愛知県管理教育被害者の会

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860ひめだるま
 >>859
 思い出すのもつらい話ですが、いつまでも黙っているわけにはいきませんので……。
(スー、ハー、スー、ハー。ちょっと深呼吸)
 
 わたしは73年生まれ。中学は地元の公立でした。そこは付近の3つの中学校が合併して
できたマンモス校でした。
 わたしは中学校に入ったらいっぱい友達を作ろう、勉強も趣味も充実させるんだと思って
入学式を迎えました。制服を着たとき、ちょっと大人っぽくなった気がして誇らしかった。
小学校のときからの友達以外とも交流してちょっぴり世界が広がったのもうれしかった。
部活もまあ自分にあったものを選べたと思っていた。勉強は苦手科目もなく、クラスで2位を
とっていた。
 それでも毎日の生活が不毛で息苦しくて体力・気力の限界を超えていった。
 はじめは理不尽でキツい校則を、自己コントロールの練習だと考えたり、こんな
むつかしいことを守っている自分に誇りさえ感じていた。
 でも、限界はある日訪れた。その日からまったく学校に行けなくなってしまった。
親の体罰もあったし友達の非難・励まし・同情もあった。先生はクラスのミーテイングで
わたしの自己中心の体質をなおすようにとクラスメートに書かせた作文を読み上げた。
 でも体は動かなかった。

861:03/08/19 00:22 ID:i0l7zWM5
携帯サイトのよう!

http://www.leap-yuki.com/
862ひめだるま:03/08/19 00:39 ID:2F0VnjsY
 そのあと、ホームスクーリングというのか、家を中心にすごして気の向くとき/必要の
あるときだけ図書館・博物館・動物園・地元の登校拒否の親の会などに出かけた。
また、「愛媛の制服を考える会(以下「制服の会」と略)」という私服通学をしている子の親のグループ
とも交際しはじめた。そのほかアルバイトをしたり、友達とコミケに出かけたり、バンドを組んだりするなど
学校の外での生活を充実させていった。
 そうした学校の外の生活を通じて見れば、やはりあの中学は管理教育であり、まともな場所では
なかったのだとしか思えない。
 校則は人権無視のかたまり。体罰はあたりまえで竹刀を携帯した体育教師が校内を見張っている。
確かに有名な東郷や新田に比べれば穏やかだったかもしれない。でも、強制的に部活に入らせ、入らないものにイヤガラセを
繰り返すのには参った。父母との懇談会でも「部活で拘束時間が長いのは、なるべく生徒を学校の中にいさせるため。疲れさせて
ものを考えさせないためだ。そうすれば考え事をして非行にはしらない。」と公言してはばからない体質は
やはり管理主義だろう。政治的には右のうちの母まで「あそこの学校はちょっとまともじゃない」と語っていた

 「制服の会」の人たちからは他の学校の話を聞いた。あいまいなウワサ話が多かったが、
いじめにせよ体罰で鼓膜が破れた事件にせよ緘口令がひかれるため、いたしかたのない面もあった。
そこでは制服に絡む学校と業者の癒着、非常識で人権無視の校則についていやというほど
の情報があった。母親がPTAで体罰を批判すると、子どもが授業中何度も殴られるとか、
放課後居残りして落ち葉あつめや図書室の整理をさせられるとか、漢字ドリルと
計算ドリルをたくさん出されて真夜中の1時や2時までかかってやっと完成するといった
話題も出された。
 
 
 
863ひめだるま:03/08/19 00:52 ID:2F0VnjsY
 まだ、バンド活動を通じて知り合った子のなかで廃人になっている人もいた。
 近所の「生徒指導のしっかりした」学校に行っていたのだが、
目がうつろで自分のパートの練習もしていない。小さいころからピアノを
習っているので楽譜は読めるはずなのに、自分で望んでバンドに参加したのに
全然上達しない。共通の友人からの情報によれば、その子の通っている学校は、
勉強・態度行状ともに優等生にあらずんば人にあらずという不文律が支配しており、
学校に通うだけで神経をすり減らしているとのことだった。また、教師の体罰もすさまじく
、集中してやられた時期もあったそうだ。音楽への熱意もヤル気も失せ、腐った魚のような目で
服装にもかまわず、ガリガリにやせており食事をまともにとっていないことが
うかがえた。
 また、コミケで知り合った同じ年代の人たちにも違和感があった。
 彼(女)らはせっかくの自治的コミュニケーション手段をつくりながら、まったく
学校批判をしない。制服の会のことやフリースクールについて話すと、
「制服があってもみな個性はあるのだから学校は間違っていない。」「暗い話だけ
で明るい話がない」「もっと学校のいいところを見るべき」「そんなことを言ったら先生も
学校に行っている子もかわいそう」などと学校礼賛の言葉が身振りがかえってくる。
従順な工場労働者をつくる学校教育の洗脳は成功していたのだ。
 
 
864ひめだるま:03/08/19 01:00 ID:2F0VnjsY
 長くなってスマソ。でも大事な情報でいつか誰かがネットにあげねばならない
ことなので、あと少しのおつきあいを。
 十代のころからイリイチやフーコーやブルデューや山本哲史に私淑していたこともあって、
学校や教育そのものにプラスよりもマイナスの価値を見てしまう。管理教育も近代教育の
ホンネがロコツに表現されたものであって、教育が死んだとか歪んだ学校という表現には
不賛成だ。なぜならばそれは、学校・教育・学校教育の起源からはらまれる支配性と暴力性を
隠蔽してしまうからだ。
 人が人を支配する以上教育は生まれ、効率よく人を教育するために学校が生まれた。
でも学校や教育がある前、人はのびやかだったのだと思う。
 もし望む教育があるとすれば、学校や教育から自由になるためのコミュニケーションだ。
 そういった「学びのネットワーク」とイリイチが呼んだものが今こうして
2ちゃんねるという形で実現していることをうれしく思うものである。
 スレ違いならスマソ。