 :
実習生さん:03/07/05 13:25 ID:ix8ASAN9
戦後の混乱期、唯一広島県が朝鮮人を偉そうにさせなかった町らしいね。
それだけ武闘派揃いなのか?
719 :
実習生さん:03/07/05 13:28 ID:eyAr+I3C
帰還兵が多かったんだろう
その点
渋谷は北朝鮮、新宿は中国のものだよね
未だに。
あそこで使った金は、そいつらに吸い上げられている。。。
720 :
実習生さん:03/07/05 13:31 ID:o9MHyxgZ
サヨはいじめ殺しても「平和主義者」と、うそぶくやから。
721 :
実習生さん:03/07/05 13:39 ID:ix8ASAN9
民間人でさえ893顔負けの無頼漢ばっかだったと聞きます。
焦土の広島闇市では全国でも類を見ない最悪都市だったらしいな。
軍港呉でも敗戦によるアウトロー化、無秩序化となり、893は勿論、
地元の愚連隊らが利権を巡っての殺戮や暴動が毎日数十件あったな。
港では軍艦が座礁、転覆してたりと敗戦ムードを煽るような暗い空気に拍車がかかってたみたいっすね。
軍需産業でプーになったヨソモノらが暴れる以上に地元民がタチ悪かったみたいです。
722 :
実習生さん:03/07/05 13:44 ID:axKoPTwP
人の人権を侵害しても、何とも思わないのは誰だ、人権はサヨだけの特権とでも、人権人権と騒ぐやつ誰だ。
723 :
実習生さん:03/07/05 13:46 ID:+EiTRp+i
広島も当時最も栄えた横川は北朝鮮系でしょ
空港通りと呼ばれる通り沿いには焼き肉屋が多いし、秋葉市長の票田でもある。
三菱に強制徴用された人が広島には多いからね。
横川からまっすぐ空港通りを南に下った先が三菱重工。
724 :
実習生さん:03/07/05 13:48 ID:+EiTRp+i
ちなみに覚醒剤が蔓延しているのも横川。
725 :
実習生さん:03/07/05 13:58 ID:NBfvHOM0
仁義なきってやつだな
726 :
実習生さん:03/07/05 13:59 ID:NBfvHOM0
ホモだ市のう
727 :
実習生さん:03/07/05 16:01 ID:mn++wDis
足し算や引き算ぐらいしか教えられない低能人間が、平和だ、人権だ、主体思想だw、なんてものを教えようとすることが間違い。
しかも狂ってるんだから、社会のゴミ。
低能教師共は、北朝鮮にでも行け!!
728 :
言っておくが、この板だけだぞ。コピペバカが居るの。:03/07/05 16:31 ID:S+2uZNIU
昭和40年代 福山葦陽高校校長が自殺
昭和45年 5月 1日 府中高校同和主任教諭(36)がナイフで手首を切り自殺
昭和49年 9月 新市町常金丸小学校同和主担者が会議の直後心臓麻痺で死亡 →解同支部長「すまんことをした」と詫びる
昭和51年 4月28日 新市町常金丸小学校同和主任教諭が遺書を残して失踪
昭和51年 4月 庄原市川北小学校校長が自殺未遂 →「差別事象」を根拠に解同の介入あり
昭和51年 5月16日 府中東高校同和推進教諭(25)が山中で首吊り自殺
昭和51年 5月24日 府中東高校同和主任教諭(40)が墓地裏松林で首吊り自殺
昭和51年 7月 1日 福山市教委社会教育課主事 遺書を書いて自殺未遂
昭和52年 3月26日 福山市大成館中学校教諭が自殺
昭和55年 9月 加計高校同和推進教諭(55)が自宅裏山で首吊り自殺
昭和56年 1月29日 福山市桜ヶ丘小学校校長(54)が山中で包丁で手首頸動脈を切り自殺
昭和56年 1月31日 本郷町北方小学校校長(52)が構内でカッターで手首頸動脈を切って自殺
昭和56年 4月 9日 廿日市町宮内小学校校長(55)が校内物置小屋で首吊り自殺 →解同、連日に渡る糾弾
昭和56年11月26日 県教委学校管理課長(元同和教育課長)が自殺
昭和57年 4月11日 五日市町教委同和教育指導課長(51)がナイフで胸を突き自殺
昭和58年10月 沼隈町小学校自殺
昭和58年10月 5日 常石小学校校長がナイフで自殺
昭和60年 2月22日 庄原市山内小学校教諭(25)が山中で首吊り自殺
平成 6年6月 千代田町厚生課長自殺
平成 8年 6月22日 千代田町教委社会教育課長(48)が山中で首吊り自殺 →解同側、関与認める
平成9 年10月 県立養護学校校長自殺。
平成11年 2月28日 県立世羅高校校長(58)が自宅で首吊り自殺 →県教委、解同との確執あったとの公式見解
平成12年2月 尾道市中学校教諭自殺。
平成13年 5月 因島市高校教諭自殺。
平成13年8月 大柿町小学校校長変死。
平成13年11月 因島市高校教諭自殺
平成14年2月 府中町小学校教諭変死。
平成14年 3月 1日 三原養護学校校長(55)が自宅で突然死 →自殺との見方も
平成14年年4月 因島市小学校校長突然死。
平成14年 6月 県立竹原小学校教諭(26)一家4人が謎の心中
平成14年 12月 油木町職員不審火で焼死。
平成15年 3月 9日 尾道市市立高須小学校校長(56)が校内で首吊り自殺 →教師側との確執も?
平成15年 3月11日 広島県甲奴町 小学校教頭(45)が自宅で首吊り自殺
平成15 年 4月 広島市中学校教諭自殺。
平成15年 7月3日 尾道市教育次長山中にて自分の車の後部座席にて不審な首吊り自殺
730 :
実習生さん:03/07/05 16:42 ID:YKhWJf6S
なんか狂ったように広教組への矛先を外そうと他を必死になって
貶めている奴がいるようだな
逆効果としか思えない
広教組による広島公教育は腐りすぎ
731 :
実習生さん:03/07/05 17:23 ID:EDuY03mw
ここまで来たら、兵庫の小学校から鳴り物入りで来た
蔭山校長がいつ自殺するかマジで掛けをしたくなるなあ
最低¥1万から・・・・
こういうことらしいからね(w
>広島県教組は、校長の勤務状況等客観的な事実を明らかにするために、校長・教頭・教職員の勤務実態の把握を可能にする学校警備システム記録、2002年度教委への報告書など年間提出書類、民間人校長研修会資料・会議録等の公表を県教委・尾道市教委に公開請求し、
弁護士や精神科医師などを含む第三者委員会による調査の実施を要求しています。しかし、県教委・尾道市教委は、すべての要求を拒否し、情報公開条例に基づく文書開示すら行わず、客観的な資料のすべてを隠蔽したまま(不開示の理由も明らかにしていない)、
4月11日の「中間報告」と何ら変わらない「調査結果」を発表したのです。
教育委員会側の対応に、心の底からの怒りを感じます。その経緯から見ても、県教委・市教委「調査結果」は、事実の隠蔽と捏造によって、教職員にその責任を押しつけようとするものに他なりません。
どうやら超勤などによる過労自殺。公務災害は明らか。広島県教委は自分達の責任が追求されることを恐れているようですね。情報公開条例まで無視するとは…。もはや教委は無法集団そのもの(w
広島県教委の報告はウソばっかりです。真実は以下のようですね。
>●親の介護のこともあり、自宅(広島市近郊の府中町)に近い学校への勤務を希望したにもかかわらず、尾道市への勤務を命ぜられた。高須校長は、赴任当初、自家用車・新幹線・在来線を乗り継いで勤務した。自宅に帰れない日も多かった。
●県教委でのたった2日間の研修後、すぐに着任。いきなりの4月3日、121名在籍していた新6年生の一人の転出。転出を思いとどまるよう校長が保護者の説得に入るがうまくゆかず、4学級編成が3学級編成に。
学級減により、2名の臨時採用職員を解雇。時間割の組替。校長は、このことに責任を感じていた。「たった一人のことで、こうなるのはおかしいですね。」(慶徳校長)このころPTA関係の夜の会合なども多く、相当疲労困憊していた。
●尾道市教委は、「教育改革推進」のために次々と新しい施策を通達。一般の教職員も、年間指導計画(シラバス)の作成などで連日連夜の超過勤務。
新しく下ろされてくる文書内容や書類の記入方法などは教委から校長のみに伝達されるため、校長は意味のわからない指示と文書の処理に追われる。
頼みの綱が藤井教頭であった。連日夕方から夜にかけて、教頭に質問した。仕事にかかるのは、校長も教頭もその後である。その教頭が、5月に脳内出血で倒れる。
●その直後、市教委に休職を申し出た校長に対して、「あなたの後ろには経済界がついているんですよ。頑張ってください。」と受け入れなかった。11月の転任希望にも耳を貸さなかった。
●今年2月に坂井教頭が心筋梗塞で倒れた後、「教頭が倒れたのは自分のせいだ」(慶徳校長)と責任を感じていた。坂井教頭も12時くらいまで仕事する事が多く、パーキングエリアで2時間くらいの仮眠だけで、翌日出勤するという生活が続くことも多かった。
●5月に藤井教頭が倒れた際には、市教委から午前・午後交替で職員が派遣されたが、2月に坂井教頭が倒れた後は、誰も来ない日があったり、来ても2時間程度だった。
●慶徳校長が「自死」した直後の3月9日夜、PTAの緊急総会で市教委の対応策を発表する。脳出血で療養・休職中の藤井教頭を3月10日付けで復帰させるというもの。藤井教頭からは、今年6月までの休職願いが提出されていたにもかかわらずである。
市教委のこの人権無視・人の命を何とも思わないご都合主義的な「教頭への復職命令」に、教職員全員が反対し、撤回に追い込んだのは当然の事である。
●県教委が、教職員との対立の根拠にしている運動会プログラムの件。広島教組の調査では、プログラムは職員会議で承認され、すでに印刷・配布されていた。この間に、校長と教職員の間に対立は見受けられない。
その後、「国旗掲揚、国歌斉唱」が印刷されていないことに、校長が気づいた。しかし、市教委から派遣されていた係長(すでに一人目の教頭は休職)が、「このままでいきましょう」と発言。その後、この件は職員会議でも触れられていない。
現場の人々の話です。
> 県教委・市教委は、責任が教職員側にあることを印象付けるために、教職員が総出で、事件にショックを受けた子どもたちへの心のケアや保護者への対応にあたっていた3月、教職員12名(全教職員の3分の1以上)を強制的に異動させることを発表しました。
高須小学校教員は、次のように語っています。
「こういう体質の尾道市教育委員会が、教育改革と称して次々に新しい施策を投入してくる状況の中では、高須小学校だからというのではなくどこの学校でも同様の事件が引き起こされても不思議ではありません。
文部科学省の意向をそのまま市町村教育委員会に命じる広島県教育委員会とその県教委に対して先取り率先して新しいことを取り入れようとする尾道市教育委員会。彼らの指導・命令は、2002年9月にも一人の小学校教諭を勤務中の突然死に追いやっているのです。
病気休養に入る学校職員は現在も増え続けています。」
広島県教委の「是正指導」と天下り教育長が広島の教育を腐らせている最大の癌です。
>文部科学省の意向を受けて、学校への競争原理の急速な導入とそのための行政による強度の締め付けと監視体制を横行させている広島では、すでにいくつもの人権侵害事例が報告されています。
尾道市での民間人校長「自死」事件は、人権を無視した県教委・市教委による校長への許し難い圧力の結果に他なりません。
広島県教委は、99年の世羅高校校長の「自死」以来、文科省による「是正指導」(「日の丸・君が代」や元号使用の強制、道徳教育の文科省「指導」通りの実施、組合活動への弾圧と教職員管理、
学校運営における校長権限の拡大、授業内容を含む学校運営のあらゆる側面への監視と「達成」報告の義務付け)を校長と教職員に強制してきました。
2000年以降、「義務教育改革ビジョン中期プログラム」を作成し、学校教育のあらゆる側面に数値目標を設定し、学校に「目標管理型マネジメント」に基づく運営と管理を強制しています。
民間人校長は、それを担う旗印でもあったわけです。「一校一研究」、「学校に新しい風推進プロジェクト」など、「○○プロジェクト」に多用される数値目標。
広島県教委は、地域ごとの学力テスト結果も公表し、地域間・学校間の競争を煽っていました。数値目標の発端にあったのが、教職員への徹底した職務命令と処分によって強制した「日の丸・君が代斉唱・掲揚率」の100%化であったのは誰もが承知していることです。
(不起立のみを理由とした処分と「心を込めて歌う」命令を憲法に問う「ココロ裁判」が闘われている北九州市に次いで、広島県だけが不起立のみを理由に数百人の教職員を処分。)
広島県教委は、「調査結果」の中で、さらに「是正指導」と「組織マネジメント」を徹底することこそ「慶徳校長の御遺志にそうもの」と結んでいます。この徹底した目標管理・数値管理の中で、人間の命は二の次とし、「殉職」やむなしの宣言を行ったのです。
民間人校長自殺:
遺族、公務災害請求へ うつ訴えたが教委説得
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民間人校長として広島県尾道市立高須小に勤務中の慶徳和宏さん(当時56歳)が今年3月、校内で自殺したことについて、遺族が地方公務員災害補償基金同県支部審査会に公務災害認定を請求することが21日、わかった。
慶徳さんは尾道市教委へ「うつ」症状を訴えたが、「頑張って下さい」と説得されて校長を続け、連日残業が5〜7時間半に上った。
認定には、自殺の有力な原因が校長の職務遂行に伴うものだったという「公務起因性」が求められる。認められれば、銀行員から転身したばかりの民間人校長を支えられなかった教育委員会側の責任が、改めて問われそうだ。
県、同市教委は先月、それぞれの最終調査報告をまとめた。その中で、慶徳さんの体調について「02年5月13日に診察の結果、情緒不安定で休ませてほしいと市教委職員に相談した」と記していた。
しかし、県教委幹部は毎日新聞の取材に対し、「報告書や会見ではプライバシーに配慮し情緒不安定とした。病院で中程度のうつ状況と説明を受けていた」と疾患を認識していたことを認めた。
県、市教委は休養を求める慶徳さんに対し職員の派遣など一定の支援を示したが、「頑張っていただきたい」と精神的負担を大きくする説得を繰り返していた。
両教委は他の理由とともに「支援不足」を認めたが、公務起因性が認定されれば、慶徳さんを死に追いやった要因として、教委側の疾患に対する認識の甘さ、対応の不備が明確になる。
慶徳さんの勤務実態については、同県教職員組合の調査で、校長が管理していた学校の施錠時間(電子記録)から、超過勤務の常態化が判明。校長在任中の昨年4月からほぼ毎月平均150時間を超えていた。
3月1日から死亡前日の8日までに限っても平均7時間半だった。市教委で現在、確認作業をしている。
精神疾患関連の公務災害では、97年5月に自殺した広島県竹原市職員の遺族が「業務過重のためのうつ病が原因」と認定を求めたが、認められず不服申し立ての末、
本部審査会が昨年4月、「慣れない業務による強いストレスからうつ病を発症した」と認定している。
◆ことば=公務災害
仕事が原因で公務員がけがや病気になったり、障害を負ったり、死亡した場合。民間企業の労働災害にあたる。
地方公務員の場合、地方公務員災害補償法が根拠。本人または遺族からの請求書提出を受け、地方公務員災害補償基金(本部・東京)の都道府県または政令指定都市の支部が認定、損害を一定程度補償する。
請求書提出は、所属先と任免権者を経由する。補償の種類は、療養、障害、遺族補償など。申請から判断が出るまでには通常1年以上かかる。
認定されるには、職員が公務に従事していること(公務遂行性)▽公務と災害との間に相当の因果関係があること(公務起因性)の二つの要件を満たす必要がある。
自殺が公務災害と認められるケースは少ない。
最近ではサッカーW杯のセネガル代表チームを事前キャンプ招致した静岡県藤枝市の担当課長が自殺し、同基金が「誘致という特別な職務で正常な判断ができなくなった」と認定した例がある。
また、学校長の自殺としては、大阪市の市立小校長が、抑うつ状態と内臓疾患が重なったとして自殺したケースで、同基金が01年5月に初めて公務災害と認定している。
[毎日新聞6月22日] ( 2003-06-22-03:00 )
<校長自殺>休養願に「がんばれ」 うつの認識に欠けた対応
民間人校長として広島県尾道市立高須小に勤務中の慶徳和宏さん(当時56歳)が今年3月、校内で自殺した問題で、慶徳さんが「うつ」と診断され、休養を願い出た際の尾道市教委との詳細なやりとりが27日、分かった。
市教委は病状に触れず「頑張ってもらいたい」と慶徳さんを説得、「うつ傾向と聞いたが休ませねば、とは思わなかった」などと病状に対する認識の欠如を認めた。
慶徳さんは多数の知人に「診断書を出したが休養を認めてくれなかった」と話しているが、山崎建郎市教育長は「診断書は見ていない」と否定している。【山中尚登、金塚祐司】
尾道市教委が毎日新聞の取材に対し明らかにした。市教委の説明では、慶徳さんは昨年5月13日午前10時ごろ、山崎教育長を訪ね、3日前に教頭が倒れたことによる学校運営の不安と心労を訴えたという。慶徳さんは「病院に行って来ます」といったん退出。
近くのJA尾道総合病院を受診した後、午後2時ごろ再び市教委を訪れた。
面談は教育長室で行われ、山崎教育長のほか山岡将吉教育次長、黒木巖学校教育課長らが対応。慶徳さんは冒頭で「診察を受けた結果、『うつ傾向』と言われた。休ませてほしい」と願い出たという。
しかし、市教委は教頭不在による学校運営の不安が病気の原因と判断、市教委からの職員派遣などの支援を綿密に説明。山崎教育長は毎日新聞の取材に「不安を取り除くことが一番の解決策と思った」と答えた。
約1時間半の面談で、慶徳さんが「休みたい」と言ったのは冒頭の1回だけ。後は支援策の説明を黙って聞いていたという。市教委は、病名や診断の詳しい内容などを一切聞かず「診断書は見ていないし、慶徳先生が診断書を出すそぶりもなかった」と説明した。
一方、慶徳さんは後に、市教委との面談の様子を複数の知人に打ち明けていた。その1人は「慶徳さんは市教委に診断書を出したが、認められなかったと言っていた。元銀行支店長の慶徳さんが、休養を申し出るのに診断書を用意しないわけがない」と市教委の説明を疑問視した。
また、元高須小の教諭は、面談の数日後に校長室へ呼び出されたという。たばこの煙が立ち込める中で慶徳さんは椅子に座ってうつむき、「実は医師にうつ病と診断され、1カ月休めと言われた。市教委に休みたいと言ったが、ダメだと言われた」と告げたという。
公務災害請求は来月中めどに
慶徳和宏さんの遺族が請求する公務災害に関する関係資料について、広島県尾道市教委幹部は、27日までに「学校関係の書類はほぼ整った。遺族関係分と合わせ、確認後に来月中をめどに請求できれば」と語った。
ことば・うつ
憂うつで気分が落ち込み、気力がなくなり、日常生活に支障が出てくる精神障害の一種。アルコール依存症と並び、先進国で多いという。
主な症状としては、精神面ではイライラ、不安感、焦燥感、無気力、集中力の低下、考えがまとまらないなど。身体面では朝早く目覚める、寝付けないなど不眠が多く、そのほか全身のけん怠感や頭痛、胃痛、食欲不振、肩こりなどがある。
症状が悪化すると、自殺願望を抱くケースもある。抗うつ剤など薬物治療が有効で、精神障害の中では治癒率が高いとされる。
絶対的な分類方法は確立されていないが、米精神医学会の最近の分類では「気分障害」とされる。気分障害は、うつ状態だけの「単極性」と、気分が高揚して元気がよく、集中力も増すそう状態とうつ状態の両方ある「双極性」に分類される。
原因別で、なんらかの心理的、精神的ストレスをきっかけに発症する「心因性」▽きっかけは特になく、体質や遺伝などが原因と考えられる「内因性」▽病気や治療用薬物の影響で引き起こされる「身体因性」に分類する方法もある。
気分障害による推計入院・外来患者数は約6万5000人(99年旧厚生省調べ)。
最近は、うつではないが、健康な精神状態ともいえない「軽症うつ」が増えているという。一方、経済苦や生活苦が原因でうつになる人が増え、自殺者増加につながっているとの指摘もある。(毎日新聞)
[6月28日3時11分更新]
742 :
実習生さん:03/07/05 18:00 ID:+EiTRp+i
蔭山校長は全教だから大丈夫
尾道は共産化することでしか改善の可能性はない
743 :
実習生さん:03/07/05 18:06 ID:v00KLxqg
足し算や引き算ぐらいしか教えられない低能人間が、平和だ、人権だ、主体思想だw、なんてものを教えようとすることが間違い。
しかも狂ってるんだから、社会のゴミ。
低能教師共は、北朝鮮にでも行け!!
744 :
実習生さん:
尾道市教育委員会が同市の小学校の校長に民間人を登用
→広島県教職員組合(広教組)の教師が民間人校長に陰湿な嫌がらせ
→民間人校長が心労のあまり自殺
→広教組に非難集中
→広教組が逆ギレして市教委を徹底糾弾
→市教委次長が自殺